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例年よりも遅れていました2024Seasonの東京都心の紅葉、満を持して巡って来ましたそしてここからの撮影は2024年12月5日です都内…と言っても区部(23区内)ですから各所の紅葉スポット、何とか一日で回り切れるかなと思っていたのですけど無理でしたしかしchuには強い味方がありまして、それは「東京メトロ」の24時間券chuはこのパスを昨日(12月4日)、綾瀬駅(足立区)で購入し改札に入ったのが8時10分。で、24時間パスは文字通り24時間有効なので翌12月5日の8時10分前までに綾瀬駅で改札に
--------------------------------------------2024年誰が取り仕切ろうと、住みやすい国ならいいと思います。2023年11月30日--------------------------------------------戦国時代の坊主は強かったのですよね。食べ物が良かったのでしょうね。2022年11月30日--------------------------------------------坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。まわりも感化か
この投稿をInstagramで見るカヒミ(@kahimi_unabow)がシェアした投稿久々のブログ、そして城跡巡りです💦先週の木曜日(10月31日かな?)に、石脇城跡へ行ってきました。近所の城跡はもう行き尽したと思っていたのですが、なかなかどうしてまだあるじゃないですか!私のご近所のお城と言えば、大体今川・徳川・武田辺りの歴史が感じられるものが殆どなのですが、インスタの画像を見て頂くとわかりますが今回の石
2013年5月に静岡に行ったときに、駿府城公園に寄りました。18きっぷの旅では素通りが多かった静岡でしたが、仕事の打ち合わせが終わり、駿府城公園に寄りました。駿府城公園ホームページより今から650年ほど前の室町時代に今川範国(のりくに)が駿河国の守護に任ぜられました。そのころから、駿府城周辺に今川氏の館があったと考えられています。駿府周辺の五か国の大名となった徳川家康は、1585年から居城として駿府城の築城をはじめ、1589年に現在の二ノ丸以内の部分を完成させました。1603年征夷大将軍と
敵と対峙し、戦(いくさ)が始まりました。矢が飛び交い、刀が打ち合わされ、血が流れます。駿河一国を賭けた戦いです。今回は、関東からの駿府勢への武力の加勢はありませんでした。新九郎の関東への布石は、確かな効果をあげていたのです。戦の最中に、狼煙が上がります。新九郎が打った手の総仕上げといえるものでした。戦は、始める前に、その結果はわかっているものだという話があります。この話では、新九郎が打てる手は、すべて打っていたことがわかります。勝ち戦は、調略(謀略?)がすでに済んでいる状態で口火が切られ
戦が始まりました。<(あのヤクザのカチコミみたいなのが俺の初陣かあーっ‼)>(29頁)と叫ぶ新九郎を無視して、事態は刻一刻と進みます。駿河の国を治める正統性は、龍王丸の側にあります。新九郎の家来たちは、みごとに、それぞれ持ち味を発揮しています。特に、兵法に長けた多米権兵衛(ためごんのひょうえ)を家来としたのは、先見の明があったと言えるでしょう。従兄弟の大道寺太郎も、予想以上に、一癖も二癖もある人物であることがよくわかる場面がありました。地元勢力では、重臣の堀越源五郎義秀が協力し
太田道灌が死に、新九郎は京の政情に巻き込まれながらも、龍王丸とともに何とか駿河に下ることができました。とはいえ、駿河での情勢も一筋縄ではいかないものでした。この巻で印象に残るのは、新九郎に接する人々の姿です。新九郎の甥の龍王丸は、近く駿河に下り、今川家の当主にならねばなりません。しかし当主としての自信を持てていない龍王丸が、叔父新九郎に、守袋に入るような小さな仏が欲しいと言い出します。<龍王丸(さ、才四郎が言ってた。{殿が彫られたこの観音様!これが霊験もあらたかに
1月7日日曜日の朝、静岡駅前からバスで駿河国総社静岡浅間神社へ向かいました。当日はまだまだ初詣の方も多く、乗っていたバスも迂回するほどでした。さすがは、家康公が元服されたお社、堂々たる楼門に迎えられました。静岡浅間神社と言えば二階拝殿として有名な大拝殿が有名ですが、残念ながらご覧の通り工事中でした。雰囲気から察するに相当期間を要しそうですね。ところで、お正月から、遅ればせながら、どうする家康大河ドラマ館を岡崎、浜松と回ってきましたが、もう1箇所がここ静岡です。岡崎と
2023年11月30日--------------------------------------------戦国時代の坊主は強かったのですよね。食べ物が良かったのでしょうね。2022年11月30日--------------------------------------------坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。まわりも感化かれてしまうものですよね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
~おしどり夫婦の物語~その2今川氏真公と蔵春院(2022年7月の記事の再掲です。)海道一の弓取りと称された今川義元公の長男である氏真公は北条氏康公の長女・後の蔵春院を正室にします。氏真公が領国を失い流浪の身となった後も生涯寄り添い遂げた夫婦の相性をインド占星術から占います。夫婦の相性は栄・親の関係です。氏真公からみた妻は親愛を表し、蔵春院からみた夫は繁栄を表すことから栄光の架け橋を信頼関係で築き上げれる最高の相性です。※生年月日が不明のため仮定しています10室魚座M
~おしどり夫婦の物語~その1武田義信公と嶺松院(2022年7月の記事の再掲です)甲斐の虎と恐れられた武田信玄公の長男である義信公は今川義元公の長女・後の嶺松院を正室にします。義信公は一夫多妻制の時代にひとりの妻だけを生涯愛した愛妻家でした。夫婦仲が良くおしどり夫婦として伝わる義信公と嶺松院の相性をインド占星術から占います。夫婦の相性は栄・親の関係です。義信公からみた妻は栄光を表し、嶺松院からみた夫は親愛を表すことから最高の相性でした。相手を尊重して理解できる吉縁とされます。
~おしどり夫婦の物語~甲駿相三国同盟(いい夫婦の日にちなんで2022年7月の記事の再掲です。)現代は見合いであっても自分の意思で選んだ相手と結婚しますが、戦国時代は自分の意思とは関係なく決められた相手と結婚していたようです。しかし、政略結婚だからといって相性が合わないことはなく結婚生活の中で試練を乗り越え絆を深める夫婦もいました。戦乱の世に競い合う相模の北条氏康公、駿河の今川義元公、甲斐の武田信玄公は、ある日、甲駿相三国同盟を結びます。○武田信玄公の長男・義信公は今川義元公
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。本日は武田家・北条家・今川家、この戦国大名三家の血縁関係について見ていきたいと思います。北条家と今川家は早くから姻戚でした。北条早雲の名で広く知られている伊勢宗瑞の姉妹である北川殿が今川義忠に嫁ぎ、嫡男の氏親
昨今NHKは司馬遼太郎生誕100年だと騒いでいる。この司馬遼太郎という男、米国様の指示で日本の歴史を捏造し、その彼とタッグを組んで日本国民を洗脳したのが在日が番組を作るNHK。私のこの記事、お読みになりましたか?封建(1)キリシタン大名は女子を奴隷として販売司馬遼太郎著作歴史小説の欺瞞2019/08/28著https://ameblo.jp/minaseyori/entry-12664117141.html今日の記事プレジデントがNHKの歴史捏造を糾弾している。
今日は朝は晴れているが午前中は一時的にだが雨が降った。夏らしい積乱雲が…下手したらこの雲が雷を発生させて雨となるが今日はもうジムから帰宅してるので降っても大丈夫です😅前回、鴉天狗と戦った際に洞窟の中に入り込んだ義弘氏。洞窟内にいた濡れ女を避けて別の道へ進むと遠くに今度は山姥が…見つかる前に別の進める道を探す事に…光(落雷?)が見えたので進んでみると行き止まりでそこには大型の餓鬼が‼️大型の餓鬼に気づかれて突き落とされてしまった。かなりのダメージを受けたが落命は免れた💦下に降りてきた大
食べすぎだろ・・・というホテルオーレインの朝食と、これもコピペのようだが今回の野球観戦旅の翌朝のことであるホテルオーレインの朝食を食べない手はない前日の夜に飲食を深追いしなかったのもこの朝食を見越してのことであるすぐ帰っちゃうのはもったいなかったので、安倍川を渡り静岡市の西側へ丸木花木園や徳願寺方面を見て歩く。舗装こそされているが、ちょっとした登山といった傾斜だったリハビリとやり過ぎのキワをすれすれで歩いている感じだ安倍川駅から一駅乗って静岡駅に戻る清
敗者の家の残し方|千世(ちせ)|note今川家がとうとう武家としては滅び、戦国レースから脱落しました。その経緯は、いろんな意味で意表を衝かれた設定でした。さすがに史実通りに軌道修正するしかないので、その過程は自由な方が面白いのですが、いつも些細なところでギョッとさせられ、それがツッコミ要素になります(笑)。今回は、その後の今川家を中心にまとめてみました。今川氏真は努力家だっ…note.com
こんばんは。気合いの入りにくい火曜日でした…。😢今日は、バレンタインデーでしたが、仕事柄、今年は義理も無い日になりました。😵さて、先日の大河ドラマと同じ舞台の蒲郡市にある上ノ郷城址へ行って来ました。✌️ナビ設定で誘導されて来たんですが、蒲郡特産のミカン畑の中をウロチョロ走らされてたどり着きました。💦なんとか駐車場に到着。車から降りて周りの様子を撮影しました。👍周りの様子。すぐそばに、説明看板があり、それにしっかり目を通したりしました。👍説明看板に目を通して…その場所から城址を
大河ドラマどうする家康で我が故郷駿河の武将の今川義元は第一話で討ち死にしてしまった義元はここ数年、江戸時代に造られた弱い武将のイメージが誤りであったことが明らかになってきた義元は弓の名手で、内政にたけていほか、京都で和歌などの文化にも通じていたとの評価があるそれが徳川を正当化させるため、ダメな武将のレッテルをはられたのか今川家は足利将軍家の一門であり由緒正しき家がらで、室町時代には隆盛を極めたようだただ、ドラマの舞台である戦国時代は、室町幕府が弱まるのと同じく、今川家も内紛により衰
様々なジャンルに「流派」というものが存在します。茶道⇒表千家/裏千家など華道⇒池坊/草月流/小原流など剣術⇒柳生新陰流/一刀流/示現流など和歌の道、すなわち歌道にもあるんですね。今回はこれを整理してみようという企画。和歌の起源がどこにあるのか、というのは難しいですが、最古の短歌と言われているのは、スサノオノミコトが詠んだとされるこの歌です。八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣をスサノオノミコトとともに、この歌も神話の世界の中にあるものです。し
おはよ〜(*´∀`*)ノ"♡静岡市葵区にある「増善寺」に行ってきました。今川氏親公の菩提寺です。家康公ともゆかりがあるみたいです。氏親公の歌山門本堂は閉まっており、中の様子は拝めませんでした。氏親公のお墓。境内の一番奥の高台にあります。お墓から本堂を望みます。結構上にありました。社務所には今川家の家紋。静岡市は今川家ゆかりの寺社仏閣が多いですね。歴史を感じます。では、(*^-^*)ノ~~マタネー
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平凡社の「中世から近世へ」シリーズでは羽柴秀吉の妻だった茶々や北条氏康の正妻だった惴渓院殿(本書の主人公・寿桂尼の娘でもある)、そして寿桂尼の夫・今川氏親の母(寿桂尼にとっては姑)であった北川殿と、戦国時代の女性を(間接的にせよ)扱ってきた著者が次に手を付けたのは大河ドラマでも戦国時代の今川家が絡むと重要人物として登場する確率の高い女性である寿桂尼でした。中御門宣胤という中級の公家の娘に生まれながら駿河の戦国大名今川家の初代当主だった氏親に嫁いだことでその法名と共に彼女の存在を後世に
10月も中旬となり、朝晩は冷え込むようになってきました。秋の訪れとともに、コロナ感染が終息する事を願うこの頃です。今週いっぱいは晴れの日が多くなり、週末も行楽日和となりそうです。1.臨済寺10月15日は静岡市葵区大岩にある、今川家の菩提寺「臨済寺」(りんさいじ)の特別公開日でした。臨済寺(りんざいじ)は、静岡市葵区大岩町にある、臨済宗妙心寺派の禅寺。(1528年–1532年)に、今川氏親が、出家した子・栴岳承芳(後の今川義元)のために、建立した寺院・善得院が前身。駿河の戦国
残暑も一息・・ホォっと出来る雨宿り☂今川家菩提寺『観善寺』と焼き立てトースト🍞ブログhttps://ek0901.hatenablog.com/entry/2022/09/20/063000
山門の前に石仏の並んだ一角があって供養塔の上にある猫の像は雨合羽を着ています。さらに石仏が並んで三谷子育地蔵堂と呼ばれているお堂の中には地蔵立像と石柱が祀られています。屋根だけのお堂にも石仏が並んで地蔵菩薩坐像地蔵菩薩念仏講隣のお堂には千羽鶴に囲まれた地蔵菩薩の像があります。もう一つある屋根だけのお堂にも石仏が並んで笠付角柱型の庚申塔には青面金剛像と三猿の図柄が浮き彫りになっています。
家康のみならず、その家臣たちも身を粉にして今川家に尽くしますが、年貢米を横取りされたため、百姓のように鍬や鎌を取って田畑を耕し、道で駿河衆(今川家の家臣)に会ったら卑屈なまでに身を屈め、はいつくばって生きていたといいます。それでいて合戦となれば狩りだされ、最前線に送られるのです。だからこそ、彼らは松平家(当時はまだ徳川へ改姓する前)が今川の支配から解放され、本拠の岡崎城を取り戻す日が来ることだけを信じ、家康もまた、家臣らの苦労に応えてやらねばなりませんでした。しかし、
家康の人質生活を象徴する話があります。家康の飼っていた鷹が、しばしば隣の孕石主水(はらみいしもんど=今川家の家臣)の屋敷の裏庭に紛れこんだそうです。そのたびに家康が忍び入ると、居合わせた孕石から「三河の小倅(こせがれ)にはあきれ果てたことよ……」という罵声を浴びせられたというのです。それから30年ほどの時がたち、天正9年(1581)の高天神城(たかてんじんじょう=静岡県掛川市)攻防戦で家康と孕石は、駿府時代とは逆転した立場で再会しました。孕石が籠城していた高天神
春日、小石川にある、伝通院。徳川家康公の御母堂、於大の方のお墓がここにある。文字通り、駆けつけた🚲墓所入り口のご由緒と注意書き。沢山の徳川関係者や著名人が眠っていた。まずはこちら、家康公の正妻、於大の方。生涯をしるした掲示物。生まれ故郷の愛知県知多郡東浦町から寄贈されたようです。松平東照宮の産湯の御神水と、どら焼きと公演チラシをお供えして、ご挨拶。松平広忠公に嫁ぎ、竹千代君、のちの家康公を授かったお2方。しかし、実家の水野家主となった兄の信元が、庇護を受けていた今川家から織田家
ひゃー「どうする家康」クランクインおめでとうございます✨✨2023年大河ドラマ「どうする家康」@nhk_ieyasu大河ドラマ「どうする家康」は、2023年の放送に向けてついに撮影をスタートしました。フォロワーの皆さんや視聴者の皆さんの声援をチカラにして、出演者・スタッフ一同丁寧に撮影を進めていきます。放送はまだ先ですが、応援をどうぞよろしくお願いします!2022年06月06日15:026月5日、愛知県でクランクイン❕そうだったんだ❕なんて感慨深い✨凛々しい家康のビジュアルった