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こんにちは🌸大阪・万博記念公園に出掛けました時の内容の続きです。こちらは💁♀️エキスポ70パビリオンです🌸うわおっ!時代。な、お出迎えです💕別館は2023年8月11日より増設しての展示です✨日本万国博覧会(大阪万博)開催当時に製作されたシンボルゾーン(1/200スケール)の展示です。史上最大のプロジェクトの始動です!“◯◯まであと◯◯分待ち”は今やお馴染みです✨入館者数の第一位はソ連館だったそうです。とても興味深く見て歩きました、空前絶後の記録づくしの様子!👇歩いてい
こんにちは約12年振りとなる大阪での時間✨こちらも初めて訪れた場所です。万博記念公園へ!!1970(昭和45)年に「人類の進歩と調和」をテーマに開催された、アジア初の万国博覧会、大阪万博✨戦後の高度経済成長期を象徴する大イベントで、期間中には6421万人が訪れました🎉『太陽の塔』です🌞✨太陽の塔とは、大阪万博当時、岡本太郎氏がパビリオンとして考案しました。閉幕後、昭和50年に永久保存が決まりました。高さ約70mもあり、他に類を見ないその迫力と存在感に圧倒されます!!
家族のASSYをかねて、海へ能登半島に近いため、一部道路がぼこぼこしてたりするが生活に支障はないそうな(とある地区だけものすごいことになったそうで…そこはもともと埋立地らしい…)穴場の食堂で寒ぶり定食をいただく油がのっていてトロトロの口溶け最高!!!!今年はぶりを食べる機会が多いなぁかにちゃんだよ今年は蟹があんまりとれていないそうで…貴重♡時間空いたのでホルミシスルームにも1時間の半分は雑誌を読み、半分は瞑想してた☆体調回復してからどんどん動けてるのラドンのパワーだったらすごい
つづき。人間は自らを神にアップグレードするつもりだ。生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学の3つからアプローチするだろう。石のナイフしか作れなかったホモエレクトスが、遺伝子的に小さな変化を起こしホモサピエンスへと変容し、宇宙船まで作れるようになった。生物工学は遺伝変異が起きるのを待たなくても、すこし遺伝子コードに手を加えて、ホモサピエンスに6本目の指を生えさせることすら可能だ。サイボーグ工学は、SFの世界と思われがちだが、すでに現実になっている。脳の電気信号を読み取
今朝は、計画的休足の日で、朝ランはなし・・・d(^O^)b昨日の朝ランで、今月のラン目標も達成したし、ちょっと走り過ぎたのか、両足の肉球もちょっと痛いし、ちょうどよい足養生となるやろう・・・。さて、↑の画はアイちゃんに描いてもらった「太陽の塔を見上げる二人のランナーその2」である・・・。相変わらず「太陽の塔」について、情報が乏しいらしく、実物とはかなり違うが、ま~雰囲気だけでも、って~ことで、ご容赦いただきて~のである^^;その太陽の塔であるが、先日の「遠足(とおあし
ヘドラを切り取ると、ほとんど岡本太郎(^_^;)人類の進歩と調和は翌年には否定されたのね(ToT)
生まれた年になってしまった。私はおなかの中で万博に行った年である。1970年(昭和45年)流行・出来事|年代流行1970年(昭和45年)に流行したファッションやヒット曲や邦画・洋画ランキングやヒット商品やベストセラーや出来事などを紹介いたしますnendai-ryuukou.comちり紙交換開始というのが意外であった。もっと古くからやってるものかと思っていた。ただ、本当にちり紙に交換するかどうかは地域差があるのかと。私の子供のころは、現金でもらえたので。よど
太陽の塔内部を観て興奮が覚めないのでお祭り広場でひと休みここで1970年に万博の開閉会式が行われたんだね~時間が無くて公園全てをまわれないのが残念💧ちょっとおさんぽして…結局、私も相方もお土産はいらないと言っていたのに、実物をみたらフィギアが欲しくなって購乳するwww本当に楽しかった~ありがとう太陽の塔、ありがとう大阪万博さぁ、新大阪へ🚝
『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンの1809年の誕生日。ダーウィンは、卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築した。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択(自然淘汰)と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化・進歩を感じることいやもう、この年になったら、進化や進歩はしませんよ。まあ老化も進化の過程なんですけど、前向きではないですよね。老化=ポンコツですもん。実際、こないだ膝やって杖ライフを送ってますけど、歩幅が半分ですよ。カ
何故に大阪万博とお思いでしょう。今日はやたらと太陽の塔がyoutubeにあらわれる。よーく考えたら、今朝、岡本太郎三部作のサンプルをダウンロードした。そのせい・・・だと思われる。私は幼児期を大阪で過ごした。週末に京都の親戚の家に行く道すがらの車中で〝太陽の塔〟に「こんにちはー!バイバーイ!」と毎回全力で手を振っていた記憶は今も鮮明に残っている。そんな懐かしさもあり〝太陽の塔〟の関連動画をみてしまい、開催地が千里丘陵だと初めて知ったのだが、今の今までこのことを知
ようこそ、ご自分が、無限と究極の世界で<命>を輝かせる、新しい世界です…<更新情報>●2022/4/15:満月の夜2022/2/24:ロシアのウクライナ侵攻で、二分される世界の混迷と波乱…核兵器使用の世界戦争の論戦も…。●2023/11/21:2023/10/7:パレスチナのハマスがイスラエルを攻撃し、イスラエルは反撃さかのぼれば西暦1世紀ユダヤ暦ニサン14日イエスキリストは<最後の晩餐>を行い、<人類救済:贖いの死>に向かいました…。神の子の預言は必ず成就する…#アン
「人類の進歩と調和」1970年、大阪万博のテーマです。五年後再び大阪で万博が開かれます。昨日、大阪モノレールの門真市駅で見つけました。大阪万博復刻塗装車両です。駅からなのでうまく撮れませんでしたが雰囲気だけでも見てもらえたら。懐かしい、このマーク。今から50年前の事でした。私は小学校1年生!今度のシンボルマークはテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」5年後が
◎「宇宙日記クラブ」の宇宙からあなたの「宇宙日記クラブ(Spacediaryclub)」とは宇宙日記クラブとは、本書による「未来に残るよい日記、<日記ルネッサンス>、日記文化の復興と振興」の宇宙的視点を備えて日記を書く<21世紀の「新しい日記の書き方」(日記の宇宙国際標準規格)による「よい日記」《愛》を求め書くことの象徴的な“日記クラブ”>です。あらゆる地上の日記クラブ、世界日記クラブ(Worlddiaryclub)・地球日記クラブ(Earthdiaryclub)を含み、かつ
羊毛フェルト作家よしみです╰(*´︶`*)╯♡休校中に何でもいいから絵を描くという宿題が出たらしい。とても面倒くさそうに描いていたけれどこれを選ぶセンスが母は好きだ。今頃だけど、おかげで意味を知ることができました。「太陽の塔」は過去、現在、未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴である。そして、生命の中心を示したもので、博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」を最も表現する場であった。。。のだそう。時代を超えて、ずっと届けてくれているんだなぁ。いつか逢いに行こう。ありが
今日の空雨空ポツポツ春今日の川あーーー、バス釣り行きたい‼もう金曜日、、、何してた、僕。早いな。。。。ふっ、と、、、、何故か取り出してみた【イナズマ】と【コロナ】【太陽の塔】このタイルは、博覧会当時に使用されたガラスモザイクタイルで、平成4年の太陽の塔改修の時に取り外されたものです。正面は【イナズマ】背面は【コロナ】万博公園行きたいな‼ジーンズ龍ちゃんイナズマコロナ便乗太陽の塔の中に入りたいなーー。【名前のない青】神様、僕は気づいてしまった
さて、大阪の旅のお話も終盤でありますが、ここでまたひとつの(個人的)ハイライトなのでありますよ。もとよりこの旅は、小説「金剛の塔」を読んで四天王寺五重塔を、ドキュメンタリー映画「太陽の塔」を見て万博記念公園・太陽の塔を訪ねようと思い立ったことに始まったわけで。ということでいよいよ太陽の塔と対面するために大阪メトロ谷町線から大阪モノレールを乗り継いで万博記念公園駅に到着。すると、実に何とも唐突に立ち上がっている太陽の塔に直面してしまうのでありました。なんとまあ、惜しげもなくといいます
まず今回の台風で被災され今現在も不自由な環境を強いられてしまっている皆様に心よりお見舞い申し上げます一日も早く普段の生活にもどられますようにさて写真は昨年近畿地方に多大な被害をもたらした台風が去った三か月後の近所の公園のメタセコイヤ(たぶん)です街中の小さな児童公園に生えてる木にしてはかなりの高さの大木が三本ハイジの小屋の後ろのモミの木的な風情がありましたが残念ながらその内二本は見事にボッキリ折れてしまいこの一本だけが無傷で残されました被
朝のうちにやっておいた写真を、今更アップするやま山田です。今回もう一歩の成長を目指しまして。写真のテーマは本日的な「愛は地球を救う」ではなく、1970年代的な「人類の進歩と調和」としてみましたよん。d( ̄ ̄)ハイ、2週目の佐清でござい〜。☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆⇨今回も、帰宅後トリミングバージョンをアップ致しまする。
みなさまこんばんは。のなゆう総裁です。慰霊碑巡りを終えもう一つ気になっていた連絡船有川桟橋跡地へ。五稜郭貨物駅の外れ、有川桟橋第5岸壁に今でも遺る「青函連絡船有川桟橋500m見通し標」航路廃止から30年有川桟橋廃止からは40年近くなるが未だに立っている。有川桟橋は貨物専用だから使用経験は、勿論ないが未だに遺る連絡船遺跡に感無量だ函館最後の夜。息子と夕飯を食べに行きました。近くの昭和食堂大衆食堂の文化を伝える素晴らしい食堂。腹いっぱい。カツがダブル(笑)深夜
「人類の進歩と調和」ぎゅーぎゅーに締め付けられ足が浮きそうになる満員電車が渋谷駅につく。窮屈な満員電車から解放されて京王井の頭線から山手線に乗り換えようと歩いていると右手に見えてくるのは「明日の神話」異様な色遣いと何かを訴えてくるような物体。巨大な壁画を横目に最初は緊張していた私も毎日の繰り返しの中でそこに描かれているものの異様さを、忘れていった。それが、第五福竜丸のことを描いた壁画だと知ったのは東日本大震災のあと。明日の神話を見続けていた時から10年も
ブログにご訪問いただきありがとうございます中1の部活選びでは、ちょうどその頃にブームだったバレーボール部に入部。当時は当たり前だった「スポ根」練習で汗を流す毎日でした。前回のお話はこちらから>>第14話中学時代部活編〜やっぱり、サインはVでしょう!その同じ年、国を挙げてのブームとなった一大イベントがEXPO'70大阪万博でした。テーマは「人類の進歩と調和」でした。そしてシンボルとなったのは、あのお馴染みの「太陽の塔」!塔内の展示テーマ地
行ってきました。太陽の塔。何十年ぶりだろう。子供の頃は、月に一度くらいのペースで万博公園に習い事に行ったりしていたので、しょっちゅう見ていた太陽の塔ですが、あらためて、今、再会すると、その大きさとパワーに圧倒されます。太陽の塔の偉大さにくらべて、袂にいるわたしのちっぽけなことよ。塔の背面には、黒い太陽。後ろからの姿、大好きです。「人類の進歩と調和」をテーマとした大阪万博の会場に、ちゃんと「闇」も表現した岡
急に・・激寒。。一気にユニクロ占有率が高まってきました。寒さ、あっという間にやってきましたね~もう先週末から忙しくて書きたいことはたくさんあるのですが・・書いてる時間が。。ない。。ってことで、まあ、いろいろあって。。これかな。。行ってきました。この春から完全予約制で太陽の塔の中を見学できるようになりました。中は撮影禁止なので、写真はないのですが、50年経った今も斬新極まりない存在感。メッセージも強烈ですね。。あれは、いったい何なんでしょう。今さらですが…展示
🌟こころチア🌟愛ある冒険者仲間のあなたへ💗こころ待ちにしていました😃✌2025年大阪万博が決定❗🙌🙌🙌55年ぶり2回目❗1970年大阪万博の当時私は18才高校卒業式の次の日、3月16日に父と二人で開幕したばかりの大阪万博に出かけました買ってもらったスプリングコートを喜んで着て行ったけど寒かったのを覚えています写真が趣味の父について歩きまわり太陽の塔やお祭り広場では目を見張りましたそれから期間中、何度行ったでしょう故郷から友達が来るたびに当時のファッショ
昨日、2025年国際博覧会(万博)の開催国が大阪に決まりましたね!国内開催の大規模万博は1970年大阪万博、05年愛知万博(愛・地球博)に続き3回目で大阪では55年ぶりの開催となるみたいです。GO、GO!大阪!ますます大阪が盛り上がりそうです。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げ、長寿時代の豊かな人生の送り方や持続可能な社会システムなど世界共通の課題を解決する未来像の共有を目指すとのこと。リーマンショックのように一国の変化が世界に大きな影響を与える世界が緊
1970年大阪万博ガイドブックを何回も読み、どこのパビリオンに行こうかとワクワクしていた。初めての夢の超特急新幹線に乗り万博会場に着いた。そこには、ガイドブックに載っていた数々の特徴のあるパビリオンが並んでいた。「人類の進歩と調和」がテーマだった。そこには、未来があり、少年にとっては心躍る場であったはずだった。しかし、いざ現実の会場に触れた時、明らかに何の興味も無くなっている事を覚えている。話題の中心になっていた米国館の「月の石」もロシア館も、他の国のパビリオンも、その他大企業のパビリ
WESTの回師範は中央大学考古学教授の小林氏。平成は30年で幕を閉じるが,縄文時代は13000年ほど続いた。この間は,大きな争いもなく,人々は穏やかに,平和に暮らしていたと師範は言う。縄文時代は,文明の発達からは取り残されていたというイメージがあるが,実はそうではなさそうだ。歴史秘話ヒストリアで縄文文化の,特に土偶にスポットを当てての放送を見た。画面を通してだが,土偶はよく見てみるとその造形がすばらしい。土偶は,女性を模ったもので妊娠,出産はお祭りの雰囲気だった
日付け変わりましてこんばんは。薬剤師のみゆきです。皆さん、大阪万博、憶えていらっしゃいますか⁉️ご存知の方、行った方いらっしゃいますか⁉️http://taiyounotou-expo70.jp/about/expo70/最近、思い出すことが多いのです。でも、話を出すと、知らない方ばかりで寂しいので、こちらでご紹介することにしました。先日、シンボルの『太陽の塔』の中が公開されていました。当時、行く機会が無く、子供心にテレビ中継を見ていました。三波春夫さんが歌う『こ