ブログ記事6,117件
(『人間革命』第12巻より編集)125〈後継〉23祝宴は、午後二時ごろには終わった。戸田城聖は、日淳や、来賓らが退出するのを、六階の貴賓室で端座して送った。そして、立ち上がろうとした途端、彼の体がよろけた。それは、彼の体の衰弱のためか、久しぶりに飲んだ酒のせいかは、わからなかった。とっさに、伸一が、戸田の右腕を支えた。「いや、大丈夫だ」戸田は、伸一に体を傾けながら屈託なく笑っ
(『新・人間革命』第8巻より編集)146〈激流〉19「根深き木は日照りを寄せつけぬ」と、韓国のことわざにある。同胞を幸福にしたいという、メンバーの熱き思いは、逆境をもはねつけ、祖国の大地に根を張り、着実に、同信の友の輪を広げていったのである。なんと昭和四十四年には、メンバーは三万世帯へと大発展し、功徳と喜びの花が各地に開いていった。そして、自主的に支部や地区などの組織もつくられ、意気盛んに活動が進
明暗(一)松村さんと圭子さんと正一とが、牧田先生のもとから帰ったのは、夜の十時ごろであった。十三夜の月に照らされて、電車通りを歩む三人の声には、生き生きしたものがあった。松村さんは信仰する決心した時から、心が明るくなったようだ。明日御本尊をいただくと決めて、時間やその他を正一と約束しながら、正一に向かって『今日は非常に楽しい気持ちになっているが、明日の二時になれば、又地獄の行だ』その言葉の中に投げやりの調子はなくて、しみじみした生活の実感があった。『松村さん
創価学会(SokaGakkai)年間の活動2025.pdfdrive.google.com
第6回異体同心皆が心を一つに団結連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励(はげ)ましを教学のテーマ別に掲載。併(あわ)せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第6回のテーマは「異(い)体(たい)同(どう)心(しん)」です。小説「新・人間革命」第13巻「光(こう)城(じょう)」の章【あらすじ】1968年(昭和43年)秋、各地で芸術祭が開催される。芸術部の首脳(しゅのう)と懇談(こんだん)した山本伸一会長は、“芸術祭を成功させるうえで、一番大
テーマ別に音声で聴く「新・人間革命」団結⑦2024年11月25日指導集「広布と勝利と幸福への指針」から音声の再生時間は、3分25秒です。https://www.facebook.com/share/1DmoVdRZFP/安原稔安原稔さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録して、安原稔さんや他の知り合いと交流しましょう。Facebookは、人々が簡単に情報をシェアできる、オープンでつながりのある世界の構築をお手伝いします。www.facebook.c
〈座談会〉12・2小説「人間革命」執筆開始60年未来を照らす希望の光源2024年11月25日儀典部の友の尊き尽力に感謝〈出席者〉原田会長、永石女性部長、梁島男子部長、石田男子部書記長、田久保池田華陽会委員長田久保池田先生が、1964年12月2日に小説『人間革命』の執筆を永遠平和の天地・沖縄で開始され、60周年を迎えます。https://www.facebook.com/share/1EjBVaE65J/安原稔安原稔さんはFacebookを利用しています。Fac
(『人間革命』第12巻より編集)124〈後継〉22・・・それから、来賓の祝辞に移り、学会歌の合唱、閉会の辞をもって式典は終了した。その後、午後一時から祝宴となった。戸田は、日淳と共に、来賓を招いて行われる六階の貴賓室での祝宴に、出席することになっていた。山本伸一は、戸田の腕を取って言った。「先生、まいりましょう」戸田の腕は温かった。伸一は、体内に脈打つ師の鼓動を感じた。しかし、その
奇妙な世界(一)貞三は小切手を借してほしいと云われても、銀行には預金がないので振出すわけにはいかない、こばみ続けて松村さんを送り出した後味は、非常にいやなものであった。翌日の一時ごろ松村さんから又電話があった。正一が取り次ぎに出たが今日から十日先の小切手をぜひ借してほしい、その小切手は十日の後でなければ絶対に貴方の銀行に取り立てに行かない、その十日の日には必ず私が二万円お金を持って、貴方の銀行へ行きますから、決して和泉君に迷惑をかけない、ぜひ頼んでほしというのであ
(『新・人間革命』第8巻より編集)145〈激流〉18理由はどうあれ、韓国では、現実に同志が逮捕されたり、・・・。そうした苦しみや恐怖と、学会を「反国家的、反民族的な団体」と断じた、あの「回答書」とを、切り離して考えることなど、できようはずはなかった。メンバーには、現実を直視せず、形式的な法論理に逃げ込んだ、それこそ”観念的”な判決であると思えた。だが、「回答書」は信教を法的に規制するものではないとした
本日もウォーキング&お題目ディーです。お題目は、最高で福運がぐんぐんついてきます。感謝・感謝・感謝の題目です。老化予防に効きますよ。ウォーキング12,116歩握力器右左各500回血圧129/8653お題目3時間半どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りを捧げることです四回目の記念勤行会は、午後七時四十五分から始まった。山本伸一は、ピアノを弾いて参加者を励ましたあと、「妙一尼御前御返事」を講義した。「法華経釈迦多宝・十方の諸
〈ONEGOSHOこの一節とともに!〉兄弟抄2024年11月24日模範と輝く信心の実証を全学会員が心に刻むべき「創価学会永遠の五指針」の一つに、「難を乗り越える信心」があります。今回は「兄弟抄」を通して、苦難を成長への好機と転換しゆく信心の姿勢を学びます。御文今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして少苦に値うなり。(兄弟抄、新1473・全1083)通解今世において正法を行ずる功徳が大きいので、未来世に受けるはずの大きな苦しみを現在に招き起こして、小さな苦
「精神革命」の扉を開け2024年11月24日【写真説明】秋晴れの空の下、紅葉が水面まで色とりどりに染めている。1995年(平成7年)11月、池田大作先生が大阪城公園で撮影した。寒さの中でも鮮やかに照り映える紅葉のように、苦難に負けず、一瞬一瞬を燃えて生きる人の姿は美しい。いわんや、生命尊厳の哲理を学び、「世界広布」即「世界平和」を目指して行動する人生は、黄金の輝きに包まれる。広布誓願の祈りも深く、御書を心肝に染め、確かな幸福の軌道を歩もう。池田先生の言葉日蓮大聖人の仏法は、
(五)おつやに起こされて目を覚した貞三は、昨夜来の珍らしい世界を思い出して、『よし俺も一人前の事業家になろう』と強い決心にうながされた。工場に入る前に事務所に入ると正一は熱心に仕事をしている。貞三は見るなり、『社長、裏を継ぎ足して四・六判二台を入れましょう。専務はがんばりますぞ。折伏だってあんなヒョロヒョロ共になんか負けるものか』意気、然として当たるべからずの勢いである。『正一君、昨晩はどうだったね』『沖山さんが、大先生の顔を見い見い折伏するったら、おかしくてし
(『人間革命』第12巻より編集)123〈後継〉21「今、日本の国は自界叛逆の難(内乱)に陥っている。その典型的な姿が政界です。政党をご覧なさい。もし、このなかに、政党のご関係の方がおりましたならば、“戸田は口から先に生まれたのだ“と、おぼしめしていただきたい」どっと笑い声があがった。この日の式典には、戸田の友人であった首相の岸信介が、代理として差し向けた政治
(『新・人間革命』第8巻より編集)144〈激流〉17チェは二十九日後、結局、起訴されることなく、釈放されたのである。他の同志も、こうした信仰ゆえの迫害を、さまざまなかたちで味わった。メンバーを見る社会の目は、一段と冷たくなっていった。多くの会員が、周囲の人から、「なぜ、日本の宗教を信仰するのか!」と詰問され、非難されもした。関りを恐れて、つき合いを断たれた人もいた。また、職場を追われた同志もいた。
〈創価三代の軌跡〉2024年11月23日◎12・2小説『人間革命』の執筆開始60周年1964年(昭和39年)12月2日、池田大作先生は小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄の地で開始した(翌65年の元日付から聖教新聞紙上で連載)。『人間革命』全12巻は完結まで28年余り。聖教新聞での連載は、1509回を数えた。続く小説『新・人間革命』は全30巻。連載回数は6469回を重ね、日本の新聞小説史上、最多に。両小説は、各言語に翻訳され、学会の“精神の正史”として、
月々日々に――池田先生の折々の言葉2024年11月23日社会で勝つことが、信心の実証です。「さすがに信心している人は立派である」と信頼を勝ち取ることが、広宣流布です。※小説『新・人間革命』第27巻「正義」の章を基にしています。名字の言“不協和音”から生まれるもの2024年11月23日合唱の演奏会を鑑賞した。ある楽曲を聴いた時、心地よさより、気持ちがざわざわするような感じを受けた。その曲の中に“不協和音”が含まれていたためだ▼“音程を間違えたか”とも思ったが、終了後に合唱経験のある
今日は集中ウォーキング&お題目ディーとします。健康最高で、老化が退散しています。ウォーキング12,021歩握力器右左各500回血圧124/8660お題目3時間半唱題第一の人<楽しくて、嬉しくてしょうがない>山本伸一は、次いで、「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」(御書1143頁)について、講義していった。「信心をすれば、世間から、怪訝な目で見られ、非難、中傷されることもあるでしょう。でも、それは、経文に、御書に説かれた通りではありませんか。したが
別な世界(一)独立してからも貞三と正一は、真面目に頑張って一年の月日も近くなった。五人の職工も真面目だし、仕事は能率的だし、家は日々に楽になって来た。おつやも昔のかげもなく。立派な奥様ぶりで貞一はすこやかに育って居る。貞三と正一は久方振りの休みを幸いと、一度も出かけたことのない学会の本部に出かけた。錦町の裏通りの二階建の家である。貞三は牧田先生の宅へ向かった時の事を思い出し、変わった自分の境地、家庭、身なりを見て牧田先生を一(ひと)しお恋しくなっていた。自
(『人間革命』第12巻より編集)122〈後継〉20戸田が、冗談のように「死」を口にしたのは、身近に忍び寄る自身の死を、強く意識していたからにほかならない。しかし、彼は、既に生死を超越していたといってよい。寿量品には、「無有生死、若退若出(にゃくたいにゃくしゅつ)」とあるが、それは、生きているとか、死んでしまったとかは、一つの変化にすぎず、生命は永遠であることを教えている。彼は、この経文を深く確信することがで
(『新・人間革命』第8巻より編集)143〈激流〉16いつしか、暦は四月に入っていた。チェは、有形無形の圧迫のもとで、家業の染物業が立ち行かなくなるという苦境を味わっていたが、信仰の炎を燃やし続けた。その彼を、義弟をはじめ、同志が懸命に支えた。チェが提起した訴訟の判決は、翌昭和四十年の二月、ソウル高等法院で下された。結果は、原告の勝訴であった。判決の主文は、「被告が原告に対し行った、
月々日々に――池田先生の折々の言葉2024年11月22日世界宗教へ飛翔しゆく力は「一人立つ」精神である。広宣流布の使命に一人立つ勇者がいれば、新たな変革の波が起こる。※『随筆民衆凱歌の大行進』を基にしています。名字の言今いる場所から希望の前進!2024年11月22日吉田松陰は「華夷の弁」という教育理念をもっていた。自分の生まれた土地に劣等感を抱く必要はない。その場で励めばそこが「華」である、と▼それは、松本村(現・山口県萩市)という当時の寒村に漂う辺境の劣等感を克服するとの決意
(『人間革命』第12巻より編集)121〈後継〉19彼は、満面に笑みをたたえながら、細く痩せた体には不似合いな、気迫に満ちた声で語り始めた。「今日は、私とともに喜んでいただきたいのであります。今まで、日蓮といえば身延だと、日本中が思い込んでいた。今でも、そう思っている人もいる。しかし、言うまでもなく身延は大聖人の教えから外れた宗派であります。ところが、その身延に、当山が、何をやっても、負けてばっかりい
暁(一)和泉貞三はしみじみと、自分が歩んで来た世界以外に、力強い不思議な世界があることを感じ出した。罰と利益の海に抜手を切って、勇しく泳ぐ自分達夫婦は、怒濤に恐れぬ大魚の如くで、朝の出がけに、御本尊に合掌した清清しさを胸にだきしめ、勇気に充ちて職場へと出かける日常は楽しいものであった。おつやは、夫の出かけた後に、すくすくと育つ貞一を見まもりながら、この五ヵ月間の信仰生活を深く味いながら、近所の頼まれ物の針仕事をして、静かに毎日を暮らしていた。楽しみはその後