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『デジタル化時代の「人間の条件」ディストピアをいかに回避するか?』(加藤晋、伊藤亜聖、石田賢示、飯田高著)を読みました。タイトルから興味を持ち、読んでみることにしました。この本から学んだことは…(以下本文抜粋)・社会の重要な変化は、一人ひとりが互いに強い影響を与え合うような状況が生まれること。・人と人がオンラインで「蜜」な関係になる。・「体験の個別化」を引き起こす。・「活動」の基盤となる「固有性」を含意せず、往々にして他者の体験は視野の外に置かれ、人々は孤立状態に陥りやすい。
退院してわずか翌日に、父が私の家で亡くなりました。私は最期に間に合わなかったけど、妹は看取ることが出来ました。それはそれで辛いだろうけど。病院に納得できないことは多々あります。医療制度への怒りもあります。でも最期に、無機的な病院でなく、慣れ親しんだ実家でもなく私の家ではあったけど、肉親に見守られて逝ったのは幸せでもあったかなと思います。父とは何十年も離れて暮らし、お互いがそれぞれ好きなように生きてきたので、私の家に連れてきて介護した数か月は正直いろんな葛藤が私にはありました。でも
晴耕雨読⁈熱中症警戒アラートが発出日は涼しい場所を探して読書📖今年の夏は多くなりました!前々から座右の書だとおっしゃる方がいらっしゃって気になっていた本。昭和34年刊行だからかなり前のものになります。その頃ベストセラーに成ったり、有名俳優が出演された映画化もされて話題は記憶の片隅にずーっとありました。仲代達矢、新珠三千代、佐田啓二•••今では知る人の方が少ないキャスティングですね!今は便利になりました。図書館のアプリで検索すると書庫の奥の方にしまわれていたのが見つかりました。今
老いる意味うつ、勇気、夢(中公新書ラクレ718)[森村誠一]楽天市場924円棟居刑事の断罪(角川文庫)[森村誠一]楽天市場704円【中古】棟居刑事の黙示録中公文庫/森村誠一(著者)【中古】afb楽天市場200円星の陣(上・下合冊版)【電子書籍】[森村誠一]楽天市場880円正義の証明(上)【電子書籍】[森村誠一]楽天市場605円正義の証明(下)【電子書籍】[森村誠一]楽天市場605円人間の条件(上)【電子書籍】[森村誠
三木清(1897/明治30~1945/昭和20年)の『人生論ノート』(1941年)は、難解ですが、ロングライフのベストセラーでもあるので、ここでは、私なりに考察してみます。三木は、兵庫県で出生、20歳で、京都帝国大学に入学し、西田幾多郎に師事、25歳で、ドイツの新カント学派・リッケルトのもとへ留学し、26歳で、ハイデッガーに師事、28歳で、帰国すると、29歳で、処女作『パスカルに於(お)ける人間の研究』(1926年)を発表しました。30歳で、法政大学法文学部哲学科の主任教授となり、
今回が初めてで、今後も継続していくという若手演劇人たちによる新しい演劇フェスティバル「条件の演劇祭」を観るため北千住BUoYを訪れた。*****演劇祭HPより企画概要********。。。「フェスティバルは演劇という営みの諸条件を前景化する場である」というテーゼのもと、複数の団体が集まりその差異と同質性の中から私たちの演劇という営みを規定するものを探ります。その制作過程を開き、共有することで、演劇というメディアを参加者とともに見つめ、COVID-19以降の分断された世界から
たまーに、なんでこの仕事をしているのか、ということを自問することはあるのだけど、結局のところ「やりたいからやる」以上の答えが見つかったことがない。それは、僕自身の思想の遍歴にも関係している気がする。僕が影響を受けた人物の一人にハンナ・アーレントという哲学者がいて、彼女は「非合理性を維持できるのが人間」ということを言っている。一見逆のような気もするけど、「合理性」というのは結局のところ損得勘定なわけで、それだけで動く人間は確かに非人間的だし、機械やAIと変わらない。合理性をすっとばした「やりた
凡庸な悪でも知られる政治思想家アレントは、筋金入りの人種差別者だった。「アレントは黒人差別主義者だったのか?」に従って、もういちどその著作に当たってみた。自分もなんとなく、その疑いは持っていた。「革命について」ではアメリカにおける創設の自由を魅力的に語るが、それが100年で5,600万人もの先住民を犠牲に奪った土地の上で成り立っていることには触れない。「人間の条件」では、ギリシアの公的領域を理想化して西洋の近代社会をそれを失ったと批判するが、非西洋の豊かな公的領域を備えた社会は全く考慮され
グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。若い友人が、まだ小さい女の子三人を育てていて、三人ともまるで個性がちがっているとFBに投稿していました。同じ親から産まれて、住む場所も環境もあまり違わないのに、子どもたちはみんな違うことが多いですね。我が家も年子で、長男と次男は一年半しか誕生日が違わなくて、学年は一学年しか違いません。そして私は浮気もしていないし、私が産んだのは確実(小さな個人の産院で、取り違える可能性はゼロ)なので、同じ母と父から産まれた息子たちです。
※この記事は、ストーリーのネタバレが含まれます。ソース:collider.com/『スター・トレック:ネクスト・ジェネレーション』のエピソード「TheMeasureofaMan(人間の条件)」は、私たちが思っているよりも早く直面しなければならない問題に取り組んでいます執筆者:リンジー・クロース2022年10月2日公開-このエピソードでは、「アンドロイド「データ」少佐の人生(命)を賭けた裁判」で、私たちは「ピカード」艦長のように決断できると信じたいのですが、実
「神戸ニニンガ日誌」(第2,920号)○昨秋「白秋共同研究会」で中井次郎さんは「アト・ザ・テーブル」と言った。○次郎さんの企画はハンナ=アレント『人間の条件』(1958年)の精神からきている。活動力は「労働(レイバー)」「仕事(ワーク)」「活動(アクション)」で考察できる。○近代は労働社会が優位で、仕事や活動を奪った。アレントは「活動」は「異なる意見の人が同じテーブルで共通の問題について議論する事」でそれが「政治」だとした。○日本酒ソムリエでもある次郎さんは得意の料理を振る舞
島田市内の某所に素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。2023年1月も読書会に参加してきました。この日は、第4章「仕事」21「手段性と〈工作人〉」の途中からです。ハンナ・アレントの「人間の条件」。読み進めていくうちに難解な文章に慣れてきて理解が早くなると思っていたのですが、むしろ難解さはエスカレートしているように感じます。今回、読み返してもふんわりとした雰囲気しか理解できず、明文化できないと思い、今回はイメージを書き連ねます。・作り出
30数年前からの自分の物語を写し書いています。今現在の事ではありません。(1991年10月31歳)テレビをつけると終末医療の特集で「淀川キリスト教病院」が放映されていました。そこは私の敬愛する牧師が働いている病院です。その病院の事はお手紙で知ってはいましたが、初めて映像で目にしたそれは、想像以上に大きくて立派な病院でした。テレビでは終末医療のパイオニア的存在であるその病院の社会的重要性、まだ日本では聞きなれないホスピスの在り方、そこで患者と向き合うスタッフ達の姿を映し出してい
夜ラン、300×10で3キロ年末に「ラーゲリより愛をこめて」を鑑賞、シベリア抑留を描いたのは仲代達矢の「人間の条件」以来でしょうか。良く作られてるとは思いましたが、残念なのは役者さんが皆健康そうなこと。実際には骨と皮に近かったはずなので。窓辺に謎の猫、どっちかな?
島田市内の某所に素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。12月も読書会に参加してきました。この日は、第4章「仕事」21「手段性と〈工作人〉」からでした。私なりの解釈で、読んだ印象を記します。目的が手段を正当化する。例えば家具職人が理想の椅子を作ろうとする。理想の椅子を作るために、必要な道具や用具が設計されたり発明されたりする。樹木を切り倒し、さらに細かくカットし、組み立て、完成させるまでに必要な人手や専門家が組織される。これらの手段はすべて、最終目的であ
島田市内の某所に素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。先月11月も読書会に参加してきました。第4章「仕事」20「手段性と〈労働する動物〉」の最後の方からです。《機械の世界》という真の世界にとって代わられた”擬似世界”では、本来の人間のつくるモノにある最も大切な課題を実現することができない。本来、モノづくりの職人が死んでも、彼のモノづくりの命(技術)は継承されるが、オートメーション化された連続作業では特別な技術は身につかず、労働者の寿命とともに彼のモノづくりの命
五味川純平の「人間の条件」を原作にした映画とTVドラマ。公開時や放送時を知らなくて、再上映、再放送で観た。大阪道頓堀にあった文楽を上演していた朝日座で、一挙上映を中学生頃にTVの再放送。そして、長く無沙汰をしていた加藤剛が梶を演じたTV版をDVDを買って、数十年ぶりに後に田宮二郎と結婚した美千子役の藤由紀子と会えた。先日、Gyaoで五味川さん原作の「戦争と人間」が配信されていたけれど、原作の資料助手をされていたのが、中央公論社の編集職を退社し、
島田市内の某所に素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。10月も読書会に参加してきました。(まだ)第4章「仕事」20「手段性と〈労働する動物〉」の途中からです。いわゆる職人と呼ばれるような人たちは、世の中に役立つ製品をつくる、という目的を達成するために、道具や用具を設計してきた。しかし、オートメーションという"自然力"がこの世に誕生して、そういった事実が打ち壊されていった。”自然力"というのは、人の助けなしに、ひとりでに現れて成長し、完成形に生成さ
おばあちゃんのワタシが生まれる前の映画『自転車泥棒』6作一挙上映を見たくて広島まで行ったのは20代前半『人間の條件』暗く悲しい映画ですまぬ。
島田市内の某所に素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。9月も読書会に参加してきました。第4章「仕事」20「手段性と〈労働する動物〉」の途中からです。テクノロジーの発展というのは段階を踏んで今日に至っています。第一段階は、産業革命のきっかけとなった蒸気機関の発明です。便利な動力が誕生しましたが、この段階では、まだ水力や風力といった旧式の原理と基本は同じでした。次の段階は、電気の発明です。これによる技術の発展は今現在まで続いています。これは、それ以前
今日は、仕事について考えたことを徒然なるままに書いてみます「仕事は楽しくやるものだ」みたいな事を、昔先輩社員に言われたことがあります・・・確かに楽しいに越したことはありません。人生において仕事の占める時間は大きいですし、仕事を通して楽しい思い出や素敵な仲間を得たいものです。しかし、それは簡単なように見えて、実は難しかったりしますその理由を考えていたら、以下の考え方にたどり着きました政治哲学者・アーレントさんという方が、「人間の条件」として、労働・仕事・活動の3つを
島田市内の某所に、素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。先月はお休みしましたが今月8月は読書会に参加してきました。第4章「仕事」20「手段性と〈労働する動物〉」からでした。人間は道具を使う動物です。何かを切るための「刃物」や、「金槌」と「釘」とか、そういった道具もやはり職人のような仕事人がつくり出し、生み出します。道具の発展した先に「機械」があります。道具は人間の欲求を満たすために作り出されてきました。道具を使うことで、精巧に、あるいは短時間で、または
日に日に暑くなって来た☀️早くも梅雨が明けたが、紫陽花が綺麗だ。自身のステージが変わろうとしている。人生は苦しいものから、楽しいものへと認識が変わりつつある。無愛想だった、コインランドリーの店員が笑顔で話しかけて来たり、いつものバーやホテルでも、出会う人達とこれまで以上に楽しく話せている。そうした良い変化を感じ、日々をワクワクしながら過ごしているのだが、それと共に、今の会社や仕事に対する違和感が、半端なく強くなって来た。これまで、会社の理不尽な要求にも、何とか応えて来たのだが、ここ
島田市内の某所に、素人が集まってハンナ・アレントの「人間の条件」を読み解き進めています。今月も、読書会に参加してきました。第3章「労働」の最終17節「消費者社会」の後半。今回で「労働」の章を読み終えることができました。まとめてみました。近代の奴隷解放(労働の解放)は、万人が自由を得るような時代を迎えられるのではなく、むしろ全人類が労働に強制されるという危険性があることを、マルクスは感じていました。労働(強制)から解放されなければならない(つまり消費からも解放されなければ
写真の絵を学生の時、社会の時間に見たはずです。ラスコーの壁画は、約2万年前にクロマニヨン人によって描かれたとされています。この壁画に描かれている様々な生き物。それを狩る人が行っているのが「労働(Labor)」です。そして、この壁画を描いた人が行ったのが仕事(Work)です。は?何言うてんの?かもしれませんが、これが私が考えた労働(Labor)と仕事(Work)の違いを最も端的に表した説明です。労働(Labor)とは、必要に迫られてするもので、消費されて終わるものです。仕事(Work)
記憶(21)ひまわりと人間の条件ウクライナが危ない。新聞もネット記事も戦争前夜のような報道だ。国家間の全面戦争になるのだろうかと注視している。戦争反対を訴える人は多い。しかし具体的な行動となるとどうすればよいかわからない。戦争は一方が強引で他方は妥協しそうな時が最も危ない。今ちょうどそのような状況と思われるような事態だ。平和ボケの日本はコロナで遥か彼方の東ヨーロッパではピンとこない。ウクライナもクリミアを奪われこれ以上の譲歩はもうできないだろう。米国は軍を派遣しないと明言して妥
直観主義論理と型付きラムダ計算とデカルト閉圏とが等価であることが、カリー・ハワード・ランベック対応として知られている。以前、コモンズの持続可能性は、コミュニティからの作用とコモンズからの果実が釣り合うこととして捉えた。この状態は、デカルト閉圏においてローヴェルの不動点定理が成り立つことから導かれる。従って、この対応から、コミュニティには推論規則があること、コモンズへの様々な作用と期待される果実は一種の関数計算となること、が分かる。そうすると、コミュニティを構成する人々は、コモンズの持続