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皆様こんばんは😊今宵🌃はアルコールナイトをこの後に控えているので、飲む(呑む)前に思考を使ったテーマに乗りたいと思います😁そのAmebaからのネタは…日常で役立つ哲学の教えは?成程、哲学ですか🤔まぁ日頃考えないですよね、哲学的な事って。あと倫理についても同じ感じですね、自分は。こんなマンガを読んでチョビット🤏倫理について考えた事もありますがここは今から倫理です。[漫画公式サイト/最新情報・試し読み]|集英社グランドジャンプ公式サイト生きていくために大切なことは
Mt.FujiseenfromthecarwindowMt.FujicoveredinsnowagainstablueskyToday'sblueskyismoredazzlingthaneverThesunwasverywarmanditfeltgood,butIwasalittletiredIwonderwhymyeyes,bodygettiredsoeasilyEvenso,humane
人間が存在する意味は周りを賛辞すること、ですよ、と教えてもらいました。花たちは、きれいだけど、花どうし、「あなた、きれいね!」とは言えない。家電どうしも、「あなた、よく働くわね!」とも言えない。人間だけがこれらを言える。賛辞することが出来るのだと!ずっとずっと前、いつも行かせてもらっている食堂のお姉さんが、ある日、冷蔵庫に「よく働いてくれてるね!ありがとね!」と、言い、冷蔵庫をなでているのを、目撃したことがあります。小声で、独り言、でしたが、私が冷蔵庫なら
No.1122016.7.3(日)難民調査官/下村敦史/光文社/2016.5.25第1刷1600+8%2014年に「闇に香る嘘」で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。社会派ミステリーの作家として一貫して深く、静かに現代社会に潜む“悪意”への洞察を形にし続けている。よく考えてみると、こういう作風は「松本清張賞」の受賞者に課せられた仕事のような気もするが、どうだろう?とはいえ、続く「叛徒」(2015年、講談社)から「生還者」(2015年、講談社)と書き、版元へのデビュー三作目までの発表を終
Ⅰ「ChatGPT」というAIが、話題となっているようです。問いかけに対して、自動で文章を生成できるようなAIだそうで、技術の進歩を感じます(もちろん、技術の進歩がもたらす負の側面もきちんと注視していく必要があると思います)。ふと、「AIがこれだけ発達している時代に、DV加害更生プログラムで学ぶ意味はどこにあるのだろうか」、という疑問が頭をもたげました。今回はこの点について、考えていきたいと思います。Ⅱおそらく、「DV加害更生プログラム」で学ぶコンテンツ(教材の内容)は、
最近〝無縁社会”という言葉をよく耳にする。縁が無い社会とは?私はサラリーマン時代には会社での人脈があったので縁とか地域とかにはまったくというほど関心がなかった。というより、煩わしいものだと思い排除してきたといったほうがいい。しかし、欝になり癌になって会社という経済活動のなかでの自分という人間の存在を失いかけたとき、その先には孤独と不安しか残らないことに初めて気づいた。現代社会では人と人との関係が希薄となりつつある。少し前までは、社縁なんて言葉もあり、企業も家族
「師匠ってどうでも良いものっていうか、些細なこととか好きじゃ無いですか?あれってどうしてそうなったんですか?」はあ?何のこと「小さい雑草の花とか虫とかですよ」あ〜っ、あれね。まぁ普通の人にとってはどうでも良いことだろうねえ。雑草とか石ころとか…、ゴミみたいものとかね。笑「そうですよね。さすがにゴミの話をしているのって聞いたことないですけどね」人に話したこともないからねえ。笑「それで?どうしてそう言うのに興味っていうか関心を待ってるんですか?」そう言うのに対してだけ持
家族みんなのクリスチャン・ラジオ放送局「BBN聖書放送」インターネットで6000曲以上の賛美、聖書のメッセージ、クリスチャンラジオドラマ、子ども向け番組、夫婦向け番組etcを24時間、365日お届けしています。bbn1.bbnradio.org出勤前にラジオ📻聴いてます。光の速度が1秒違っていても人間は存在できない。科学は創造主の存在を証明してる。そうは認めたくない人も薄々は気づいておられらのではないでしょうか。今日の聖書と福音セレクションはそんな
☆彡責任はとらなくていい【宇宙には原因と結果の法則があるのみそれだけのこと。地球人の言う、あなたがそう言ってやったことなんだから責任とってよ!と言うその会話、、、宇宙人には理解できない】☆彡自分の世界がはっきりある☆彡こだわりが異常に強い☆彡真面目という言葉が大嫌い☆彡結果に執着してない【どうでもいいどうなってもいいっていうかどうにもできない】☆彡良い悪いの境界がない【良い悪いは立場が変われば反転するはず、地球人の言うこっちが悪くて、こっちが良いの意味
関東は、昨日から大雪に注意と、何度もニュースで伝えています。私の住むところも、昼間は雨か霙でしたが、夜が更けるに連れ、雪に変わってきました。人間は、天気には勝てませんね。素直に受け入れるだけです。こうやって受け入れるとき、なんだかホッとします。つい、人間って万能だなと勘違いしてしまいます。出来ることは多いけど、決して万能ではないです。敵わないものがあります。
マニアックな粒子と反粒子。逆なモノが同時に存在するんですって。ソレで、粒子と反粒子が、出逢うと、光となって、消えていくんだそうです。ここからは、私🐼の勝手な妄想ですが、人間の存在は、命は、光だと思うんですね。光は、動いている時しか、存在出来ないそうです。そして、光とは、粒子と反粒子がであって、消えていく時に、現れるモノ。終わらない命は、ありません。。。私達の命って、粒子と反粒子が出逢って、消滅する間の光なんだと思うんです。粒子と反粒子。二つは、
心学「天地万物一体の仁」自分自身に起きる事象は都合不都合など多々あるしかしそれを仁と思う人間は何かしらの利点がある辛苦や喜楽も仁神仏も仁禍福も仁人間の存在自分の存在こそ仁であることを心得た人間こそ心に悩みや不安は訪れないもし訪れても自ら軽減する力がある
あなたが存在することで、たった一人でも、誰かの心が温かくなったり、あるいは頼りになると安心してくれるならば、それこそが人間の存在価値なのではないでしょうか。-瀬戸内寂聴さん-出典:りん(凜)rin_0417さん〜看護の名言〜今日もいいね!が足りなくなっています。いいね!が押せなかった方申し訳ありませんでした。記事は体調の良い時にゆっくり読ませて頂きます。今日も皆さまお疲れ様でした。今日もお付き合いして下さ
マイ真理34再掲ですマドンナが思うに人間てさ宇宙なんじゃね?ひとりひとりがそれぞれ全く別のひとつひとつの宇宙なのひとりひとり地球上に70億種類の宇宙肉体は化身というか、アバターみたいなもんで本質は宇宙、の、ようなものとてつもないスケールで未知の領域がほとんどで独自の法則性がちりばめられている生きた世界なのみんな構成も法則性も違う宇宙だし自分の宇宙すら全貌が分からないからヨソの宇宙が
今日の一日一読は第二章「悪としての人間の存在」の続きでした。長いのでそのまま写真にしました。これはシッタルダとある男性のやり取りのようです。「殺し殺される」というのが自然界のオキテのように思えます。その典型は「弱肉強食」ですが、シッタルダは決してそうではないと言います。強い生き物が弱いものを食べるというのは自然淘汰であって、「欲望にまかせた作為的な争いや殺し合いとは違う」(44ページ)ことを思い続けることは大切だと思いました。
今日の一日一読も第二章「悪としての人間の存在」で、この言葉でした。「・・・身分を決めたのは人間。身分で苦しむのも人間。自然界とは関係ないことだ。雨や嵐や日でりで、人間が苦しむのはだれも同じだ。もし世界の終わりがくれば、だれもかも死んでしまう・・・」(32ページ)漫画のブッダを読んでいて、幼少期のシッタルダが奴隷の子どもたちが楽しそうに遊んでいる姿をみて、自分も一緒に遊びたいというと、ダメだと言われるシーンがありました。シッタルダからみて、大人たちが身分制に固執している姿はどうにも納得できな
今日の一日一読は第二章「悪としての人間の存在」の31ページまででした。「どうしてそんなに自分を苦しめるんだよ!!人間はなぜ生きているのか?苦しむためなのだ!」(30ページ)昨日、七つの苦しみについて取り上げていたが、そもそもなぜ人間は苦しむ必要があるのかという問いは当然出てくると思います。ブッダもまたそのことに疑問を持ち続けて、興味深いのは、当時言われていた方法を試して、それの限界に気づいて、どんどん深め続けていったことです。当時一般的だったバラモンの人たちは、苦行をすることで、
朝ニュースでやっていたが牛肉1キロ作るのに沢山のトウモロコシと井戸水が必要らしい肉食わないでトウモロコシ食べているほうが食糧危機にならない感じ水もなくなっちゃうかもとかすごい話しになっているらしい寝る前だから忘れちゃったが牛育てるのも大変みたいだ世の中が肉を食べないようになったらかなり環境に良いって聞いた気がする昆虫が絶滅したら生態系がおかしくなり地球絶滅するとか?人間は昆虫以下と何日か前にどっかで見た人間がいなくなった方が地球の為には良いらしい。
あるべき信仰の対象は、過去の歴史上の人物ではなく、今生きて存在している方です。神は歴史とは関係ありません。逆に言えば、歴史をいくら科学的に研究しても、そこから信仰は出てきません。信仰を伝道するに際して、語る人間の存在意義を強調するのも、間違いです。ある人に信仰が生じるのは、霊がその人に直接働き掛けることによります。聖書を客観的に読解しても、そこからキリスト教の教義は出てきません。教義や神学を前提にして読むから、それに適ったようにしか読めないだけです。
宇宙の存在、地球の存在、自然界・・・これらは全て神業そのもの、そう言って過言ではないと思う。動物たちは神業を操ることはしない。人間は神業を操り、例えば火を使うことに始まり、今では電気を自在に使う。人間は神業を操るだけでなく、工夫を加えることで新たな神業を手に入れてきた。人間は工夫する動物、神業を使い、更に工夫を加える人間は、神に近い存在かもしれない。例えば、高速移動する手段は自動車、空を飛ぶ手段は飛行機、遠くと話す見る手段は電話、無線、テレビ・・・
どうもこんにちは、有賀です!今年くらいから最高位戦で新たな企画?が始まったんですけどその名前が「FACES」〜選手の素顔に迫る〜最高位戦インタビュー企画と言うものなんですけどご存知の方いらっしゃいますか??これ結構面白くて色々な選手の素顔がわかるんで毎回更新を楽しみにしながら見てるんですよ。超有名な人!って言うよりは最高位戦で昔から評判高い人とか今後活躍しそうな人とかがインタビューされててそれがまた良いんですよね〜さて何故急にこんな話をしだしたかというと、、な、な、なんと私、有
https://www.gifted-ouentai.com/2020/06/10/%E3%82%AE%E3%83%95%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%AE%9F%E5%AD%98%E7%9A%84%E3%81%86%E3%81%A4/どれだけ多くの子供たちが孤独で辛い思いをしているだろう、、この状況を一刻でも早く変えなければならないと感じています。私たちは孤独な存在かもしれない。でも一人
自然が実に美しい近頃、時々、僕は恐ろしいような透視力に見舞われる。僕はもう自分を意識しない。絵は、まるで夢の中にいる様な具合に、僕の処へやってくる。writtenbyGogh最近は、ライゾマティクスのような、現代クリエイターが、目を見張る作品を創作しています。確かに、素晴らしいけど、どこかダヴィンチやゴッホの作品とは、感覚が違う。全く違う手法だから?違うな、、、そんな単純な理由でもない。技術が、人間の存在を無くしている感じがする。ダヴィンチや
ECOに関しても昨今の感染に関してもオリンピックに関しても当然政治も利害関係が余りにも強すぎて本当は何が正しいのか?ECO=エゴだし感染も現場無視に近いしオリンピックはアスリート不在だし政治はザルだしいいとこないね必要悪の許容範囲はどんどん広がり肝心な良心の範囲がどんどん狭くなる国民が全て評論家に成り下がり実行に移す者がいない。何でもIT.DX.AIで済むなら、人間の存在価値は無いものと同じである。今が最後のチャンスではないかな?
なぜそうなるのか?理解しようとしないアホがいる自分の言動を深く考えず他人の粗探しばかりする嫉妬深い陰険な奴自分の正当性だけを考える人間の存在として一番嫌いな関わりたくない奴こんな奴は相手にしないと考えつつも頭によぎること自体くだらない人間に対して意識して時間を使ってしまう自分に腹がたつけどそんな自分も許してあげよう無駄なことは考えたとしてもすぐに切り替える
今、世の中が急速に変化して行ってますよね。新型コロナウィルスにより、世界の人口は減少しつつ。同時に人と人とが接触しないで良い世界になりつつあります。この流れを客観的に見ていくと。先の未来に人間というものが必要ではなくなるところに行き着きます。全世界に通信インフラが整い、フリーエネルギーで賄えてしまい。AIとロボット技術があと少し進んでしまうと世の中に人間の存在価値はないです。ぶっちゃけ必要ない。他の動植物は必要でも不必要でもないのに対して、人間は必要ではないのです。この結末って
コロナ禍で、社会全体が混乱し、感染拡大により、医療従事者などのエッセンシャルワーカーには大きな負担がかかっています。使命をこなすため、過酷な状況に立ち向かっている方々に、敬服するばかりです。しかしながら、感染症の最前線で活動することで、当人や家族まで、不当な差別やいやがらせを受けることがあり、激務も相まって、職を辞する人が少なくないようです。包括的なケアと手厚いフォローがなければ、医療崩壊の危機をまぬかれません。一方、特に旅行業や飲食関係などの業種に携わる人たちは、経営危機
コロナウイルスは人と人との接触を妨げる、また日本海側の大雪も同じく、やはり人と人との接触を妨げ人に行動するなと言われている様に感じます。これの災害にはやはり我々人間の存在が否定されている様にも感じます。皆さんはどの様にお感じでしょうか?
「祈りの対象」よりも、私たちのご先祖が「重要だ」と認識していたこと。それは・・・人間の存在は人間が作り出したものではない、という前提の上で、「それ以外の存在」に「祈る」という行為そのものでした。そして、さらには、「その結果」が私たちの国では「重要」だったのです。
横浜は丘の街です。小山の斜面に残った土と緑が削り取られ、コンクリートで造成されては家が建ち、ささやかな自然が姿を消していく。僕はこの光景を見る度に、心に小さな穴が空くのを感じてきました。近所ではコロナ禍の今年も、盛んに新築住宅が造られています。直訳すると「開いた家」の名の建築会社が、僕には宅地と思えない川端に10軒、元は1軒の土地に2、または3棟の建売3階建て住宅を建て並べています。このせせこましさ、密も住宅建設では当たり前の光景ですね(苦笑)。戦後から今に続く