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10月14日は鉄道の日ですね。令和5年9月21日茨城県笠間市道の駅かさまにて撮影。
松山人車軌道宮城県大崎市で、1年に一度、コスモス咲く季節にだけ復活する小さな人車鉄道が今年も運転開始2023年(令和5年)の松山人車軌道運転・運転日:9月2日(土)~9月24日(日)の土日・祝日・時刻:10時〜12時・13時〜15時の間、随時運転・場所:松山御本丸公園コスモス園(宮城県大崎市松山千石字本丸6)乗車料金:200円以下記事は、2014年(平成26年)10月上旬当時のものJR東日本・東北本線の小牛田駅からタクシーで約10分。宮城県大崎市松山地区(旧・松山町)にある、
今日は、郷土と天文の博物館で開催された、https://www.museum.city.katsushika.lg.jp/葛飾区郷土と天文の博物館|KatsushikaCityMuseum葛飾区郷土と天文の博物館は、葛飾の歴史をたどる郷土博物館と星の世界をさぐる天文博物館が一つになった博物館です。常設展示、特別展示、プラネタリウムやイベントの実施を通して、かつしからしさのある地域文化の一層の発展と、未来のかつしかを創造する拠点となる施設をめざしています。www.museum.city.
7月13日は生命尊重の日、モツ焼きの日、日本標準時制定記念日、オカルト記念日、ナイスの日、モンテネグロ国家主権の日、976年…貞元に改元978年に天元に改元(新暦8月11日)、1024年…甲子革令の為、萬壽に改元1028年に長元に改元(新暦8月19日)、1110年…天永に改元1113年に永久に改元(新暦8月25日)、1848年…ロンドンのターミナル駅・ウォータールー駅が開業、1868年…大坂を開港場とする(新暦8月30日)、1886年…東経135度の時刻を日本標準時と定める勅令公布188
現在の陸上自衛隊宇治駐屯地は、「宇治火薬製造所」として明治27年に発足しました。明治39年、木幡に分工場を建設、本工場との間に「人車軌道」が敷設されました。宇治駐屯地「桜まつり」の際、「顕彰館」で展示されていた「引込線」と「トロッコ線」の概略図です。一番上にある赤線が有名な「木幡引込線」で一部が本工場付近まで延びていた事がわかります。本工場と木幡分工場の間にある赤線が「人車軌道」で一部は宇治川の河川敷を通っていたようです。また、製造所と宇治火薬庫の間にも「トロッコ鉄道」が通ってい
一畑電鉄出雲大社駅に保存されているデハニ52昭和3年に製造された電車です。歴史が変わっていたら・・・こんな電車が栃木路を走っていたかも、、、妄想しながら眺めました。2021年の春那須野が原博物館を見学、交通の歴史に関する常設展示コーナーがありました。西那須野駅を拠点に3路線の図。略図なのが、残念ですが・・・・「下野軌道矢板線」の表現は高徳~天頂は「下野電気鉄道」社名変更後の建設なので、「下野電気鉄道」または「東武鉄道矢板線」の記載が良いかと思いました。。。。那須人車のレプリカ当時
2019年野岩鉄道と東武鬼怒川線の分岐駅、新藤原にて撮影6050系の快適な車内クロスシート座席平成元年~平成5年までは浅草~新栃木の快速をよく利用しました。自分の車を保有した平成6年以降は鉄道より車での往来が増えて、乗車頻度は少なくなりましたが、、、、東武鬼怒川線の前身は「下野電気鉄道」で大正6年1月2日大谷向今市~大桑~中岩を762mm軌間「下野軌道」として蒸気機関車による運転で開業。同年11月中岩~高徳~大原(現在の鬼怒立岩信号所)開通。大正8年3月大原~下滝(現在の
昭和58年12月南宇都宮駅付近で撮影した7800系準急(浅草~東武宇都宮運転)当ブログ記事に、参考文献としている書物です。「栃木県鉄道史話」昭和56年落合書店発行、「郷愁の野州鉄道」平成16年発行です。私が宇都宮に過去、存在した人車軌道に興味を持ったのは7800系を撮影した昭和58年頃からでした。さて、宇都宮運輸軌道が明治39年野州人車鉄道を合併した直後、明治40年第14師団が宇都宮に来ることが決まる。当時の国本村南端、宇都宮の戸祭・日光街道の西側で「宮の関」と言われた
小湊鉄道が運行する「里山トロッコ列車」2021年11月に乗車しました。牽引する機関車は蒸気機関車をデザインしたディーゼル機関車です。客車4両で中間車2両は窓無し展望車です。里美駅にて撮影さて、画像は宇都宮市新里町の藤本付近。現在も存在する農地に挟まれた東武鉄道社有地(枕木?に囲まれた細長い土地)昭和6年6月に合併した宇都宮石材軌道の軌道跡地です。令和の現在まで残る貴重な廃線跡。路線図は私の推測なので事実か否かは不明です。ご了承ください。明治29年4月宇都宮~大谷に軌道を敷き大
宇都宮駅から久々に日光線へ乗車今春で日光線から引退する205系普段は車で移動してしまうので、思い立たないと乗車する機会が少ない路線です。文挟で修学旅行団臨と交換しました。2021年11月撮影文挟駅の北は急勾配なのが、良くわかります。明治19年鹿沼宿など上都賀郡の富豪家達により日光鉄道の計画が出願される。宇都宮=(駒生)=(荒針)=栃窪=(古賀志)=文挟=小代=(明神)=今市=日光のルートで途中駅は4箇所(カッコ内は通過地点)で、栃窪より鹿沼への支線とする。※古賀志を分岐点と
【20年12月20日探索・21年3月1日公開】現在地はこの辺この軌道跡のたぶん最大の遺構、橋台の石垣を後にし、栃木県茂木町側にあったとされる採石場跡へと向かって行こう。橋の跡からすぐに、この「交差点」になった。私がいる手前側は廃道、左右の道には轍の跡も見えるが、関東ふれあいの道のハイキングコースになっている道で、右に行けば地図には描かれていないが私が通って来たよりもよほどいい道で廃車脇を通り奈良駄峠へと達することが出来る。ちなみに、車が茂木町側から入って行けるのはこの先約
【20年12月20日探索・21年2月28日公開】現在地はこの辺この辺も路肩側は石垣施工になっていた。それにしても道の形自体は残っているものの、地図に描かれているここは利用者は皆無に近いほぼ廃道であり、谷の向こう側のハイキングコースになっている道はヤフー地図には描かれていないのがとても不思議だ。などと思いながら、現在地をスマホアプリで確認すると、地理院地図(地図ロイドというアプリ内)でも私がいる廃道だけが描かれているという事は同じだった。前の画像から100m位進
【20年12月20日探索・21年2月19日公開】現在地はここ(中心位置:地図右の方の「目印」クリックで中心点が表示されます)画像ではあまり目立たないが、谷積みの石垣で造られた軌道路盤と、水路カルバート(中央下側)だ。明治末期か大正時代のものであるはずなので、何気に土木遺産級の構造物だと思うんだが・・・水路カルバート内部だ。少量だが水が流れていたので中に入る事はやめておいた。その先の軌道道を奈良駄峠に向かって行く。日が当たる場所は気持ちのいい気候
【20年12月20日探索・21年2月15日公開】記事的にはこの連載の続編という事になる。2020年1月、昨年の初探索で稲田(石材)人車軌道長山線を追った私だったが、あまりにも雑な探索をしていた事を後悔しており、再度、探索の必要性を感じていた。再度、この軌道を調べていたところ、こちらのサイトに記載があった。それによれば、私が前回この地で立てていた仮説は間違いである可能性が高くなった。これは、2021年まで引っ張ってはいけない。2020年のうちに決着をつけよう。現在地はここ茨城県桜
【20年1月5日探索・11月14日公開】現在地はここ奈良駄峠を越えて、また茨城県笠間市側に戻って来た。ここにはちょうど道標があり、それが示していたのは仏頂山、高峰山それぞれへの山頂への案内だった。そこから約100m、左側の斜面はここなら・・・覗き込んでみた。画像では急な斜面に見えるが、ここなら下りて行けそうだった。わざわざ谷に降りていこうというのは、他でもない、隧道の痕跡を探すためだった。下降中・・・谷に降りた。これは南側を向い
【20年1月5日探索・11月13日公開】奈良駄峠までは直線距離で200mほどあるようだ。無理やり、こんな道じゃない所を突き進んでいくと・・・階段が見えてきた。ちゃんとした歩道に出ることが出来た。その階段を下りていくと、三叉路に出た。奈良駄峠に着いたようだ。北側を見る。栃木県茂木町側になる。とてもさりげない奈良駄峠を示す看板(?)と、この道は関東ふれあいの道である事を示す石柱があった。栃木県芳賀郡茂木町に入
【20年1月5日探索・11月8日公開】今回、10年ぶりに訪問した地区の記事になる。この連載(「序」の後の「その1」)の続きと言えば続きになる。2010年1月当時、茨城県笠間市の稲田人車軌道(石材運搬軌道)はウェブ上にほぼ情報は無かった。私がヤフーブログ時代にほぼ1番乗りで情報をアップしたと自負しているが、一連の人車軌道のうち、長山線については訪問していない。この長山線、奈良駄峠を越えた栃木県茂木町に入った採石場まで軌道が延びていたという。そして、その軌道には2カ所の隧道があったとされて
訪問日2014/05/05島田駅前と向谷を結んでいた軌間610mmの人車軌道廃止は1959年9月30日軌道は奥からここへのびてくる民家の敷地角がカットされていることに注目していただきたい前方はNTT西日本島田ビルこの先、島田駅前駅までに跡は見出せない向谷駅方面を見る路地が廃線跡と思われる民家沿いの道が軌道跡右手前の敷地角もカットされている軌間609mmの人車軌道やから、用地幅はこんなもんやった?車の停まっているとこが軌道跡塀が道路に対してな
人力車乗ったことある?乗ってみたいね、浅草一周とかで。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう1870(明治3)年のこの日、人力車を発明した3人のグループに、東京府から人力車の営業の許可か下り、日本橋で営業を開始したそうです。「籠」と比べたら、ものすごく快適だっただろうね。でも、料金が高かっただろうなあ、たぶん。ところで、「人力鉄道」って知ってますか本来の名称は人車軌道で、人が客車や貨車を押す鉄道、人車鉄道ともいう。人車は軽量のト
急に寒くなりましたね。真夏日に近い状態から一気に急降下。体調崩さない方がおかしいくらい。お互いに風邪ひかないように気をつけましょう。そんな中ですが、東京が霧に包まれた一昨日(10/11)に、家を空ける必要があって、日帰り一人旅をしてきました。旅するにあたり、何をしたいか考えたら、「駅弁を、列車の中で食べたい!」…何だこの欲望は…w。我ながら滅多に無い欲望です。では、どこの駅弁を食べる?あたまに浮かんだのは横川の峠の釜めしです…が、先日お持ち帰りで食べたばかり。じゃあ次善の策は、決ま
笠間探訪散歩。笠間焼の窯元さんやギャラリーを見て回る途中、笠間芸術の森公園に向かいました。窯元さんで頂いたマップに「犬の散歩にサイコーです!」と書いてあり、立ち寄ってみることにしました。↑「待ってました。僕の時間ですね!!!」」公園の地図です。ここ数回のブログ末にお正月のイベント・彩初窯市の情報を書いていますが、会場の笠間工芸の丘は、この公園内にあります。駐車場はいざという時の貯水施設も兼ねているようです。そのため、公園の広場は、駐車場からは少し登