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いろんな事で喜んだり落ち込んだりが続いておりますが・・・。昨日は息子の事で喜んだのもつかの間・・・またまた落ち込む出来事があって、もう、血圧も感情もジェットコースター並に上がったり下がったりしていますこれって、絶対身体に良くないよね。月曜夜は、左耳の後ろが痛くて、検索したら、神経痛っぽい。これは、まさに息子の結果発表の件だと思うし。はー。メンタル弱すぎもっとしぶとくならないとね転んで
プロフィールにも少し書いているけれど、私は、割とジェットコースターな人生を送ってきた方だと思いますでも、すごく酷い目にあった!!!とはあまり思ってません(笑)いい経験したなって感じ今、42歳な私私は、一言て言うと、嫌な事が出来ない人です笑子供の頃の記憶?思い出?は、あまりありません姉の影響で過ごしたな〜って感じ。小学校でエレクトーンをして中学校で吹奏楽に入りマーチングと出会って高校はマーチングが強いってだけで選んで行った(笑)お陰様で中学は九州大会止まりだったけど、高校は
こんにちはご無沙汰しておりました久しぶりのブログです😏さて、早速本題に入ります✨タイトル通り"麗人は年齢をも超える"これ、本当なのですよ!美しさは若さゆえの特権だと思っているアナタ!是非これから書くことを読んでいただきたいまず、麗人、の定義、ご存知ですか?麗人意味美しい女性、美人の事調べるとこのように書いてあります。なーんだ、美人と麗人て同じじゃない?と思いましたでしょ?少し違うのですよね。どちらも美しいに変わりはないのですが、麗人は美人よりもう一つ格上
7/9博多ザ・ブリスコスタジオリハ!今日は日本で初めてジェットコースターが設置された日なんで、ジェットコースターに乗ってみたぜ!『いゃあ~人生ジェットコースター山あり谷ありやね』(≧∇≦)って事で7/11(土)に博多ザ・ブリスコ5ヶ月ぶりに配信ライブ&生ライブします!詳しくは↓を見て申し込みお願いします。◻️7月11日(土)@福岡LIVEHOUSECBCBCHALLENGETICKETCOLLECTORvervol.5博多ザ・ブリスコ~予約限定入場×生配信ライヴ
ありがとう!ありがとう‼️開運人生コンサルタントちづる姐さんです❣️プロフィールはこちらから私が手相に出会ったのは父が亡くなった後のココロの病がきっかけでした言えば父からもらったプレゼントだわ🎁今日は、父の日を前にそして80歳の誕生日の1週間前に亡くなった父の事を書きたくなっちゃっただって昨日は亡くなって丸丸10年の命日母と妹と3人でお寺参り‼️まあさ、元気で生きてた時には『クソジジィ早く死ね!』なんて、良く思ってましたね(笑)てか、こそっと言ってた💦と
あちこちから引っ張りだこの売れっ子セラピストカメラマンあなたの魅力をドンドン開花させちゃうどうもとまき(どまき)です♡どうもとまき(どまき)はこんな人♡昨日は朝から晩までパーティでした🤣🤣🤣笑なんでこんな格好しとるん?ってなった人はこちらを見てね(笑)満員御礼で迎えた当日いや、正確には前日からパーティへの準備は始まっててバースデーケーキの帽子被りたい🎂という思いだけを持ち🤣🤣🤣笑買い出しに行ったけどお目当ての帽子はなくて出来上がったのが上の写真やったの会場設営のた
仕事中、ふと上を見上げたら↑↑↑↑↑おおーー!!まつ毛長めの粒らな輝く瞳👀✨なんか、こっち見られてる気がする。。笑😆店内カウンターのスポットライト💡悶々とムシャクシャとドロドロと、ウゲェっと、めっちゃ汚い感情まみれの数日を過ごしています。その中には、めちゃくちゃhappyに感じる事もあるから。その高低差が半端なく↕️上がって↑下がって⤵︎人生ジェットコースターにまたもや乗ってしまってる💦スリル度も高めしんどいです。しんどすぎて笑いが出て…そしたら、今度は涙😭情
最近将来が不安で、仕事に結び付く資格が欲しいと思っていた。保育士の通信教育講座のパンフレットを取り寄せてみたのだが。私には試験の受験資格がなかったことがわかった!高卒って選択肢が狭まる。推薦入試で合格していた短大に行けなかったのは、家庭の事情で金銭的に難しくなったからなんだけど。そのことは、まだ根に根に持ってる。その後、仕事は特に目指していたわけでもない業界でそれなりに頑張り、高卒女性の割には稼げるようになったと思う。あまり学歴も資格も必要とされない業界だったし、不都合も感じなかっ
昨日は突然のお休みーーお仕事がお暇だったので💦朝、息子を学校に送り出し…あーー。仕事休みだし、二度寝しよっかなぁ💗とか一瞬思ったけど…イヤ!違うな!今日は、お風呂掃除だーーー✨ってことで、普段洗えてないところをキレイに普段のお休みの日は他の事したりして、なかなかしっかりと掃除ができなくて、でも気になってて…でも、掃除はあんまり好きじゃなくて。笑でも。やってよかったーー‼️解決✨🤗キレイにすると、ココロもスッキリ気持ちよく過ごせるし!ところが、どっこい、すぐ落ちる↓フギャーー
夫の命日のお墓参りの後、義実家で家族が集った。義父母は家庭菜園で、少し野菜を作っていた。食事のあと、義父がその畑を見に庭先まで出て行った。私は今だ!と思った。息子はイトコたちに遊んでもらっている。数分してからお義父さんの後を追った。「お義父さんちょっとお話したいことがあります」私は意を決して話し続けた。「実は再婚をしたいと思っています」少し間があった。お義父さんは「ふじこさん、おおーそうか。よか
私は少なくとも息子が成人するまでは誰とも再婚しない、つまり、シングルマザーのままだと思っていた。ところが今夫からのプロポースを受け再婚を現実のものとして意識しはじめた。最初に考えたのは、これは許されることなのか?亡き夫を裏切ることにならないのか?という問いだ。母は、私が再婚を考えているのを察知していた。まあ、息子をみてもらって出掛けていたのだから当然だ。孫溺愛の母はきっと反対するだろうと思ったら予想に反し、早く再
夫に先立たれた私の美談ではすまされない想いの3つ目。それは夫への懺悔の気持ちだ。あれから約10年が経ちやっと言葉にできるかもしれない。亡くなった夫は胃癌が再発して救急搬送で入院をした。私は毎日、仕事を早退して病院に行き、身体を拭いたり、息子のことを話したりしていた。入院しても最初の頃は冗談を言ったりテレビを見たりもできていた。でも痛みを緩和するモルヒネの増加と追加した抗がん剤のせいでまともには会話できなくなり、日を追うごとに
夫に先立たれた私の美談ではすまされない想いの続き。二つ目は義母に対する申し訳なさだ。義母は息子の最期に立ち会えなかった。義父と義兄弟が病院に詰めていたため義母は実家で孫たちの世話をしていた。夫がいよいよ危篤となりその連絡を受けた義母は幼い孫たちを連れて電車を乗り継ぎ、病院にやってきた。でも数十分、間に合わなかった。夫は息をひきとるまでの数時間。呼吸ができずに苦しんでいた。義父や義兄弟はその姿を見るのが辛すぎて「ふじこさ
前夫と死別した頃のこと、彼が託した息子への想いをいくつか書いてきたが、その思い出は美談ばかりではなかった。残された妻として複雑な想いもあったし、申し訳ない想いをしたこともあった。これらのことは、誰にも言っていなくてずっと私の心の中にあることだけど書いていきたいと思う。まず、一つ目、複雑な想いをした出来事から。それは、夫の好きだった人のこと。こう書くと誤解されるかもしれないが亡くなった夫が私と出会ったときに友だち以上、恋人未満だった彼女のこ
昼休みおばちゃんの顔が見たくて、また、カツサンドとアイスオレ飲みながら、物思いにふける事故にぷちリストラに、追い討ちかける帯状疱疹と、ほんとうに最近、人生ジェットコースター今のところ落ちるのみだけど素朴な見た目と味わい二層のカフェオレ揚げたてのカツを挟んだカツサンドは、塩胡椒味で、薄く塗ったバターとのバランスが、ほどよく、加速する味なのですキュウリとパリパリレタスが、敷き詰められてて、家で真似して作ってみたけど、おばちゃんの味にはほど遠い注文を待つ間、お昼
外出を控える週末、家の片づけをしていたところ昔使っていたビデオカメラが出てきた。ここには亡くなった夫が撮った映像が一つだけ残っていて彼の姿は映ってないが声が録音されている。息子は今夫が私の再婚相手(継父)であり、自分の実親(パパ)とは異なるということは知っている。ただそれは小学校にあがってしばらくした頃に伝えた。現在の我が家には今夫に遠慮して、そのパパの写真は一つも出してない。たまに今夫が留守のときに写真を出してきて息
ところで、シングルマザー時代もステップファミリーになってからもずっと違和感というかイラっと感じる言葉がある。それは、ママ友たちが主にダンナさんへの愚痴を言う時に使われる言葉。ダンナさんが家事・育児を手伝ってくれない!残業や出張が多い!!子どもが熱をだしても飲みにいっちゃう!てことに対して、「うちは、ダンナがいつもいない!!ホント母子家庭みたい!!(怒)」って私の前で言うこと。いやいや
10年間不妊治療をしていたということは10年間基礎体温を付けていたということ。無排卵性月経は基礎体温が二層にならないのが特徴だけど息子を妊娠する直前の何回かの周期はきちんとホルモン注射が効ききれいな二層になっていた。だから、息子の妊娠に気付くのは超早かった。(いわゆる妊娠5週めのはじめくらい)その日、私は出張だったが妊娠検査薬をカバンにしのばせ昼休憩のときにやってみた。結果はうっすら陽性。そして2日おいてから、産婦人科でちゃんと診てもら
前回の記事まででシングルマザー時代の流れをおおまかに書いてきた。この後は今の夫との再婚に向けて本当に恥ずかしいくらい浮かれていたお花畑の時代に突入するのだが・・・その前に、亡くなった前夫と結婚時代のエピソードをいくつか書き記したいと思う。時系列がまたもや行ったり来たりですがご容赦を。*********私たち夫婦はなかなか子どもが授からなかった。いや、正確には私はなかなか子どもができないカラダだった。実は私、結婚→離婚→再婚→死別→
私はシングルマザーであり未亡人だった。前夫との別れを経ても一つの結婚が終わってしまったわけではない。亡くなった夫の実家とはずっと縁が続いていた。いつまでもお嫁さんであり義両親のかわいい孫の母親である。義父も義母も義兄妹たち、姪や甥もみんないい人だった。夫が亡くなってからもできるだけ義理の実家には息子を連れて帰るようにしていた。みんな息子をかわいがってくれて本当によくしてくれた。でも、ふとしたときに気分が落ちることがあった。そう
心療内科&心理カウンセリングの組み合わせによる通院と漢方薬の服用を続けたのが効いたのだろう。過去記事↓女医さん&心理カウンセリングの効果私はだんだんと昔の自分に戻ってもいいような気になってきた。母への怒りも少し和らぎ、何かお願いするときもケンカ腰ではなくなり、母の暴言も流せるようになってきた。息子も病気だらけの保育園生活から脱し、あまり病気をもらってこなくなった。夫を亡くした悲しみも少しずつ受け入れて闘病中の自分の至らなかったことに
自分にあう心療内科ってどんなところなんだろう?それこそ色々ネット検索をして、アメブロで経験者の方のブログを読んだりもした。そして、少し遠いところだったけど女医さん+女性の臨床心理士さんがいるクリニックを見つけた。早速予約。一軒家をクリニックにしていて待合室も診察室もとってもアットホームでほっとする感じだった。まず心療内科の先生が診てくれた。同い年くらいの包容力のありそうな女医さんだった。お子さんもいらっしゃり安心して話すことができた
亡夫の三周忌が終わったころ、職場の産業保健師さんに育児相談をする機会に恵まれた。その頃の育児の悩みが何だったのか、もう忘れてしまったのだが、何か息子の成長について相談したくて育児相談を予約した。そして相談の予約日。私はお昼休みに保健師さんの待つ会議室を訪れた。部屋に入るととても優しい顔をした保健師さんがにっこりと微笑み、「どうぞ、すわってください」と声をかけてくださった。私は所属と名前を述べ座ろうとしたが、その瞬間、せきをきったように
怒りという感情は悲しみからきてる。私は夫を亡くしてから本当に怒りっぽくなっていた。仕事ではなるべくそんな素振りを見せないようにしていたが、家では、いつもイライラして母とのケンカでもきつく当たっていたのかもしれない。どこにもぶつけようがない怒りをお風呂の中で自分のカラダをたたきまくることで抑え込んでいたら、カラダの不調がいっぱい出てきた。まず胃痛。私はそれまで胃がどこにあるかわからないくらい胃痛とは無縁だった。それが、胃がキュー、キューと痛む
シングルマザー2年目の生活に入った。母との確執は続いたまま毎日、会社と保育園と自宅の周りだけでバタバタと生活する日々が続いた。息子は相変わらず保育園で色々な病気をもらってきて何度病院に連れていったかわからない。楽しい育児というには程遠かった。母は私に贅沢することを戒めた。服を買うことや、美容院に行くことを「もったいない、もったいない」と嫌味ばかり言っていた。仕事は何とか平静を保っていたが、心はだんだんボロボロになり、見た目もどんどん老けていった。
子連れ再婚前、息子を取り合い、実母とのいさかいが絶えなかったことを書いてきた。生きるか死ぬかのようなケンカをし、母娘でなかった空白の10数年を責めるごとくお互いに傷つけあい私は心を壊していった。それは、今の夫と再婚するまで続くのだが実は、今の夫と早く再婚するように勧めたのは母だ。私とのケンカ、確執に母も疲れたのだろう。何百キロも離れている自宅との往復も正直、体力的にきつかった思う。私が現夫と付き合い始めたころ、それを察知してすぐに再婚をするように言
「ふじこは私を憎んでるよね!」母はそう叫んで泣いていた。私が小学生のときに離婚して家を出て行った母。物心ついた頃から両親はケンカが絶えず母が家を出るのは時間の問題だった。離婚したこと自体は受け入れていたけど、母が出て行き、父子家庭となってからは、私は、父の女性問題や病気に長く苦しめられ、とても辛い10代を過ごした。母に会いたかったけど父も祖母(母にとっては姑)もそれを許さなかった。母には憎しみというより側にいてくれなかった寂しさがあったと思う。
私と母の間には見えない壁があった。私が小学生の頃に離婚して出て行った母のことを「お母さん」と呼ぶことすらできてなかった。そんな母が息子を我が子のように溺愛し、地元に連れ帰ろうなどということを本気で考えている。まるで、私の夫が亡くなったことを喜んでいるかのような言動に私は怒りが込み上げてきた。母が手伝いにきてくれると毎日、口ゲンカをするようになった。その口ゲンカが次第に激しくなった頃、息子が風邪をこじらせ熱性けいれんをおこしてしまう。子どもが