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さて、静原城南(尾根)城北城にある説明版には『二の丸』と書かれていましたが、これは適切ではないでしょう。俗に、明智氏が、北城を攻撃した際の陣城であるとか、北城を陥としたあとにこの静原の街道を抑えるための城だといわれています。当然比高は北の城程はありませんがそれでも最下部のⅦ郭まで90mの急斜面となります。北城から降りてきた尾根が、しばらく平坦になったあと尾根を分断する大きな堀切h1が顕れます。その南、大土塁d1とh1が尾根続きを遮断しています。
今日は洛東、瓜生山にある北白川勝軍山城に行ってきました。平日とはいえ休みの谷間、この時期のことなので京都は流石に渋滞していました。思ったよりも遺構が明瞭でなく、苦労しそうなので縄張図は摂りませんでした。瓜生山の遺構は古いもののように感じました。その北東に連なる尾根が新しいのかな。更に奥は比叡山へと連なっています。そしてその南の谷沿いを東へ行くと山中越え、近江国宇佐山城です。
1月最後の休日、念願の京都市静市の静原城に行ってきました。予報では雨が騰がるといっていましたが、昼近くまで降っていました。上がることを信じて現地へ流石は京都市の北郊、山の上の城は残雪で白いです。そしてこの山城の尾根続き、はるか南東下には別の城があるのです行ってみてびっくり、桝形虎口と思わしきものが相当数あり、石垣もあり、ただの中世城郭ではないことは明らかです。開始が遅かったせいもあり、途中で日没サスペンデットとなりました。本来ここから南(右)に多くの興味深い曲輪群が・・・ま