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だいたい、今日は出歩くなってことのようでした。電車のダイヤは乱れていた。バスは反対まわり乗った。人が多すぎる。何より相国寺の冬の法堂公開終わって、春の公開は未だ。道を間違えて遠回り。(;;)大光明寺はお参りしてきました。非公開だからお庭だけ。小さいですが、とても手入れの行き届いた、美しいお庭でした。あー、もー、帰ろ
あいにくの雨ですが、予定していたのでお参りに出かけました。電車で六地蔵、醍醐、小野、御陵と地下鉄を利用してまわる予定でしたが、雨だということと、法界寺は駅近くではないので、全て車でまわりました。駐車場があることに助けられましたよ。大善寺京都十三佛まいりキレイな梅が咲いていました。六地蔵の名前の由来のお寺です。法界寺西国薬師まいり一番雨が降っていた中、本堂を開けていただきました。説明もしていただきありがとうございました。本堂が素晴らしい!晴れた日にまたこよう。行く行
泉涌寺山門をくぐりました次の戒光寺に来ました泉山京都七福神第二番弁財天と京都十三仏第三番文殊菩薩戒光寺看板を確認しましたでは移動します
本堂宝物殿両方の拝観終わりましたあの後新しい巡礼碑等はなくここでの確認は終了しましたただ本堂に刀傷がありました昔拝観の時かは忘れましたが本堂にはいったけど覚えてないですねいいかげんですね
横の入り口から入った所にぼけ封じ近畿十楽観音巡礼の案内看板がありますそして、ぼけ封じ三十三霊場とぼけ封じ近畿十楽の看板もありましたしかし、ふたつのぼけ封じ霊場が同じ番号と言うのが気になりますね帰ってから検索したいと思いますそして、朱印所新西国霊場京都十三佛ぼけ封じ十楽観音あと、数珠玉授与所の看板がありましたでは、次は拝観です本堂と宝物殿に入ります
さて今回巡礼碑額看板等が同時に挙げられているので分離は困難と判断ごちゃ混ぜで行きます入口の柱に看板を確認書かれているのは新西国三十三霊場第十一番札所京都十三佛霊場第八番札所ぼけ封じ観音霊場第二番札所十楽観音霊場第二番札所ぼけ封じ観音霊場十楽観音霊場はわりと近年の為そんなに古くはないものと思われますでは中に入ります
圓通山戒光寺①真言宗泉涌寺派の総本山泉涌寺の塔頭・別格本山の圓通山戒光寺の御朱印のまとめです。戒光寺ホームページ戒光寺Facebook戒光寺X(旧Twitter)戒光寺Instagram戒光寺①平成26年6月8日拝受『丈六殿』戒光寺②平成26年7月29日拝受『辧財天』(泉山七福神第二番)戒光寺③平成26年8月19日拝受『文殊菩薩』(京都十三佛霊場第三番)戒光寺④平成29年1月10日拝受『不動明王』(平成27年新春御朱印)戒光寺⑤平成30年1月3日拝受『丈
相国寺(しょうこくじ)の境内を歩いている時に、壁越しにはなりますが大光明寺(だいこうみょうじ)で満開の蝋梅を見つけました。大光明寺は一見すると境内に入ることが出来なさそうなのですが、「京都十三佛霊場・第4番札所」にあたっていますので、山門横扉から入ることが出来ます。ただ、蝋梅がある位置は立入禁止エリアでしたので、壁越しに愛でるしか無さそうですね。<大光明寺の基本情報>拝観時間:07:00-16:00拝観料:境内無料宗派:臨済宗相国寺派(相国寺塔頭)御本尊:普賢菩薩
萬福寺から出たあと、JR奈良線に乗って六地蔵で下車し、東西線の六地蔵駅から小野へ。駅から徒歩で10分ほどで随心院に到着します。真言宗善通寺派大本山です。京都十三仏霊場の第11番「阿閦如来」
教王護国寺(東寺)令和4年11月21日参拝京都十三仏霊場第12番札所「大日如来」
天得院から徒歩で泉涌寺へ。非公開文化財特別公開をやってました。庭園の写真のみです。御朱印は以下の3体いただきました。今回の旅のもう一つの目的の京都十三仏霊場巡り第6番弥勒菩薩の札所です。
京都十三佛霊場は京都市内の十三箇寺の霊場巡礼。初七日から三十三回忌までの十三の忌日にあたり死者を成仏へと導いてくれる仏を巡る霊場巡りになります。該当の札所は下記の通りです。第一番(初七日)・智積院:不動明王『[京都十三佛霊場]第1番・五百佛山智積院(不動明王)』京都十三佛霊場の第1番にあたる五百佛山智積院。現在は真言宗智山派の本山ですが、数奇な運命のお寺。智積院は紀州根来山に初めて建立されました。ただ、秀吉の根来寺の…ameblo.jp第二番(二七日)・清凉寺:釈迦如来『[京都十
像高542.4センチメートルもある御本尊・木造釈迦如来立像(丈六釈迦如来)が「身代わり丈六さん」の名で信仰されている戒光寺。鎌倉時代の1228年(安貞2年)に浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に戒光寺を創建。運慶・湛慶父子の合作である丈六の釈迦如来立像を本尊として迎え、後堀河天皇の勅願所となりました。応仁の乱によって堂宇を焼失。焼け残った釈迦如来像を一条戻橋の東に移し、更に三条川東に移動させた後、1645年(正保2年)に後水尾天皇のお身代わりになられたことから皇室の菩提所である泉涌寺の塔頭となり
京都十三佛霊場の第2番にあたる五台山清凉寺。源氏物語の主人公ともいわれる源融(みなもとのとおる)と関連深いお寺です。嵯峨釈迦堂ともいわれる五台山清凉寺。宗派は初め華厳宗として開山し、その後天台宗、真言宗を兼ね、室町時代より融通念仏宗の道場として発展した。また、幕末まで愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺であった歴史をもちます御本尊の木造釈迦如来立像(国宝)は「三国伝来の釈迦像」「生身の釈迦」と言われます。釈迦如来は未年・申年の守り本尊になりますね。◇五台山清凉寺(釈迦如来)の御真言
京都十三佛霊場の第3番にあたる円通山戒光寺。泉涌寺の塔頭の一つになります。「お身代わり丈六さん」として名高い戒光寺。鎌倉時代の安貞2年(1228年)、南宋から帰朝した浄業曇照が大宮八条の東堀川の西に戒光寺を創建しました。運慶・湛慶父子の合作である丈六の釈迦如来立像を本尊として迎え、後堀河天皇の勅願所となった。応仁の乱によって堂宇を焼失するが、かろうじて焼け残った釈迦如来像を一条戻橋の東に移し、更に三条川東に移動させた後、正保2年(1645年)に後水尾天皇の発願により現在地に移転し、泉涌寺の塔
京都十三佛霊場の第4番にあたる梵王山大光明寺。相国寺の塔頭の一つで、常時山門が閉まっているように見えますが横の扉は開いており、そこから山内に入り御朱印を授かることが出来ます。1339年(暦応二年)に後伏見天皇女御の西園寺寧子が夫の菩提を弔うために伏見離宮の傍らに創建したのがはじまり。慶長十九年に徳川家康が相国寺内に移転再興させた寺院になります。山門すぐのお庭は普賢菩薩の霊場に因み「峨眉山の庭」といい、中門奥の本堂前の枯山水は「心字の庭」と呼ばれています。大日如来は、四七日(28
京都十三佛霊場の第5番にあたる法雲山大善寺。「地蔵菩薩」は京都の夏の行事・六地蔵巡りの一つです。このあたりの地名の由来ともなっている「六地蔵さん」。852年(仁寿二年)に小野篁が一本の桜の木から六体の地蔵尊を刻んで法雲山大善寺に奉納したのがはじまり。後白河法皇が平清盛に銘じて6つの都街道の入り口に一体づつ地蔵尊を安置したものが、現在では地蔵盆に「六地蔵」を巡る信仰となっています。地蔵菩薩は、五七日(35日)の守り佛になります。◇法雲山大善寺(地蔵菩薩)の御真言◇おん
京都十三佛霊場の第7番にあたる福聚山平等寺、「因幡堂」「因幡薬師」の名で親しまれていますね。平等寺は、平安遷都のきっかけとなったともされる南都(平城京)における寺院勢力の強勢振りを嫌ったために、平安京内には官寺である東寺・西寺以外に寺院を建立することは禁止されていたにもかかわらず、町衆の信仰を集めた町堂の代表格になります。薬師如来は大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称されます。そして七七日(四十九日:満中陰)の守り仏になります。福聚山平等寺は近年になってがん封じ祈願で有名ですね。◇福聚
京都十三佛霊場の第9番にあたる大内山仁和寺。真言宗御室派の総本山で、皇室と密接な関係を持つ門跡寺院として格式を誇っています。仁和寺というと京都の桜で一番最後に満開になるたとえの「御室桜(おむろざくら)」が有名ですね。別称・旧御室御所とも言われる仁和寺は、きぬかけの道にあり、886年(仁和2年)に光孝天皇によって仏法の興隆を図るため西山御願寺と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。そして、888年(仁和4年)に宇多天皇が開いたお寺になります。応仁の乱から約100年後の寛永11年(16
小野小町ゆかりの寺としても知られる・随心院。境内には約230本の梅の木があり、多い薄紅梅の色である薄紅梅色を「はねずいろ」ということから「はねずの梅」とも呼ばれています。随心院には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残ります。☆随心院の歴史変遷☆◎仁海が創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であった。◎6世顕厳の時には順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となった。◎1229年(寛喜元年)に後堀河天皇の宣旨により門跡寺院となった。◎応仁文明の乱によりほ
京都十三佛霊場の第10番にあたる五位山法金剛院、蓮の花が有名ですね。平安時代に清原夏野が始めた双丘寺派発祥で、後に鳥羽上皇の中宮・待賢門院がこの世の極楽浄土を求めて都の製法に建立したのが法金剛院になります。京都十三佛霊場の第10番・阿弥陀如来は「三回忌」の守り本尊。十三佛信仰の元となったのは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王。十王は恵心僧都源信の『往生要集』に記載されており、源氏物語が書かれた頃に起きた末法思想・西方浄土思想で末法濁世の衆生は阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとい
京都十三佛霊場の第11番にあたる牛皮山随心院、「阿閦如来(あしゅくにょらい)」と言う仏様はあまりなじみありませんかね?。阿閦如来は密教における金剛界五仏(五智如来)の一尊で、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置します。牛皮山随心院ですが京都十三佛霊場では一番東に位置しています。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん、「降魔印:ごうまいん」とも)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという
京都十三佛霊場の第12番にあたる八幡山教王護国寺、「東寺」と言う方がおなじみですかね?。桓武天皇の時代に平安遷都と共に王城守護の目的で建てられたもので、西寺・羅城門と共に平安京の入り口で重要な役割をしていました。そして真言密教の根本道場としての役割も大きなお寺です。東寺の御本尊は薬師如来ですが、講堂には密教の曼荼羅が飾られている関係でしょうか、大日如来の方が選ばれています。あと、大日如来は未年・申年の守り本尊になりますね。◇八幡山教王護国寺(大日如来)の御真言◇おんあびらうんけん
京都十三佛霊場の第13番(結願)にあたる智福山法輪寺。名勝嵐山の中腹に位置していて、本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれています。京都では「十三まいりのお寺」として有名ですね。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、明星天子、大明星天王とも呼ばれます。また、知恵の菩薩として、人々に知恵を授けるともいわれています。また、丑年・寅年の守り本尊になり、本堂向かって右側には『阿型の狛虎』があります。◇智福山法輪寺(虚空蔵菩薩)の御真言◇のうぼうあきやしやきやら
新潟県、コロナの新規感染者、またまた最多更新…。さて。本日も東寺で頂いた御朱印をご紹介致します。講堂は東寺の中心、つまり密教の中心的建物…とHPに記載されています。講堂の御本尊の大日如来さまの御朱印を拝受しました。京都十三仏霊場第12番の札所です。講堂はとても大きな建物です。密教を伝え広めるために建立された講堂。その教えを、視覚的に表した羯磨曼荼羅、いわゆる立体曼荼羅は、弘法大師空海の手によるものです。曼荼羅を抜け出した、如来、菩薩、明王、そして天部の二十一尊の仏
五百佛山智積院⑦真言宗智山派総本山令和3年3月16日参拝御朱印『つみとがをやきほろぼさんちかいにてほのおのなかにたちせまるみを』御詠歌・京都十三佛霊場第一番智積院不動堂智積院①『不動明王』智積院②『智恵不動』智積院③『大日如来』智積院④『ちえをつみとくをみがくのてらなれば(御詠歌)』智積院⑤『大日如来・弘法大師・興教大師・不動明王・阿弥陀如来』(青葉まつり御朱印)智積院⑥『興教大師』(令和2年夜間特別拝観)智積院⑧『阿弥陀如来』(早朝特別拝観限定御朱印)御朱印
京都十三佛はこれで7つ目。割と大きい寺院が多いので、コロナ禍でも訪問できそうなんだけど…🤔読経に誘われて、金堂へ再びやって来ました。この時ちょうど1時でして、コロナウイルス終息祈願が行われてました。堂内に上がって、一緒にお祈りさせてもらいました。真ん中の阿弥陀如来の隣に居てはったんのが、札所本尊の勢至菩薩だったんでしょう。ほな、霊宝館へ向かいます。中門に向かって歩いてます。途中の有名な御室桜。御室有明と呼ばれる品種で、遅咲きの桜なんだそうです。ものすごく背の低い桜なんですけど
京都十三佛の御朱印は久しぶり。拝観入口まで戻ってきました。ほな行こか。入りますと、正面に庫裏。門跡寺院だけあって、立派な庫裏ですな。庫裏の前には歌碑。庫裏で十八本山と十三佛の御朱印をお願いしまして、書いていただいてる間に拝観します。拝観の際に貰った縁起を見ると、建物はかなり大きいんですが…、各所に拝観順路の矢印がありまして、迷うことなく巡ることができます。大玄関にはお雛様。そういえば、娘にお雛様買ったけど全然出してないな。出すのもめんどくさいし、直すのもめんどくさい🤣大玄
旧御室御所仁和寺まとめ真言宗御室派総本山、旧御室御所仁和寺のまとめです。仁和寺ホームページ仁和寺Twitter仁和寺Instagram仁和寺①平成26年6月28日拝受『水掛不動尊』(通常授与・近畿三十六不動尊霊場)仁和寺②平成26年8月13日拝受『勢至菩薩』(通常授与・京都十三佛霊場)仁和寺③平成26年11月8日拝受『薬師如来』(毎月8日・薬師如来縁日限定)仁和寺④平成26年12月12日拝受『御室弘法大師』(通常授与・京都三弘法霊場)仁和寺⑤平成27年8月1