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平成から令和に変わるのに前後して、コルゲートを持つステンレス車は減少している。東急電鉄からは、7000系を改造した7700系はおろか8500系まで全て姿を消し…古い車両を永く維持する東武鉄道でも、10000系や9000系9101Fも姿を消している。京王電鉄でも、7000系は少しずつ減り始めている。もともと各停用を置き換えた経緯から、初代5000系や6000系に比べ地味に捉えられがちだが…今は京王ライナー以外で満遍なく走り、支線でも主力を堅持している。界磁チョッパの唸りはもう聴けないが
2024年のゴールデンウィークが始まった。今年の自分は仕事はカレンダー通りだが、祝日は特に後半が軒並み関連するイベントが連続。久しぶりに調整が困難になっているほどの過密ぶりになってきている。そんな中で、仕事の進捗によりしばらく止まっていた記録の再開だったり、それと関連づけての乗り鉄計画の策定だったり、いろいろアイデアも浮かび始めてはいるのだが。こうして、このブログを書いている時にもあっ、こんなアイデアあるなぁ。20年ぶりにいいかも!とか思いついちゃって止まらなかったりするんだがw
今は一泊二日の小学校修学旅行も昭和41年当時は二泊三日だった東京、神奈川方面への旅行東京に着くまでは当時の国鉄在来線を使っていたシステムはよくわからないが貸し切りだったの?他の乗客皆無現地で貸し切りバスに乗り換える確か京王帝都っていう名前だった若いバスガイドさんにはしゃぐ数人の男子、やはり若い男性添乗員さんにときめく数人の女子私自身はときめいていたか覚えていないのだけれど李さんという姓だったことだけはしっかり覚えているあの方もご存命なら若くてもゆうに80歳は超えておられるん
みなさま、こんにちわさくらゆかりです。まずは…ダイヤ改正の3月。新ダイヤ&新路線図の掲載された時刻表、買いましたよー普段はJR時刻表の私なのですが、今月号は下図の付録(特急系統図&繁忙期閑散期カレンダー)が欲しくて、JTB時刻表を買いましたさて、時刻表ネタの後は、いよいよ、東京の鉄道博物館シリーズ。今回の京王電鉄でいよいよ最後になります「京王レールランド」場所は、多摩動物公園駅にあります10年前からあるのだけれど、つい最近リニューアルをし
デハ6438号車@京王れーるランドスカートの無い前面床下周り模型的に必要な資料として、しっかりと回収しておくことにそういう意味でもありがたいですね。
デハ6438号車@京王れーるランドプレーンな姿が一番素敵に感じて飾るものが少ない方とより魅力的ですね。
デハ6438号車@京王れーるランドより懐かしい姿に令和の時代にこの姿を拝めるとは…夢にも思わず
クハ5723号車@京王れーるランド5000系もさよなら運転時の姿にさよなら運転時の姿を6000系と見比べれるというのは、本来あり得ない博物館ならではの体験ですね。
デハ6438号車@京王れーるランド嬉しいサプライズあの時の職員様、本当にありがとうございました。やはり光ると格好良いですね(笑)
デハ6438号車@京王れーるランド「色合いの電車だよね」と言った母親バニラアイスに掛けられたキャラメルソース…なるほどという感じであります(笑)
左からデハ6438号車、クハ3719号車@京王れーるランド京王帝都電鉄の電車たちこの世代で尚且つ通勤電車が、常時見れる展示施設に保存されているのは大変嬉しく思います。
デハ6438号車@京王れーるランド入れられた車番大阪市営地下鉄30系に影響を受けたのだろうとは思いますが、秀逸なデザインで大変好きです。
クハ5723号車@京王れーるランドデハ6438号車臙脂帯の太さという相違点デザインに合わせてなのか、6000系の方が太いのですね…。
クハ3719号車@京王れーるランドこうやって見ると意外と若いんだな…と思ったりこういった世代の電車が続々と博物館入りする時代なんですね。
デハ6438号車@京王れーるランド妻面にも復元された帯細かい部分も抜かりなく再現されているのは、流石といえる部分であります。
デハ6438号車@京王れーるランド新塗装の跡も全く見えず臙脂帯の格好良い姿が、令和の時代に蘇りました。
デハ6438号車@京王れーるランドやはりこの電車はアイボリーに臙脂帯…ということを痛感登場時のリバイバルでなく、大多数派だった姿に戻されたのはなんと約20年ぶりとのことで感動であります。
血圧良好です。って言うか、毎朝クスリ💊を飲み続ける事に負うところ大です。取り敢えず、仙川を遡上します。世田谷一家殺人事件の現場給田(きゅうでん)の辺りまで来ました。昔、カローラ時代に世田谷区岡本の坂下ボロアパートに3年、給田の新築都民住宅の抽選に当たって7年住んでいました。なのでこの界隈は懐かしいです。でも、この観音様は初めて来ました。ボチボチ反転して帰途に就きましょう。この道………向こう側(成城側)からの一方通行ですが、京王
昭和42(1967)年9月。紅葉の高尾さんへもっとも速く、もっとも便利な最短ルート誕生‼10月1日に開通する京王高尾線(京王帝都電鉄=現・京王電鉄)の新聞広告。秋といえば高尾山への遠足やハイキングが定番だったものだが、秋到来に向けて高尾線の開通と新宿駅から45分、渋谷駅からも50分というのを宣伝している。たしかに高尾山口駅を降りたら、ほぼ直結という形でケーブルカーやリフトに乗れてしまうのは便利だ。登山というほど歩かなくても、山上駅やかすみ台展望台まで到達できてしまうの
このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第50回目は、京王線や京王相模原線などで活躍していた、京王電鉄6000系電車です。京王初の20m車かつ4扉車でした。5扉車も存在していました。1972年~1991年の長期間に渡り製造されましたが、当時は唯一の地下鉄直通対応車だったことから、7000系導入後も増備が行われました。1990年代に増備されたのは5扉車です。全編成が一堂に会した期間は約5年と短く、1998年から徐々
現在は、日本全国に存在する、「~大学前駅」考えてみれば、ここが「先陣」と言っていいんじゃないだろうか、、、ただまぁ、、開業時(1913年大正2年)は、なんと、「火薬庫前駅」だったそうですよ、、、(*'▽')明治大学の千代田区、神田駿河台のキャンパスが、大正関東大震災で、「全焼」してしまい、、、元々あった、「陸軍」の「和田掘和泉火薬庫跡」が、東京の都市発展に伴って、地方移転した敷地を、明治大学和泉キャンパスとして、作られたのが、始まりだそうだ。現在は、日本全国至る所にある「~大学
このコーナーでは今まで乗車・撮影した列車・車両・塗色の中で、今では見られないモノを紹介いたします。第49回目は、京王井の頭線で活躍していた、京王電鉄3000系電車です。3扉車で、京王初のステンレス車両でした。初期車の製造当初は前面がFRPだったため、「ステンプラカー」の愛称が付いていました。1962年に井の頭線に導入され、最終的に1991年まで増備されました。その途中で車体幅拡幅、前面形状変更、抵抗制御→界磁チョッパ制御への変更など、最初の第1編成と最後の第29編成では、同系
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は、銚子電鉄で整備が終了したばかりの、元京王帝都電鉄2010形の写真をご紹介します。銚子電鉄デハ2000形は、京王帝都電鉄2010形〜伊予鉄道800形〜銚子電鉄デハ2000形と再々登場した古い
1105編成@仏生山~空港通り走り抜ける電車京王5000系の譲渡車は地方譲渡先で急行灯点灯でケースが多く、少々謎であります。
1105編成@仏生山~空港通り仏生山駅の近くの撮影地へ迫りくる日没、今にして思えばもっと琴平寄りの撮影地を選ぶべきでした…。
撮影•••2020年8月犬吠駅前事業者•••銚子電気鉄道形式•••2000形編成名•••2002編成メーカー•••日立製作所(デハ2002)、日本車輌(サハ2502)編成車両数•••2両(1M1T)所属•••仲ノ町車庫製造年•••1962年軌間•••1,067mm電気方式•••直流600V最高運転速度•••65km/h台車•••東急車輛製造/TS-307A、TS-321A駆動方式•••WNドライブ制御方式•••抵抗制御集電装置•••菱形パンタグラフ保安装置•••
祝京王線開業110周年京王線開業110周年記念乗車券東京と八王子を結ぶ京王線が2023年4月15日で開業110周年をむかえました。電車・バス開業110周年を記念して三面台紙にD型硬券4枚をセットした記念の乗車券セットが京王電鉄より発売されました。記念乗車券セットの表紙は富士山と5000系(1967年)3面開きになっている記念台紙中面(3面)2023年4月15日で京王線は開業110周年を迎えました下の左側写真は当時の新宿駅。とても貴重な写真だと思います。現在の新宿駅からは
1105編成@仏生山何とか悪あがき不自然なアングルではありますが、リアルな車番のおかげでそれらしく見えますね。
1105編成@仏生山種別と行先の組み合わせ当初は優等電車用として新造された5000系だと特に似合いますね。
1105編成@仏生山真っ先に出迎えてくれた1100形車体中央に臙脂帯を追加、京王帝都時代の車番なども復刻されて出来る範囲でのリバイバルの姿に