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京都市中京区にある真言宗のお寺、神泉苑の今年の節分祭は2月3日(月)に開催されます。今年の節分は2月2日ですが2月3日の開催ですので、お詣りを予定されている方はお気をつけ下さい。
1月も中旬で今更ですが明けましておめでとうございます。元旦から地震でお正月どころではないですが…。私は大阪なので少し揺れただけだったけど、石川の方が大変な被害に遭われているのをTVで見ると恐ろしくていたたまれないです。阪神淡路を思い出しました…。とにかくこれ以上悪い事が重ならない様、祈るばかりです。地震前の12月に南座恒例の吉例顔見世興行に行きました。今回は十三代目市川團十郎白猿襲名披露も兼ねてました!私は推しの仁左衛門さんを観たいのと、助六は観とかないとなーと、思って夜の部へ。
毎年恒例、吉例顔見世興行にはるちゃんと行きました終わりに『のぐち継』へお腹いっぱいでしたぁ昨日配信のYouTube『モモコ新聞』は、リアル家族トークです今回は、京都の侘家洛中亭さんに行った時の様子です。美味しかったよ〜是非、ご覧くださいね
今年は購入していたチケット類がほぼ中止で払い戻す羽目になってしまい、その中には歌舞伎も含まれていたんだけど、やっと京都南座で歌舞伎公演が再開!!京都の年中行事、吉例顔見世興行通常より期間は短いのでチケット抽選も心配だったけど初日第一部のチケットを取ることが出来ました〜第二部は1番人気の様で取れなかった…。やっぱり、南座のまねき看板いいな〜南座は建物自体がすごく良い!第一部の演目は、操り三番叟三番叟中村鷹之資後見澤村國矢傾城反魂香(けいせいはんごんこう)浮世
先日、京都南座で京の年中行事當る子歳吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎昼の部を観てきました。曇り空の日で暗いですね。でも昼の部終わってでてきたらもうライトアップされてました南座新開場して一年、まねき今までこんなにきらきらゴールドに輝いていましたっけ師走の街は賑わいすごく華やかでした中村隼人さんのまねきを見つけ感動今回はじめての顔見世ご出演で観劇を楽しみに楽しみにしておりました。昼の部は一、輝虎配膳信州川中島の合戦で長尾輝虎が敵のピカ一の軍平山本勘助を招
南座、行って参りました。昼夜通しで観劇しました。四条大橋から見た図周辺の道を飾る雪洞じゃーん!正面!!誰もいないっ。そりゃそうだ、この写真撮ったのは9:00前だもん。関西方面に行くときは用事が何時であれ、いつも同じ時間の新幹線に乗ります。観劇の時は到着が早すぎちゃいます。もちろん、このままここで開場を待ったわけでは無く、八坂神社にお参りに行きました。開場時間に南座前に戻ってからのまねき、ドーン!!!!!昼の部の開場10:00、夜の部の
南座発祥四百年南座新開場記念京の年中行事當る亥歳吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎観てきました。東西合同大歌舞伎というだけあって、配役が豪華。また仁左衛門さんに会えて嬉しかったです!「菅原伝授手習鑑寺子屋」と「恋飛脚大和往来新口村」は文楽で何度か観ています。お馴染みの演目。「鳥辺山心中」と「ぢいさんばあさん」は初めて。昼の部はお芝居のみで舞踊はなくて、派手な演出もなく少し物足りないと思いました。反面、名作をじっくり見せてもらえた満足感もありました。
南座、12月の顔見世演目と配役が発表されましたね。11月より12月の方が好みの演目だったので、新しい南座は12月に見に行くことになりそうです。改装後の新開場なのに、値上げしないのはエライ!って、そもそも一等席25,000円(泣)夜の部の終演が22:00近いと聞きます。つまりお泊り必至。・・・ま、行くからには徹底的に楽しむぞ!!ハローキティはママが作ったアップルパイが好きなんだってあ
昨晩はロームシアター京都へ。八代目中村芝かん襲名披露、夜の部観てきました。芝かんさん、3人の息子さんたち、立派でした!ロビーでは、三田寛子さんが、大変お綺麗でしたよ(^-^)勘九郎さん!七之助さん!壱太郎さん!立ち姿にオーラ有りすぎ、お見事!!でした(^-^)/幕間にお土産を。↓幕間のおやつ↓京都では有名すぎる豆餅。ロビー狭しとならぶ、お花↓素敵な舞台を観て、テンションあげて12月、乗り切らなくっちゃ(^-^)
「吉例顔見世興行」まねき書きが行われました。先斗町歌舞練場で今回は行われる「吉例顔見世興行」観に行きたいけど、事情により行かれそうにありません。行きたいな~11月7日(月)、京都妙傳寺で「京の年中行事當る酉歳吉例顔見世興行」のまねき書きが行われました。中村芝雀改め五代目中村雀右衛門襲名披露となる今回の顔見世。「雀右衛門のまねきは、四世雀右衛門の南座最後の出演となった平成17(2005)年以来、11年ぶりとなる。祝福を込めて墨に清めの酒を混ぜます。文字に照りも出ます。先斗町
聖護院は正式には、本山修験宗総本山「聖護院門跡」(しょうごいんもんぜき)といい修験道のお寺で、山伏のお寺です。京都では昔から「聖護院御殿」と通称で呼ばれていました、というのは明治以前は鴨川まで広大な聖護院の森が広がり、森御殿と呼ばれていたことから由来します。開基は僧、増誉で寛治4年(1090年)に創建されました。ご本尊は不動明王です。「山門」です。早速に赤鬼さんがお出迎えです。「山門」をくぐると、「御殿入口」です。「中門」を入っていきます、
「須賀神社」は平安時代末の康治元年(1142年)美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命、が主神です。もとの社寺は、今の平安神宮の境内に創建されました。その後、幾多の変遷を経て、明治の廃仏毀釈の時に須賀神社となり、大正13年(1924年)現在の地に移りました、その後、昭和に交通神社を分祀しました。須賀神社の節分祭といえば、「懸想文売り」が登場するのが珍しく、多くの参詣者で境内が賑わいます。正面「鳥居」です。鳥居をくぐると話題の「
「タヌキダニのお不動さん」として親しまれている、「狸谷山不動院」ご本尊は咤恕鬼(タヌキ)不動明王で、朋厚法師が享保3年の31歳のときに開山され、狸谷山修験道の礎を築かれ、その後、昭和19年(1944年)亮栄和尚が「寺験興隆」を目指し、「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として寺法を制定されました。毎月3、16、28日は「お不動さんの日」として交通安全、厄除祈願として多くのお参りの人々が訪れます、特に新春1月28日は「初不動」として賑わいます。初不動のお参りを朝早く出掛けてまいりました。
京都「ゑびす神社」は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され「えべっさん」の名で親しまれています。その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に、禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。御祭神は八大言代主大神、大国主大神、少彦名神です。(ゑびす神社由緒より)また、七福神の内の一人、恵比寿が祀られ、商売繁盛の笹が有名ですが、笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直ぐに伸び、弾力があり折れず、常に青々と繁る」といった特徴から家運
続いて、夜8時より行われた、京都三大火祭りの一つ、伝統行事のお松明式に参加せていただきました。お松明式は高さ約7mの松明に点火して、火勢により本年の稲の作柄の豊凶を占い、またその降りかかる火の粉により、無病息災、家内安全を願う宗教行事です。夜の帳がおりた仁王門です。多くの参詣者が門を潜っていかれます。準備されたお松明です。手前から早稲(わせ)中稲(なかで)晩稲(おくで)と三本、準備されています。宵闇も迫り人々が集い始めました。本堂前の高張り
私達の一番身近に親しまれている稲荷神社は、全国に30.000社あるといわれています、その総本宮が伏見稲荷大社です。商売繁盛、五穀豊穰の神様として、1300年にわたって庶民の信仰を集め、「お稲荷さん」と広く親しまれています。その稲荷大社のお火焚祭が毎年11月8日に執り行われています。秋晴れの当日、参拝してまいりました。「火焚祭」は一年間の五穀豊穰を感謝して行われる祭事です、子供の頃は神社だけでなく、民間でも広く行われておりました。わが家でも、神棚の前で、鉄床に護摩木を井