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うちの母は、結構躾が厳しかった。それが嫌で、私は何かと反抗したり、文句言ったり。母が病気になっても、悪態ついた事もあった。でも今日、職場のスタッフ達と会話して思い出した。お風呂から上がったら、バスタオルで体をちゃんと拭いて、拭かないと床がびしょびしょになるから。と、注意されていた。当時は、うるさいな!と思いながら体を拭いていたが。今となれば、その注意されたおかげで、床が汚れない。スタッフさんから聞いたが、お風呂上がりを拭かないで濡れたまま、家の中を移動する人もいるいう。そうなる
今は亡き母昨年の母の日には入院はしていたものまさか…あれから一年…一緒に暮らすようになってからはカーネーションの花束をあげることは無くなったが昔は母の日と言えば必ずと言って良い程カーネーションの花とプレゼントを渡していたものだ今年のカーネーションの色は白なんとも寂しく悲しい色であるいつの日か亡くなったお母さんへの母の日の花は白いカーネーションと…おぼろげな印象で覚えていた…主人の母と私の母用に買いに行った色とりどりの花の中に白いカーネーションを見つけた時に
母が亡くなって7年が過ぎました毎日毎日辛かったのが数年経って数ヶ月に1回月命日に母を思うようになりましたそれも、辛く悲しいものではなく母を忘れないでずっとずっと私の心の中にいるよという、穏やかな気持ちに近いたまに母に似た人や母との思い出が鮮明に思い出される写真だったり、物を見ると涙がポロっと出たり子育てで悩んだ時に辛いな、お母さんに会いたいと思う事はよくありますが心がざわつく感覚はもうなく割と穏やかだったのですが数日前から…なんだか数年前に似た感覚があって夜
昨日ずっと行ってみたかった比叡山延暦寺とびわ湖バレイに行って来ました。今仲良くしている人がいてて、その方のご両親は沖縄に住んでいらっしゃいます。昨日は父の日だからその彼は羊羮を送ったみたいで、一緒にいてる時にお母様からの着信に気付いた彼がかけ直しました。「元気にしとるの?電話に出ないと心配するじゃないの」この言葉の声が聞こえただけで私は泣きました。私にはお母さんがいてない。もう声を聞く事も出来ない。いいなぁお母さんが生きていて、いいなぁ羨ましいそう言いながら泣いていました。彼
昨日のコメントが途中で終わってしまったので、(「これって嘘くさいですか?」に対するコメントです)アメリカの時間で都合のいい時に続きを教えていただけると嬉しいです。なるべく私でもできそうな事だとありがたいのですが・・・。もし私でもできる様な事で息子に会えればこちらを覗いて下さっている方にも救われる方が多くいらっしゃると思います。私達が生きる勇気と希望が持てます様に、どうぞ宜しくお願い致します。にほんブログ村
友達のTさんを通して、母も私の欝病の原因の1人の父もあちらの世界で愛する息子を亡くした私の事を心配してる事を先日知らされました。母は亡くなる1ヶ月ぐらい前に、「あちらからあなたの事を愛し続けていいの?」と聞いてくれた事があります。幼い頃からずっと大学生ぐらいまで虐待されていたからです。でもその事については結婚してから母が泣いて謝って来たので私の中ではもうとっくに許しています。だからうちのお墓にも入ってもらいました。そして今は私の事を心配してくれてると聞き母に慰め
私は女の子日時のPMSの症状が酷くて、母が亡くなる以前も女の子日時は、訳もなく、泣いたり情緒不安定になってました。そんな女の子日の時に母と毎週行ってたおばあちゃん家に行く事はとても辛い事。前もblogに書いたけど、おばあちゃん家には柿がなっていて、毎年柿を採って欲しいと言われるので、母と採ってました。私は柿採りが嫌だから今年はもう採らないよと夏に母に話したらお母さんが採るよと。前回おばあちゃん家に行った時、案の定柿を採って欲しいと言われ、おばあちゃんごめんねぇ、柿を採るのは私お母さんの事
昨日16日は、お母さんの49日法要でした。まだたった7週間7週間前にはお母さんは生きてた。寂しさ辛さ悲しみを7週間耐えてきたけど、この先も永遠に耐えていかないといけない。お母さん無理やわ昨日親戚のおばちゃんが、りなちゃんのお母さんは、心臓が悪かったから子供は諦めた方がいい、危険だと言われていたのにりなちゃんを産んだのね。りなちゃんという娘を産んでて、お母さん本当に良かったねと話してくれました。産後の肥立が悪かった母、私を産んだ事で相当体に負担になった。私は愛され望まれ、祖父母や親戚のお
母が、後もって2、3日だと医者から思ってもみない言葉を聞いて、HCUから個室に移動させてもらい父親と泊まり込みをした二週間の間に私は、人口呼吸器をつけているお母さんが痰が溜まって苦しそうにしていたら看護師さんをすぐ呼べる様に夜中ほとんど起きてました。母の痰取りの苦しそうにしている姿を見ていると、看護師さんもう止めて下さいと何度も言ったぐらい、気管切開した所からの痰取りは苦しそうでした。大好きな世界一大好きなお母さんが助からないそう思うと泣いて泣いて私自身、ご飯も食べれなくなり、お母さんが食べ
今朝も又夢にお母さんが出てきてくれた。毎日夢で会えても夢でしかもう会えない。夢の中で行ってらっしゃいと言ってくれました。毎日そこに当たり前の様にあった日常行ってきます、行ってらっしゃいただいま、お帰りそんな日々が突然無くなるとは思っていなかった。今朝も泣きながら玄関を開けたら隣のおばちゃんに会って元気出して、お母さんは見守ってくれているからと言われた。人様が私の事を思いよかれと思って言って下さる言葉だからその場ではそうですねと言うけれど、内心は、じゃぁおばちゃんが、もしお子さん
曇の日や雨の日は、元気な頃から苦手。気象病より寂しい気持ちになります。母の兄二人が4月と5月末に亡くなり、その叔父のお葬式の時に一瞬母の遺影が見えてこれはやばい見えたと思っていました。4月は毎年お友達の男の子とコナンの映画を観に行っているのですが、映画を観ながらあー来年にはお母さんいてないだろうなと何度も心の中によぎりました。家族の様に仲良くしている親友には、お母さんに会っておいてあげてと口にしていた私がいてます。別に余命何ヵ月とか言われた訳でもなく、まして4月は、まだ検査の段階で大腸