ブログ記事12件
運がよくなくても悲観するな。悪い条件がかえって、プラスになることが多いものだ。運命というものは、与えられるものではなく、みずからつくり出し、切り開いていくものだ。●井植歳男(いうえ・としお*三洋電機創業者)
今朝がた、ふくらはぎがつって目が覚めました。あれって、痛みが来る前に飛び起きるんですよね。筋肉が変に固まったのがわかって、そこから痛みが来るのがわかるという。二度寝したから、起きろってことでしょうか?今も後遺症が残ってます井植歳男生年月日1902年12月28日(日)日干支乙酉同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・北条高時1304年1月9日・伊達政宗1567年9月5日・豊臣秀頼1593年8月29日・伊達吉村1680年7月23日
「私は無である。ハダカである。知恵も、財産も信用もない。ゼロである。この心境にたって、ものごとを考えてみると、ゼロより若干持っていることがわかってくる。知恵がないと思ったが、あるじゃないか、信用もあるじゃないか、はだかでもない、と活路が開けてくる」井植歳男(三洋電機創業者)井植さんの生き方を見てると、「逆境こそチャンスだ」ということがわかる。井植さんは僕の小学校1年生からの親友のお爺さんなのだが、かつて一度もお爺さんの話を聞いたことはない
古い本ですが随分と為になる内容でした。現代の若者というか中堅どころの方でもこの著者たちが頑張って戦後日本の大躍進の先方だった時代にはついていけないと思います。今の時代で同じことを部下にすればパワハラで訴えられる可能性大です。しかし実際、このような時代があったからこそ30年の停滞を経ても世界第三位の経済大国として辛うじて生き延びているのだと思います。現状のぬるま湯の感覚ではいずれ4位となり、ズルズルと勢いのある新興国家に抜かれていくことになると思います。さて著者の
心のこもった親切な行動は、幸福な気持ちになる早くて効果的な方法だ。―――サイモン・レイノルズ始めなければ前に進めない。ほとんどの人にとっては、最初の一歩が何よりも難しいが、いったんスタートすれば、後は自然にうまくいくものだ。―――リチャード・カールソン与えられた仕事を命じられたままトレースするのではなく、自分の持つ知識・能力・技術・アイデアをプラスし、自分の足跡を残せ。―――井植歳男時間の使い方が下手な人間ほど、「時間が足りない」と文句を言うものだ。
単身赴任時代の話。マンションの隣の部屋の人(オヤジ)が、布団や枕をベランダでバンバン叩く人だった…今の時代、布団をバンバン叩くなんて、なんて世間ずれした人なんだと思っていた。布団を叩かれるとホコリが飛んでくるし(ちなみに布団を叩きすぎると、繊維が切れてホコリが多く出てくるようになる。だから布団用掃除機が飛ぶように売れるのだ)、ダニとかがこっちまで飛んできそうで、洗濯を外に干せなくなった…そこで家干しをするようになったのだが、洗濯物がどうしても臭くなってしまう…部屋干
タイトル:井植歳男ToshioIueinAwaji距離:11km主な観光スポット:本福寺水御堂中浜稔猫美術館淡路市立陶芸館道の駅東浦ターミナルパーク兵庫県淡路市に、地元出身の実業家「井植歳男」を描きます。松下電気器具製作所(パナソニック)の創業メンバーで、退社後は三洋電機を創業しました。GPSdrawing"ToshioIue(1902–1969)"intoAwaji.HewasaJapaneseinventor
これは3年前の姿これが現在の新しくなった姿解体後同じ場所に建てられたんじゃなくてふた筋離れたところに今まさに解体されるといった状態で残ってました入口の守口市役所の文字は外されてます西出入り口の文字は残ってます昭和26年に建てられ築65年で耐震問題と空調故障や雨漏りなど老朽化で2年前に新庁舎へバトンを渡しました老朽化してみすぼらしいところはあるものの味わいのある建物が解体されてしまう
別格本山佛照山本福寺平安時代後期創建の真言宗のお寺です田舎の普通のお寺なのです色々の指定表示ところがここの本堂水御堂が観光名所なのです寺の横の道を進むと玉砂利が敷かれた道に進むその先にあるのがコンクリートの壁安藤忠雄さんの得意のコンクリートの打ちっ放しで世俗と聖地の分離する壁になっている壁の間を進むと大きな池が見えてくる蓮池この池は2000年前の地層から出た大賀蓮(おおがはす)が植えられています↓
にほんブログ村前回は4/6に1,235.5円で買い判断していますね。https://ameblo.jp/kurasitoyume/entry-12262969956.html見事に正解しましたね。今回は沿革を見ていきましょう。1917年(大正6年)6月-松下幸之助が大阪府東成郡鶴橋町大字猪飼野(現・大阪市東成区玉津2丁目)の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は幸之助の妻“むめの”と妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。1918年(
阿部牧郎著「家電兄弟」を読みました。パナソニック創業者の松下幸之助と、三洋電機創業者の井植歳男。この二人は義理の兄弟で、松下氏が創業期から一緒に松下電器を大きく成長させた仲です。この本は、二人の人生を描いたノンフィクション小説で、痛快なサクセスストーリーでした。面白かったです。私は、尊敬するある方から、「鈴木君は、表現者として小説も読んだ方がいいよ」とアドバイスされました。この本は、自分が興味のある経営に関するもので、成功者の人生を綴った本でしたので、小説にチャレンジするのは
井植記念館に入りました。井植歳男は三洋電機の創業者です。1902年に津名郡東浦町(現淡路市)に生まれ、1969年に死去。この記念館は井植氏の功績を後世に伝えるために建てられました。館内は人気が無いのですが、資料室に入ると電気がつきました。人体をキャッチする装置が作動したようです。誰かに監視されているようで身が引き締まりました。井植氏は家業を継ぐため船乗りの仕事を手伝っていましたが、15歳の時、義兄松下幸之助のもとでソケット造りを始めます。働きながら西野田工業専修学校の夜間