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こんばんは友人との幸福のまねき猫電車に乗っての御朱印巡りいよいよクライマックスの豪徳寺の招福殿です。今では世界中から家内安全商売繁盛開運招福を願う参拝者が沢山訪れています。三重の塔の前にこの招福殿はあります。香炉同様招福猫児像は昔はなかったものです。奉納されたまねき猫たち、大小所狭しと並んでいます。行く度に数が増えていて招福殿の外の通路にまで続いています。三重の塔もよくみると
こんばんは友人との幸福のまねき猫電車に乗っての御朱印巡り。いよいよこの日のメインイベント豪徳寺に到着。画像が多いので記事を2回に分けてまねき猫に関しては後半に書きたいと思います。見ているとグーグル等のアプリを見ながら道を辿って来ている方が多いのですがそうすると豪徳寺駅なり宮の坂駅からのガイドでここではなくてこの先の山門の前に誘導されるようです。個人的にはまず最初に城山通りからこの参道を通って山門に行くルートのほうが断然おすすめします。この日は桜が
旧江戸城外桜田門【2024.4.20】その2となります。2024.4.20(土)撮影こちらは、前回のブログ記事の続きとなります。外桜田門の内側にある渡櫓門です。石垣がきれいに積み上がっておりますね。渡櫓門を斜め左側から撮影渡櫓門を見上げた構図。こちらは、渡櫓門を通り抜けた後で撮影。海外の方が写っておりますが、遠景なので勘弁して貰いましょう。こちらは、渡櫓門の遠景となります。同じく、渡櫓門の遠景となります。マラソンランナー🏃♂が写り込んでしまっておりますが、遠望
旧江戸城外桜田門その1となります。2024.4.20(土)撮影こちらは、桜田門前の内堀通りです。前方の左折標識の交差点を左折して、凱旋濠に架かる祝田橋を通過しますと、皇居外苑となります。画面の左側には桜田門があります。こちらが、桜田門に入る道から撮影した凱旋濠です。東方向となります。凱旋濠の先には祝田橋が見えております。こちらは、『旧江戸城外桜田門』の説明板となります。接近して撮影。正面から撮影。文字が小さ過ぎて読みづらいですね。ハズキルーペが欲しいところです…。ブ
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』を再開し、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「平(一重)
酒列磯前神社から車で約15分、那珂湊の反射炉にやって来ました。☆駐車場すぐ脇の山上門はひたちなか市の指定建造物。もともとは水戸藩江戸小石川邸正門右側の門。反射炉とは繋がらないけど、現在残存する唯一の建築物。当時の陸軍省から払い下げを受け移築。反射炉は9年前に行った韮山の反射炉以来です。那珂湊の反射炉は1855~57年に建造されたものの、1864年に元治甲子の乱(げんじかっしのらん)(*1)で破壊されました。現在の反射炉は、1937年に復元された模型。
大地が動き出したみなさん、おはようございます靖國神社春季例大祭第二日祭、直会です東京九段を遥拝しましょう四国は大雨警報に注意のようです土用ですから大地は荒れていますそして大地は動き始めましたご先祖様の意向を尊重しましょうアリガトウ「4月23日」の國史です「井伊直弼、大老就任」安政5年(1858年)大老は老中の上に置かれた最高の職です井伊直弼は日米修好通商条約の調印と将軍の後継ぎ選定に挑みました直弼は、彦根藩主・井伊直中(なおなか)
江戸幕府の大老の井伊直弼が江戸城の城門で暗殺された1860年の桜田門外の変で、直弼が刀でなくピストルで殺された文書が注目され、4月10日放送分の「歴史探偵」で大きく紹介された。2010年代から長く着目されている説だが、鳥取県立博物館が2022年3月21日に発表した古文書が大きく特筆されていた。古文書は暗殺を指揮した「桜田十八士」の関鉄之介が、逃亡先の鳥取で水戸へ遊学していたことのある藩士の安達清一郎(清風)に救援を求めたもの。関は事件2か月後の聞き取りに応じ、直弼が「ヒストン」(ピストル)
一期一会(いちごいちえ)一生に一度の出会いと思って人と接する(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「茶の湯での出会いは、一期一会といって、例えば何度同じ主人と客が会おうとも、今日の出会いが再びはないことを思えば、これは実に私にとっては一生に一度の出会いなのだ」幕末の大老、井伊直弼の言葉です。(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(田中次郎氏著・日本文芸社))「一期」は一生涯、「一会」はたった一度という意味です。人と人とのいま
「短歌でダンス?💃」(375)アルバイター歴史の中に彦根藩この大老に逃げるお供よ※おとも
先日の日曜日に横浜に用があり、生麦に先に行き、桜🌸がまだ見られるか掃部山公園(かもんやま)に寄りました。桜は終わりかけていましたが、まだ咲いていたので嬉しかった😊掃部山公園には名前のごとく井伊直弼(掃部頭)像が横浜の港に向けて設置されてます。井伊直弼は彦根藩主で、徳川幕府を水戸藩と支えていましたが、開国派の井伊直弼と尊王攘夷派の水戸藩で対立し、160年前の3月3日の将軍に挨拶する日の雪の日に大名行列にて、江戸城からわずか400メートルしか離れてない彦根藩屋敷から60名の大名を従えて、籠に
4月だと言うに夏日のような気温どんな夏になるのやらスナップエンドウがたくさん生ってきました嬉しい4月、プチ旅行祭り暑くなったらもうどこへも行かないじっとしてるから😅鞍馬・貴船、吉野山の次は彦根城へ行ってきました京都駅から快速急行で50分まあまあね吉野山の桜は先週散っていたというのに彦根城の桜は散り始めてはいるもののまだきれいでしたラッキー♪いくら平日とはいえ彦根駅の人の少なさに驚く地元の駅のほうがうんと人
この日は4月2日火曜日でした。入谷のバイトが終わって豪徳寺に行きました。豪徳寺には皆んなが行くことがある動物病院があります。この日はルリちゃんの💊を貰いに行きました。郵送でも良いけれど、余り嵩むと支払う時が怖いので、前回の支払いをして今回の💊を頂きます。豪徳寺駅前には満開とは言えないけれど、立派な桜が8分咲きでした。
※最初に注意(めっちゃデンジャラス)スッゴイくだらない内容です。歴史に詳しい方には申し訳ないので読まない方が賢明です。間違ってる箇所もあるかもです。ーーーーーーーーーーーNHKの歴史探偵が好きで毎週見てるんですが、4/10放送の「桜田門外ノ変」の回で思わぬ萌えが。。居合いの達人である井伊直弼が何故暗殺されたのか、その謎を解いていた回でした。まず最初の萌え⓵暗殺を指揮した「関鉄之介」が井伊直弼暗殺成功後に鳥取藩に逃げたそうで、その時に関を援助し
春は桜とか満開ですごく綺麗だったイメージ昔、会社の先輩と皇居をランニングしたわ神田のスポーツロッカーを借りてね確か三周した記憶アリ。しんどかったわ~~~井伊直弼とか、このあたりで斬られたんだっけ?なんか感慨深いね
こんばんは。今日は22時からNHKの歴史探偵で「桜田門外ノ変井伊直弼暗殺の真相」をしているのですが、長男はこれを見るために、マスターの課題をどどどっと終わらせてただ今視聴しております…。いつもの3分の2の時間で終わりました。朝の長男の発言から、公開に向けての理科の復習を減らしたのに、やればできるじゃん…。「桜田門外ノ変、井伊直弼の死因は何か?」まで聞かれる問題があれば、今回視聴した価値ありですね。答え:一発目の銃撃で玉が胸に命中して、籠の中で死んだ。(視聴した長男の話より。)あ
桜田門外の変-歴史探偵桜田門外の変。新史料が発見され、従来のイメージが大きく変わろうとしている。井伊直弼暗殺にかかわったピストルと事件直後に起きた内戦の危機。幕末の大事件を調査する。www.nhk.jp今夜は、NHKの「歴史探偵」で桜田門外の変が取り扱われますね。桜田門外の変といえば、幕末の万延元年3月3日、江戸城に登城中の彦根藩主・大老の井伊直弼の行列が水戸藩浪士(薩摩藩浪士・有村次左衛門も参加)に襲われ、井伊直弼が暗殺された幕末の大事件ですね。この際
柘榴坂の仇討2014年9月20日公開浅田次郎による短編集『五郎治殿御始末』のうちの一編を映画化。桜田門外の変で主君・井伊直弼を守り切れなかった彦根藩士・志村金吾が、明治の世となり時代が変わろうともなお主君を暗殺した敵を探し続ける時代劇。あらすじ🏯安政七年三月三日、江戸城桜田門外で大老の井伊直弼が襲撃され殺害される。主君を守り切れなかったことを悔やんでも悔やみきれない彦根藩士・志村金吾のもとに、仇を討てとの藩命が下る。明治の世になり時代が大きく変わっても武士としての矜持を持ち敵を探し続
こんばんは🌙今日は豪徳寺まで散策してきましたまねき猫で有名なお寺です🐱井伊直弼の墓所もありますお天気もよく桜は見頃でした🌸🌸🌸お花見してたらメールがきましてホットペッパービューティー限定ポイント220ポイント!つけましたよって確認のために久しぶりにログインしてみたら期間限定ポイントが2000ポイントもついてる!こっちのポイントについてメールがきた記憶がありませんアブナイアブナイまた見逃すところだった美容院はホットペッパービューティーから予約してい
滋賀県彦根駅前の銅像井伊家は代々、名前に『直』が付いているのでややこしい💦「直政」は「直弼」の先祖ひこにゃん滋賀県彦根市のキャラクターで江戸時代彦根藩2代目井伊直孝ゆかりの白猫がモデルだそうです。琵琶湖クルーズ下船後に昼食を取り彦根駅を東方向へ約1km五百羅漢の有る天寧寺へ歩いて向かいますのどかな風景で、つくしやハナニラが咲いていました😊ひばりの囀りで見上げると真上で鳴いていました。…と思ったら、一直線に降りて来て近くのフェンスに止まってくれた
井伊直弼(なおすけ)井伊直弼は彦根藩16代藩主。幕府の大老を務め日米修好通商条約に調印し開国を断行した。国内の反対勢力を強権をもって粛清したが、その反動を受け桜田門外の変で暗殺された。(▽彦根城中堀)埋木舎(うもれぎのや)直弼は11代藩主・井伊直中の14男として誕生した。17歳で両親を失い300俵の捨扶持で中堀に面するこの館で32歳までの15年間を暮らした。「世の中をよそに見つつも埋木の埋もれておらむ心なき身は」の歌を詠み、館を埋木舎と号した玄関には秋篠宮が
●ペリー来航の事前情報●司馬遼太郎『胡蝶の夢』2巻歴代のオランダ商館長は、ふつう年一回、江戸へ参府し、将軍に謁見した。さらには長崎奉行を通じ風説書とよばれる海外情報を幕府に差し出すのが慣例だった。この和蘭風説書は幕府の特別な高官しか閲覧できないことになっていたが、幕府がこれを参考に世界感覚を養ったという形跡は少しもない。たとえば嘉永6年のペリー来航は当然だった風に幕閣でさえ受け取られたが、ペリー来航の前年の風説書に、ペリーの名前からその目的、艦舶の名称まで書かれていた。幕閣はそれを無視した
どうも、みけねこです。「それで?ローニンの方は…」「どこまで進んだの?」「横浜編のラストイベント【桜田門外の変】で井伊直弼+青鬼と殺りあって…」「で、なんやかんやあって」「大久保利通や勝海舟等と知り合って」「そんで、徳川/江戸幕府と戦ってるってとこ」「ふ~ん…」「つーか、井伊直弼の剣術…」「見てると草生えるんですよね」「どうして?」「必死だったから、断言はできないが」「【パッと見幕末バージル】。これで伝わるだろ?」「あぁ、そりゃ草生えますわ」「戦国無双のキャラかな
///1860年3月24日(安政7年3月3日)桜田門外の変が起こりました。大老の井伊直弼が暗殺されたこの事件は、当時の記録では「井伊直弼は急病を発し、相続願いを提出した後に病死」となっています。これは当主死亡による井伊家の御家断絶、変を起こした水戸藩への御家断絶処分を防ぐための配慮でした。pic.twitter.com/pTKJvIB5ms—RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中(@Reki_Shock_)March23,2024/午前0:00·2024年3
3月24日の今日は「桜田門外の変」が起きた日だそうです1860年3月24日大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士達によって暗殺された日幕末史を飾る事件が転機となって、幕藩体制が徐々に崩れ、世の中が変わり、現在に至ったということなのでしょう日本の未来に大きな影響を与えた事件の一つですが、未来から見た現在は、どのような日になるのでしょう?一日一日を大切に、未来に繋げなければ!ですね
「江戸城めぐり」の第10回。今回は「桜田門」。2024年3月21日。快晴。北風が強く寒い。すごいのに外国人がいない門これが「桜田門」。江戸城=皇居でもっと南にある門と言っていい。外側の小さな門をはいって内側から撮るとこうなる。右に直角に折れると内側の大きな門がある。江戸城の門の多くはこういうパターンになっている。「桜田門」は、日本人にとっては、おそらく、もっともよく知る門だろう。門の前は、大老井伊直弼が討たれ、泰平の世がひっくりかえった場所であり、毎日一
今日は、幕末の日本を大きく開国に舵を切らせた大老、ほったまさよし堀田正睦の命日・没後160周年にあたります。正睦(初名:正篤[まさひろ])は、1810(文化7)年に下総佐倉藩第3代藩主・堀田正時の次男として江戸藩邸で生まれました。その翌年に正時が亡くなり、彼の養子であった正愛が第4代当主となりましたが、正愛自身が病弱で子も夭折していたため、正篤は正愛の養子となり、藩内の跡目争いを経て15歳だった1825年には家督を相続し第5代藩主に。蘭学を奨
皆さま、こんにちは今日も今から軽めのウォーキングに励んでまいります実は昨日からとあることに初めて取り組んでいまして、取り組み中の三日間だけ激しいトレーニングが出来ないのですが、軽めのウォーキングは推薦されているので、この三日間は継続して頑張りますトレーニングはキツくて、『嫌だなぁ』なんて思っていた筈なのにいざ出来ないとなると、早くしたくて仕方なくなる••••不思議です笑😀トレーニングの後はお風呂に入り、お仕事への出勤準備をしたいと思います今日も笑顔溢れる優しい日をお過ごしください
昨日、掃部山公園。てっぺんに井伊直弼の銅像昔の人?はほんとあちこちに名を残しちょるよなまっこと、奇っ怪な世の中になったもんぢゃのーう(˘ω˘)行くのカーア行けよらいああいあーい!山をおりますよー良き天気だけど、涙が止まりませんよ、花粉症でえ。下ったところに、コーヒーハウスと稲荷神社カルデエー!?そこにくっついた、てか、同じ敷地に岩亀稲荷(´・ω・`)入ることに多少の抵抗を感じますすぐ右に一般家庭?の玄関あり。スニーカーとか洗って干してあったりします。玄関、
茶人井伊宗観こと井伊直弼「一期一会」は井伊宗観が著書「茶湯一会集」に記し広めた言葉井伊直弼は彦根藩主の14男に生まれ,17歳から「埋木舎うもれぎのや」で15年間不遇の時を過ごしました32歳で彦根藩主、幕府家老となり日本を開国に導き,桜田門外で暗殺されました「桜田門外の変」1860年3月3日「埋木舎」での15年間茶の湯、和歌、能、武道に励み培ったことが後の激務を成し遂げるのに生かされた…「茶湯一会集」には「一期一会」の他に茶の湯の心得とし