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『どうする家康』では、瀬名姫の幼なじみとして登場し、家康とも親しい飯尾連龍(いのおつらたつ)を夫にもつにもかかわらず、どちらにもなびかず自らの信念を貫く『お田鶴の方』。そんな芯の強い女性を関水渚さんが好演されています。なお、ドラマオリジナルのキャラクターではなく、実在したおんな城主です。あまり知られていない人物だと思いますので伏線となりそうなエピソードともどもご紹介。※お田鶴の方(おたづのかた)、椿姫(つばきひめ)引間(引馬・曳馬)城主・飯尾連龍(いのおつらたつ)の室。父は二俣城主
はい。再開します。最後の更新が10月17日でした。実に丸二ヶ月wそして更新サボってる内に気付けば旅行から一年以上経ってしまったという…今回から四日目。浜松市へ来たならばこちらも外せません。龍潭寺彦根にも龍潭寺がありますが、向こうは彦根藩井伊家の菩提寺で、こちらの龍潭寺は彦根藩成立前の当主の菩提寺。つまりは井伊の赤鬼の墓所はこちらなのだ。周辺マップ井伊谷城も車ですぐの距離に。因みに2020年に彦根城へ行き、佐和山城の中腹へも立ち寄っているが彦根にも龍潭寺がある
2017年5月7日静岡県浜松市井殿の塚井殿の塚いでんのつか説明天文13年12月井伊直平の嫡子直宗公の舎弟直満並びに直義兄弟は、戦国大名今川氏と武田氏両軍の対立に際し、家老である小野和泉守道高の讒言(ざんげん)により、駿河の今川舘に召喚され、遂に殺害されるに至りました。里人はこれを憐れみ、末の弟井伊直元公に乞い、供養のため両者の塚を築き遺骨を納めて輪塔を建て塚の上に一本の松を植えたと言い伝えられています。以来これを濫塔の松、或いは井殿の塚と称し香華が絶えなかったと
前回のブログ、井伊直平さんのお墓参りからの続きです。この日は1月7日。午後から雨の予報でした。朝から三岳城→立須峰→井伊直平さんお墓参り&鎧橋と強行突破してきましたι(`ロ´)ノ傘も持たずにやってきたので、雨が降りだす前にもう一件!と、今度は井伊直親さんのお墓参りにやってきました。こちらは都田川の堤防沿いにあるので、駐車場はありません。対向車の邪魔にならないよう、車を隅っこに停めました。さあ、向かいます。大河ドラマブームが去って、ひっそり感がハンパない。うーん、なんか寂しい。約
三岳城→立須峰とやってきました。この日の天気予報は午後から雨( ̄ロ ̄lll)傘も持ってこなかったので、雨が降りだす前にまわらないとC=C=\(;・_・)/まだ天気がもちそうだったので、「直虎」の大河ドラマ中に行けなかった「井伊直平」さんのお墓参りに行く事に(* ̄∇ ̄)ノ車で近くまで行けないので、若宮三社神社の前に空地があったので、そちらに車を置き、徒歩にてお参り。こちらを入っていきます。車で行くのはやはりムリですね( ̄ー ̄)おばけが出そうです。私、かなりのビビりです(笑)どこま
の場所には、もともと引間城がありました。築城年は不明ですが、戦国時代、遠江の覇権をめぐり対立する武将たちにとって、重要な拠点となっていました。戦国時代の初期、この地では、尾張・遠江に勢力を伸ばしていた斯波氏と今川氏が激しく攻防していました。永正13年(1516年)駿府城の今川氏親は、斯波氏の家臣だった引間城主、大河内貞綱を攻め落としたことにより、遠江を完全制覇します。この2年前、直虎の曾祖父、井伊直平は、大河内氏と組んで井伊谷領の三岳城に籠城し今川氏と戦いましたが敗れ、今川氏に降りました。
井伊家15代当主「井伊直平の墓」。元は福満寺の中に位置していたのでしょうか。(静岡県浜松市北区引佐町川名815)駐車場なし。トイレ・自販機なし。井伊直平は井伊直虎の曽祖父にあたります。現在の浜松市東区有玉の欠下城付近で亡くなりここまで運ばれました。その際亡くなったことは伏せ鎧を着せたままここに運ばれます。そして鎧を脱がせた場所が「鎧橋」という名前で残っています。そしてこの鎧橋の少し先に井伊直平は葬られました。案内表示がありま
武士の家計簿や、殿!利息でござる等で有名な磯田道史氏が「日本最強のパワースポット」と呼ぶ場所、それが元城町東照宮(曳馬城趾)です。手水舎真ん中に猫ちゃんが居ますね(*^^*)内側にも細かな彫り物がありました。拝殿何度か参拝している為、暗かったり明るかったりしますが上が冬撮影、下は今回撮影です。元城町東照宮は家康公が御祭神ですが、豊臣秀吉公にも縁があったようで…真ん中でポーズをとって記念撮影私は遠慮しましたが、出世しそうな写真が撮れそうですねこの日は浜松城公園でイベントがあった為
11月12日、浜松に行きました(* ̄∇ ̄)ノ目的は「直虎」です(^^)いつもの様に衣浦豊田道路からの伊勢湾岸自動車道。豊田南ICで前の車がETCに止められる(゚Д゚;)入れてないのか期限切れか、ちゃんと確認しといてよね(# ̄З ̄)待ってられないので通常レーンで通行券を受け取る。今度自分が降りる時にバーに突っ込まない様にずっと暗示(^^;出る時も通常、出る時も通常、、、今回も長篠設楽原PAは通過(´-`)無事、浜松浜北ICを降りました(; ̄ー ̄A新東名のお陰で天竜も近くなりま
井伊直虎とは~おんな城主になった訳と次郎法師を知ろう【2017年大河ドラマ】今川義元,徳川家康,武田信玄,おんな城主直虎井伊直虎(いいなおとら)とは・・。戦国時代に「直虎」と男性の名前を称して家督を継いだ「女城主」とは?生涯独身を貫いた井伊直虎が遠江・井伊家断絶の危機を救った女領主となり、家名を存続させた波瀾万丈の「女地頭」とも称される浜松の女傑。2017年大河ドラマ「おんな城主直虎」にて、女優・柴咲コウさんが演じる主人公・井伊直虎(いい-なおとら)が、なぜ「おんな城主」となった
小野政次の弟、小野玄端の子供の首を虎松の代わりに跳ねたと思わせ。実は名もなき孤児の首をはねて、井伊家の危機を救いました。虎松は鳳来寺の宿坊に匿われ。やがて、病気療養に訪れた武田信玄公と遇いそうですね。川名の隠れ里は重宝してます。井伊直平公と。行基菩薩の庵あたりに、隠れ住んだのかな。やがて、恐怖の赤鬼と呼ばれる井伊直政公も矢をいかけられれば、子供時分は失禁してしまったというエピソード。孤児の首塚がやがて、白塗りの奇っ怪な疣観音として供養されたということかな。湿疹を白塗りであしらわ
引佐にむけてR1-Zでツーリング!途中、都田駅があったよ。しかし、のどかです。ずっといられる↓こーゆー田舎、好きです↓川名到着↓ここら辺に、最後まで隠し通そうとした井伊直平の隠居地、川名の隠れ里があったのかな?役人に見つかっちゃったけど、何とかごまかすことができた。ドラマの中で言われた「川名の隠れ里」!山奥すぎて、誰一人すれ違わなかったけどね・・・。あっ!?もうこんな時間だ!それじゃーまたね。バイバイ。
今川義元を知らずして、井伊直虎を語るなかれ今年の大河ドラマの主人公、井伊直虎の半生に絶大な影響を与えた人物といえば、駿遠三の太守、今川義元であろう。歴史の教科書では桶狭間の敗死ぐらいしか記憶にないかもしれないが、実は当代一の戦国大名だったことはあまり知られていない。本日は「海道一の弓取り」義元の人生を再評価してみたい。http://ironna.jp/theme/727「桶狭間」が直虎も変えた井伊直政(なおまさ)が「徳川四天王」の1人として活躍するまでには、ある女性の存在が大き
(1331年)8月、鎌倉幕府打倒を企てていた後醍醐天皇は御所を脱出して笠置山に篭り、挙兵した(元弘の乱)。笠置山は同年9月に落城、後醍醐は逃亡するが捕えられ、隠岐国へ流罪になった。この戦乱時の兵火で笠置寺は炎上し、弥勒磨崖仏も火を浴びて石の表面が剥離してしまった。笠置山には弥勒磨崖仏の他に薬師石、文殊石、虚空蔵石、両界曼荼羅石などがあり、かつてはそれぞれに線刻の仏像や曼荼羅図が刻まれていたが、兵火でほとんどが失われ、わずかに虚空蔵菩薩像の刻まれた石のみが当初の姿をとどめている。弥勒磨崖仏は高さ約
石田光成の末裔と井伊政直の末裔との合戦。架空の設定でしょうね。大河ドラマ「直虎」の正に舞台の地域の小学校の運動会を覗きました。城が二つ。まわりに玉が。石田軍と井伊軍が騎馬戦大将は鎧兜を身にまとっている早い話、紅白に別れての騎馬戦。いざ!対戦!騎馬戦の勝敗に関係なく、最後は両軍玉投げで城落としを試みます。騎馬戦の勝者は、城落としのための青い玉をいくつかもらえるようです。自分の軍の色玉に加えてもらえるので、多少有利になります。結局、また紅白に別れ、赤が白の城を、白が赤の城を攻撃
江川、高木氏が対談「空白の一日」裏側も市スポーツ資料室オープンイベント船橋千葉日報船橋市スポーツ資料展示室・コーナー(市総合体育館内)のオープンを記念し、プロ野球の往年の名選手、元巨人・江川卓さんと元大洋ホエールズ・高木豊さんの...日本ピアノ史浜松の研究家が年内出版へ中日新聞...会長の三浦啓市さん(67)が、自社ブランドを持つ国内のピアノメーカーや販売会社の変遷をまとめた資料集「日本のピアノ(仮題)」の年内出版を目指している。大分合同新聞>大分県内>
いよいよ、なサブタイトルです。早いのか遅いのか。大河名物選挙速報。千葉県知事選は森田健作の勝利で3期目。千葉自体が歴史劇とは縁遠いし、森田健作も含めても直虎とリンクしないなぁ。直親が襲われて、直ぐにOP。珍しいパターン。千賀は出家して祐椿尼になったのね。OPの花はここからか。なんか武将っぽい名前が増えたな。全員知らないけど。無事を祈って水垢離する次郎法師。場所はアノ井戸かな。当の直親は乱戦中。部下達が必死に血路を開こうとしても、部下が気になり脱出しない直親。作品を通して「だか
今週(3/26)の大河ドラマ「おんな城主直虎」は第12回「おんな城主直虎」。タイトルとサブタイトルとが同一でした。井伊家の男性が次々に亡くなり、女性の当主(直虎)が登場しなければならなくなった・・・というのが筋なのですが、その過程の多くがいわゆる「ナレーション死(ナレ死)」で片づけられたのは極めて残念です。(1)ナレーション死とは?ドラマにおいて、登場人物の死亡が(俳優の演技ではなくて)ナレーションで語られることです。大河ドラマでは主人公の一生を取り扱う場合が多いため、初期
皆様おはようございます。2017年3月26日(日)のおんな城主直虎の第12話『おんな城主直虎』を視聴し終えました。井伊直親が掛川城近くで斬殺され、次郎法師の祖父の井伊直平は虎松(井伊直政)の命を今川家から助けられる代わりに松平元康(徳川家康)との戦いに出兵させられ戦死もしくは毒殺され、不可解な死をします。そして井伊家には、家督を継ぐものは幼い虎松しかいなくなります。そして今川氏真は小野政次を後見人に指名しますが、南渓和尚は井伊直虎と名乗った次郎法師を後見人として登場させます。今回も
水ごり行をする次郎法師が痛々しかったですね。掛川城下・平将門19首塚の辺りで今川家臣朝比奈に井伊直親は闇討ちされたと、井伊家伝記では伝えられます。実際にこの辺りに人骨が出たそうですが、戦国時代より遥かに昔の人骨だったそうなんで、井伊直親の遺体は井伊谷に持ち帰られたのは間違いないでしょう。一見、井伊直親は悲劇の人のようですが。大平右近次郎今川は家臣の仇を討った可能性も考えられます。井伊も馬鹿ではないでしょうから、鷹狩りの最中に闇討ちされた可能性もある。劇中で井伊直平演じる、前田吟さん
皆様おはようございます。2017年3月26日(日)のNHK大河ドラマのおんな城主直虎は、第12話『おんな城主直虎』です。井伊谷の井伊家は、井伊直満が今川義元に謀反の疑いで斬首され、桶狭間の戦いで井伊直盛が亡くなり、井伊直親も松平元康(徳川家康)と通じていることを今川家に知られて殺されます。そして残ったのは次郎法師の祖父の井伊直平と井伊直親の幼子の虎松のみになりました。家督を継げるものがいなくなったのです。平安時代から続く井伊家の断絶の危機です。そしていよいよ次郎法師が井伊直虎と名
どーも!井伊直弼…いや、直虎の子孫じゃねーよ!どーも!直虎です!( ̄∀ ̄)昨日のCollectionVSVALENTINEのイベント…見事勝利しました!!(*゚▽゚*)やったー!昨日のNo.1は…RYO主任!!(●˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾おめでとうございます!!ちなみにみなさん!!僕が、なぜ井伊直虎という名前にしたのか…お客様にもよく聞かれることがあるので復習がてら井伊直虎について調べなおしました!!(●˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾井伊直虎(いいなおとら)とは・・。
小説や井伊家伝記にも出てこない、大河ドラマオリジナルの設定で、南北朝時代に伊良親王が隠れ住んだ川名の里が隠れ里として、井伊直平爺が隠せと井伊直親に頼んで検地を拒むという話になります。検地に来ていた今川家臣役で、木村祐一さんが演じられてましたが。この事がしこりになり、幼馴染み設定の大河ドラマでの小野政次と井伊直親の友情に亀裂が入る重要な回になりました。何故に、今川配下の検地役人は川名の里をしっていたのか。小野政次が漏らしたのか?疑惑が疑心暗鬼になり、小野家と井伊家との仲の亀裂を決定的にし
1度は夫婦になると約束した人が成人して戻ってくる。ときめくな、というほうが無理wしかも父親に似ず、カッコいい系になって戻ってきた。おとわの母が、還俗して、と思うのも当然だし。でも結局一緒にはなれないし。井伊の跡を継ぐべき男性は死んでしまうのを知っているから、あの爽やかさが見ていてツラいです。私、鶴の行く末は知らないのですが。彼はどうなるのでしょうね。
原作と台詞を読み比べしながら観てるんですが、五話は追加シーンや台詞の変更が目立ちだしました。浜松宿蘆寺からロケをスタートさせてるんで、岩手県にあるオープンセットでの柴咲コウさんや三浦春馬さんとう売れっ子のロケはだいぶ後になったんではないかと思われます。吹満さん演じる、小野和泉守の死により信濃松源寺より帰ってきた、井伊直親ですが。ここから、井伊家、今川家は桶狭間合戦というお家存続の危機にたたされます。井伊家伝記では武田信玄と内通していたと讒言されたと記されてますが、北条と井伊直平の代から内
いよいよ子ども時代の回も終わってしまうのですね。子どもは子どもで大変なことがあるけれど、社会の荒波の前面に立ち向かわずにすむほんの短な幸せな時期でもありますよね。大人になったらそうもいかない。鶴も亀もきっととても大変でしょう。見るほうとしては楽しみですが。
おはようございます。今回も見ました。直虎。いつも思いますが、オープニング、やかましいくらい華やか。。昨日、ちょっと音量がアップしていたのでやかましさが際立ちました。さて、昨日はおとわちゃんが今川の人質になっちゃうの?!というお話でした。結果的にはなりません。出家は来週するようです。このお話の中で出会ったのが後に徳川家康の正室になる築山殿(幼名瀬名)とその母佐名。佐名さんについては実は本当の名前もわからないし、全体的にどんな人生送った人なのかもわから
プロットである、小説・女にこそあれ次郎法師でもとわが人質として駿府に出向き、今川義元、大原雪斎と接見する件はあります。佐名・瀬名(築山御前)と竹千代(徳川家康)に出会うんですが。大河ドラマでは、戦国一のファンタジスタ。龍王丸(今川氏真)と蹴鞠勝負で勝つという。後の徳政令を巡る攻防の因縁の口火という印象を強くうけました。普段は頼りない、乳母のたけも目を白黒させながらも気丈に、手付けにされ棄てられた、井伊家から関口家に嫁がされた佐名の事を語ってくれました。井伊家家系図では井伊直平の息子