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今日から龍潭寺(りょうたんじ)の紹介です。今年2017年度の大河ドラマでよく出てきます。萬松山龍潭寺の歴史はこの井伊谷地域は、古くは「井の国の大王」が聖水祭祀をつとめた「井の国」の中心で、浜名湖に注ぐ井伊谷川、神宮寺川に沿っての台地には、縄文・弥生の遺跡、古墳が数多く残され、水にまつわる伝説もあります。奈良時代の天平5年(733年)に行基菩薩によって、八幡山地蔵寺として開創されたと寺伝にあります。当寺の縁起にゆかり深いのが、「井伊共保公出生の井戸」です。井伊家始祖の井伊共保公出
かねてから予定していた…大河ドラマおんな城主直虎井伊谷散策まずは井伊谷城跡ふもとにバイクを停めて多少、急勾配の坂を15分程で虎口~城跡に着いた。天気が快晴だったため浜名湖まで一望できるそのあと井伊谷宮~龍潭寺へと井伊谷宮はパワースポット感漂ってたなぁ井伊直虎が過ごしたとされる、井伊家歴代の菩提寺。小堀遠州作といわれる国指定名勝庭園そして井伊共保公出生の井戸井伊家の初代が生まれたとされる伝説の井戸ここまで、抜かりなく見物☆みそまん×2ファーーーーーーーーーーーーーー
昨日小学生の息子を連れ立ってドライブがてら、大河ドラマ「直虎」の舞台井伊谷に出向いて散策、城跡の小高い丘に登りました。まずは、井伊共保(ともやす)出生の井戸。天空の城ならぬ、水田の井戸、ってそのままじゃん⁈まるで水の上に建っている館みたい、ってことを言いたかったんデス。井伊家初代当主にまつわる出生伝説を持つ井戸。覗き込む。「深い〜?」「浅〜い!」「何か見えるのか〜?」「お金〜!」そして、城跡の丘の麓。スタート地点付近には、無料の地図がケースに。いよい
大河ドラマに盛り上がる浜松話題の竜宮小僧から歩いて5分ほどのところにありました井伊家の祖井伊共保が生まれた場所大河ドラマでも言われていますが共保はここで産まれた捨てられていたなどの謎がありますちなみにこの直後に行った焼津には井伊直政の産まれた井戸があるとホテルの運転手さんが教えてくれましたつくづく井戸から生まれる一族なんですねぇと言ったらこちらは産湯を浸かった井戸らしいですけどね挨拶マナー感謝がなぜアスリートに
2017年4月8日静岡県浜松市北区の井伊家菩提寺である万松山(まんまつざん)龍潭寺(りょうたんじ)を訪れた。龍潭寺はJR浜松駅よりバスで約50分、井伊谷宮前(いいのやぐうまえ)下車徒歩5分ほどである。だがやはりバスは遅れるもので予定より15分遅れで井伊谷宮前に到着。龍潭寺山門山門を通ると緑が多く美しい境内が広がる。この旅では大河ドラマ『おんな城主直虎』の中で悲しいシーンに流れる『竜宮小僧のうた』という曲がずっと脳内でリフレインしていた。ドラマを観ていない方や観ている方でも『竜宮小僧のうた
井伊家の初代が拾われた井戸の跡。井伊共保(初代)もまさか、日本中の注目が井伊谷に集まるとは思いもよらなかったと思われる(^^;)井伊家の菩提寺龍潭寺の入り口の掛け軸とお花が素敵でした。
前回WBCで内川選手のボーンヘッド等で、敗退しマエケンが負け投手になったプエルトリコがオランダを破り決勝進出を決めました。井伊直虎の子孫である、井伊直弼が開国しなかったらとっくにアメリカなりイギリスなりの諸外国の植民地になってたかと思うと、今回の大河ドラマ井伊直虎とWBCは興味深いですね。井伊直親墓や祖井伊共保誕生井戸平初め、井伊直弼公が多数の供養碑や灯籠献上を井伊家にしてるのをみるにつれ、桜田門外の変は安政の大獄を決行する前から予測されてたんかもしれません。
先日の東京日帰り旅行は、往路が東海道回りの新幹線、復路が深夜夜行バスの利用でした。往路は米原での乗り換えでしたが、ちょうどお昼時だったので、久しぶりに駅弁を買いました。そのお弁当が異次元の素晴らしさだったので、今日はそのことを。お弁当の名前は「湖北のおはなし」サンプルを見て、何となく心惹かれたので購入しました。井筒って井伊家の家紋だったっけ?←調べたら井伊家は円の中に橘の「彦根橘」でした。「井筒に橘」は井伊家の始祖である、井伊共保の家紋でした。日蓮宗の寺紋でもあるのは、日蓮が井伊氏の出身だっ
昨日は毎年恒例のイチゴ狩りに浜松市に行って来ましたいつもは石垣イチゴだったんですが、石垣だとビミョーにイチゴが石垣で暖められているので今回はぶら下がってるタイプのハウスにしました朝一で行ったせいもあるのか食べやすい冷たさでイチゴの甘い香りの充満するハウスで練乳を垂らしながら美味しくいただきましたps,ヘタの葉っぱが元気よく反りくりかえってるイチゴのほうが甘いらしいっす次に向かったのがぬくもりの森こんな感じのメルヘン系の建物の中に雑貨屋さん喫茶室など
皆様おはようございます。2017年1月8日(日)のNHK大河ドラマのおんな城主直虎を視聴し終えました。タイトルは『井伊谷の少女』井伊家の初代井伊共保は、平安時代の元旦に井戸のそばに捨て子にされていたのを遠江守の藤原共資が拾い、養子にしたと伝えられています。容姿端麗で聡明な人物であったそうです。元旦に拾われたというのがいかにも創作であるかのようです。初回はのちに井伊直虎を名乗るとされるおとわと井伊直親を名乗る亀之丞と小野政次を名乗る鶴丸の幼い時の話です。亀と鶴で正月から縁起が良いです
寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれたとされ、当初の寺号は地蔵寺であったが寛治7年(1093年)に井伊共保が葬られた際にその法号から自浄寺と改められた。平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされる。元中年間(1384年-1392年)、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの寺を中興したともいう。戦国時代の永禄3年(1560年)に戦死した井伊直盛がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。関ヶ原の戦いの戦勝にともない、井伊氏が近江国に転封となってからも井伊氏の外護を受
彦根にある井伊神社です。江戸時代の天保13年(1842年)、彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家始祖で捨て子であったとされる井伊共保の750回忌に、井伊家伝来の地である遠江国井伊谷にある井伊谷八幡宮を勧請し、井伊八幡宮として龍潭寺の参道脇に祀ったのが始まりとされます。明治2年、井伊神社と改称。昭和44年、付近にあった佐和山神社(祭神は井伊直政と井伊直孝)と祖霊社(祭神は彦根藩井伊家歴代藩主)を合祀。平成3年、井伊神社宮司・井伊直愛氏(井伊家当主・元彦根市長)より多賀大社に譲渡され、現在は