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はい。再開します。最後の更新が10月17日でした。実に丸二ヶ月wそして更新サボってる内に気付けば旅行から一年以上経ってしまったという…今回から四日目。浜松市へ来たならばこちらも外せません。龍潭寺彦根にも龍潭寺がありますが、向こうは彦根藩井伊家の菩提寺で、こちらの龍潭寺は彦根藩成立前の当主の菩提寺。つまりは井伊の赤鬼の墓所はこちらなのだ。周辺マップ井伊谷城も車ですぐの距離に。因みに2020年に彦根城へ行き、佐和山城の中腹へも立ち寄っているが彦根にも龍潭寺がある
所在地静岡県浜松市北区引佐町渋川特徴井伊氏の分家だった渋川氏の丘城で、城内は藪や茶畑で遺構は確認できない。しかし、東麓に井伊共保(井伊氏家祖)のものとされる墓がある。
先日、二俣城の近くを通りました。通っただけで行っていないのですが前回はいつ行ったっけ?調べてみたら、7年前の1月でした。その時の写真ガラケー時代なので粗い画像になっております。徳川家康の長男、岡崎三郎信康は織田信長に武田氏との内通の疑いをかけられ、自害を命じられました。そしてこの二俣城で自害。「鬼半蔵」の異名をもつ服部半蔵(正成)が介錯人に抜擢されました。しかし「三代恩顧の主は切れない」と介錯できず、検死役であった天方道綱が代打にて介錯しました。その後この天方道綱は、家康がひどく落ち込ん
ちょっとだけマニア向けのお話。「古代井伊氏居館跡」。現在は田んぼです。井伊共保出生の井戸のそば。(静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)近くに公園駐車場あり。そこにはトイレあり。そばに自販機あり。「井伊氏の祖は井伊共保でおそらく藤原共資の子」というのが一般的な推察で藤原共資の居城としての庄内半島の志津城は知られるところです。しかし志津城と伊井共保の出生伝説の井戸とは直線距離で9.5kmも離れています。井戸も昔は龍潭寺の寺領であったとはいえぽつんとあるもの
井伊谷城・井伊谷陣屋いいだにじょう創設年代・・・寛弘七年(1010)創設者・・・・・井伊共保形態・・・・・・・丘城遺構・・・・・・・土塁遠望郭・稲荷神社登城坂・郭御所丸同本郭と御所丸本郭城塁遠望伊井谷宮を見る略史藤原共資の子、共保が土着し井伊氏を名乗り築城。南北朝期南朝方の道政は宗良親王を擁して遠江南朝の中心になったが足利方の高師泰らに攻められ落城。その後今川氏に服属し国
井伊共保出生の井戸にスライムがあらわれた!井伊共保出生の井戸は、静岡県浜松市の井伊谷にある井戸で、寛弘7年(1010年)に井伊氏初代の井伊共保(いいともやす)が生まれたとも、ここに捨てられていたともされる場所なのだんーーーー、田んぼのど真ん中に突然現れる井戸なんだよねここに捨てられていたら悲しいねちなみに井伊家の家紋は「橘」なんだけど、共保がこの生誕の地の井戸の隣に生えていた橘を家紋にしたそうなんだ。また、この井戸で生まれた(ここに捨てられていた)こ
志津城城主「藤原共資の墓」。浜名湖・庄内半島の南端近くの小高い場所にあります。(静岡県浜松市西区村櫛町)駐車スペースあり。トイレ・自販機なし。登り口は南側です。入り口前が駐車スペースです。ここから小さな山の頂上を目指します。藤原房前(北家)の子孫で井伊家の祖・井伊共保の父と言われている藤原共資(ふじわらともすけ)。当時、強大な力を持っていた藤原家の勅使として平安時代に「志津城」を拠点としてこの地域を治めていました。捨子は強く育ち大成すると信じられ
いよいよ新型コロナウイルスが五大陸全てに感染者を出してしまったようですね。コンサートもスポーツ試合も中止または無観客開催、学校は春休みまでお休み要請などなど。私も通常なら行く飲み会も、ここ最近は自粛しております。通勤は専ら車。いったいこの先どうなってしまうのだろうか。(;´Д`)-神社仏閣巡り...46社目は井伊神社です。先の龍潭寺のすぐ隣に位置しています。天保13年(1842年)に彦根藩12代藩主井伊直亮が井伊家の始祖共保の750回忌にあたり、静岡の井伊
2017年大河ドラマの舞台になった龍譚寺。2018年も人は多かったんですが、2019年になって落ち着いてきました。赤鬼・徳川四天王筆頭、井伊直政公生誕地。遠州一の大仏様。本尊虚空菩薩。十一面観音と宗良親王の霊廟。井伊直虎と虎松(井伊直政公)地蔵菩薩。井伊家霊廟が修復中の為に、本堂に井伊家の祖・井伊共保公。井伊直政公等の像が保管されてました。遠州一の庭園。広島東洋カープ日本一!いよいよキャンプスタート。全員怪我なく終われますように。
朝晩は暖を求める〇殿の「抱っこじゃぁ~~」が増える今日この頃。でも、昼間は・・・上着を脱ぎたくなるような秋晴れで気持ちいぃ~~~大好きなこの場所。目の前には佐和山で、右を向くと・・・彦根城。ここから眺めると右端の西の丸三重櫓まで見渡せて広さを実感できるんだよね。あ、そうそう彦根といえば、帰り道にこんな看板見つけたよ旧井伊神社本殿相の間と拝殿が特別公開されるんだって井伊家の始祖井伊共保さまを祀る霊廟は装飾が素晴らしくて必見の価値あり!10月6日(土
井戸家初代井伊共保公が生まれたと伝えられる井戸。本当に有るんだあ!菩提寺の龍潭寺から徒歩3分。なるほど井戸の側にしゃがんでる直虎さんの所へ猫を抱っこして和尚さんが来れる訳だわ分かる人だけ分かれば良い‼︎
昨日まで仕事で今日一日で栗きんとん、田作り、伊達巻、お煮しめを作りながらの面倒を見たり…っていうのはさすがに無理がありましたわ栗きんとんの色が…まともにできた伊達巻一本きり…ま、いいか(笑)龍潭寺の駐車場に車を停めて住所は井伊谷ドラマの最後によく映りました共保公出生の井戸田ん
仁王門から出て右(西)に行くと、松岳院跡地。直盛室(直虎の母)が住んでた塔頭の跡です。直盛が桶狭間で討死(1560年)直虎の母は仏門に入り松岳院と呼ばれ、龍潭寺境内に庵を建てます。徳政令を受け入れた直虎は井伊谷城を出て松岳院に入ります(1568年)松岳院(祐椿尼)没(1578年)直虎(祐圓尼)没(1582年)東に進むと、子育て地蔵。直親が殺され、虎松にも殺害命令(1562年)救ったのが新野左馬助(松岳院の兄)で、その屋敷で虎松母子は暮らします。左馬助が亡くなると松岳院
妙雲寺から西へ。直ぐ突き当たり、渭伊神社。ここもウォーキングコースらしく賑わってました。おじさんが見てるのは由緒かと思えば、本殿の後ろにある磐座の案内。境内の御神木。手前のは朽ちて、寄りかかっている(^^;ん?入口に居たおじさんが見てるのが由緒?気付かず御参り(^^;詳しくは分かってませんが、9世紀にはあったそう。御初代様(井伊共保)の頃から井伊家の氏神で、南北朝期までは龍潭寺の境内にあったと言われます。拝殿の左手から裏山へ。裏山は薬師山で、古墳時代~平安時代の祭祀場
信長の口から徳川家康に対して、弟よと、とんでもない発言が出た回でした。御初代井伊共保の生まれ変わりのような、みすぼらしながらも気の強そうな少年が井伊家にやってきたりと史実から大きく脚色し、最終回を迎えつつあります。天竜川は人で塞き止められるような川ではないんで、ろくざが風邪気味のシーンは笑ってしまいました。井伊万千代といがみあっていた小姓が、揉み上げを蓄え一気に老けて登場と、細部まで気を配って拝見してるファンには色々見所が多い。今川氏真や朝比奈といった井伊直虎の敵も、道化役として織田もて
絶景の日本平から次に向かったのは浜名湖。浜松です。11年前の旅行では弁天島に泊まったのですがそこのホテルは閉館したらしく。浜名湖は海水が入り込んでいる湾のような湖。複雑な地形もあってなかなか面白い観光スポットが多いです。折しも大河ドラマ直虎ゆかりの地が近くにあるのですが夫からの粋な計らいでした。泊まったのは舘山寺を眼下に見下ろす大草山にある浜名湖かんざんじ荘。もと国民宿舎です。ここも来年早々には閉館してしまうらしい。。(来て初めて知りました)親
おんな城主直虎大河ドラマ館とその周辺の第4回(最終回)です。行ったところ1.気賀関所2.大河ドラマ館3.龍潭寺4.井伊共保公出生の井戸5.ぬくもりの森今日は井伊共保公出生の井戸、ぬくもりの森です。井伊共保公出生の井戸は龍潭寺から歩いてすぐ近くにあります。Wikipediaよりコピペ井伊共保(いいともやす、寛弘7年1月1日(1010年1月18日)-寛治7年8月15日(1093年9月8日))は、平安時代の人物。遠江守藤原共資の養子。井伊氏初代当主。井伊共宗の
前記事の続きです。大河ドラマ館を出て、龍潭寺へ~🚙💨💨大河ドラマ館は絶対だけど、当日、帰りの時間までに余裕があれば、龍潭寺にもぜひとも行きたくて!!大河ドラマ館から近かったこともあって龍潭寺に到着!いつも、ドラマで見てるお庭の感じ(設定)とは違いましたが、ここが本物の龍潭寺で、あのお庭かぁ~と思うと、大興奮で!!😆写真🆗だったので叶夢とパチリ📷❇(残念ながら逆光😂(笑))これ⬇が、いつもドラマで出てくる龍潭寺からの実際の眺めです😆😌✨そして、順路に沿ってお寺の中や
⑥妙雲寺(自耕庵)開山は南渓和尚。直虎が晩年過ごしたと言われるお寺。(土、日曜日、祝日だけ拝観)⑦渭伊神社(いいじんじゃ)⑧天白磐座遺跡古墳時代の巨石祭祀の遺跡。見上げるほどの巨石が点在し神秘的で厳かな空間でした。ドラマで、幼少の時代のロケ地(・ω・)b近年、パワースポットとして注目を(。+・`ω・´)キリッ新緑の時期、また、訪れたいです(・ω・)b木々に囲まれ、神秘的な巨石。癒されました(*´Д`)生そば所曳馬路さんで昼食。とろろ蕎麦、うまうまでした(*´Д`)=
10/7~9静岡県城巡り&浜名湖自転車1周(ハマイチ)続き大河ドラマ館のチケットを購入後数歩で落としてしまった後は仕方ないので昼ご飯にしようと思ってうなぎ丼を食べようと思うもどこも昼時で一杯で行列・・・。この時点で2泊目の車中泊を決めたので残りはゆっくり走っても問題無いがせっかく浜名湖に来て鰻を食べないのは何かもったいない気がして仕方ないが行列並んでまで待つ時間もそんなにないのでとりあえず次へ進んで食べれそうなお店があれば入ってみよう。刑部城静岡県浜松市北区細江町中江55
井伊谷探訪の続きです《14》「龍潭寺」山門東門補陀落の庭御霊屋に向かう廊下正面が御霊屋。井伊家40代のお位牌を祀ってあります国指定名勝庭園小堀遠州作石が表現する禅寺の庭本堂開山堂南渓和尚、傑山和尚など、代々の住職のお位牌が祀られている正面右が1代共保殿、左が直盛殿左奥から手前に…直盛室、直虎殿、直親殿、直親室、直政殿御線香を用意して行ったけれど、柵があって中に入れなかった直親殿は、お墓に入っても許嫁と奥さんに挟まれてるのかーと、思ってしまう……大河ドラマ見過
9月29日お昼にブロ友さんを駅でピックアップして目指すは、勘四郎という名の豆腐屋さん。13時すぎに着いたら、オーダーストップでした。ブロ友さんにとっての1泊2日の夏休みの初日の最初から、暗雲立ち込めます。すかさず、2番手のとろろやさんに。こちらは、ランチ営業中でした。ほっ。私は、とろろやさんに行くと麦飯を食べすぎてしまうので今日は、セーブして大きめの茶碗に3杯にしておきました。ブロ友さんの今回の旅のテーマは直虎とうなぎと餃子。まずは、井伊家所縁の、龍潭寺井伊谷
こんにちは今日は、浜松気賀の最終回です。龍潭寺から南の道路を渡り歩く事約5分、初代、井伊共保(ともやす)公出生の井戸に行きました。皆さん同じ方向に歩いていきますのでついていけば辿り着けます。田んぼの中にポツンと出現します。1010年に井伊家の初代、共保(ともやす)が生まれた所と伝わる井戸です。共保の元々の姓は不明ですが、7歳の時、遠江国司として志津城にいた藤原共資(ともすけ)の養子となります。その後、この井伊谷(いいのや)に戻り井伊氏を名乗り、国人領主として約600年の礎
夏休み4日目。今更だけど。さわやかというハンバーグ屋さんにて、腹ごしらえ。並ぶ価値はありますね。直虎の大河ドラマ館に行ったり…井伊家ゆかりのお寺に寄ったり…伝井伊共保出生の井戸に寄ったり…のぞき込むチビたち。浜名湖サービスエリアにて。鐘鳴らすシュン。バッタ捕まえるエッケ。夏休みはこれにておしまい。夏休みロス…来年はどこ行こうかな。
9月9日龍潭寺のすぐお隣に井伊神社があります。井伊神社御祭神伊頭鞆安彦命(井伊氏初代当主・井伊共保)稜威直政彦命(彦根初代藩主・井伊直政)稜威直孝彦命(彦根二代目藩主・井伊直孝)滋賀県彦根市古沢町参拝料志納社号標鳥居旧社殿2013年(平成25年)3月、新しい社殿に神霊が遷され、旧社殿は彦根市に寄付され、指定文化財となりました。本殿に安置されていた神像も御霊を抜かれ、彦根城博物館に寄贈されました。
こんにちは今日は前回の続きで浜松市北区細江町気賀周辺をご紹介します。気賀関所を一通り観て、隣接する大河ドラマ記念館へ行ってみることにしました。大河ドラマで女性を主人公にしたものは正直あまり見る気がしませんが時代背景的に小豪族がひしめき合う戦国初期~中期は個人的に好きなので毎回見ております。(DVDに録ってまで)先日は奥さんからのリクエストで高橋一生の物真似をしてみろというムチャぶりにあいました。自分なりにやってみたものの奥さんは爆笑しておりました。似てるとか似てないとかではなく物真似
今年も帰省を利用して、ふらりお散歩。まぁ、せっかくなので大河ドラマ館に寄りました。ちょうど入館記念に「直虎ちゃん家康くんコラボビニールバッグ」(非売品?)を貰えるタイミング。先週、今週となかなか重い展開の大河ドラマ。田舎の町にも戦が…。堀川城跡もちょうど行きました。いつの間にやらのぼりも立っています。首塚…なんです。子供の頃は、凧揚げやら、マラソン大会やら😅ここに行ったあとで、公園山から地形を見るとどんな城だったか想像が膨らむかも知れない。井伊直親の墓へは、家族揃ってレ
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の郷を巡る旅のその3は、今回の旅のハイライト「龍潭寺」。平安時代から井伊家の菩提寺として続く龍潭寺、住職の南渓和尚を小林薫、僧傑山を市原隼人、僧梵昊天を小松和重と、人気俳優が役を務め、今回のドラマで重要な役割を持っています。その龍潭寺、気賀駅から3kmちょっと、寄り道しなければ歩いて40分ほどで着きます。今は暑いですが、これから秋になれば歩いても気持ち良いでしょう。まずは龍潭寺山門に到着です。龍潭寺は、井伊家の本拠井伊谷城の砦の役割も持っていたようで、な
皆様、今晩わ(´▽`)ノ本日も、遠江国・井伊直虎ゆかりの地をご紹介させて頂きます。今回は、城でも無く・・・寺院でも無くて・・・・(^_^;)どーーん!いきなり井戸の写真を載せてみましたが、こちらの井戸は井伊家ゆかりの井戸となります。遠方からは、こんな感じです。少し近づいて一枚❗この井戸は、1010年に井伊氏初代の井伊共保が生まれたと伝わる井戸です。共保は、遠江国司として志津城を居城とした藤原共資の養子となり井伊谷に移り性を、井伊としました。井戸の改修は、歴代の彦根藩主が行っており崇拝し