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『この世にあるものは全て実は繋がっている』日本に住みながらブラジルで起こったことも実は繋がっている?んな、アホなブラジルはともかく今日すれ違っただけの人や隣に住む顔も名前も知らない隣人テレビで見る、遠く離れた赤の他人そんな人たちとも繋がっている?どう考えても、信じられない
『本物の奇跡は良い因果応報の果て』『奇跡じゃなくて自分の中から導く未知の力』初めてこの曲を聴いたとき、歌詞に衝撃を受けました。ももいろクローバーZの楽曲「GOUNN」の1サビの歌詞です。聴いていた当初、『GOUNN』とはナンノコッチャと思っていました。当時も調べましたが、なんだかピンとこず……でも、今ならわかります。般若心経にも出てくる仏教用語の『五蘊(ごうん)』から来ているということに。自分の行動の結果が周囲の環境に投影されるのだろう、というのはなんとなく最近実感しているところ
「有為の奥山今日越えて」いろは歌に出てくる「有為の奥山」。はて、この「有為の奥山」とはいったい何を表していると思いますか?ここから発展して、そもそも「有」とは何なのか。「は?」・・・普通こんなことは考えないんですけど、私は考えてしまうのでちょっとお付き合いください。そもそも「有」とは何か。わたしは、有とは、「主観(小我)独自のフォーカス」の事と、思っています。「は?」まぁ聞いてください。。我々は、「本当は何も無い虚空の世界」に、
五蘊・十二処・十八界、そして空今朝の勤行のあと、次のようなお話しを聞いていただきました。僧侶研修のお方に対してです。そのさい、菅谷良明、十二処・十八界について2025年4月23日より次の図を用意しました。五蘊について有情(生物一般)を説明する場合、色は「肉体」という意味であり、受・想・行・識は、有情それぞれの心的・認識機能を数えたものとなります。(心身二元論との相違については)一方、外界を含めて五蘊が用いられる場合、色は「物体」という意味となり、受・想・行・識は、主と
「唯識」第12回「是故空中」般若心経が告げる心の革命と文明の転換原文と訳文――静かに受け取ってくださいまず、般若心経の言葉を原文でお読みください。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。そして、この11回の連載を通じて到達した訳文を、以下に記します。このように「空」で構成される現実世界の真っ只中では、あなたの身体も心も「空」である。あなたを構成する五臓六腑の肉体(色)も、精神活動手順(受・想・行・識)も「空」である。あなたが信
阿含経典の言葉を。(筑摩書房阿含経典増谷文雄訳より引用させていただきます)「比丘たちよ、色(肉体)があるにより、色を取するにより、また、色に執著するによって、<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある>と、そのような見解を起こすのである。また、受(感覚)・・・・・、想(表象)・・・・・、行(意志)・・・・・、あるいはまた、識(意識)があるにより、識を取するにより、また、識に執著するによって、<こは我である、こは世間で
本日の朝勤行の読経後、僧侶研修のお方にお尋ねしました。たとえば、『般若心経』をお唱えしていて、お経の一字一字が文字・漢字として思い浮かべることができますか、と。まだそれはできなくても、“しゃりし”は「舎利子」、“ふぞう、ふげん”は「不増不減」と心の中で書くことができるようになったようです。少し学習が進んでいます。では、「色、受、想、行、識」とはどんな意味か、「眼、耳、鼻、舌、身、意。色、声、香、味、触、法」は何を意味するのか、簡単にお話ししました。五蘊(ごうん)というセットにおける「
私の命盤における「辛」の重複と、宿命の設計図私の命盤には「辛(かのと)」の宮が、福徳と官禄の2つ存在しています。欽天四化紫微斗数の世界において、辛天干は文昌に「化忌」、そして文曲に「化科」を付ける発射源です。「化忌」が2つ重なる人生。これまでの歩みの中で感じてきた、人一倍の精神的な重圧や内面的な「しんどさ」の根源は、ここにあると確信していました。しかし、陳老師よりいただいたテキストを精読し、一文字の解釈を正したとき、この認識は大きく反転したのです。1.「載(背負う)」から「賴(頼る
いゃ~っ・・昨夜は花粉症がひどかった~・・目は痒いひ・・鼻水ずるずる・・くしゃみの連発・・3月初日・・だいぶ暖かくなって今日も花粉が飛びまくりそう・・朝からアレルギーの薬を飲んで整えて・・法事へ・・向かう途中・・若干のくしゃみと鼻水は出たもののセーフ・・法要はおとなしく無事に過ごせたぴょ・・食事は・・AB🦐ニャさんが予約ひてくりていた・・東松山のすごい日本料理屋さん”五蘊”へ・・こり・・”ごうん”と読む・・何とも難しい漢字らが・・AIさんの回答に
パズルの譬喩「空」の思想理解『般若心経』など仏典における「空」の思想理解をお伝えしようとして、わたしたちはときとして、譬喩(ひゆ)を用いることがあります。ここではまず、(透明な)コップと水の譬喩を紹介します。般若心経には「空」とか「無」という語がたくさん使われています。数えてみますと、このわずか二百六十余文字の経典の中に「無」は二十一も出てきます。「空」は七つです。ついでながら「不」という語も九つあります。「無」と「空」の違いについて簡単に説明します、といって次のように
四魔『望月仏教大辞典』を参照して、四魔について、その基本的情報を記しておきます。蘊魔(陰魔、五蘊魔、五陰魔、五衆魔、身魔)、煩悩魔(欲魔)、死魔、天子魔(他化自在天子魔)の四種の「魔」をいいます。魔(māra√mṛ.mryate死す、Caus.mārayati,-te殺す)とは「いのちを奪うもの」という意味です。その理由を『大智度論』釋魔事品第四十六、卷六十八は以下のように示します。「魔は秦に能奪命者と言う。死魔、實に能く命を奪うと雖も、余は亦た能く奪命の因縁と作り、亦た
日曜日、午前10時に駅で待ち合わせ。東松山の神社をお参りして昼食時間が12時30分だと時間が開きすぎるね…やって来た知人が「いちご大福」を大好きで食べたい食べたいと言っていることを思いだし、急遽「いちごの里」に寄ってみようということに。番号札を取って待つ。34人待ち…空は真っ青、風無し。外で待っている人も多い。30分くらい待っただろうか。長くは感じなかった。知人の分私達の分、そして明日会う長男家族の分…合わせて14個のいちご大福と、紅ほっぺ苺を3パック買った。苺の生育が遅く、昨年
アインシュタインは、最も物理学に近いのが仏教だと述べていました。太陽の光が物体に反射して、私たちの網膜に映像を映し出しています。Xの赤色、Yの緑色、Zの青色で、コピーがwの時間軸となっていて、一般的には4次元とされ三つ揃えば、中は無垢の無色界となっています。次元の方向は矢印で表され、光の三原色となっています。三次元がコピーされて、四次、元となり三位一体や、魂の三分説でテスラの全ては、光で三六九のミロクの世だ。😉超弦理論や仏教は、一つだけ時間軸
『般若心経』の学び空性の説示五蘊と空性舍利子。色不異空、空不(c08)異色。色即是空、空即是色。受想行識亦復如(c09)是。ここでの「空」は、空性(śūnyatā)の意味であることは、原田[2002:106註29,30]に指摘される通りです。(B)ihaŚāriputrarūpaṃśūnyatā29),śūnyataivarūpam.rūpānnapṛthakśūnyatā,śūnyatāyānapṛthagrūpaṃ30).yadrūpa
本日、城谷歩さんの怪談公演「五蘊皆空」が無事開催されました。80席ソールドアウトにて、大変盛り上がっていました。公演後は城谷さんとスタッフの皆様と初めて一席設けさせていただき、お疲れのところ貴重なお話をお伺いすることが出来ました。城谷さんの全国ツアーでは、本覚寺だけが毎年会場になっているそうで、深いご縁を感じました。城谷様、スタッフの皆様、ご来場いただいた皆様に感謝申し上げます。どうも有難うございました。
増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』第三篇・根本説法、第三章・行苦説法pp.89-99は「五蘊は苦なり」南伝、相応部経典(SN)XXII.13Dukkham(苦)「無常なるものは苦なり」南伝、相応部経典(SN)XXXV.32有験Sappāya「生きとし生ける者の法則」南伝、小部経典経集(Suttanipata)三、八箭経vv.574-593「夢の如し」南伝、小部経典経集(Suttanipata)四、六老経vv.804-813からなります。ここでは、前二つに
金曜日。午後から仕事なので、午前中のうちに義姉の施設に会いに行く。先月の9月7日に特別養護老人ホームに入所して1ヶ月余り。ほとんど毎日それも午前午後と2回も姉の顔を見に行く日も多い。入所した時は「看取り対応」だったが、1週間たった頃から姉は急激に元気になってきた。「ここのみんなは優しい」「おしゃべりもしていってくれる」「いろんな人が声をかけてくれる」この施設の職員さんの細やかな優しいお世話が姉の心に火を灯したようだ。何も食べられなかったあの頃に比べたら、お粥に変わり今は普通食にな
仏教の本をよんでますが五蘊仮和合により自我という錯覚がおきるとかいてますが?(違和感)ですそもそも無明行つまり根本存在に無知(12因縁という幻想をしらないという無知ではないことに注意それは堂々めぐりになるだけ)のため行為者という自我信念がすでにおきているのでありさらに形而上学的な大自我の意識(識)のあとに名色(魂とシナリオ)がありそこでも魂(小自我)という信念がおきていますしたがって魂がそのあとの六処(顕在意識や五感)と同一視することで私という日
五蘊を理解するための基礎資料です。菅谷良明さまの「無我相経と解説」2024年12月2日を参照させていただきました。Anattalakkhaṇasuttaṃ「無我相経」SNIII66‒68Ekaṃsamayaṃbhagavābārāṇasiyaṃviharatiisipatanemigadāyeあるとき幸あるお方(=世尊)はバーラーナシーのイシパタナ鹿野苑に住しておられた。Tatrakhobhagavāpañcavaggiyebhi
空(空性)と五蘊の関係般若心経(a)舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是(b)空中無色無受想行識(十二処、十八界のそれぞれも同じ。後略)本日は、この二つの文の意味について、少し(私の)考えを述べてみます。梵文からの和訳は「シャーリプトラよ、この世において、空は色であり、色は空に他ならない。色を離れて空はなく、空を離れて色はない。色、それは空であり、空、それは色である。感受も、表象も、意思も、認識も、まさに同様である。」とありました。同じく「シ
本日は、僧侶見習いのお方に、五蘊についてお話ししました。十分ではありませんが、基本的なところのみの説明です。人間の身体(人体)は、水分やたんぱく質、脂肪、ミネラルなどからでできています。元素でいえば、そのほとんど95%は、酸素・炭素・水素・窒素という四つに還元される、といいます。残りの5%には、カルシウムやナトリウム、カリウム、マグネシウムなどの微量元素が含まれます。)また人体を作りあげる細胞の数は現在、37兆2000億個と修正して数えられるとのことです。さて仏教は、私たちは五蘊
『大日経』住心品五蘊を聚沫等にたとえる人無我・法無我若し蘊等に於いて離着を発起せば、当に聚沫・浮泡・芭蕉・陽焔・幻等を観察して、解脱を得べし。Tib.namphungpodagla‘dodchagsdangbralbarskyedpa(N.L.T.G.bralbabskyedpa)de’itshelbubadang/chu’ichuburdang/sgyumadang/smigrgyudangmtshungspar
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仏語で出てくる五蘊皆空や五蘊盛苦では五蘊(色、受、想、行、識)という言葉が出てきます。このうち色は色、声、香、味、触覚の五感で感じる実世界受は自分が実世界の状況を受け止める想は自分の心の中で思い描く行は自分が実世界に対して干渉する識は物事を見分ける心のはたらき(ここだけOxfordLanguagesより引用)。つまり考察するということでしょうかねこれで5つの「五」です。AIによると「蘊」は蓄積するという意味だそうです五蘊盛苦は、これらが盛んになると苦しむという意味に
『大日経疏』巻第一より復觀内身五蘊。亦如聚沫泡(589b28)炎芭蕉幻化。自求性實尚無所有。況於其中(b29)而得有心。如是從麁至細去廣就略。乃至現(c01)在一念識。亦無住時。又復從衆縁生故。即空(c02)即假即中。復た内身の五蘊を觀ずるに、亦た(色蘊は)聚沫・(受蘊は)泡・(想蘊は)炎・(行蘊は)芭蕉・(識蘊は)幻化の如し。自(みずか)ら、性實(*svabhāva実体)を求むるに、尚し所有なし。況んや其の中に於いて而も心あることを得んや。是の如く、麁より細(色蘊から識蘊)に至り、広
ブログでも書いたのですが人生初のイジメを受けて凹みましたそれにも意味があるのかなと思うようになり少しずつではありますが回復しておりますでは五蘊に当てはめて色BUCK-TICK病を止めろと言われ彼女達の中ではBUCK-TICKは空ですがHIZUMIさんの中ではBUCK-TICKは、ある心の中で櫻井敦司は生きている受彼女達の中では無い存在ですがHIZUMIさんの心の中心の闇を灯火と杖で支えているのはk櫻井敦司なので彼女達の言葉は頭に入らず同じテンショ
神道的に生きると割と厳しい神様は厳しい神様もいらっしゃるけど概ね優しい神様が多いですね仏教的に生きるのはお経自体が生きてる人間への教えと彼岸の方への応援になりますその側面から見ると仏教的に生きるのはお経の意味を知ると生き辛さが解消されやすいと思うのね仏様でも厳しい方はいらっしゃいますよ明王様とか天が付く方帝釈天様とかねでも、まぁ厳しい神様よりはお話しを聞いて下さる仏教の考え方をアッサリ言うと全て「空」無いんですこの世のものは全て無い
今日の夕飯🍽️初めて入ったお店。五蘊で。前職の同僚と久しぶりのランチ🍽️鶏唐揚げ定食味噌汁春雨サラダご飯ごちそうさまでした😋美味しかったです。安くて美味い!
捨てた傑作時間か経つにつれて息をし始めるいつも、そう。こうして見ると、まあ、何だか素敵かも?たぶん、ぐちゃぐちゃに塗り重ねて捨てたかな。瞬間を写し遺していた。後から、ずっと後になって探したわけでもなく、目に止まって。今日は、その瞬間に救われた。まだ、根は、生きているかな?たぶん。瞑書か…。よく名付けたものだ、我ながら。名は呪
いきなり説明が飛びました。ブログ主の気分というやむを得ない事情によるものですのでご了承ください。本来は最初の最初に来るべき仏教世界の分類についてです。もう結構昔ですが、土屋賢二という哲学教授・エッセイストがいて、その人の著作の中に「人気教授になる方法」みたいなユーモアエッセイがありました。自分もかなりうろ覚えなので不正確な部分をお許しいただきたいですが、哲学者として本を出して人気を博すにはどうすればいいかを皮肉たっぷりに語っていて、その中で「取りあえず分類を作ればいい。そうすれば分類の内容