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TOP-神社・仏閣-岡山県-倉敷市-五流尊瀧院山号・寺名五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)宗派修験道総本山御本尊十一面観音所在地岡山県倉敷市林952Google地図緯度,経度34°32'12.6"N133°49'08.0"E34.536823,133.818883創建年【伝】大宝元年(701年)開基【伝】役小角の高弟御真言おんまかきゃろにきゃそわか御詠歌参拝日2024年(令和6年)12月18日(引用)ウィキペディア(Wikip
【伝桜井宮覚仁法親王墓】岡山県倉敷市五流尊瀧院【桜井宮覚仁法親王】1198-1266鎌倉時代,後鳥羽天皇の皇子。建久9年生まれ。母は滝。法住寺にはいる。建保(けんぽ)6年(1218)親王となる。同年(一説に仁治(にんじ)3年)天台宗園城寺(おんじょうじ)長吏。宝治(ほうじ)2年熊野三山・新熊野検校となり,後嵯峨上皇の熊野行幸の先達をつとめる。備前(岡山県)の尊滝院にうつり,承久の乱で流された弟の頼仁親王とともに五流修験の再興につくしたという。文永3年4月12日死去。69歳。通称は桜井
こんにちはいつもブログにご訪問くださり、ありがとうございますタカトのぶらり一人でご参拝旅in岡山県五流尊瀧院のご参拝後に向かった場所は…。日本第一熊野神社境内に入った瞬間…。「あ、熊野本宮大社と同じ感じがする〜」と感じました。日本第一熊野神社のサイトには…。役行者が民衆を惑わすという罪で伊豆大島に流され、高弟たちは紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて瀬戸内海に逃れ、四国九州に浄域を求めた後、児島の柘榴浜に上陸し、熊野道といわれている山道を通り、大宝元年(701)三月三日、福岡の里
こんばんはブログにご訪問くださり、ありがとうございます今日は有給休暇を取得して…。SHUKAさんやパワースポット一人旅さんのサロンメンバーさん達とご参拝に行っておりました詳細は後日に投稿致しますが、とても充実した1日となりましたそれで只今、帰ってきましたので…。必死のパッチでブログを書きますタカトのぶらり一人でご参拝旅in岡山県朝起きて、まず向かったのは五流尊瀧院五流尊瀧院へのご参拝を勧めてくださったのは、もちろんSHUKAさんちょっと長くなりますが経緯を。それは岡山県にご
数ヶ月前のお話です。『のんびり倉敷旅行記①』数ヶ月前ですが倉敷に1泊旅行したときのお話。私たち家族と私の母と妹の5人での旅行でした。倉敷に亡き父のゆかりの神社があるらしくここ数年父が参りたがっていたのに…ameblo.jpの続きです。2日め。朝食はホテルの最上階のレストランでビュッフェでした。テラスに出られるようになっており眺望も良くお天気のいい日だったので食後にテラスに出てコーヒーを飲みましたそしていよいよ今回の旅の目的である寺院へ。ホテルから車で30分ほどでした
11/12五流尊瀧院へ紅葉を見に行った。11月も半ばなのに完全に赤く染まっていない木もある。気候のせいかな、しかし概ね綺麗だ。毎年見に来るところだが、やはり来て良かった。😊
皆様、こんにちは。今日は暖かい一日でしたね。当地はお天気も絶好で、お出かけ日和でした。ということで、私、今日は一日、遠出をして参りました。以前も初詣でご紹介した倉敷の日本第一熊野神社にお詣りしてきたんです。この季節にお詣りするのは初めてなので、楽しみにしていました。ここは「身体の各パーツ」ごとのお守りが買えるという、大変珍しい神社です。欲しかった天然石の「干支守り」。コチラは今年のお正月に
コンバンハ(´,,•ω•,,)ノ))☆☆うどんを食べに倉敷市亀島に行く予定をたて気になっていた神社にも行こう!!となり倉敷市林にある初めましての日本第一熊野神社に手水舎には亀入って右に見えるのが五流尊瀧院日本重要文化財の三重塔熊野神社の境内図𝙿𝚊𝚢𝙿𝚊𝚢使えるみたいです。こちらはお守りの数が多くてからだ御守り57種類もあるそうです。多すぎて、かえって選べなかった左下に写ってる塩御守も気になった1番気になったのがこちらに写ってる厄流し石鹸この石鹸を買いに時間見
五流尊瀧院とにかく気持ちいい中に入れるかなぁと思いましたが入れました『冷泉宮頼仁親王歌碑』『石碑「児島高徳誕生之地」』『護摩堂(本堂)』『役小角(役行者)像』『本殿』ちょうと太陽の日が入って神々しいここは必ずご利益があるとか頭上の十一の頭でどこにいても見つけ出し、励ましてくれると言う十一面観音様県の重要文化財今にも倒れそうな灰皿【不動明王】明治維新の中心人物だった大久保利道公が1878年(明治11年)東京紀尾井坂で暗殺された時に乗っていた馬車が所蔵されているそうです
熊野神社と五流尊瀧院もとは新熊野権現と言われていたが、現在では五流尊瀧院と熊野神社とに別れている。弟の5人がそれぞれ五流の寺院ー建徳院・伝法院・大法院・尊瀧院・報恩院を建造し、中心寺院となるのが尊瀧院です。現在は1300年余の伝統を今に伝える修験道の総本山となっているそうです。熊野神社後鳥羽上皇御影塔SatomiのmyPickAmazon(アマゾン)「姿勢革命」もっとねこ背になりなさい!~背中を丸くする意識だけで、健康で美しくなれる~1,540〜5,469円石を渡れば行
昨日の疲れか暑さのせいか、しんどいです。栄養ドリンク飲みます。大体、朝は眠くて昼はしんどい。夕方からは元気。夏は毎年栄養ドリンクを飲んでたなぁ。昨夏はあまり飲まなかった気がする。コロナ禍でいつもと体調が違ったかな?ワクチン接種以来、左肩の痛みがなくなったような気がする。でも右肘が痛い。車だと通り過ぎてしまうあんぱん堂。今日はバス停から歩いているので買いに行きます。いろんな味があるので、つい買い込んでしまう。持ち帰りもあるし中で座って食べられる。すぐ出来そう。
先週あった肺癌学会の事を書かなくちゃと思いながら時間もたったので書けなくなっています。今年は岡山で開催され肺がん治療時の主治医が学術集会長なのでいつもより頑張ったんだけど、コロナ禍でのハイブリッド開催ゆえに、どうも盛り上がり方が分からなかったな。PAPに登壇してくださった先生方には、目の前に患者・家族がいないのに心のこもった講演に感謝。そんな学会も終わりひと段落ついたオヤジは、いつぶりだろうというくらいの休日。午前中は天気もよさげなので、先日のジャンクスポーツで野球解説
202011/12倉敷市児島の林にある五流尊瀧院の紅葉を見に行った。ついでに直ぐそばにある熊野神社も訪ねてお参りしてきた。五流尊瀧院の紅葉は見頃かちょっと早いかと言う感じ、今年も気温が高かったのでもう少しだな等とと言っている間にこれ位で終わりを迎えるのかもしれない。庭は相変わらずきれいに掃き清められ、実に爽やかで気持ち良い。それと人がいないのが一番良い。ゆっくり落ち着いて楽しめる。ここで一番の私のお気に入りは建屋の玄関、落ち着いて清潔で品があって、エ
この三重塔と鐘楼が前述の日本第一熊野神社の境内にあります明治の神仏分離令により修験道寺院五流尊瀧院として分離されました
ブログにお越しくださりありがとうございますスターシードKEIKOです10月に入りましたね~これからが超~楽しみですまずは心地よく現実創造する上でこれがどれだけ大切かしみじみ思います本当に本当にそう思ってる本当にそれしたい本当は何度も自分に問いかけ本当の声を聞くそして最初の心の第一声を聞き逃さない聞かないふりをしない聞いても思考で抑え込まない理由はわからなくてもその直感になるべく行動を起こすついつい思考に流されてしまいがち昨夜ふと『役行者さま』って思い岡
以前行ったことのある、駐車場が無い和食屋さんに、別の友人と行って来ました。私は電車だったので予約時間より早く着き、駅から下の有料駐車場を見ると友人はもう到着して車の外に出ていました。坂を登って少し歩くとお店なんだけど、この暑さ、汗びっしょり。どのお席でもどうぞとのこと。木の椅子はお尻が痛くなりそうなので、革張りの椅子にしたら、エアコンの風が届かない席で暑い。部屋のエアコンは1つしかついていません。早く着いたせい?熱いお茶が出ました。喉が渇いていたけど、熱くて飲めない。石田
後鳥羽天皇皇子頼仁親王墓頼仁親王1201年~1264年父:後鳥羽天皇、母:坊門局岡山県倉敷市頼仁親王は承久の変で、父の後鳥羽上皇が隠岐の島に配流されると、親王もこれに連座して児島に配流されました(当時、児島は島だった)。五流尊瀧院で亡くなりました。修験道総本山五流尊瀧院の歴代の大僧正は、頼仁親王の子孫と伝わっています。五流尊瀧院『【倉敷市】五流尊瀧院』寺社No.26御朱印No.185総本山五流尊瀧院岡山県倉敷市天台宗修験道1999年2月28日御朱印No.105020
5月31日(日曜日)今日は何処かに花散歩しようと決めてました午前中まで雨が残りましたが午後は上がってじゃ、行ってくるね〜と🚗💨笠岡市の干拓地のポピー高梁市の頼久寺のお庭とサツキ倉敷市のRSKバラ園のバラもしくは児島の菖蒲…のどれにしようかなと悩んで今まで足を止めて見たことのない「菖蒲」を倉敷市児島の「住心院」へ行くことにしました🚗💨でも道に迷って思わぬところへ、ふらりと寄り道【五流尊龍員(ごりゅうそんりゅういん)】残念なことに門は閉まってました明日(6月)からは
昨日、友に初詣に行かない?と言われ、行ってきました^^正月三が日に初詣に行くなんて…そういえば、主人と結婚してから無いかもしれない^^;その友は毎年、年末か正月かは遊びに来てくれてるんだが、初詣混むからなぁって行ってなかったのだけれど…何か八咫烏が見たいのです!と友。そして、日本第一熊野神社へ行ってきました。.あ、出かける前の鼻水垂れ子姫。おいて行かれるとは思っていなくて、日向ぼっこをしていましたw車で鳥居の横を通り過ぎちゃったので、帰りに慌てて鳥居を撮った所w
201911/28山歩きの仲間との会食が決まった。場所は森の中にひっそり佇む、落ち着いた雰囲気の森カフェ。久しぶりに皆に会える、仲間と会えるのはやはり嬉しいものである。私が患って以来、山には行っていない。仲間の一人が、無理をしないで、山に行かなくても食事会で会うようにしても良いと言ってくれた。私の回復を待つと、有り難いお言葉、早く元気にならないとと思う。そのような思いを抱いて森カフェに集った。久しぶりに会う仲間は皆いい笑顔!話が弾む、料理も最高
201911/16癌治療の化学療法、一コース目を入院にて消化。16日午前中に無事退院、外に出ると丁度紅葉の時期。帰宅して友人に退院を告げると、すぐ紅葉を見に行こうとなった。と言うか、私が煽ったようなもの。早く外界にに馴染みたいのである。ろくろく家に居る時間もなく友人と外出、行く先は児島・林地区にある五流尊瀧院。訪れる人も少なく、綺麗な紅葉をゆっくり楽しむことができる、超穴場!今年も期待を裏切らず、美しい紅葉を見せてくれた。ここは天皇家に繋がる由緒ある場
岡山県倉敷市林9520864850027
瑜伽山から次の寺院に向かう途中、久しぶりに日本第一熊野神社に立ち寄った。その前に熊野神社とは神仏混淆の寺院であった五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)にも立ち寄ろうとしたのだが生憎門が閉まっており参拝は叶わなかった。門が閉まっていた五流尊瀧院瑜伽山の北麓にあり、この辺りは岡山県南の修験道の中心である。五流尊瀧院は現在、修験道総本山となっているが天台系つまり本山派の寺院である。もっとも、蓮台寺は真言宗御室派であるが。また、岡山県北には道仙寺がありこちらは真言宗醍醐派なので当山派であり、後山を中
平成31年2月3日(日)節分今年の2月1週目日曜日も、昨年と同じく、岡山県にまいりました。昨年は、吉備津彦神社~吉備津神社~最上稲荷へお詣りしましたが、今年は違う場所にお詣りする事に。倉敷市の新熊野三山へお詣りする事にしました。役行者さんが冤罪で伊豆大島に流された時、その難が熊野権現に及ぶことを恐れ、長床座衆五流八家十二家三十五院三百余人が熊野権現の神体霊宝とともに船に奉じ(!)この倉敷の地に新熊野三山を造営したそうです。新熊野三山とは、新宮諸興寺(薬師如来。廃寺)瑜伽寺(由加山蓮
日本第一熊野神社にお詣りしたときの後半。境内にあった案内板を見ると熊野神社と五流尊瀧院というお寺は隣接というか同じ敷地にあるらしい。不動明王があるとわかったので散策してみた。迷う自信があったので案内図を写真に撮っておいたけど正解。小さな道なのでわかりづらくて何度か間違えた。さすが方向音痴。懐かしい感じのする道を進む。祖母の家の近くを探検した子供の頃を思い出す。お地蔵様が多く並ぶ場所を抜け五流尊瀧院の裏門へ。案内図の通り裏門から失礼しました。
2018年3月11日、日曜日、晴れ。第31回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ、2日目、瀬戸大橋・鷲羽山コース30kmに参加中です。倉敷市役所を、7時10分に、スタートしました。今日のコースは、去年までの、瀬戸大橋コース40kmを、短縮して、新たなルートを加えた新コースですが、コースの前半は、今まで通りです。倉敷市役所から、南に向かい、粒江小学校を経て、下津井鉄道廃線跡の自転車道を、南へ向かい、地元の中学生が歓迎してくれる、熊野神社に到着しました。一つ目のチェックポイント、8時52分です。ゴー
岡山・倉敷で活動するスピリチュアルワーカー・ユートリア開運堂の北郷杏奈です✨倉敷市林にある修験道総本山・五流尊瀧院(ごりゅういんそんいん)で毎年旧暦の1月23日夜と1月24日の早朝にされているお日待大祭に今年始めて参加させていただきました。今年は1318回目ということで、とても歴史のある大祭で、そんなにも長い間守られ続けられていることに驚きました。五流尊瀧院お日待大祭昨日が旧暦の1月23日に当たり、夜8時からの内護摩供厳修に参加させていただきました。今年に入ってから色々な紐解きがあり、
後鳥羽上皇の皇子の子孫が代々住職を務めてる五流尊瀧院とは?約1300年余り前、修験道の開祖・役行者が霊夢の導きにより児島に上陸し、ご神体を安置して新熊野三山を開きました。その高弟5人が尊瀧院など5つの寺院を設けたのが五流の始まりで、五流尊瀧院は正統修験道の総本山です。承久3年(1221年)の承久の乱で隠岐に配流された後鳥羽上皇の皇子で、桜井宮覚仁法親王が新熊野検校(けんぎょう)となり、続いて冷泉宮頼仁親王がこの地に庵を設け、五流尊瀧院の住職となり、男系血脈が代々住職を務め
上寺山餘慶寺に、南朝方の武将児島高徳の供養塔があり、その系図から後鳥羽上皇の頼仁親王の曽孫だと知り、児島高徳の生誕地を探して児島へ出掛けました。修験道の五流尊瀧院を訪ねると、茅葺の邸宅が見えて来ました。五流尊瀧院の詳細は後日アップしたいと思いますが、承久の乱で隠岐に遠島となった後鳥羽上皇に連座して、上皇の第4皇子頼仁親王が児島に配流となりました。頼仁親王は衰退していた五流の寺院と十二社権現宮を再興し、南北朝の頃まで大いに繁栄しましたが次第に衰微し、現在は尊瀧院のみが残っ