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伊勢神宮参拝して参りました、藤原道長直系の二條隆時宗匠とご一緒に。全身の血流が良くなるから、痛み不調が早くラクに!全身のあちこちが一度に改善!バイオメカニクス整体、宗像菜々子です。内宮宇治橋前にて。振袖、色留袖、訪問着・・・絹地があでやか、平安絵巻さながら・・・、では。”正装”でないと、伊勢神宮で正式参拝できませんので。外宮、お神楽奉納、内宮、お神楽奉納とこの大人数で充実の参拝でございました。宇治橋前で、宗匠を囲んで。とにかく派手になさい!とのことで、私は20代のときにあつらえた
2019年の5月頃大祓祝詞(大祓詞)を暗記しました覚えようと思ったきっかけは当時神社巡りで同行させていただいていたグループの全員が暗記をされいて自分も暗記出来たらかっこいいと思ったからでしたそういう浅はかで幼稚な理由です大祓祝詞(大祓詞)を暗記後最初から最後まで奏上できたとき達成感はありつつも気持がスッキリするとか心が軽くなるとかそういった効果を感じたことはなかったように思います記憶にないだけで何処かにそう書いていたらごめんなさい暗記して数年後大祓祝詞
九条池の向こうに見える百日紅が、見ごろになりました。向こうへ行ってみましょう。ここからの景色を見るのには、以前よりも3倍も高い値段になってます。値上がり率は、お米どころではありません。御苑の、拾翆亭でした。
「武者の世の始まり」とされる、保元の乱は、日本の権力闘争の構造を根本的に変えた。藤原忠実、頼長と藤原忠通の政治的暗闘は、27年間続いたが、保元の乱の武力衝突により、一夜にして、決着したてしまったのである。更に、藤原信西は、薬子の変以来、平安時代を通じて、死刑を復活させ、源為義、平忠平等の武士を処刑した。平安時代の日本は、朝廷の公卿達が、政治を司り、権力の座を巡り、数々の陰謀を企て、政敵を陥れたが、武力を使うことはなかった。藤原北家を筆頭とする、公卿の政治抗争は、陰湿ではあったが
高田馬場の茶道会館で行われる二條宗匠の節分立春の会へ。公家五摂家のうち二條家46代二條隆時宗匠による香道・茶道の会に行ってきました。皆さん素敵な着物での参加、和気あいあいとした会で楽しかったです。二條家に伝わる名品がずらりと並びます。破魔矢を中心に松竹、梅の掛け軸が堂々たる雰囲気を称えています。床柱には「のりこぼし」の椿が。本物を見るのは初めてです。桜月流の香道で聞き香に挑戦。七福神のそれぞれのお香を聞いて、本香の香りを当てるゲーム。残念ながら当たりませんでした。香りを当て
「96第九十四代後二条天皇」今日は、会津藩みなさん、おはようございます9月22日は徳川家への忠誠皇室への尊崇の会津藩は鳥羽伏見の戦いで長州藩と立場が逆転しついに降伏します「義に死すとも不義に生きず」会津の教訓です第九十四代後二条天皇後宇多天皇(九十一代)の第一皇子大覚寺統=南朝です1301年、御即位あそばされました後深草院(持明院統、北朝)亀山院(大覚寺統、南朝)後宇多院、伏見院、後伏見院両統迭立の結果上皇は5人いましたどうし
「歴史は繰り返す」は、古代ローマの歴史家のクルティウス・ルフスの言葉とされ、「歴史は繰り返さないが、韻(いん)を踏む」は、アメリカの作家のマーク・トウェイン(『トム・ソーヤの冒険』で有名)の言葉とされているようで、歴史は、似たようなことが起こるという意味です。ここでは、日本で、過去と類似した事例が、現代も発生していることを、取り上げていきます。■求心力が低下すると、権力は分裂する前近代の日本史を大雑把にみると、主導した政権(政治権力)は、おおむね、天皇親政→摂関政→院政→
またハーモニー宇宙艦隊とかいうカルトがレプリコンワクチン無毒化とかほざいとるな。コロナワクチンも無毒化とか言うてるけど完全な嘘w言うとくけど教祖はメンタル体発動反対派のドラコニアンで五摂家やから!月刊フナイとか読んでるやつ、依存体質の家畜脳炸裂しとるわ。(フナイも反対派のドラコ)ハーモニー信者は人間ど○○にされてていずれ収穫されて出荷される運命やから!はよ離れた方がええでー!!!!見たとこスピリチュアルジャンルってほぼ全部アウトやん職業スピリチュアルダイレクターってなんやねんw多次
2024年05月20日。京都御苑の中にある拾翠亭(しゅうすいてい)。五摂家のうちの一つ、九条家が茶会や歌会などの為に建てた別邸です。江戸後期の建物。一般公開もされており、茶会や句会が開かれることもあるとか。僕が行った日は、なかでなにかやっているようで立入禁止でした。分からないけれど、どこぞのお人方が茶会を催していたのかな?茶室からの景観も良いそうなので、機会があったら入ってみたいです。
熊本県全土の結界強化が終わりました。結界強化を昼間にやって、夜はダウジングでドラコニアン五摂家探し。今ベスさんにそのデータをLINEで送らせて頂いてます。(補足→新ベスのブログを運営されてます)ダウジングやってるとダウジングで確認する前に答えが聞こえるというか、浮かんできて、嘘やんホンマに?って思いながらそれを口に出して言うとYESになる。この感覚、十種神宝をせっせと作っていたあの時の感覚にすごく似てるんです。やってる作業がそのまんまなんですよね。もしかしたらまたアカシックレコ
あの上級国民飯塚幸三クボタの副社長やったんですよね。ウィキより引用く○たクボタ-Wikipediaja.m.wikipedia.orgクボタってよくCMでも見るなかなかの大企業。で、上級さんはそこの元副社長、ということは今そこの椅子に座ってる人も上級さんとちゃうの?と思ってちょっと調べたんです。上級役員紹介役員紹介|クボタについて|株式会社クボタ株式会社クボタの会社情報。会社概要、クボタグループの「社是・経営理念」・「行動憲章・行動基準」・「スローガン」などの会社情
先日の大河「光る君へ」の御堂流(御堂関白家)藤原道長の家系から思い出した事なんだけどね...先ずは、このお話しのプロローグ😅MGMミュージカル映画🎬【上流社会】成功したジャズ🎷🎺ミュージシャンのデクスター(ビング・クロスビー)が、他の男と再婚しようとしている元妻の富豪の令嬢トレイシー(グレース・ケリー)との愛を取り戻そうと奮闘。そのスキャンダルを取材しにやってくるゴシップ記者のマコーリー(フランク・シナトラ)の主演トリオが演ずるミュージカルラブ💓😍💓コメディ☝️この作品を最後にヒ
毎週日曜日、NHK大河ドラマ『光る君へ』を、今年は例年にないつまらなさで観ている。つまらなれば、観なければいいじゃないか、と言われそうだが、チャンネルを合わせることの多いNHKなので、惰性で観ているだけだ。若い頃の道長は心優しい公卿だった?何がつまらないと言って、民衆の苦境をよそに、そこから全くかけ離れた宮中の、天皇と関白などと公卿のドロドロした駆け引き、陰謀が際限なく続くからだ。アウトドアの合戦などの場面も全くなく、舞台は宮中と「まひろ」(紫式部)の家だけだ。NHKはずいぶん安く
今年のテーマは藤原氏紫式部も藤原氏九条家も五摂家も藤原氏閑院宮邸跡の東側。京都御苑内です。厳島神社。平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命も合わせて祀っております。池と傍らの拾翠亭はもと九條家のもので、この社は同家の鎮守社だった。社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つで池の弁財天とも呼ばれております。九条池。平清盛公ゆかりの鳥居であり、笠木の真ん中あたりが唐破風型になっている珍しい形。「京都三珍鳥居」⛩️国の重要美
久しぶりに鬼束ちひろさんの歌が聴きたくなり、『茨の海』を聴きながら一人で歌ってました。この歌好きなんですよね〜(笑)だからかな…?大阪市西区九条にある茨住吉神社に繋がってしまいました。実際には、他にも細かすぎるサインと誘導が沢山きたのですが、、、呼ばれてると確信し、参拝してきました。地下鉄中央線九条駅で下車。どうしても、九に導かれるワタシ。(笑)ソウルナンバーなので。九条といえば、呪術廻戦の五条悟を思い出します。毎週金曜日の配信を楽しみに観てます。五条家の五条悟は、菅原
日本史田中一平メモ(メモ誤字脱字乱文乱筆ご容赦)家光。参勤交代の制度化以外の部分ここで大事になるのは対朝廷ですね。「紫衣」事件が非常に重要。「紫衣」、「高僧」にのみ与えられる特別な服。紫が高いのは冠位12階位でもよく説明されます、これを基本、朝廷が今まで与えていて、朝廷からそれをもらった「僧侶」もしくはその「僧侶」が所属する寺は朝廷に対してお金を納める事で、収入源になってた。実はこれが、当時の朝廷は高僧たちに乱発した。当時は「後水尾天皇」みっともないですよ
【食育クイズ:Vol.1372】「京都府」の「近衛文麿」おさらいクイズ!「藤原北家」に代々伝わる名宝を、当主「近衛文麿」が保管した施設名とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)Eco&Art太陽パネルの元で育った大豆のコーヒー(浅煎り,10
さて、手桶弁当の六盛さんでのお一人さまランチを楽しんだ後は…すぐお近くの細見美術館さんへ🚶♀️〜細見美術館〜香道志野流の道統特別展初代志野宗信没後五百年記念香道の志野流の初代志野宗信は、室町幕府の第8代将軍である足利義政公の命により、武家の香道である志野流を確立したと言われています。なにやら折形と同じような経緯で確立されたようですね。折形は、室町幕府の第3代将軍足利義満の命により、武家礼法として確立されました。志野流は武家、そして香道のも
約4ヶ月ぶりの共立美容外科全国会議です。今回で61回目、リモートから脱して対面です。新宿での会議は13時からだったので、早起きして明治神宮に向かいました。早起きは三文の得、と子供の頃教わりました大正9年からある定もう直ぐ新嘗祭(にいなめさい)でした11月23日、現在では「勤労感謝の日」と言っていますが敗戦前までは新嘗祭という天皇家の最重要行事が行われる日であるとともに「新嘗祭」という名前の国民の祝日でした。明治6年以降、ずっと新嘗祭という名称の祝日だったのを敗戦を機にGHQによって
名古屋のシンゾウです毎回、毎回、《チョット漢字力》コーナーを設けていますが、邪魔では無いですか。京都検定を勉強していると、己の漢字力の無さにガッカリすることは有りませんか。私は、恥ずかしいぐらい漢字力がありませんでした。どうしても漢字コンプレックスがあるので、なにか得体のしれない大きなものを背負って京都検定を受験していましたが、一念発起、基本に戻ってみようと決意し、漢字検定に挑戦することにしました。3級→準2級→2級、一歩一歩です、ここまでは順調でしたが、準1級は2回目でやっと合格が出来
窓の外は、九条池庭園です。料金が、300円にもなってしまった、拾翠亭でした。
近衛・鷹司・九条・二条・一条。すべて、「五摂家」と呼ばれる名門公卿家です。これらの家々が、豊臣秀吉の時代を除き、この国の摂政と関白を回り持ちでつとめてきました。その五摂家のルーツをたどると、ただ一人の男にゆきつきます。藤原鎌足です。古代史最大の事件といわれる大化の改新のクーデターで中大兄皇子(のちの天智天皇)とともに蘇我入鹿を葬り去り、天皇中心の集権国家作りに奔走した男です。歴史ファンならずとも知るビッグネームですが、じつは素性を含めて謎ばかりな
先日、秀吉の系図をご紹介しました。系図で見てみよう(豊臣秀吉・高台院)(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12739598796.htmlこの系図を作成している時、「書き入れようかなー」と思いつつ、でもやっぱり秀吉の系図としては蛇足かな…と思い止まってやめた部分があります。それは「藤原秀吉」のこと。秀吉は、「木下」→「羽柴」→「豊臣」と名乗りを変えている。日本史の授業ではそう習いますけど(たぶん)、「羽柴秀吉」と「豊臣秀
皇室と伊勢神宮、結びつきなぜこれほど強い?秋篠宮さまが参拝毎日新聞2022/4/2107:00(最終更新4/2112:12)結婚報告のため伊勢神宮を訪れた美智子さま(現在の上皇后さま)=三重県伊勢市で1959年4月18日秋篠宮さまは立皇嗣の礼が無事終わったことを報告するため、三重県伊勢市の伊勢神宮(正式名称は神宮)を21日に参拝された。明治時代以降、歴代の天皇や皇族は重要な節目には必ず伊勢神宮を訪れ、参拝を続けてきた。伊勢神宮との結びつきは、なぜこれほど強い
ふと思ったんだが、安定した皇室をという事で、ちゃんとした身元の、五摂家レベルの若い女性を集めて側室制度を設けて親王が今上に産まれたら、あいつらはどう対応するんだろうなww今上一家のファンだから勿論応援するんだろうなぁwwあいつらのこだわりポイントは、テメェらの血をわかつ皇族かどうかだろうなぁwww天下を盗ったどーーーー!wwwww
摂政と関白は、どう違うのか、というと。摂政は「天皇代行」であり、関白は「天皇補佐」です。天皇が子供、女性、病気など、一人では天皇の仕事ができない場合に、天皇の行事と政治を代行する職が、摂政。天皇が成人男子のときは、行事は天皇自身がやるけど、実際の政治は関白がおこなう。従って、摂政のほうが格上とされます。まあ政治的な権限はほとんど同じなのですが。つまり「天皇に代わって、実際の政治を取り仕切る」という職です。じゃあ摂政関白と征夷大将軍はどっちが偉いか、といえば、そりゃ摂関のほうが格上に間
朝廷というのは官僚制ですから、官位官職というのは世襲できません。つまり、大臣の息子でも幼かったり病弱だったり能力がなかったりすれば、自動的に親の跡を継ぐことはできないんです。これが摂政・関白ともなればなおさら、壮年で人格識見に優れた、、「天皇の親代わり」に相応しいと衆目が認める人物しか、摂関にはなれないんです。朝廷のトップはそんなに甘くありません。親から子への直系相続だけで摂政・関白の地位を独占することは不可能なので、平安時代を通じて兄弟、叔父甥の暗闘が絶えなかったのは、御承知の通りです。
おはようございます。台風、駆け抜けていき、今日は全国的に台風一過の青空が広がり暑さも戻ってきそうです。昨年7月から不通となっていた叡電鞍馬線市原駅~鞍馬駅間が昨日から運転再開しました。これで、貴船神社や鞍馬寺にも行きやすくなりますね。紅葉シーズンに間に合って、また多くの方々がいらっしゃるでしょうね。さて、今日は苗字の日です。1870年のこの日、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を名乗ることが許されました。しかし、なかなか苗字を名乗ろうとしなかったため、1875年2月13日に、全て
青蓮院門跡の飛地境内の将軍塚青龍殿には紅葉のライトアップしてはる時に数回、行きました。青蓮院門跡の方はいつも観光客がわんさかいてゆっくりと拝観できそうにないなぁ😢と、参拝はせずにいたんです。でも蓮の襖絵は有名で一度は行って見とかんとあかんし今回、行こう‼️と思いたち、まだ緊急事態宣言中だし。。。どうしようと。。。悩みましたがまぁ、観光客はまずいないはずと思い参拝さしてもらいました😅青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つ。