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きのう、8/5火、は、今年一番暑い日になるかな?(40℃の予報)と思ったら、きょう、8/6水、が、きのうより暑いような気がします。今日は、団地の排水管の高速ジェット水流洗浄の予定だったので、きのうから、水回り周辺を中心に、そうじと片付に励みました。ちょっと動くと、汗びっしょりになります。トシをとるに従って、汗の量が増えてきたような気がします。亡くなった父と、夏に、しゃぶしゃぶを食べに行き、店を出てから、父が、タオルを絞ったら、じゃ~って、汗が流れ落ちました。わたし、似て
<三橋里絵、新潟、良寛にまつわるお寺や資料館、弥彦神社に行く!!https://youtu.be/Paxx6H8aYaw2025/07/24-09:36>三橋里絵が宗彦さんと新潟に初めて行き良寬にまつわるところや、弥彦神社にいきましたその様子をyoutubeに載せました!!ぜひ、ご覧になってくださいね三橋里絵、新潟、良寛にまつわるお寺や資料館、弥彦神社に行く!!https://youtu.be/Paxx6H8aYawお勧めの動画@三橋里絵、横浜市歴史博物館に行く!!ht
ガソリンスタンドに行ったら、ガソリン価格が167円なんと先回の給油時より8円も価格があがってるんです。数円の値上げはあったけど、これは過去最高の値上げ幅ですね・・・・プリウスをガソリン満タンにしたら5600円もかかってしまいました、これまた過去最悪記録です。ホント腹立つな~~いやいや腹立てても、精神的に良いことありません、気を取り直してランチに出掛けます。今日のランチは、新潟市中央区出来島にある「うなぎの樋口Xハンバーグステーキ専門の店」へ変わった名前ですが、鰻とハン
今日は天気も良く出雲崎を巡ってきました。良寛記念館と良寛と夕日の丘公園から。良寛記念館にある五合庵を模した建物。昭和時代にイベントで作製されてその後この記念館に移設されました。こちらも良寛記念館前にある世界一の珪化木。二千万年前に青森に生息していた樹齢五千年のオランダスギに近い種が珪化したもの。出雲崎出身の人が発見しここ良寛記念館に寄贈したもの。(左の周囲2.5mほどある柱状のもの)にいがた景勝百選の一位に選定された「良寛と夕日の丘公園」妻入りの屋並が眼下に弥彦山を望むつづく
朝、9時頃まで今日は何処にも行かないかもと思っていましたが、10時頃になり、良寛さん縁の地に行ってみようと思いました。私は良寛さんを理解したいという心が数年前からあったりします。名前は知っていますが、何がすごいのかわからないのでわかりたいという気持ちがあります。一年前位に購入した良寛さんの本を頼りに行くところを探しました。燕市に国上寺(こくじょうじ)という越後最古のお寺があり、その近くに良寛さんが過ごされた住処があるというので、行ってみたいという気持ちが湧きました。国上山(くがみやま)の中腹
良寛さん昨日、良寛さんの本が欲しくなって書店に行ったけどなかった。正確にはあったけど、マニア向けすぎて手が出なかった。帰宅後にポチったのがこれ。良寛清貧に生きる言葉Amazon(アマゾン)読みやすそう。清貧に生きることは無理そうだけどレビューに「「貪り求める心」を捨てることで何にもとらわれない絶対自由の境地を求める「捨てる生き方」」って書いてあっていいなと思った。物に囚われていると怖くなる。失うものが多いと怖くなる。でも、失うことを怖れない心
目覚めたら真っ白私は気づきませんでしたが、夜中は雷もなったもよう。本日は私の「行きたい」を旦那が理解してくれて良寛様ツアーまず、長岡へ出てレンタカー(長岡は雪でなく、雨でしたほっと)そして、目指す出雲崎荒波の日本海を眺めながらドライブ40年以上ぶりの良寛堂お会いしたかった良寛様これ、雪囲いと思われます良寛様にならって日本海を眺めました。晴れていれば佐渡ヶ島が見えます今回、行きたい、と思った石井神社水上勉の「良寛を歩く」にでてくる神社ここからの眺めが幼少の良寛
さて、三度、良寛について。個人的に、大きな謎の一つに、「なぜ、良寛は、帰郷をしたのか」というものがあります。良寛にとって、故郷とは、本来、継がなければならなかった名主としての仕事、家を放棄した場所であり、場合によっては、厳しい非難を浴びる可能性もあった場所ではなかったでしょうか。もっとも、僧として、それなりの立場、名声を築き、「故郷に錦を飾る」という状態であったのなら、帰郷をする気持ちも、分からない訳ではない。しかし、良寛は、名も無い、一乞食僧として帰郷し、一生、その立場を貫いた。
コロナ陽性判定から丸1週間。ずっと寝てばかりではいられないし、明後日土曜日からアルバイトなので体力を戻そうと外出しました。ダウンジャケットを着てマスクしてうろうろ歩きました。体力を戻すには、運動と食事だと思っているので駒川商店街をうろうろ歩きました。14時過ぎになったのでお店もランチ営業が終わる頃五合庵の日替定食が豚味噌うどん定食と表示されていて何度も行ってる五合庵で初めて見るメニューだったので入店しました。元気ならビールを頼むんですがお茶を飲んで待っていると出来て来まし
水上強の書籍を初めて図書館から借りて読んだのが去年のこと。(下書きだけはしていたのですが。。)24時間テレビは、生理的に観ないのですが去年のドラマ無言館。いつか訪れたい無言館だったので魅入ってしまいました。学徒出陣などで戦争へ行った人たちが描いた絵がたくさんあるという。戦没画学生慰霊美術館無言館戦没画学生慰霊美術館無言館mugonkan.jp24時間テレビドラマ「無言館」劇団ひとり監督が素晴らしく浅草キッドも素晴らしかった。思い出したのが
「五合庵」良寛がいた五合庵にきてタンポポ堂から持ってきたタンポポの種を蒔く五合庵はさびしい処そのさびしさがわたしの心を奮いたたせた「一人のひとに」へんろ四十日やつれもせず暗くもならずあなたはわたしの処にやってきたふくよかな頬にえみをたたえて人の世のふしぎに手を合わせタンポポ堂のみ仏にみいるあなたの瞳の光よ旧へんろ道をひとりで越える旅のなんぎはわたしに語らず妻に告げ秋となった星空の道をまたあなたは幾十日もかかるへんろに去っていった金がなくなった
断章「五合庵ならぬもドッキリすでに道はできていた」まだ元気なれ歳相応老いの果ては準備せむと姥捨の布団を段ボールに着替えいくつかお椀とお箸一つずつ静かに一人二合庵にて獣のように朽ちゆけばなどと叶わぬ夢想家の現実の万全は看護師を雇いたい要するにしかしされど欲と欲とは絡むもの弱みと弱みをウィンウィンにそろりそろりと黒雲に吹きやられゆく坂道を疑心暗鬼の蟻地獄南無三!数秒だけ払い退けたよその濃霧ちゃんと願いの
「サクラ」の一ヶ月点検(と、言ってももう2ヶ月も過ぎている)をするそうなので、電話で、「ついでに、冬タイヤを交換してください」と言った、危険な香りのするババァの何気ない一言に、それが分かっているだけに、電話口での店長の声がちょっとだけうわずり、ビビっている様子。えっ、大丈夫ですか…まあ、そうだよね。まだ、雪あります、たんと。朝晩の冷えこみはまだまだ続きます。でも、どうせあと1ヶ月かそこらで夏タイヤへのタイヤ交換は必須。また、お店まで出向くのは、めんどくさいし、爺婆は、積雪
野球する良寛さん(田中比左良の挿絵を模写)昨ブログ続き。水上勉の『良寛を歩く(1986)日本放送出版協会』は、良寛後半生の行程を辿った評伝で、これを片手に1997年ころに良寛が生まれた与板から、良寛が転居した順に出雲崎→野積→乙子神社→国上寺→五合庵→分水と廻り、2007年に再び乙子神社→五合庵→分水と廻った。この時は乙子神社から五合庵までの杣道をゆっくり登り、五合庵でお参りした後に、ハデな吊り橋から国上寺へと歩きだしたのだが、その途端に、頂上の拡声器が民謡を唄いだしたのに呆れ果てて
石川洋(よう)氏の心に響く言葉より…裏と表というと、裏というものは暗く見えますし、表というと明るく見えますけれども、私は、すべてのものには、裏と表というものがあって自然だと思うんですね。一枚の木の葉にも裏と表があります。きれいな秋の草にも、そして一輪の花にも、あのきれいなバラの真っ赤な花びらにも、裏と表はあります。そして紙にも裏と表がある。すべてには裏と表があって一体なんじゃないんでしょうか。だから、裏と表の一体というものを、どんなふうに見るか
辛党である。とはいえ塩で呑むような酒飲みではない。美味しい肴があれば飲むそんな程度の酒である。そして美味し過ぎたら飲むのを忘れる程度の酒でもある。このところ美味しい肴がなかったり美味し過ぎて食べるのに忙しかったりして数日飲まずにいたら可笑しなことに甘いものが妙に美味しく感じられて折しもあんこ屋さんの粒あんが手に入ったので朝から恐ろしいものを作って食べた。ライ麦のイングリッシュマフィンにたっぷりの粒あんを塗ってホイップクリームをトッピング。サンドイッチしてパク
“宇宙(そら)”の和音♪通信/1月6日☆今日は何の日?【良寛忌】江戸後期の曹洞宗僧で、歌人・漢詩人・能書家でもある良寛の1831(天保2)年の命日。号は大愚。享年74。天衣無縫な万葉風の和歌は高く評価されています。1758(宝暦8)年、越後国出雲崎(現:新潟県三島郡出雲崎町)に生まれました。出家後、1779(安永8)年22歳の時、備中玉島(現:岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を「生涯の師」と定め、師事しました。その後、諸国を行脚し、生涯寺を持たず、晩年は托鉢して回ったり、子供らと遊
国上山五合庵良寛五合庵千眼吊り橋
GW後半今日のお天気予報は晴れ。コロナ禍なので外出も阻まれる所ですが感染対策をして一度行きたいと思っていた国上寺五合庵へ行ってきました。最近少し仏教に関心があり良寛さんが過ごした五合庵へ行きたいと思っていました。この季節は新緑もよくコロナで中々出かけられずのなか新鮮な空気は潤いを与えてもらいました。次回は国上山への登山もやってみたいです。五合庵。良寛さんと子供達。
本日もガラケー時代に撮っていた画像より…新潟県燕市の国上郵便局の風景印をご紹介致します。こちらも会社の友達Yちゃんからのお土産です。10年前ですが(笑)図案は国上山五合庵夕ぐれの岡の碑です。五合庵は国上寺の塔頭の1つで良寛さまが20年暮らしていたところです。小学生の頃の遠足で行きました。国上山にも登りました。国上寺に御朱印を頂きに行きたいなぁ~森元総理、国上寺のHPに「炎上供養」サイトがあるので、あらゆる発言を供養して頂けたら、と思います(笑)
オイラの歩いたコースは駐車場→朝日山展望台→千眼堂吊橋→五合庵→国上寺→駐車場です。で、今回は五合庵付近の写真を載せました。屋根の苔の具合がなんとも長い年月を感じます。アニメのかな平成ぽんぽこの狸さんが居そうな雰囲気。五合庵の裏手にあった『ひょうたん池』昔、昔は山から清水が湧き出でていたそうで。かわいい池だなぁ~思うと同時に良寛さんって素朴さがあるから、多くの素敵な俳句を読んだんだなぁ~って思いました。五合庵から国上寺へ続く山道。大きな杉の木があり、つい抱きついてしまいました。
すごい天気が良かったです。雪の無い年末、いいねー(^^)今日は話題(問題?^_^;))の国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)に行ってきました。良寛さんが暮らしたという五合庵。その他、風情ある風景。国上寺本堂縁側の天井そして、日本画家木村了子さんのイケメン官能絵巻。本堂がそんなに大きくないので思ったより大きな絵では無かったですが、なかなかのインパクトですよ、、。まあ、集客も大事ですから、、、。ただやっぱり、辺りの風景の中ではちょっと浮くかな、、、。綺麗な寒椿
昨日、近くに行ったので寄ってみました。国上寺は、新潟県の最古のお寺で文化財にも指定されてます。良寛さんのゆかりの寺でもあります。この、国上寺さんの関係する歴史的な人物が半裸体の壁画が描かれてるということでいろんな論議がなされてます。こんな案内があるほどです。まずはその壁画から描かれてる人はこの五人です。壁画だけ見ていると芸術的に見えます。とてもキレイ❗建物の全体から見るとなんか複雑この、ギャップ❗みなさんは、どう思いますか?市の当局は元
さて新潟旅行二日目。まずはお世話になった旅館の裏手にある法福寺へお世話になりましたーと一度旅館を後にしたのですが旅館の中を突っ切る方が近道だと気づきすみませーんと通らせていただきました日蓮聖人の像です!日蓮が佐渡へ流される際、海が荒れていて佐渡へ渡ることが出来ず7日間寺泊に留まったそうです。その際こちらのお寺を開山した当時の住職が日蓮の弟子になったそうですそして「寺泊魚の市場通り」、通称「魚のアメ横」へ朝からビール片手に大好きな生牡蠣をチュルっと食べて満足旅行はこうじゃな
そのまま山を登って国上寺五鈷掛けの松五合庵小学校の校外学習かな千眼堂つり橋一人だから良いけど人がいたら揺れて怖い
国上寺からこの道を下ると、目的地です。と言っても、家を出るときは良寛さんは頭になく、上さんの思い付きで寄った燕市分水良寛史料館からまたも思い付きで道草。行き当たりばっ旅。良寛さんが20年間暮らした草庵。いざここに我が身は老いん足びきの国上の山の松の下いほのめしこき作じゃないですよ。念のため(当たり前か)。台所と風呂は無いようです。食事は国上寺から運ばれ、風呂は行水でしょうか、あてずっぽうですが。この庵で書に励みました。良寛さんは曹洞宗なのです
前回の続き昨日の五合庵の続きだが、写真の通りそれほど大きい建物ではなく、間口が2間、奥行きが9尺で坪数が4,5坪で、見た通り質素な建物だが、この建物は耐雪庵の建物で、当時の五合庵の屋根は「マキの板屋」柱は「竹の柱」で入口は「こものすだれ」で簡素な窓はあったが、広さは6畳だとの事で床は土間にむしろを敷いただけで雨漏りはし、冬季は吹雪になれば窓や入口の隙間から雪が入り込んだとの事だ。良寛が過ごした五合庵でのエピソードがあるが、このような所にさえ盗人が入ったようで、だが、とる物が何一つないので盗人
新潟の英さんからの投稿です(^^)/良寛さんが愛した国上山神社詣りとお墓参りは毎月必ず行ってます。自分には子供がいないので7年ほど前、国上山にある国上寺の永代供養のお墓を選びました。国上寺は元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣(神様の言い伝え)により建立された、越後最古の古刹です。源義経公伝説が寺伝にあり、上杉謙信公により格別の配慮を賜りました。祈願所として十万石の格式を拝領し、七堂伽藍を建立されました。五合庵は良寛で有名となりましたが、初代住人は万元和尚
大阪市東住吉区針中野駅からすぐ駒川商店街の駅前通り商店会にある五合庵というおそばやさんです。友人は玉子丼の大にしましたが小もあります。私は珍しくあたたかいおそばではなくざるそばにしました。入ってすぐに食べておられておいしそうだったんです~!二八そばです。ランチセットのようにおそばかうどんとご飯のセットそれもおいしいお店です。五合庵さんは駒川商店街の駅前通り商店会です。ゆうゆHP「針中野ゆうゆ駒川」←外部リンクで
昨日の昔の絵はがきの読み下しです。先月26日やうやくに旅立ちました一昨日は国上寺なる良寛和尚五合庵をたづね主人積年の宿願を果たしましたお陰さまで主人大元氣にて用意せし薬も体温器もそのままにカバンの底に忘れられて居ります位何卒御休神たまはり度出雲崎の波うちきはに佐渡か島我眼前に眺めし勝景誠に去りかたきところにございますこんな感じです。差出人の糸様は、「高濱糸」様で俳人高浜虚子さんの奥様です。新井旅館の三代目女将相原つるとは、学生時代の同級生。