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福岡から帰ってから今日で一週間ですが、なかなか疲れが取れない。別に疲れるようなこともしてないのに…やっぱり年なのかなぁ。そんな10月も半ばを過ぎて夕べからパジャマを長袖にしました。そろそろ厚手のお布団も必要かなぁと思うけど、昔の10月に比べるとほんとに今年は暑かった。これで急に寒くなったら葉っぱがみんな落ちちゃって今年の紅葉はあまりきれいじゃないかもだなぁ。そんな私の今日のブログは7月のめちゃくちゃ暑かった日のお出かけのお話。7月のはじめ、いつも利用する旅行社の特別企画で京都
今年の4月、春の特別展として、全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・ロ・ハの渡櫓を特別公開していた姫路城ですが、そういえば私、2023年の夏の特別展で特別公開した東小天守と乾小天守を見に行っていたのでした。記憶はすっかり遥か彼方で、どれが何の画像なんだか。。。という状態ですが、しれっと書いてみたいと思います。前回ブログはこちら『姫路城シンプルな東小天守』今年の4月、春の特別展として、全小天守(東小天守・乾小天守・西小天守)とイ・ロ・ハの渡
2025年7月22日は、暦で二十四節気の大暑です。大暑は、二十四節気の十二番目、未月の中気です。暦便覧に「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」とございます通り、暑気至り、つまり一年中で最も暑さが激しい時期になります。夕立や雷などの急な大雨が降るのもこの頃です。さらに夏土用にも入っていますので、大地の気も少し不安定になりがちです。また、この日からは七十二侯で桐始結花-きりはじめてはなをむすぶ-となります。(*^^*)桐始結花は、七十二侯の第三十四侯、大暑の初侯にあたります。桐の花
先週、四ツ谷駅近くの紀尾井ホールでギターのコンサートがあったのですが迎賓館がめちゃ近いことを数日前に発見し、せっかくなので見学に行ってみました。この建物はもともと紀州徳川家が屋敷の一部を皇室に献上し、明治42年東宮御所として完成したものだったのですね。昭和23年公館として使用することが閣議決定され、昭和49年迎賓館として開館、和風別館「遊心亭」が新設されました。「遊心亭」の見学は予約制なのですが、ガイドツアー方式なので見どころを丁寧に説明していただきました。正面玄関の外灯には、五七
雲間に格天井kumoma-ni-gotenjo雲の間からのぞく格天井文五七の桐、菊文、向かい鶴…典雅な吉祥文が現れています西陣袋帯『雲間に格天井』銀彩銀無垢の帯も少なくなりました…#西陣#袋帯#銀彩#ふくひろ
久しぶりに花結びの作品が仕上がりました。花結びで結ぶ金銀の「五三の桐」。先生の結びの資料の中から見つけて、結構苦労して結んでみました💦〜五三の桐〜「五三の桐」とは、日本の家紋の中でも最もよく知られた家紋。3枚の桐の葉の上に桐の花を中央に五つ、、左右にそれぞれ三つづつ付けたもの。桐紋は、豊臣秀吉の紋として有名ですが…元々は菊紋と同じに皇室の専用の紋章だったとか…そして、時代とともに、花の数が増えた「五七の桐」が考え出されたそうです。「五七の桐」
③にも載せましたが、迎賓館赤坂離宮の部屋に、ライオン🦁の飾りがたくさんありました。日本には🦁がいないのに、不思議ですよね🤔五七桐紋と菊花紋もあちらこちらにあるので、気になって調べてみました迎賓館赤坂離宮AkasakaPalace@cao_Geihinkan9月7日\放送予定📺/9月11日(水)9時30分から放送予定のNHKWORLD-JAPAN「DiveinTokyo」で#迎賓館赤坂離宮をご紹介いただきます。https://www3.nhk.or.
迎賓館赤坂離宮50周年で、「花鳥の間」撮影OKというので行ってきました。ご紹介しますねまずは、庭園からです。迎賓館赤坂離宮AkasakaPalace@cao_Geihinkan4月11日に、迎賓館は開館50周年を迎えました。明治42年(1909年)に建築された「東宮御所」を改修し、外国からの賓客を迎える国の迎賓施設「迎賓館赤坂離宮」として昭和49年(1974年)に開館しました。開館50周年を機に、迎賓館では年間を通じて様々な記念事業を実施します。ぜひこの機会に迎賓
「虎に翼」はじめ、最近は法廷ドラマをよく目にします。法廷が舞台なので、裁判に関わる裁判官役、弁護士役、検察官役、を色んな役者さんが演じられます。基本、裁判官役は最初から座っているので荷物はないし、弁護士も風呂敷包みを持っているのはほとんど見たことがないですが、検察官さん役はよく風呂敷包みを持って登場されます。検事さんは、証拠の品や事件記録を大抵は裁判所に全て提出するそうで、そのため、それら荷物をまとめて裁判所に持参しなければなりません。証拠品は形も大きさも違うので
【2023年11月4日~5日の京都旅です】京都迎賓館の参観の続きです!正面玄関→藤の間を見学した後は、こちらを通って・・・(行ったことはないけど、どこぞの高級旅館や料亭みたい(笑))案内されたのは桐の間です。藤の間が洋食の晩餐会で使用され、桐の間は和食を提供する「和の晩餐室」になります。漆塗りの一枚仕上げの座卓です。くもり一つない美しい仕上がりです。24名まで対応可能だそうです。桐の間というくらいなので、至るところに「五七の桐」があしらわれてます。
静岡市歴史博物館で催された講演会『家康の妻、旭姫と瑞龍寺』を聴講してきました。☟旭姫の菩提寺瑞龍寺☟旭姫の肖像画(webからお借りしました)☟折しも、大河ドラマでは丁度旭姫が登場中旭姫は浜松へ輿入れ後、家康と共に駿府へ移ります。☟駿府城巽櫓巽櫓の向い側にあるのが☟講演会場の静岡市歴史博物館☟博物館の目玉としている江戸時代の石垣講演会聴講の後、旭姫が庇護し後に東福寺から分骨され菩提寺となった『瑞龍寺』へ☟葵区井宮町にあります☟泰雲山瑞龍寺☟山門の御紋はやっぱり『五七の桐』な
四天王寺七宮のサインがきて、堀越神社、久保神社、河堀稲生神社と参拝してきました。まだ読まれていない方は、①から読んでみてください。↓『堀越神社のサインがくる。①』燈さんの記事がキッカケとなり、誉田八幡宮と応神天皇陵に呼ばれてることに気付き、12月23日に参拝してきました。↓『羽曳野☆誉田八幡宮と応神天皇陵に呼ばれ…ameblo.jp神様に呼ばれる時、どのようにサインがくるか、なるべく流れから書くようにしています。サインのキャッチに慣れていない方の参考になれば…との想いが強いからです
上の記事の続きです。燈さんの記事から、新たに天王寺の堀越神社に呼ばれてることに気付きました。燈さんが天王寺の堀越神社に繋がったのは、聖徳太子の橘寺からだとメールをいただいたので、ワタシは四天王寺七宮を思い出し、オススメしました。✨四天王寺七宮とは、聖徳太子が四天王寺を創建した際、その外護として造営された神社だそうです。四天王寺七宮厄払い!北辰北斗パワーで封印するものとは、いったい何なのか!|「いにしえの都」日本の神社・パワースポット巡礼四天王寺の守護のために聖徳太子が建立したと
11/1の道開き神社参拝⛩の下見🌈猿田彦神社→馬橋稲荷神社→神明宮→阿佐ヶ谷弁天社ーーーーーーーーーーーーー昨日、仲間とふたりで道開きの下見へ1年ぶりの⛩ルートを回ってきました。かなり前から予定していた下見ですが、結局今回も自身の大きな道開きに!私自身の中で、先日の"愛車のエンジン丸々乗せ替えの故障"が私の中の思考の入れ替えに繋がり、今がお仕事上の大ターニングポイントだと思います。愛車エンジン=私の思考(かなりの荒治療ですがww)友人も同じくお仕事の大ターニ
╲こんにちは/いつもお付き合いいただきありがとうございます。観測史上最短の梅雨が明けたと報道されたのが約4週間前。その後とんでもない暑さの6月末を経て、7月に入ってからは戻り梅雨のようなお天気ですね。梅雨明けって、変更されることもあるみたいなので、もしかしたら今年はそうなるかもしれませんね。さて、明日2022年7月23日は、二十四節気の「大暑(たいしょ)」、七十二候の「桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」、そして「土用の丑の日」です。土用の丑の日については、一
近所のスーパーで新500円硬貨をお釣りに貰いました。カード支払い不可の店です初めて手にいる500円こいつぁ春から縁起がいいわえコピー機でコピーした画像新旧の違いは造幣局のYouTubeでご覧ください↓↓手抜きです詳しく調べたい方は↓↓解説!新しい500円貨:財務省www.mof.go.jp旧硬貨(こちらが裏?)改めて見ると気が付かないことが多いです裏は七五の桐表は竹と橘貧乏学生時代、スバル360で北海道一周した時100円硬貨が流通していなく、10
【広域電波です】「16菊花紋」と「五七の桐紋」は、オモテとウラ。古代より長きにわたり御用あって「オモテ」が「ウラ」にまわって御支えしてきました。そして「括られ」ました。直接的には書けませんが以下ざっと羅列しますので皆様にとってのヒントになれば幸いです。菊理媛はククリの理。「菊・桐」=「キクキリ」菊花紋は「16」五七の桐は「17」(5+7+5)=「16」と「17」◯16番目=イザナギと、17番目=イザナミ。◯パスポートの表紙と内側。◯火と水、男と女、こ
寺名;大杉山正福寺宗派;真言宗醍醐派御本尊;身代り不動所在地;佐賀県唐津市北波多大杉838TEL;0955-64-2209正福寺は成田不動の分霊だそうです触ると母乳の出る木…大銀杏が本堂の前にそびえ立ってます前の公道より本堂堂内「五七の桐の御紋」…豊臣秀吉の醍醐紋が使われてます不動堂堂内修行大師像日切地蔵菩薩像石仏*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆寺名;天鼓山来
◌˳⚛˚⌖*୨୧┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎┈︎୨୧*◌˳⚛˚⌖『五七の桐①』五七の桐という家紋は、天皇家にとっては裏家紋であり、豊臣秀吉にとっては菊以外では喉から手が出るほど欲しかった家紋であることは御周知の通りです。「高良…ameblo.jp五七の桐という家紋は、天皇家にとっては裏家紋であり、豊臣秀吉にとっては菊以外では喉から手が出るほど欲しかった家紋であることは御周知の通りです。「高良玉垂神秘書」において三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった。地上での名は物部の保連。藤
昨年秋の京都旅行の記録京都迎賓館の最後ですこれまでの記事はこちら『贅を尽くしたおもてなし@京都迎賓館』しばらく旅行は無理そうなので過去の旅行記をまとめようかなまとめようと思いつつ時間がたってしまった💦昨年秋の京都旅行の続きですよろしければお付き合いくださ…ameblo.jp『京都迎賓館での晩餐会@藤の間』昨年秋の京都旅行記先日の京都迎賓館の続きです前回の記事はこちら↓『贅を尽くしたおもてなし@京都迎賓館』しばらく旅行は無理そうなので過去の旅行記をまとめよう…amebl
おはようございます♫京都迎賓館の続きです。「一見は百聞に如かず」私が感じたことを書いていますが…ぜひぜひ!日本人なら?海外の賓客をどのように「おもてなし」するのか…見て欲しいな。和食が提供される桐の間。正座が苦手なお客様用に、掘りごたつになっていました。テーブルは、全長12メートルの漆の一枚仕上げ!圧巻です!座椅子の背面には蒔絵で「五七の桐」が描かれています。「五七の桐」…明治時代より日本国政府の紋章として使用されているものです。京都迎賓館の紋章でもあるそうです。葉の色が
美しき「藤の間」鬼滅の刃ファンの方にはこの部屋たまらないかも絨毯も藤の花びら照明は下の方見て頂くと3段重ねになっているのが分かりますが日によってこの出方が違うそうです。瓦にも五七の桐の紋が。続く
最後の目的地は、ヤマトタケルをお祭りし、熱田の前に神剣が納められていた草薙神社でした。焼津にあるものと思ってました。県立美術館から徒歩圏でしたが、タクシーでw3年前に熱田神宮でオリジナル御朱印帳を買った時に、『尾張の御朱印をこれに集めるぞ』と思ったのですが、その後結局1つも集められませんでした。3年めぐりめぐって、これ以上なく相応しい草薙神社の御朱印をこれに頂くことができたのです。さて、順に。鳥居をくぐった時から、あの独特の神秘的な空気に包まれます。(ちょっと前にニ
こんにちは百花ももはなです。先日、京都仙洞御所内の発掘調査で金箔を施した瓦が見つかったとニュースがありましたが瓦の破片に残っていた桐紋様が今でも綺麗なので、ビックリしました桐は、吉祥花文字の絵柄にもあります古来から鳳凰が宿る木と言われているそうで高貴な紋様です。今は、日本政府の紋章ですね数年前に見学した、京都迎賓館の桐の間には『五七の桐』座椅子の美しさ背の部分の蒔絵にもウットリしました吉祥花文字は桐を描いてみました。桐の花
モダン波止場神戸着付け教室のきたあきあいこです。ご訪問ありがとうございます。母の振袖を着せつけしてみました。昭和なイメージ写真にしてみました明るくするとこんな感じです。昔風に少し羽根を大きくしてみました。小物は家にあるもので合わせたので色合わせはハチャメチです娘が着るかは分かりませんが、練習用に使いたいと思います袋帯は大きな丸紋に蝶、桐、菊の柄。亀甲の地紋。蝶長寿のシンボル。桐(五七の桐)吉祥文様。豊臣秀吉の紋章。菊不老長寿。亀甲吉祥文様。亀
みな様おはようございます。本日もご訪問ありがとうございます。1年前の今日より新しい元号令和になりましたね。今日は5月1日(日曜日)甲辰(きのえたつ)5月は若葉茂る五月ですね。今日は八十八夜八十八夜は雑節の一つで立春後八十八日目で「八十八夜別れ霜」「八十八夜の泣き霜」といって霜が降らなくなるころ遅霜が発生する。地域によっては泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害に遭うことがあります。この日に飲んだお茶は上等な物とされこの日にお茶を飲むと長
久しぶりに行ってみた山の中の小さな神社とお寺。前に来たのは10年以上前だったは・・・・。平塚市下吉沢のある八剱神社県道271号線沿いの小さな案内板のある小道を入るとまるで舌切り雀のお宿のような土壁の小屋がある竹藪を進ます。見えてくるのは畑の奥に広がる小さな鳥居。ふと気づくと右側には10年前に無かったはずの建物が作られていました。これは吉沢地区に古くから伝わる国指定重要文化財のお不動様。以前はすぐ近くの
速報で志村けんさんの訃報を知りました。8時だよ全員集合をリアルタイムで見ていた世代なので、とてもビックリしました。「だいじょうぶだ〜〜」と、帰って来て欲しかったです。。。さて、本題個展からのつづきです次に向かったのは、前からずっと行きたかった天下人豊臣秀吉公のお墓です🚶♂️🚶♀️途中、綺麗に桜🌸🌸🌸が咲いてました豊国廟(ほうこくびょう)に到着〜〜ここから、地獄の階段が待っております💦💦ウキによると、563段だそうですさぁ頑張って登りますこれがラストスパートの階段です。
少し前の醍醐寺の記事から飛んでしまいましたが続きです…。伽藍エリアから三宝院エリアに行きました。唐門の金ピカの「五七の桐」さすが…太閤さんですね…この三宝院は、豊臣秀吉が慶長3年に催した「醍醐の花見」を契機として整備されたそうです。その庭園は、秀吉自ら基本設計したもので、国の特別史跡・特別名勝に指定されてるそうです。とても静かで落ち着きのあるお庭です…。人も少ないから余計に落ち着いた感じに思えたかな?三宝院には赤松白木蓮椿河津桜と、楽しむ事も出来ました三
TAMAKO´sservantsittingdown,withvisuallinedirectly,imploredtoTADAOKIforhersagain.腰を落ち着けた珠子の侍女が、もう一度忠興に嘆願する。“Gentleman,Sir.itseemsthat;you'veusedtheirfamilycrest〈Five&sevenpaulownialeaf〉.Ī´mthinking,thismea