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今回は、この櫓周辺を探索石段を進みます後曲輪?「九の平櫓跡」と書いてある自然巨石を上手く利用して、石垣を築いて載せてある絶妙なバランスでは、いよいよ”天守を攻めに”、折り返しましょうか、m(__)m
備中松山城(別称:高梁城)・大松山城(Ⅱ)高梁市内山下今日は本丸から探索します本丸石垣・五の平櫓・表門七の平櫓跡本丸天守天守台石垣本丸東門本丸五の平櫓・六の平櫓・南門本丸八の平櫓跡天守付櫓と1階のはしご天守内、奥に囲炉裏同、奥に御社檀同、奥に装束の間天守内部天守石垣と二重櫓
※2025年5月13日訪問※本丸北東角部分には【汐見太鼓櫓】と呼ばれた二重櫓が建てられていました✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼【二重櫓】梅林坂側の石垣角にあった二重屋根の物見櫓。別名「汐見太鼓櫓」とも呼ばれています。二重櫓部石垣(地上高さ約11m)内に、瓦破片が約8m弱の厚さで充填されていました。瓦片はほとんどが焼けて赤く変色したり、熱で溶けていました。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲◆武蔵国・江戸城二ノ丸下梅林門(渡櫓門)跡/特別史跡◆に続く
備中松山城は岡山県高梁市の標高480mの臥牛山にある山城で、別名高梁城といい、江戸時代から残る現存12天守のひとつです。これは天守が残る日本で唯一の山城で、雲海に浮かぶ天空の山城として知られています。城のある臥牛山は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構があります。この城跡は国の史跡に指定されています。また、山麓の城下町には、御根小屋と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群がありま
大雪となった彦根城を撮ってみた。慶長2(1607)年頃天守が完成したと考えられている。徳川幕府譜代井伊家の領国経営の象徴としての優美な姿を今に伝える。中堀東南側から・・・佐和口多門櫓の上部に天守が聳えるのが見える。佐和口多門櫓歩行者通路の雪かき作業中の職員さんも大忙し・・・表門券売所から急坂を上がると大堀切りに・・・天秤櫓(左右対称の二重櫓で、天秤の名の由来となている
徳島城の石垣は「阿波の青石」と呼ばれている徳島特有の石材の「緑泥片岩」で築かれています🤗雨に濡れるとこの「緑泥片岩」は緑泥石を主成分とする結晶片岩なので「片理」という縞模様と青い色がとても美しくなります🥰また結晶片岩は細長い鉱物が一定方向に並んでいる為に薄く剥がれやすい性質があります😃しかしこの日は快晴でした😅😅😅数寄屋橋から徳島城博物館でスタンプを押し月見櫓跡に向かいます😍「月見櫓」は二重櫓で2層2階の下見板張りで高欄もあったようです😳「阿波の青石」の「野面積み」
連立式天守内部を見終わり内門→仕切門内塀→仕切門→天神櫓と周り紫竹門から天守裏手の搦手に向かいます紫竹門は大手と搦手を仕切る門で脇戸付の高麗門ですそこから左に歩くと右側に見える本壇の8mの石垣にうっとりしまた足を止めてしまいます😅😅😅野原櫓が見えました野原櫓は唯一現存する望楼型二重櫓で天守の原型と言われています乾櫓も築城当時から現存している櫓と伝わっていて加藤嘉明が正木城から乾櫓東続櫓・筒井門・乾櫓と共に移築されたとされています🤗
筒井門・隠門から太鼓門に向かいます「太鼓門」は本丸大手の正門のような櫓門です😊太鼓門には南続櫓と北続櫓があり、太鼓門西塀を挟んで巽櫓があります巽櫓は二重櫓で千鳥破風が付けられています太鼓櫓も矩折(かねおり〜直角)の二重櫓です太鼓門西塀は長さ24.41mで2箇所の石落としと21箇所の狭間があります馬具櫓は二の丸の監視や防衛を担う二重櫓です😄これらの建物は全て国宝に指定されましたが1945年終戦間近の7月26日から27日未明の空襲によって焼失してしまいました死者・行方不明者
訪問日:2024/12/7岡山県高梁市にある臥牛山(標高487m)の430m地点に築かれた山城です。現存12天守の一つ、現存12天守の中では唯一の山城で、最も標高の高い所にあります。9月下旬から4月上旬の早朝に発生する雲海によって、お城が雲海に浮かぶように見える「天空の城」が見れることでも有名なお城です。「天空の城」を見れるスポットとしては、直線距離で約1.1キロ先にある備中松山城雲海展望台が最も有名で早朝から多くの人が訪れています。某雲海予想サイトで雲海出現確率40%程でしたが、久しぶりに
天守閣に入ります。この廊下は天守閣の廊下ではなく接続廊下(つなぎろうか)と呼ばれ八の平櫓をつなぐ廊下です。正面には壁がありますが、往時には出入り口があり二重櫓に抜けることができたかもしれないそうです。石落としがあります。石落としなどの攻撃の装備も作られています。天守1階です。主に平成の大修理に関わる展示物があります。備中松山城の改修工事の際にそれまで使われていた鯱瓦が展示されています。
六の平楼あとです。向かって右側ですね。ここは中に入れるんですが、立派な木材が使われています。当時のカンナ掛けで仕上げてありますが、これは再建じゃないのかな。。。七の平櫓跡です。ここの敷地面積もそんなに広くありません。ここまでたくさんの櫓がありましたが、本丸に近づくに連れて数が減っていくわけじゃないみたいです。他のお城だと大手門から本丸に行くにつれて数が減ったり増えたりするんですけどね。何か理由があるのかな。本丸東門です。前回の記事で外側
岡山県高梁市を訪れた続きです高梁市の臥牛山にある備中松山城、現在の天守は、天和元年(1681)に、水谷勝宗が造営したものと伝わっています本丸の東側にやってきましたここにある、本丸東御門は、城門としては珍しい引き戸となっていますぐるり回り込んで、本丸の北側に行ってみましょう天守の北側にある二重櫓が目の前です天守と同じ時代に建築されてたものといわれています近くには、後曲輪と九の平櫓跡がありますここから見ると二重櫓
岡山県高梁市を訪れた続きです高梁市の臥牛山にある備中松山城の猫城主「さんじゅーろー」特製の座布団の台にいる時は、とても、御機嫌がいいそうです天守を見学しましょう二重二層の天守で、大きな唐破風出格子窓、黒い腰板が竪板張りになっているのが特徴入口を、はいった場所は、廊下部分で、天守の一層へは、階段を上がっていきます一層部分昭和の大修理平成の大修理などのパネル展示囲炉裏があるのも、他のお城では見られない特徴北側の一段高い部
【問題】臼杵城(大分県臼杵市)に現存する重箱造りの二重櫓を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】硯櫓薪櫓畳櫓桜櫓【正解】畳櫓【解説】臼杵城には、本丸の卯寅口門脇櫓と二の丸の畳櫓が現存する。畳櫓は正保年間に建てられ、焼失後に明和年間に再建されたとされ、1・2階の床面積が同じ重箱造りとなっている。
2日目の朝は美味しい和食を頂いたり京都からお越しのご家族との会話も弾みました。また、鉄道について熱く語る息子さんを見ていて、「素敵なご両親のもと成長されているのだな」と、感心しました。そして備中松山城へ。天守と二重櫓を観賞しました。また、猫城主さんじゅーろーの可愛い姿があり高梁の街並みや鯉のぼりも素敵でした。
今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三重櫓シリーズ」「二重櫓シリーズ」「櫓門シリーズ」をテーマに掲載してきましたが、その後「平櫓シリーズ」をテーマに立ち上げようと思っていたのですが、なかなか機会がなく暫くの間ペンディングとなっていました。『ブログ上段に『全国の「二重・三重櫓」を巡る』の「メニューバー」を貼り付けました』ブログ上段の『メニューバー』の中に『全国の「二重・
岡山県高梁市にある備中松山城は現存12天守の一つ、その中で唯一の山城です。大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰からなる臥牛山(標高430m)に築かれました。現在「備中松山城」と呼ばれているのは小松山山頂に残る天守のことです。雲海に浮かぶ天空の山城としても有名で、反対側の峯にある雲海展望台が撮影スポットになっています。登城口(登山口ではなく登城口と言うんですね)のふいご峠までは、道幅の狭い山道で、シャトルバスの送迎があります。ふいご峠から城の本丸へは、約20分くらい山道を登って行
豪華で大きな花姿のカシワバアジサイ「ハーモニー♪」白色からグリーンかかった色に変化していくのも楽しみ☆旅の続きです姫路城から翌日は岡山県に入ります天守が残る日本で唯一の山城「備中松山城」へ山道をぐるぐる登って行きます🚘「城見橋公園駐車場」からシャトルバスが「ふいご峠」まで運行しているそうですが、この日は運休日だったのでマイカーでふいご峠の駐車場へ🚘を停め、山城目指していざ!700mの山道を登ります(20分)「あわてずゆっくり歩むべし」と城主より立て札が「この先足もと悪しきにつ
おはようございます今朝はいい天気。先週金曜日からの雨は土曜日の朝までず~っと降っていました。これからの時期思いやられます。いつものように手洗いうがい忘れずに佐々木朗希投手はスゴい是非ベイスターズ戦が見てみたい。16日から3連戦あるけど投げるかな。さて、今回は旅行のレポ再開です。城の中に入ると説明文階層は3階層天守に上がって、パチリ山城なので、周りは山ばかり天守の屋根裏御社壇鯱瓦城の中を見終えて、城の裏側にある二重
天守の中を見た後、本丸南御門で猫城主さんじゅーろ殿に別れを告げた。猫城主さんじゅーろ殿は、どうやら寝所に戻るようだった天守を下りて本丸東の石垣に沿って歩く。本丸東御門本丸の東御門を過ぎると、右手の崖に沿って搦手門跡の石垣があり、その先に後曲輪跡の石垣が見えてくる。搦手門跡後曲輪跡の石垣その左手に二重櫓が建っていた。二重櫓(国指定
『舞いあがれ!』が最終回を迎えた。ちび舞の五島編で釣られ、どっぷり食らいついてしもた。神回の連続から、後半のハショハショどこ向かってんだ?にはちょっとしたが、どうにか最後は舞い上がった!な。おとうちゃんの「よう飛ぶなぁ」で、またも涙腺崩壊モニカ教官の名言「右を見ろ!」最後に舞ちゃん右見てたな。梅津ぐっさんの名言「チーズ、うめづ、バファローズ」たぶんアドリブで貴司くん素でわろとったぞ。わしも向かい風に負けないで生きて遺構。あれ?ほな備中松山城本丸へ参ります。
【問題】伊予松山城の本丸北西に現存する、望楼型の二重櫓は次のうちどれか?【選択肢】野原櫓天神櫓太鼓櫓馬具櫓【正解】野原櫓【解説】松山城(愛媛県松山市)の本丸北西を防備する野原櫓は、日本で唯一現存する望楼型の二重櫓である。同城最古の建物で、天守の原型ともいわれる。別名、騎馬櫓。
金沢城は織田信長家臣佐久間盛政が築城その後前田利家により大改築されました石川門を目指しますや〜っと石垣が見えてきました鯉喉櫓台右手に兼六園坂道を登ります登って登ってようやくお城が見えてきました石川門の二重櫓
10月1日(土)毎週土曜日に放送される「博士ちゃん」今日の「お城博士ちゃんの」放送は興味深いものでした。2016年秋に日本一高い山城の天守に登城したことを懐かしい景色を想いだしながら観ました。備中松山城は二重二階、高さ11mほどの現存する天守12城の中でも最も低い天守なのです。放送で釘付けになった映像は天守閣から下りて右側にまわった先にある二重櫓(国指定重要文化財)天然の巨石を櫓台とした二重二階建の建物。戦前には国宝に選ばれていたとか。私たちが行
まぁちゃんのブログへようこそ✨備中松山城天守の奥にある二重櫓が特別公開されていました天守横の道から裏側も眺めました。岩盤の上に建っていて風格がありますね。ここまで見に来る人はほとんどいなかったけどここも見処よね。では見学させて頂きます。明石城の巽櫓みたいな感じに思いました。備中松山城も雲海が見られるのですね。2階も見学できました。タイミングよく特別公開を見られてよかったです。じっとしていて大人しい城主さん🐱さんじゅーろーにお別れして備
城を観る今回は...(撮影2020/08/11)水口城(近江国)〜二重櫓から水口岡山城を望む〜あれがッそうかッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/08/11)水口城(近江国)〜二重櫓(2020年)〜二重櫓ッ出たッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
西尾城で令和2年に復元された二之丸丑寅櫓と屏風折れ土塀以前登城したときには石垣と土塁があっただけでしたよ二ノ丸丑寅櫓台二ノ丸土塁でもね今回は駐車場の目の前に櫓がそびえ立ってるそれに珍しい屏風折りの土塀が見ることが出来ました二之丸丑寅二重櫓内部は三階の望楼型櫓内部は入れません屏風折れ土塀ちょびっとずつ進化していますね『三河國西尾城2021[西尾市]』地元に戻ると必ず登城する西尾城今回は新たに完成した二ノ丸丑寅櫓も見学三河國守護足利義氏によって築城された西条城が
撮影日・御城印入手日:2021年7月26日天守裏から見た二重櫓。岩盤の上に建つ二重櫓。さんじゅーろー色々。通常バージョンの御城印。備中松山城編はここまで。帰りは駅まで徒歩。
ブログ上段の『メニューバー』の中に『全国の「二重・三重櫓」を巡る』を貼り付けましたので、今後どうぞご活用、ご覧ください。『全国の「二重櫓」を巡る』現存63基+復元・復興・模擬56基=合計118基を掲載しています。前編↓をクリックしてください『全国の”二重櫓”を巡る(前編)』「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマで、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南にかけて45…ameblo.jp後篇↓をクリックしてくだ