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2021年8月下旬、名古屋市の北東側の高台・志段味(しだみ)に古墳群があって、博物館なども整備されているというので、古墳見学に行って来たんですよね♪この日は、バス(大曽根駅からゆとりーとライン)で、上志段味バス停で下車。そのバス通りを進行方向に進み、上志段味交差点を右折すると、「歴史の里しだみ古墳群」という案内板を発見。この先に、この日一番の目的地「しだみ古墳群ミュージアム」があります。そのまま真っ直ぐに歩道を進むと、こんもりした木々が見えて来て…
先週末に埼玉県小川町に行ってきました秋の花秋海棠を見てきました静かな場所にたくさん咲いていました二十二夜塔の近くですが番地が分からずナビも途中までの案内なのであとは勘で途中近くにきたら小さな看板がありました前にはキレイな川が流れていてホタルも見られるようですホタルを見たことないのでいちど見てみたいなぁ
2024.8.15埼玉県小川町・二十二夜塔(シュウカイドウ)~埼玉県東松山市・東松山市農林公園(ひまわり)を見に行きました!シュウカイドウはこれからですね☺️ひまわりは見頃でした😊
吉岡町南下の金剛寺の宝篋印塔の左隣にある、二十二夜待塔。南下村の上組、中組、下組の女性たちが造立したようです。塔身の右側には、二十二夜待女人講中と彫られているのかな?「講」では無いように見えるけど。左側には造立年が彫られているのかと思われますが、読み取れません。塔身は如意輪観音が、蓮華座に座る形の舟形石塔が箱型石塔に彫られています。表現がややこしいので・レイヤー1蓮華座に座る如意輪観音・レイヤー2その如意輪観音は舟形石塔に彫られていますこの墓石(
久那度神から馬場茂久の墓へ向かう途中、高さ3mくらいはある石造物が目に留まりました。笠が厚く大きく存在感があります。笠の下部には軒天垂木を思わせる装飾があります・如意輪観音が赤子を抱いています。おそらく女性の観音様として彫られたものでしょう。二十二夜塔。1887年(明治20年)建立。女人講の皆さんが建てたようです。1872年(明治5年)官営工場として富岡製糸場(上毛かるた「日本で最初の富岡製糸」)ができたくらいですから、群馬県は養蚕が盛んでした。その養蚕
前橋市の指定重要文化財になっている石仏との出会いがありました六地蔵明和二年1765年こちらです前橋市のホームページより↓南北朝時代(1334-1392)の薬師如来とあります不思議な色は彩色の跡。光背に円形のものが三つ確認できます種字は読めませんが薬師如来だとすれば薬師三尊の種字か。後ろから見ました不思議な色をしています広々した境内十庚申宝篋印塔陀羅尼明和四丁亥1767年諏訪山第十三世傳燈大法師〇〇二十二夜塔です講中寛政十一年1799年
初めて見る久那渡神石碑吉岡村誌を読んでいて気になるものをみつけました○珍しい神様の石碑があるとのことで見に行きました○青面金剛様の立派な庚申塔も素敵で榛東村にある二基とよく似ているので同じ石工さんによるものかなと思い確かめようと思い捜索しましたまず石碑を探して。。高崎渋川バイパス沿いです説明があります衣笠大神養蚕の神様明治廾三年衣笠大神久那渡神文政七年道祖神のように村境を守ってくれる神様だそうですふなどの神とも言い道路や旅の安全を守る神
2022.8.14埼玉県小川町・二十二夜塔のシュウカイドウを見に行きました。二十二夜塔に咲いているシュウカイドウピンク色で綺麗でした👌二十二夜塔高西寺に移動し、キツネノカミソリを見に行きました。斜面一面咲いてました。近くにナツズイセンも咲いてました。午後からのドライブでしたが、ゆっくりできました。
2021年10月15日参拝。武蔵国式内社巡りのつづきです奈良神社(ならのじんじゃ)JR高崎線・熊谷駅よりバス【朝日自動車】妻沼行き「農業活性化センター前」下車15分、または「奈良小学校前」下車17分。参道の両脇、一面の稲穂🌾が美しいですこれが一の鳥居なのかと思ったら、違いました二の鳥居。一の鳥居は、200mほど手前の酒屋さんのところにあったようなのです※画像3枚ネットよりお借りしました。振り返って、この石灯籠に気がついていれば、一の鳥居がもっと手前にあると気が付けたかも知れ
並べて彫ってあります。5番ポイントはこのような所でしたまたもや抜け出してしまった道祖神。どこかへお出かけか。二十二夜二十三夜待ちが並んで彫ってあるのは初めて見ました不思議な石もあります。陰陽石か。右奥には二十一夜塔まであって驚きですこの中でも二十二夜塔は女性の安産、病を治す仏様として信仰されてきたということです。どういうふうにおまつりされてきたのでしょうね。この日は当番宅に集まり食事したり月が出るまで念仏を唱えていたと言いますが。。こちらは男性のあつ
桜と人に溢れた城址公園の丘から下り、高遠の街中に戻ってきたところで、かなり遅くはなってしまったものの昼飯をと。あたりをきょろっとしたところ蕎麦屋がいくつか目につきましたので、「高遠そば、有名だしね」と訪ねたところがいずこも「本日のそば、終わりました」という無情な通告が店前に。なまじ手打ちで数に限りがあり、桜見物の人出ですので、かなり遅れた昼飯段階ではとうに手仕舞い状態だったのでありましょう。ちなみに後から気付いた(気付かされた)のですけれど、「高遠そば」という名称は実のところ、福島・会津の
旧伊香保街道沿い柏木宿にあります寺門は栄陽門と呼ばれる安永七年の作(1778年)宮大工青山数馬今はひっそりしていますがかつては相間山の里宮黒髪山神社や坂東十六番水澤寺へ参拝する方々がたくさん通った賑やかな所だったようです昭和14年から奈良県桜井市長谷寺の末寺とのこと門に貼ってあったポスターです↑馬頭観世音1864年雪城沢俊郷による書(越後生まれ、江戸深川に住んでいた方)施主広場馬小池常吉、高橋主馬、久保田皆松ほか、三十名(村誌による)境内の
長楽寺の南側に三仏堂という大きなお堂がありその南東に石造物が残っていました立派な鋳造地蔵座像文字や年号は見当たらずすらりと長いお地蔵様は顔を直してあります延享四年墓碑1747年板碑型念仏供養塔、聖観音様種字サ=聖観音普門品(ふもんぼん)延享四年四月十八日1747年無縁仏の中の如意輪観音様金剛界大日如来宝永四年1707年美しい二十二夜待供養塔寒念佛供養同行四人延享三年寅三月吉日1746年二十二夜待供養塔二十二夜塔嘉永二年十一月吉日
薬師堂の右奥に行ってみますと庚申塔や月待ち供養塔、青面金剛様などがありましたぱっと楽しそうな猿たちが目に飛び込んできました庚申の日の夜に猿たちが楽しそうに何か食べながらおしゃべりしているように見えます猿に比べて鶏が雑なのですが、両側面にいました左側の鳥はやや小さいです鶏というか、ひよこみたいです猿を彫った人と違う人が彫ったのかしら雰囲気のある優しそうな如意輪観音様の月待ち供養塔二十二夜様でした四臂ですふんわりと天衣が舞い上がり法輪と変わった蓮華を持って
西部地区常木の2基追加正龍寺①二十二夜待塔彫像台座に二十二夜とあります文化10年10月吉常木女人講中彫像部分30x65位②文字塔「如意輪大士」女人講中嘉永元年旭翁書60x70屋根のある所、鉢形城主・北条氏邦夫妻の墓と藤田康邦夫妻の墓があります。*藤田氏は武蔵七党・猪俣党の流れです。1590年の小田原征伐まで武蔵國北部の有力国衆でした。
9・10が追加です何度か通っているのに気付かなかった石仏逆方向からみるとこんな感じ「馬頭尊」35x70頭の上に馬の顔があったはずかろうじて馬の字が見える他は消えてますね。墓地があります。そこを進んで行きます。民家の出入口に如意輪観音もしかしたらこのお宅がお寺さんかも。外からは良く見えません。綺麗なデザインですね。向って右側側面弘化三年は1846年およそ170年前です。皇女和宮・将軍徳川家茂が誕生した年です。左側側面女
佐久市内でみた十九夜塔地元では十九夜塔は一つもなく、初めての十九夜様でドッキンコ。ここから下はwiki参考月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事でです。江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。埼玉県西北部から群馬県西部にかけては二十二夜塔が多く分布している。他の地域では十九夜塔が多い十九夜と二十二夜は、女性の
前回記事のたまごやさんの前にありました。連座の上に如意輪観音様二十二夜供養塔明和元年きのえさる十月吉日(1764年)庚申塔天明元年〇うし十一月吉日(1781年)榛沢郡荒川村講中22人丸いのが自然石の庚申塔その後ろに道標右左の字しか読めず四角柱の道標大正七年荒川青年団東西南北の案内が記されていたようです。南男衾村を経て小川町これだけは読めました。昔はとても大事な道しるべ、今はスマホがあるから、助かりますね。コメ閉じです。
20209/13小川町の彼岸花は咲いていませんでした💔腰越の切通しの槻川にも彼岸花は咲いていなくて槻川をさかのぼって二十二夜塔のシュウカイドウを見に行きました💕http://www.kankou-ogawa.com/au_f001.html秋海棠www.kankou-ogawa.com雨上がりで雫が綺麗でした💧クレオメキバナコスモスシュウカイドウの見頃はもう終わったでしょうね💓二十二夜塔の先に行ってみると館川ダムがありました。館川ダムを見るのは初めてです。
小川町の秋海棠群生地ときがわ町から小川町の秋海棠群生地に来ました。市内から車で約20分、山の中に入った「二十二夜塔」近くにありました。あまり広くはありませんが林の中一面に咲いています。林の中に差し込む光がスポットライトのようです。和紙のふる里「埼玉伝統工芸館」に寄りましたが、まだ開館前でした。(10時~)最後までご覧頂きましてありがとうございました。
9日、雲が多めでしたけどだんだん澄んできました。金星を狙いたいけど、空は晴れているのに白いです。こりゃ難しいわ。取りあえず太陽を撮ります。黒点が久し振り出ているからね。黒点は気流がどんどん悪くなってしまい、初めのショットが一番良かったです。全体像を撮った時は霞んでいましたけど、黒点撮り終わったらだんだん青空になってきました!それでは金星を狙いませう。まだまだ太陽の傍は白いです。でも何とか見えました\(^o^)/気流はボロボロ(><夕方自転車で出かけます。いつもながら行き当たりばっ
寄居の石仏、いよいよ最後となりました。市街地の中町・栄町・武町・花町5.6の傍に緑のポッチをつけましたが、民家宅に双体道祖神があるらしいんですが、確認できていません。2016.3.7浄心寺1・子育て地蔵「奉納地蔵菩薩」享保十三年十一月(1728)座像およそ35x35不動堂2・不動明王像年月不詳125x55寄居に3基ある像刻の一つ。3・㊧庚申塔(青面金剛像・日月・二鶏・邪鬼・三猿)享保十年九月吉(1725)
寄居町の石仏めぐり上の原の庚申塔など2016.1.271・「馬頭尊」真ん中で割れてます2・二十二夜待供養塔(如意輪観音)天保三年十一月吉(1832)上野原講中十六人世話人助右衛門柱状型65x253・庚申塔天保三年十一月吉(1832)上野原講中十五人世話人助右衛門65x30一番右4・「二十三夜」明治12年5月吉武州八方村原口け以立45x20その他、馬頭尊、大きいのはわか
寄居町の石仏めぐり露梨子(つゆなし)2016.2.71・「馬頭観世音菩薩」安政四年十一月吉(1857)武州男衾郡露梨子村65x252・「?富士」詳細不明およそ60x40台座付墨田工業(株)裏3・庚申塔(青面金剛・日月・二鶏・三猿・ショケラ)年月不詳男衾郡露梨子村70x354・二十二夜待供養塔(如意輪観音)寛延元年(1748)十月吉日武州男衾郡女人講中十四人75x355・廻国塔
寄居鉢形の庚申塔、少し間が空いてしまいましたが続きます。2016.2.7保田原の波羅伊門神社(はらいど神社)右にある社標の裏面弘化三年丙午三月吉祥日(1846)保泉紀伊藤原保道謹立氏子中1・㊧庚申塔天保二年十一月吉日(1831)およそ215x145亀田鵬斉書武州男衾郡鉢形数釜荘保田原郷講中・・亀田鵬斉は江戸時代の有名な書家、儒学者。2・㊨猿田彦大神天保二年十一月(1831)75x35桐部下員小川淳謹書武蔵国男衾郡保田原講
笠付の大きな庚申塔JA榛沢のある交差点青面金剛像日月二鶏邪鬼三猿安永八巳亥天六月吉祥日(1779)武州榛沢郡榛沢新田村願主武井佐内真下善兵衛布施平右衛門高橋平右衛門高橋彦右衛門野口太右衛門などの刻銘あり笠・台を入れると3m近くあります。「猿田彦大神」「廿二夜供養塔」「奉・・・・・」(^_^)/~コメント欄閉じてます。
今市の庚申塔めぐり27.11.23今市の地蔵堂の十字路から向かいの細い道へ入る左から①「馬頭観世音」武州今市宿馬持講中文政元年9月吉(1818)80x205②「馬頭尊」当所堀口源十郎明治16年5月吉50x60③「奉庚申供養」(青面金剛三猿)武州男衾郡今市講中七人敬白宝永5年11月吉(1708)55x95舟型でも下部も細い④「庚申」武州男衾郡今市村講中十八人寛延3年11月吉(1750)
寄居の石仏めぐり西部地区(六供・常木・菅原・本宿)六供寄居郵便局手前の交差点27.10.5①「庚申待供養」願主・・元文2年(1737)40x105後の石柱は「宗像神社」の社標、参道入口を示しています。さっきの場所から玉淀河原に進み、突き当たりを右折②「石御厨子」・・寄居町信徒武町中六供中象頭山聖天院極楽寺六十三世現住職大久保充岳明治三十一年三月吉日お経を納めたものでしょうか???極楽寺
寄居町の石仏めぐり用土10区2カ所(22.23.24)追加しました2020.9.2927.10.9用土小学校入口右から①「如意輪大士」下用土村講中廿四人文化5年10月22日(1808)柱状形25x60②六地蔵(文字)欠損あり八に見える下部に凹凸あり地蔵かも年月?35x80右から4番目③六地蔵彫像年月?角柱型25x25広域農道沿いの小島稲荷神社27.10.5新しいお宮の前に
寄居町の石仏用土9区27.10.6撮影井口歯科医院敷地内①庚申塔青面金剛像日月三猿同行六人元禄・1月20日(1688~1704)舟型30x55左から②庚申塔日月武州榛沢郡用土字延ヶ谷戸寛政4年11月吉(1792)30x105③庚申塔元文元年11月吉(1736)75x80④?先ほどの場所からすぐ近くの民家敷地内赤い鳥居が目につきます。