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『忠臣蔵花の巻雪の巻』映画昭和三十七年(1962年)十一月三日公開トーキーカラー207分製作国日本制作・配給東宝制作藤本真澄田中友幸稲垣浩脚本八住利雄音楽伊福部昭撮影山田一夫美術植田寛録音西川善男照明小島正七整音下永尚監督助手丸輝男高瀬昌弘編集岩下広一合成泉実殺陣
明日11月3日13時5分~NHKEテレにて師匠二代目市川猿翁の(三代目市川猿之助)追悼番組が放送されますNHKのサイトはこちら追悼・市川猿翁歌舞伎名演集-天翔(あまが)ける心、それが私今年9月、歌舞伎の名優、市川猿翁(三世猿之助)が長い闘病の末に逝去した。享年83。上演の途絶えた作品の復活、古典の新演出による刷新、そしてスーパー歌舞伎の創造に意欲的に取り組んだ仕事ぶりは、まさに歌舞伎の歴史を変え、一時代を築き上げた。猿翁の足跡と功績をたどるため、名舞台の数々とゆかり
今日…届き…頂いた…😊😊😊恩師直筆の色紙…😌😌😌私に…そしてタケルにも…😀😀😀恩師が大好きだった言葉が…‼️
『わが心の歌舞伎座』映画トーキー167分幕間ありHDカラー・白黒平成二十三年(2011年)一月十一日封切製作国日本製作言語日本語製作・配給松竹株式会社制作プロダクションOFFICESOGAWA167分(幕間休憩有り)HDカラー・白黒出演七代目中村芝翫二代目中村吉右衛門十二代目市川團十郎五代目坂東玉三郎五代目中村富十郎十八代目中村勘三郎九代目松本幸四郎四代目中村梅玉
二代目市川猿翁丈がなくなった。83歳の生涯。はじめてみたのは伊達の十役その後スーパーカブキの数々。拝見できなかった最後の舞台は、2003年10月の国立劇場、競伊勢物語。9月に父が亡くなって、歌舞伎どころじゃなかったなあ。三代目の四の切で玉三郎児太郎(福助)扇雀(坂田藤十郎)宗十郎などが静をつとめ二代目鴈治郎が義経だったなあ。延若もみたようにおもう。今考えるととても豪華な顔ぶれ。三代目が歌舞伎の間口を広げ梅原猛という良きパートナーを得て、歌舞伎の新しい世界を作
この本は小学6年生の時に購入したもの。今でもときどき読み返しています。僕を歌舞伎に導いてくれたのは十八代目勘三郎(当時の勘九郎)。そして歌舞伎の可能性を感じさせてくれたのが三代目市川猿之助でした。中学生のとき、松竹座で「ヤマトタケル」をみた感動を今でもはっきり覚えています。今年はこの名跡を巡って何かと騒がしいですが、これまでの観劇歴の中で、三代目市川猿之助から大きな感動と教えを与えてもらったのは事実です。古典歌舞伎の復活、宙乗り演出復活、オペラ演出、スーパー歌舞伎の創造、21世紀歌舞伎組
師匠の「夢みる力」の書。スーパー歌舞伎「新・三国志」のテーマで、私の大好きな言葉です。えんし
師匠二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)の鬼揃紅葉狩に倣い、私の上演した綾錦戸隠紅葉狩の鬼女も毛が真っ赤です。藍色の隈取に真っ赤な毛の組み合わせ、何ともインパクトがあります!早拵えが終わるといよいよ鬼の出、塚の迫り上がりとなります。笑野市川笑野フォトギャラリーはコチラ
私の青春の味「歌舞伎そば」今は歌舞伎座の真裏にありますが、建て替える前の歌舞伎座では歌舞伎座正面玄関のすぐ横にありました。仲間内では略して「かぶそば」と呼んでいます。前の歌舞伎座には稽古場が無かったため、次の月のお稽古は西側ロビーに上敷を敷いてお稽古をしていました。その頃は師匠二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)もバリッバリの猛優でしたので、朝から晩まで出ずっぱり!ですので弟子も大変です…。そんな時に助かったのがこの歌舞伎そば!正面玄関を出たすぐ横にありましたので、ちょっ
二代目市川猿翁丈より当店『氣まぐれママのBarおもだか』へ御祝いのお花を頂戴しました。大変に烏滸がましくも、歌舞伎をもっと広めたいという想いで開店いたしましたが、猿翁丈の数々の御功績と芸風、歌舞伎の素晴らしさや楽しさを共有できる場所として、そしてまだ歌舞伎をご覧になられていない方々との架け橋となれますよう、精一杯努めて参ります。厚く御礼申し上げます。氣まぐれママのBarおもだか淳子