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11月26日、全国争議団交流会の企画会議が福岡で開催されました。翌27日の全国結集行動に参加しました。虹ヶ丘学園闘争の現場として、福岡県庁前と福岡高裁前(民事裁判攻撃で地裁敗訴)の情宣行動をしました。虹ケ丘学園闘争は2006年、知的障害者通所授産施設「虹ヶ丘学園」が、労働者の権利を訴える「虹ヶ丘学園労組」を潰すために職員を解雇・偽装廃園したところから続いています。労組は、解雇撤回・学園再開を求めて提訴し、2019年2月13日に福岡地裁飯塚支部で勝訴したのですが、被告理事たちは逃げ回り支払い
今日の朝飯生たまご納豆水菜ポテトサラダプチトマトワカメの味噌汁頂きました。『お』『お葬儀に襲う指揮ありお争議にっ』どうですか………ウクライナでの…暗い出来事…いまだ続いています……我が国では…凶弾に…倒れた元総理大臣…国の葬儀式が…執り行われようと…しています……それを…けしからんと…けしかける…かたがたが…いらっしゃるよう……動向が…気になります………さて…侵略から…国を守る…守るのは…国土国民そして…文化……
1950年6月、国際情勢は大きく動こうとしていました。朝鮮戦争勃発の危機が迫っていたからです。この年の1月に、コミンフォルム(ソビエト連邦による国際共産主義推進組織)が日本共産党を強く批判する論評を発表しました。同党の、占領軍を解放軍とみなして平和的に革命を進めるというそれまでの方針を否定するもので、日本共産党はこれを受けいれました。6月6日、GHQより日本共産党幹部24名を公職追放する指令が出され(レッドパージ)、同党主流派の幹部は、共産党が内戦に勝利してまもない中国に亡命します。そ
GHQの指令にもとづく戦後改革で、労働者は権利を確立し、労働組合は公認されました。戦前にも国内で労働運動が展開されて、最も多い時で42万人の労働組合員がいましたが[1]、法律で位置づけられたものではなかったのです。終戦直後、戦前からのあらゆる権威が地に落ち、食べるものにさえ事欠く物不足とハイパーインフレのもとで、労働組合が続々と結成され、経営者に代わって生産を指揮する生産管理闘争などの激しい労働争議を繰り広げました。また、経営への幅広い関与を求めるなど、企業内での力は現在では想像できな
母方の叔母2人と定期的に大阪・梅田で昼食会をしていましたが、去年から勃発したコロナ騒動の為、その会も延期、延期で・・・去年一度だけ、1人の宗教熱心な独身の叔母とは昼食会をしましたが、結婚しているもう1人の叔母はコロナ恐怖で出てくる事もなく・・・そして今年になって、緊急事態宣言も明けるし4月15日には全員の予定とムード?も合致し、久々の3人昼食会をやる事になっていました。しかし、そこへ今度は「まんぼう」が襲来して・・・結局、結婚している叔母から一昨日連絡があり、今回も欠席したいと
拙ブログでは、これまで日本共産党が引き起こした様々な事件について記事にしてきました。※その一例が、こちら。(↓)そして今回は、同じく共産党員が今から70年近く前の今日引き起こした練馬事件についてご紹介します。1951(昭和26)年12月26日午後10時過ぎ、東京都の練馬旭町駐在所に若い学生風の男がやってきて、「小田原製紙工場横の道路に行き倒れらしい男が倒れている。」と通報。小田原製紙工場の位置応対した
ウルトラセブンのカプセル怪獣の扱いはあんまりだから、組合作って、セブンと団体交渉すると良いと思います。あと、ストライキとか。↑委員長セブン:行け!ミクラス!!ミクラス:争議中です。。。セブン:非組管理職の怪獣は居ないのか?!↑いねーよ!※非組=非組合員のこと↑書記長↑職場委員
人が分かりあうのは難しいものだ。壊れた関係を修復するのは、もっと難しいものだな。先日、私もよく知っていた、うちに関係のある中国の工場で、ちょっとした騒ぎがあったらしい。その工場に対して、ある噂が流れ、会社側に説明を求めるために、従業員が大挙して工場に押し掛けた、という。会社側の説明に、とりあえずは納得し、騒ぎは収まった、というけど。けが人は無し。器物の損壊などの被害も無し。だけど、彼らの心に残った不信感は、ずっと消えないだろう。中国では、この手の騒ぎはそれほど珍しくない。