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間がかなり空いてしまった、、!妊娠期の治療についてはほぼ書きたいことは書けたので現在に繋がる再建手術の経過や日頃の出来事など上げて行こうかなとホルモン治療の副作用にも慣れて赤ちゃんだった3女も2歳になったころ。2023年の初めごろ、PET検査で無事3年目再発なしのお墨付きをもらったところで倍先生に聞いてみた。わたし「私の状況で再建手術は検討できますか?」倍先生「再建手術、いいと思うよ〇〇病院(乳癌の手術をした病院)の形成外科に紹介状書くから、相談してきたら??」再建手術を受けるにあ
化学療法が終わっても、なかなか元通りとはいかない日々が続きました。日々の子育てや仕事、たまぁにホットヨガに通い体力はすぐに戻ってきたように思います(ホットヨガは倍先生に一応相談してからはじめました!腕はなかなか上がりにくいので軽いものから、精神もリラックスできて私には合ってました)髪の毛は、剛毛になってしまいましたがちゃんと生えてきてくれましたが、なんだか頭頂部だけ元気が無いんですよね。。顔周りも弱々しい細い毛が多くなってしまっています💧もしやこれは加齢によるものなのか、、?よく
無事化学療法も終了して残すはホルモン治療となったわたし。化学療法が終了して1年くらいは、考えないようにしていても、ふと一息ついた時にふっと沸く不安。風邪の治りかけに咳が止まらなくなったとき。腰痛のとき。なんとなく疲れやすいなと思ったとき。ぜんぶ一旦再発かなと結びつけてしまういや、被害妄想だな。と頭を切り替えるのにも時間がかかり。症状が出るとすぐネット検索してしまい悪循環。わたし(こんな気持ち一生背負って生きていくのかな。。涙)見事に病気にとらわれてしまっていました。自分の体
更新が出来ないまま日があっという間に過ぎていく、、リアルタイムでは現在遊離腹部皮弁法の術後16日目!ずっとお腹が突っ張って背中を浮かさないと寝られなかったのがようやく平面で寝られるようになってきた♪睡眠の質、大事ですねさて、出産後すぐ開始された抗癌剤+分子標的薬ですが、途中放射線治療を挟み休薬をしましたが、ようやく2022年の頭に無事完走出来ました分子標的薬は、厄介な湿疹とお腹を下すことが多かったくらいで、体力が落ちることは無く、元気に通うことが出来ました化学療法
無事退院しましてドタバタで遅れました、、それでは続き。2021年7月。(3女ハーフバースデー)抗HER2薬と並行してホルモン治療が始まった。レトロゾール(女性ホルモンを抑制する)1日1回服用リュープリン半年に一度お腹に注射最大の副作用は、女性ホルモンを抑制することにより閉経する恐れ、それに伴う更年期障害、子宮体がんリスク増と聞かされたほんと次から次へと癌が女としての機能を奪っていきますねはい。きました、30代にして更年期障害。体のほてり、不眠、イライラ。ほてりはしばらく
4クール続いたドセタキセル(+ハーセプチン、パージェタ)ジーラスタのおかげもあってか、何とか予定通り完走出来てホッと一息。残りのハーセプチンとパージェタは副作用が少ないと聞いていたため、私は先生に提案する。わたし『このあとの治療は、地元で受けさせてもらえないでしょうか』倍先生『もちろんですよ~』出産が終了して、晴れて?一般の癌患者になったわたし。どの病院へ行っても行う治療は同じだった。片道車で1時間弱かかる通院。治療をして帰宅すると毎回夕方になっていた。その間
私の退院後は3女を迎える準備をバタバタとしたり、日常の通常運転に戻りつつ、、といった感じで。(産褥期とは、、w)あとわずかな4人家族生活を楽しみました上の子たちの生活があるので、また3女のお世話に通う必要もありもちろん里帰りもなし。多分退院翌日から運転していました。(このあたり自然分娩じゃなくてよかったと思いました。産後のお股はドーナツクッション必須ですよね、、涙)余談ですが、、体力には自信があるわたし。帝王切開の回復も早かったですし、そのあと続く再建手術(エキスパンダー挿
幸せだった産婦人科病棟を後にして(後述しますがこのあと3時間置きに出戻りしますw)癌病棟へ。。〇〇大病院は、病棟数が多く癌の方だけの病棟があった(その中の女性疾患の方ばかりの病室に配置された)産後お初の倍先生倍先生『出産おめでとう〜いつ産まれるかとずっと待ってたよー💦産後翌日に病棟まで行ったんだけどNICUに行ってるとのことで会えなかったんだよね(NICUは他の科の先生は立ち入りできないようだった)体はもう平気??』わたし『おかげさまで無事出産することができました体調もバッ
『14.片胸でも母乳をあげたい!①』無事出産した夜。まずは体を休めることを優先にNICUへ行くのは明日までお預けとなった。その代わり小児科の先生が様子を伝えに来てくれたためとても安心できた。い…ameblo.jpすみません、前回の補足から。抗がん剤をしていたのに母乳をあげてもいいの?→倍先生とミン先生の協議の結果、最後の抗がん剤から2ヶ月空いているとのことで母乳をあげる許可が出ました。ちなみに、妊娠中の抗がん剤(私の場合AC療法)は胎盤を通らないので胎児に影響はありませんが(一部の抗が
無事出産した夜。まずは体を休めることを優先にNICUへ行くのは明日までお預けとなった。その代わり小児科の先生が様子を伝えに来てくれたためとても安心できた。いま3女は鼻からチューブを通して胃に直接栄養をいれている。呼吸サポートもしているらしかったが、元気なのでじきに外れるだろうとのことわたしは傷口を縫合されるときに「眠たくなる薬」を入れてもらったせいもあるのか、しばらくホワホワして過ごしていたがじわじわとやってくる吐き気。わたし『麻酔明けはいつも吐きそう。と。メモメモ』←
1月8日(3女の誕生日)朝7時に、、以下略先生たちの内診の手にも力が入る(=痛すぎ)バルーンも留置して促進剤もスピード増しで入れられます(=超絶痛すぎ)状況についていけず&痛すぎて発熱する私。子宮口6センチ。いけそう!!!ただ一つ問題。3女が下りてこない。促進剤はMAXで持続中。もうめっちゃ痛い。でも陣痛がどうかは判断が難しい。助産師さん『和痛の麻酔入れようか、、?』ここでなぜかわたし『断る』痛みが遠のくことで陣痛が遠のくと思いました。赤
1月7日。一夜明けると吹っ切れて(気が晴れて?)、またやる気を取り戻したわたし。定刻になりまして寝起き一発内診で目が覚めるこのルーティーンももう終わりにしたい、、!今日こそ3女に会うぞと意気込んで分娩室に向かいました。分娩室の皆様も同じ気持ちでした。赤ちゃんが元気なことを確認して投与開始。始まる痛み。お昼を回る。2人産んでる私。(何回言うねんw)陣痛がこんなもんじゃないことを知っていた。そして完全に凪な機械のデータ。今日は少し粘りたいとのことで
1月6日。気を取り直してがんばろう。ここで少しトラブル。朝お腹に機械をつけると、お腹の赤ちゃんの心拍が不安定。胎動も少なめとのこと。まだ2,000gの小さな体。昨日の促進剤で疲れたのかある関係者の方の「抗がん剤の影響も少しあるのかな」との声が聞こえてしまいもう半泣き。経過を見て、促進剤を切り上げ緊急帝王切開が出来るよう急いで同意書の記入やレントゲンなどを行った。そして内診グリグリのち、促進剤投与。助産師さんたち笑顔『今日中に産まれるように頑張りましょうね』わた
出産予定日は、2月初旬のはずだった。倍先生は、ミン先生と相談して赤ちゃんの器官の発達を待って35週に入り次第計画的に産んですぐに治療を始めましょうとのことだった。逆を言えばそれ以上治療を遅らせることはできないとの判断だった。それが、家族みんなで幸せに暮らせる最適な手段だと納得して承諾しました。1ヶ月早い、2021年1月4日。推定体重2,200g。3が日を家族や友人たちと楽しく過ごしたあとの入院でした。夫は病院まで送ってくれて帰宅。立会は出来るがコロナ渦のため産まれる直前
退院してからは、もう不便!の一言につきました。汗腕は上げようとすると引っ張られるような痛み。⇒これは早期にリハビリをたくさんやらないと固まってしまって上がらなくなるとのこと。洗濯物干し的運動が効果的です。左手で重いものを持つことを禁じられる。(ある方のブログで、重さの基準はカボチャ1玉とありました。分かりやすい。)また、リンパが無いことにより傷がつくと感染症が起こりやすい。(日焼けも蚊に刺されるのも禁止)リンパ液の流れが滞るとリンパ浮腫に発展する。(リンパ浮腫になると一生
いよいよ手術の日。産まれて初めて体にメスが入りました。今回は1週間の入院です。家族皆でがんばろうと約束して病院につきました。ごめんね子どもたち。。そして産まれても無いのに抗がん剤や全身麻酔にさらされているお腹の中の3女。3女に対しては申し訳なさも相まって心配どころではありませんでした。そして普段仕事が忙しくて育児にあまり参加できない夫。いきなり1歳なりたての次女を任されることになりますタノムヨーこの病院は前日入院ではなく、外来からそのまま手術室へ。手術が終われば病棟に運び込ま
定期検診で乳がんチェック乳房のX線を撮りに行ってきた今まで一度も"痛い"と思ったことがなかったがソレが単にラッキーだったことを今日はじめて知った😣技師さんによってこんなに違うの!?ってくらい今日は痛かった😂でもよく考えれば血液検査だって採取する人によって痛かったり内出血したりいろいろ当然といえば当然…かめちゃくちゃお天気!でも乾燥で火災が起きてて大変な地域もある…無事に生活できることに改めて感謝しなきゃと思ったこの検査結果はたぶん大丈夫な方w再検査と
ピンクリボン月間をきっかけに受診される方がいる一方でもう歳だから…と言って受診されない方が多くいるそうでハッキリ言いますっ!年齢なんか関係ないっ人間、生きているうちにたくさんの風景や出来事を体験したり見聞きする時間が多ければ多いほどもうけもんだ✨と私は思ってますこの間、ピンクリボン月間のニュースを何気に観ていたら100歳のご婦人が全摘手術を受けられたと聞き素晴らしい👏👏と関心しました。命を粗末にしてはならないです。大事な人生のためにも乳がん検診を受けて
皆さんこんにちは〜雨☔けっこう降りました☔️愛媛も土砂崩れがあったから連絡したら父は大丈夫との事でした。ゲリラ的に降りますから皆さんも気をつけてくださいね☔️⚡️今日は嫁の乳がん検診の付き添いでした🏥不安症があるので何回か体調が悪く病院に行く事が難しい日もあったり検査受けれなかった日もあったけど💦今日は頑張れて良かったです😊(エコー検査です)結果も大丈夫との事で良かったです👍嫁ホッとしてパシャリとこの間読者さんが教えてくれたアガパ
続きです。手術の体験談については、書くのが大変なので(超長文になるので💧)省略させていただきますが(^^;3月1日(金)に全摘手術を受けて退院したのは3月18日(月)、ピアノのレッスンは、その翌週から再開しました。その後、4月はじめに病理検査の結果を聞き、抗がん剤はしなくてもOKでした。ホッとしました。乳がんは、日本人女性の9人に1人がかかるらしいです。(男性でもかかることがあります)決して、他人事ではないのです。乳がん検診、行ってますか?市町村の乳がん検診
今日は日経爆下がりでしたね。持ち株アークス以外ほとんどが被弾し、約30万ほど溶けていました今日は、乳腺外科での経過観察でした。今回は、MRI検査でした💦診療費用が高い。約7000円。痛い2016年の秋に乳癌が発覚し、左乳房全摘しています。乳房再建希望の為、手術と同時にエキスパンダーを挿入し、胸筋拡張後2017年5月にシリコンに入れ替えの手術を受けました。その時に使用されたのが米国のアラガン社のナトレル410というシリコンでした。手術後は、傷
音楽高校時代のクラスメイトが4月1日に亡くなった事が分かりました。エイプリルフールだから嘘だよーって言いそうな子でした。同じピアノの先生でした。乳がんを8年患っていたそうです。本当にショックです‼️ショックのせいか今日は布団から起きれず、昨夜はなかなか寝つけなかった。雨だからお散歩にも行けず、見兼ねてサンコンから呼び出されました。高校時代の恩師に連絡をしたら、もっと歳を重ねると、一杯経験を積んで、死と言うものを自然に受けとめれる様になって行きます。あくまでも
岩槻区の乳がん検診についてまとめました!一般的な乳がん検診についてはこちら↙︎『乳がん検診について』『自己紹介Profileプロフィール』廣川詠子医学博士日本形成外科学会専門医乳腺専門医日本がん治療認定医難病指定医マンモグラフィ精度管理中央委員会…ameblo.jp『自己紹介Profileプロフィール』廣川詠子医学博士日本形成外科学会専門医乳腺専門医日本がん治療認定医難病指定医マンモグラフィ精度管理中央委員会認定読影医※乳腺専門医と形成外科専門医を両…ameblo.
病院などにちゃんと行く生活にしようと決めて、夏の間にとりあえず区役所で検査を受けました。大腸がんと肺がんも予約したけれど、検便がタイミング悪くて採れなかったので、こちらはセットで延期。で、夏に受けた乳がんのマンモグラフィの結果通知で「再検査」を勧められたのでした。データと紹介状を貰い、その予約を入れていた時にちょーどインフルエンザ気になるから早く済ませておきたかったのに、2週間も延期になってしまって、気になって仕方がなかったです。エコーの結果、濃いカゲに見えていたのは、乳腺が重なって
年に一度の2週間の長期休暇中新卒で入社した会社の同期4人とランチうち1人と先に合流して、まずは大宮氷川神社⛩へ。再会のお礼を集合場所へ向かう途中のひとコマ…と返信したものの、え一体何時に着くのお願い着く時間教えて〜笑笑隣を歩く友人に言っても『着いたら連絡来るからいんじゃん』ってすると…はいはーい🙋♀️着いてるよ〜先に着いた3人で食事場所へ。お店を決めて連絡さなえ了解!してなかった件何とか合流し、美味しいローストビーフ丼を食べながら、おしゃべりhttps:/
YouTube日本病理学会公式チャンネルにて『【病理診断】乳がんか否か、どうやって確かめる?』乳がん患者役として出演させていただきました!乳がん検査時に影が見つかり、その後の流れ、病気がどのように”病理診断”されているかをとてもわかりやすく伝えてくださっています私もこの撮影で初めて"病理診断"という存在を知りました乳がんを知っているようで全然知らなかったんだな、と。勉強になることと、意識が変わりましたこちらとあわせて『
こんにちは、世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員YACHIです!(初めての方⇒プロフィール)YACHIってどんな人?12月には生検、結果は良性腫瘍だったのですが、手術しました。『無事に手術が終了しました!』こんにちは、世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員YACHIです!(初めての方⇒プロフィール)YACHIってどんな人?昨日は、パリのクリニックの待合室…ameblo.jpなんだか、説明もあまりなくて身を任せお願いしました。痛みも
こんにちは、さいママです。今回は8月25日にラジオで放送されました「乳がん」についての内容をご紹介したいと思います。先日、元宝塚の方が乳がんのためお亡くなりになられたというニュースがありましたね。本日はこの乳がんについてお話したいと思います。9人に1人という確率厚労省が2019年に発表したデータによると、この年に乳がんによって亡くなられた女性は14,935人でした。着目したいのは、この14,935人という数が多いのか少ないのかと
昨日は転院先の病院ではじめての受診でしたこともあろうか、紹介状を忘れるという失態をおかしてしまいましたが、すぐにメールで大学病院に情報を照会していただき、取りに帰らずに診察していただけました。久しぶりに会う元主治医のS先生は、変わらずに優しく、話しやすく、やっぱりこの先生だな!わたしの主治医は!!と実感しました。急性期治療が終わり、大学病院側から、元気な人は地域のクリニックへ行って欲しいと言われ転院しましたが、転院先は乳がん発覚時から手術、放射線治療、術後10ヶ月まで診てくれた元主治医が転