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2025年4月30日(水)、手術後1年健診でした。23日(水)にマンモグラフィーとエコー検査を受けてあるので、30日はその結果を見ての、主治医先生の診察の日です。特に問題なく診察も終わり、次回は半年後の10月29日(水)になりました。検査無しで診察のみの予約です。今回のように検査があると、自覚が無くても何か変化があるんじゃないかとドキドキします。次回は診察のみなので、少しは緊張しなくて済みそうです。手術の傷跡は、白くうすーい線のような感じで、腕に隠れるのでほぼ分からないと思います。おそらく
2024年10月30日(水)、前回の受診から3ヶ月後、診察の日でした。私は乳がんステージ0の非浸潤性乳癌で、2024年4月に部分切除手術、5〜6月に放射線治療を受けました。手術を受けてから半年経ち、体調は元通り、生活も元通りです。非浸潤性乳癌部分切除後の傷跡は、硬くてごわごわした感じではありますが触っても痛くないし、腕に隠れるのでほぼ分からないと思います。おそらく、温泉などに行っても誰にも気付かれないくらいです。今回は検査も無く、診察のみでした。先生の触診で異常は無く、私自身も特に心配な事も無
退院後約1週間で受診の予定になっていた。傷をひと通りみてもらった。痛みはあるが動かせる。つっぱりもまあ、ある。先生からは、摘出した組織の検査結果やはり病変が認められた。が、どれもやはりステージ0の非浸潤癌だった。とのことだった。1回目の部分切除のときにセンチネルも行って問題ないことから、転移は理屈上はないと考える。と言われ安心した。今後は半年に一度の検診を継続。全摘した右胸も、エコーをするということだった。私は、こうなると、左胸が心配であること前回右の
いつも合わせたように土曜日に退院。旦那さんも娘も迎えに来てもらえてとっても嬉しかった。家は大きな変わりもなく今回は春休み前ということもあって給食がなく、学童にお弁当持参の日もあったけど旦那さんはちゃんと作ってくれていた。嫌でもスキルあがるね〜もちろん前回同様の家族予定表(ちょっと長くなった)も入院前に、バッチリ作りました。→これ仕上げるのに半日かかった家の庭の花がだいぶ春らしくなっていた。娘と植えたチューリップもちゃんと大きくなっていた。雑草もすごいけどわた
私の今回の入院は2回目で全摘と言われていたので入院期間も前回よりは長く1週間と言われた。と言っても、前回は部分切除で、オペ前日入院で、オペ後2日、計4日で退院したので今回も多分早まりそうとは予想していた。そんな中で私が、入院中つらかったこと。それは4人部屋の入院中のことだった。みんな辛い、事情があるから入院しているのはわかってて、ご飯食べられないくらい辛いとか高熱でしんどいとか健康でないのは理解しているつもり。だからここにいる。実際私もオペ後の身体のしんどさ
私が今回入った4人部屋はとても綺麗で、一人ひとりのスペースも余裕があり、快適な作りだった。私が入ったのは窓際でもあったので明るくてとても心地よかった。2人は既に入っていて、もう1人は同じ日の夕方入られた。とにかくみんなずーっとカーテンをぴっちり閉めているのでどんな人が入っているのかわからない。でもそれぞれ主治医の先生や回診のときの会話、看護師さんとの話などで、なんとなーくはわかってくる。恐らく、50〜60代くらいの方2人と20代の方だった。年配の方2人は、もう少し前
翌日には手術だった。2度目の手術は手術前からは既視感ありありであの恐怖の地獄のように長い術後の夜も同じようにやってきた。『㉓手術終了〜翌朝まで』手術台に横になってからは麻酔がきいて、ほんとに一瞬でワープ目が覚めたらリカバリー室というナースステーションに併設の部屋に運ばれていた恐らく運ばれてすぐに目が覚…ameblo.jp前回よりも痛みは長く前回は一度でよかった痛み止めの点滴を2回してもらった。翌朝には病室のベッドへ戻ることができた。前回同様、翌日は頭痛が辛かった。先生に
昨日で手術を受けた日からちょうど1ヶ月。病院へ行って病理検査結果を聞いてきた。結果は組織生検結果と同じで、非浸潤性乳管がん、ステージ0とのこと。広がりは大きめだとMRI、CT検査の段階で分かっていたので覚悟はしていたけれど、浸潤部分は見付からなかったそうで、まさかまさかの無治療!全摘したので放射線治療もなし。今後10年間は1年に1度の検査が必要らしいので、無治療といってもこれで終わりではない。再発したときは早めに気付けるように、そして再発がないように心がけつつ、反対側にも気を付けながら生活
入院は2度目となったので、かなり慣れたペースで進んだ。荷物も半分くらいになったし必要なものは厳選できた。前回に比べて、あったらよかったものは正直あまり思い浮かばず、なくてよかったもの・・ペットボトルの飲み物(前述のやかんのお茶の件があったので)『㉖入院生活〜私を支えた物2〜』退屈な入院生活。といっても入院生活して、オペして、蓋を開けてみれば退院含めて4日だった。本を読んだりすることもなく、なんせどこでも寝られる人ではないから、相部…ameblo.jp院内散歩かばん、シャン
私は友達はあまり多くない飲めないから飲み会も苦手だし気を遣って話すくらいなら疲れてめんどくさくなって。。というパターンも。ただ、友達から色んな発見や刺激をもらえることもここまで生きてくるともちろんすごく感じるわけで、古い友達も、新しい出会いも大事にしたい。私にとって、数少ない心許せる友達の1人Kちゃんには、わたしの病気のことは最初から知らせていた。だから、今回2回目の手術のことを知らせたら近くまで来てくれて2人でランチをした。もともと中国に留学経験もありアジア
入院にむけて少しずつ準備もしながらでも2回目だから、かなり厳選させて準備はすぐにできそうだった。またあの入院生活、しかも前よりながいまたあの手術、しかも前より広範囲、てか全摘ではあるが、より快適を求めて。準備はコンパクトにできそうだった。そして、それから、退院して、春が少しで待ち遠しくなるように自分に楽しみを作る!という意味でテンション上がる洋服を購入なんじゃ?!このメルヘンデザイン偶然メルカリで見つけて1000円以下なので迷わず購入!これを、シンプルな
母に全摘のことを伝えて数日後母から電話があった「ちょっと〇〇日、こっちに電車でゆっくりおいで。お父さんのお墓参りして、ご飯食べよ」母は隣の県に住んでいるので電車で約1時間半。寒いし、正直めんどくささも少しあったが時間もあるし、動く必要もあるし、出かけることにした。あいにくの雨だけどでも父のお墓は、今どきのとんでもなく綺麗な建物の中にあるので快適そのもの父は生前、特になくなる前にここでは書けないくらいドン引きの逸話をいくつも作った人だったけど結果的にこんないいとこ入
遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の検査結果を待っている間の事です。結果的には私は陰性でしたが、陽性だったら誰にまで言おうか悩んでいました。もし陽性なら、親から遺伝しているのでしょうけど、どっちから遺伝したのかとか考えさせたら申し訳ないなと思いました。私は、陽性でも親には秘密にしておく事にしました。私には姉と弟がいるので、姉と弟には伝えようと思いました。男性の乳がんは遺伝性のものの可能性があるそうです。いとこにはどうしようか悩みました。いとこに伝えるかは答えがでませんでした。遺伝している
2回目の入院までに少だけ時間があった。1回目の退院の後でもあり1回目の手術の後でもあり右胸には傷の痛みもあり完全にもと通りではなかったけどいつも仕事しながら髪を振り乱して走り抜けていた日常とは離れて、時間がある分できることがたくさんあった。長男は週に2回、部活の後、秒で準備して塾に向かうがそれの送迎をしてあげられる。行く前にできたら食べたいという夕飯も用意できる。次男はお友達と遊ぶことが楽しくて週に2回目くらい学童を休んで放課後、友達と遊び始めた。私が家にいるこ
現在の48才。41歳で0期の乳がんになり、左胸を全摘。42歳で局所再発。再手術。その後、放射線治療からのホルモン療法。昨年5年間のホルモン療法が終わり、昨年から、やっと普通の生活に戻っています。ただ、ホルモン療法をはじめた月からピタリと生理がなくなりました。元気な時は生理って、毎月、面倒臭いなぁと思っていたけれど、やってこなくなった時はショックだった。よく更年期を迎えた先輩方が「女性じゃなくなる気がして」とか言っているのを聞いていたけれど、そういうのじゃなくて、ホル
考えても仕方ないし、結果は結果で受け止めていた。検査結果がそうなんだからそれ以外ないだろう思い出せば、オペ前から先生はとった組織を病理検査で調べると言っていたことも、後から思い出した。とって終わりと思ってたのは自分だけだったんだ。2度目の告知は思った以上にダメージがあった。一度治療して、その先に進めない、むしろ後退しているような感じ。あのしんどい手術や、術後をもう一度乗り越えないといけないこと。また入院することによる家族への影響。さらに、画像での確認から部分切除に
もちろん自分もショックだったけど何がしんどいって、周りへの再度の報告だったよかった!無事終わって。と思ってくれてる人達へまたこの結果を伝えないといけないこと。よくなったと思っての振り出しそれを自分から伝えるのは本当に本当にしんどかった最初に乳がんになったことを知らせるより私には辛かった。多分、まだ自分が受け止めきれていないからだったのかもな。まだ限られた友達なら実はさ〜からのえーー!まじー?!の流れになれば少し前向きな雰囲気になって報告できそうな気がした。
全く思ってもみない結果に受付ではなく、診察室の前の待合席にしばらく座っていた。旦那さんに、ラインで「思ってもみないこと言われた。帰って話す」と伝えた。旦那さんの衝撃も想像できたから少し覚悟しておいてもらわないと。そのあと、あ、ここじゃないと受付に戻った。土曜日だったので家のリビングには下2人が遊んでいた。旦那さんは「どーした?どーした?」と気が気じゃない。2人でそっと洗面所に行って病院で伝えられたことを話した。話しながら、私は泣いてしまった。旦那さんも「え
退院時に、1週間後の診察の予約票をもらっていた。その時に、貼ってあるテープを剥がして経過を診るとのことだった。ちょうど土曜日の午前中だったので旦那さんが下2人と家にいる時に受診した。今後の放射線治療についてもどのように始まっていくのか確認しなくては、と思っていた。ちょうど月末なので月初からかな。診断書また書いてもらわなくちゃな。と。診察室に入るといつもの先生。経過は良好。テープも剥がして、突っ張り感はあるけど腕も動かすことはできることを確認してもらった。すると、
2024年7月31日(水)、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の遺伝子検査結果を聞きに行きました。診察室に入ると、パソコンに緑色のマイナスマークがあるのが見えました。↓こんなのでした。他は英語でびっしりと何かが書いてありました。結論から言えば、私は遺伝子検査陰性だったそうです。陽性の場合は、赤でプラスマークが出てたりするのだろうか…なんて考えていました。遺伝子検査は陰性で、手術後の経過も問題無かったので、次回は3カ月後に定期検診に来る事になりました。☆遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HB
手術の結果は、旦那さんと母がオペ後すぐに主治医の先生から聞いたとのことだった。先生が待合室に来てくれて、切った病変を見せてもらったとのこも。実際、オペで開いてみると、想定した範囲よりやや広がったところにも病変があったため、予定より大きめにとった。しかし、リンパへの転移は予想通りなかったとのことだった。母はいやあ、見せてもらったけど綺麗だったよーと言っていた。母は肺がんの父のも見たらしいが、その時は真っ黒だったらしい。→父はヘビースモーカーでした。実際の傷跡は、
退屈な入院生活。といっても入院生活して、オペして、蓋を開けてみれば退院含めて4日だった。本を読んだりすることもなく、なんせどこでも寝られる人ではないから、相部屋中学生がいなくなって、実質一人部屋になっても夜は慣れないベッドと、胸の違和感であんまり眠れない。と、日中もあまり活気も出ず。入院してるんだから当たり前だけど。病院食にあまり期待してなかったから、好きなお菓子アポロ、いちごポッキー、冬のくちどけポッキー、一口あられ、焼き菓子、小梅ちゃん飴などを持っていったけど、
入院生活で、私を支えたものまずは、①ネットフリックス動画これ、興味ない人にはないでしょうが私、ドラマ大好きっ子です。といっても手当たり次第はいけなくて、20代恋愛ものとかは全く興味なし。人間ドラマみたいのが好き。ドラマは、はまれると本当に幸せ。来週が楽しみになるし、近い未来の生きる目標になる。学ぶこともほんとに多いです。今回は、先述したとおり、アンメットある脳外科医の日記これは文句無しの1位。オペ後のリカバリー室で痛みと動けなさ、寝れなさで苦しむ長い長い夜、私
入院時、迷わず4人部屋を選択していた。費用もあるけど、こんな機会だし、入院生活がどんな世界なのか興味もあった。よくドラマであるみたいに隣の人と身の上話とかするのかなーとか、この先も仲良くなって、連絡先交換したりするのかなーなんて。それを会社の人に言ったら、「そんなん、ひと晩中喚き散らすボケたばあさんだったらどーすんの?!」と言われて、げっ!想定外!!と思った。。が、まあ、それはそれで、ね!と思っていた。実際は4人部屋に空きはなく2人部屋(旧館)だったんだけど、私が
手術台に横になってからは麻酔がきいて、ほんとに一瞬でワープ目が覚めたらリカバリー室というナースステーションに併設の部屋に運ばれていた恐らく運ばれてすぐに目が覚めたバタバタガチャガチャと私の周りを何人ものスタッフが取り巻きつつ、血圧計巻いたりサーチつけたり足の自動マッサージ機つけたり酸素マスクつけたり痛み止めの点滴入れたり着替えさせたりてんやわんやとにかく私は胸が痛いのと、タンが出るのと、あとは、とにかく寒い!!ガタガタガタガタ、言葉を出せないほど震えていて辛かっ
私の入院した病院は大きな大学病院や大きな総合病院ではなくて、かなり地域に根付いた中堅の総合病院といったかんじ。乳腺外来があって、専門医がいたことと、家、職場から近いこともあって健診からずっとここ。なので、よくテレビでみるような大きな病院のホテルみたいなロビーとかコンビニみたいな売店とかカフェみたいなとこや食堂なんかも、ない。院内散歩みたいのは難しかった。そもそも面会は入院病棟の2階に家族だけが上がって会える、入院患者は出入りの多い一階には降りないでほしいってかんじだった。今
入院当日は平日朝9:00病院の予定明るくいつも通り子供達を見送れた。娘も泣かずに手を降って行ってくれた。送り出せる方でよかった。旦那さんは、結局、入院時の送迎、手術の日の午後(午後から手術予定)は休みをとった。送ってくれた旦那さんとは早々に別れて病室へ。4人部屋を希望していたけど空いていないとのことで2人部屋へ。ここの病院は新館、旧館があるけど見事に旧館だった。。旧館だと入らないかもといわれていたWi-Fiは通っていたのでひと安心。カーテンがかかっているのでお隣は
約1週間自宅にいないとなると家の回し方も対策が必要だった。長男(中1)野球部、塾次男(小3)学童、そろばん、スポ少サッカー長女(小1)学童、そろばんこの予定が平日は凄まじく絡み合ってて更に週末は野球とサッカーの試合まで入ってくる始末。いつもグーグルカレンダーへ即入力、夫婦共有。それを仕事終わった旦那さんにやれ!と言われたらやるんだろうが、なんせややこしいから、抜けてたりミスったら子供も可哀想だしってことで、今回、全員が把握できる予定表を作成してみた。似顔絵は娘が描
その他、リサーチ結果より用意したものマイマグカップ保温機能のあるマグカップ【3/18(火)限定確率1/2で最大100%Pバック】HARIOハリオフタ付き保温マグ300mlグレーSMF-300-GR【保温マグカップ保温マグカップ蓋つき真空ステンレスマグステンレス保温保冷蓋付き直飲み洗いやすいコーヒードリッパードリップキッチン】楽天市場2,200円うちにはないので新調。今後も使えるデザインのもの。蓋付きのもの。蓋をスライドすれば飲めて
入院前にしたことを何回かにわけて。もともと旅行準備大好き人間だからここはかなりリサーチして、楽しんでやったしばらくはいかに入院生活を快適に送るかをテーマに、ホテルライフでもするのかってくらい張り切って楽しんだただ、必要なかったものも実際半分くらいはあった。初めての経験だしね以下、実際準備したもの、必要だったもの、必要なかったもの衣類編〈入院、退院時の服〉入院当日、退院時は同じ服にするつもりで術後の傷を想定して、前開きのシャツ、パンツ、その上にライトダウン、そしてグレー