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『まぼろしの邪馬台国』が提示した古代史解明のための新手法の二つ目は、記紀の「重層記述」を発見されたことによる、記紀記述の新しい解読法である。『まぼろしの邪馬台国』には次のような記述がある。「邇邇藝命の天降りコースと、景行天皇の九州西部の征討の順路と倭建命の物語の内容を詳細に分析してみると、まったく一致することである。ある日私は、この三者をモンタージュ写真を作るようにして考えてみた。」「倭建命こそ景行天皇であり、邇邇藝命に擬せられる。」「忍穂耳命=垂仁天皇となる。」即ち
拙著『日本古代史の実像』は、「『まぼろしの邪馬台国』の続編と云うべきもの」を惹句に用いさせていただいている。御存じのように『まぼろしの邪馬台国』は、宮崎康平氏により昭和四十二年に出版され、「邪馬台国ブーム」を巻き起こす発端となった名著である。『まぼろしの邪馬台国』には、古代史解明のための、二つの新しい手法が提示されている。拙論はその新手法の研究を更に深め、史実の古代史に迫ろうと試みたものである。宮崎氏が提示された新手法の一つは、「古代倭語」(「上代語」以前の日本語)による古文献解読
【ERIKONODA公式プロフ】2.5%家主の野田の瑛里子さんですょ?脳内「おら村」空間の2頭身(心)のつれ「ず」れさんのプロフィールページ🍁現在アメブロ総数6700万人?→https://blogger.ameba.jp/ノンプレミアムメンバー(プレミアム:150万人/2024年)です🐹アメブロ無料会員です🐹※途中で投稿をやめることもあります🐹🐹🐹Amebaユーザープレミアム総数150万人、月間7500万人、トップブロガー500名、約2万名が有名人とも。🍁家族のネット上アカウントは皆無
皆様、メリークリスマス!小生、昨日は休みだったのでありますが家族でイオンにおでかけしとったのです。日曜のクリスマスイブということもあり普段閑散としていた近くのイオンがどこに行ってもひしめき合っている状態。やれクリスマスケーキだ、やれフライドチキンだ、お孫さん連れの方も多くきっとクリスマスプレゼントを買いに来られたのでしょう。そんなクリスマス商戦真っ只中、藤井家がイオンで買ったものは・・・ガシャポンのカプセルトイ3回分とトニックウォーター2本!総額1000円ちょっと!もう財布の紐が緩
いよいよ最後は近畿の歴史です。やはり弥生時代初期大阪湾のナガスネ一族が最大国家です。銅鐸文化圏で鉄器も少なく平和な地域です。鉄器の出土一軍は九州の玄界灘連合、宇佐、狗奴国二軍は中国地方の出雲、安芸、吉備イワレの祖国日向も近畿の銅鐸文化圏も三軍以下です。唯一、奈良で古墳時代に急増入手元は吉備、出雲からでしょう。大阪と東海を結ぶ奈良(桜井市)に大きな交易国が出来ます。現在の纒向遺跡(まきむくいせき)です。奈良の最大国家(一族)は兄師木(エシキ)・弟師木(オ
初めての方は前の投稿からご覧ください。弥生時代の環濠集落跡遺跡佐賀県の吉野ケ里遺跡「謎のエリア」で発見された石棺墓佐賀県知事がもしかしたら卑弥呼の墓ではもし金印が出てきたらと興奮を抑えきれない発言そんな吉野ケ里石棺墓6月5日(月曜日)から蓋をしていた石を取り除き調査が始まりました。ゆっくりと重機で蓋の石を持ち上げて移動お~声の後に続いたのがなんと石棺墓の内側には土砂がいっぱいに長い年月の間、隙間から土砂が滲入「遺体や骨は溶けているかも鏡や剣など金属製の宝
↑↑↑このノートというのは、音符のことですって。ま、元祖ラップね。つまり、そのうち、ラップもスタンダードになったら、次の音楽性が求められるようになるわ。泥ってやっかいですわね~~~、重いし。どうせ水に流れるんだったら、シャワーみたいに綺麗にして行って欲しいところ。この暑さの中、作業にあたられている皆様、お身体にお気をつけて。また、82歳の方が運転する車が事故を起こしたとか。実に不幸なことで、他人ごとではございません。私、幾つまで運転出来るかしら~~~。また、大雨
邪馬台国は九州佐賀県にあった説は納得。戦後のマッカーサーにより刷り込まれた、日本人の自虐史観により、厳然たる皇国である我が歴史が歪められ、古事記、日本書紀を史実でなく昔話のように考えてる、残念な老若男女たちが多い。【魏志倭人伝】邪馬台国の秘密【真・日本の歴史】邪馬台国と大和朝廷との違いを述べ、歴史学者に利用された卑弥呼の死と大和王朝の拡大について等を解説していく動画です。邪馬台国は日本の古代史の中でも人気がある分野で、女王卑弥呼が治めたミステリアスな部分も人気の秘密なのでしょう。そのため、邪
【著者とのコラボ記事】■好評販売中「魏志倭人伝」の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着兒玉眞Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4909566430/楽天:https://books.rakuten.co.jp/rb/17092294/私は邪馬台国問題、或いは様々な古代史の問題に関しましては、拙ブログ『邪馬台国探訪』において、日々新たに発見した観点を詳しく説明していますので、どうかこちらのブログの方も是非、ご一読願います。https://ameblo.
あれよあれよの師走到来・・・月日の経つのははやい・・・これも年のせいかああ、8月に完成したわが『卑弥呼物語~愛の誓約』3ヶ月あまり・・ほとんど売れてませんトホホ・・買って買って下さいどなたか・・・年末大特集、今回のブログは、この本の最終回を記載致します。これを読んで「なんか良さそうじゃないか」と思われた方は、熊本市上通町(熊本城の近く・熊本の繁華街)の『長崎書店』に(096-353-0555)お急ぎ下さい。よろしく御願いします。第二
狗奴国狗古智卑狗(きくちひこ)よ、永遠なれ!!卑弥呼の倭国と対立していたのが、狗奴国(くなこく)である。卑弥呼の都したところ=邪馬台国については、畿内説や九州説、諸説粉粉で、結論を得ることは未だ果てしない夢であるが、この狗奴国については、おおよそ熊本から鹿児島宮崎に渡る一帯であろうという説が圧倒的である。女王国の南に狗奴国あり。王は卑弥弓呼という男王である。その官に狗古智卑狗(きくちひこ)あり。女王には属していない。帯方郡から女王国に至るには、万二千余里である。倭国女王卑弥呼は、狗
まずは問題提起から。卑弥呼と聞いて、みなさんが抱く卑弥呼像というものは、どのようなものでしょうか。まさに悲劇。「邪馬台国論争」に完全におされ隠されて「卑弥呼」という偉人の姿を事実にもとづいて描こうとする姿勢がなかった??この国の起源なり、我らが祖先の大切にしてきた思想なり、政治文化なり、共同体のありのままの姿なりが、弥生末期のあの時代に関して、外圧に押されず無我夢中で追究されてきたとは、ぼくには思えなかったのであった。ぼくが知る限り、卑弥呼の生き様(生涯)を描いた作品
せっかく本を出版したけれど、売れてません・・・トホホ・・『卑弥呼物語~愛の誓約(うけい)』卑弥呼の大ファン、邪馬台国に傾注され夜も眠れぬあなた、必読ですよ!!パチンコに勝って、サイフが膨れたあなた、良い本がないかと、本屋を探し回っているあなた、退職金がっぽりで、暇をもてamaしているあなた、九州説をガンガン応援するあなた、おねがいします、お願いしますよ買って、買って下さい!!物語の舞台は、福岡県糸島市、福岡市、久留米市、みやま市、長崎県対馬島、壱岐島、佐賀県
話題の大作『卑弥呼物語~愛の誓約(うけい)』熊本市上通にある『長崎書店』さまが、わが著『卑弥呼物語~愛の誓約(うけい)』を取り扱って下さることとなりました。感謝!熊本県内の方はもちろん、県外の方でも「卑弥呼の生涯を描いた物語は、興味がある」「この本ほしい」「ぜひ読んでみたい」とおっしゃる方々も多いと存じます。熊本の繁華街(熊本城も近い)にお出掛けの機会あらば、購読されて下さい。長崎書店さま、電話やファックス、メールでの注文も出来るそうです。わが歴刻文庫へは、電話注文
邪馬台国=大和説から浮かび上がる卑弥呼の正体とは?(歴史人)-Yahoo!ニュース女性としては日本史上、おそらく1・2の知名度を争う。しかしその姿は、神秘のヴェールに包まれている――それが卑弥呼だ。邪馬台国の「女王」と伝わるものの、本当に「王」だったか明らかではない。想像がひとりnews.yahoo.co.jp邪馬台国=九州説が捨てられない。地名:八女が邪馬台国ではないか?範囲は久留米~大牟田の一帯。筑肥山地を境に狗奴国があったと思う。水行十日・陸行一月の記述。
新刊『「魏志倭人伝」の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着』本日発売■書籍タイトル「魏志倭人伝」の正しい解釈で邪馬台国論争遂に決着著者:兒玉眞2022年3月18日、全国販売開始https://www.amazon.co.jp/dp/4909566430/<書籍概要>歴史における謎のひとつ「邪馬台国はどこにあったのか?」それは『魏志倭人伝』を正しく解釈することが重要である。ここに新たな構想【反時計回り連続説】が発表された。<本編について>これまでに多くの論者が独自の論法で邪馬台国
歴史のロマンを感じます。卑弥呼は謎多き女性で、治めていたという邪馬台国は九州に、いや畿内(近畿、大和)だとか諸説あり、ますます混乱してしまいます。卑弥呼卑弥呼-Wikipediaja.m.wikipedia.org邪馬台国邪馬台国-Wikipediaja.m.wikipedia.org大和大和-Wikipediaja.m.wikipedia.org倭倭-Wikipediaja.m.wikipedia.org魏志倭人伝魏志倭人伝-Wikipedi
カイロ「邪馬台国の候補地は、九州説、近畿説、の他にも、出雲説、四国説、沖縄説、さらに、東北説、台湾説、東南アジア説なんてものもある、」ビブ子「いまだはっきりしないのに、皆自説を曲げないし、熱い論争を続けている、何がそこまで多くの人の心を掻き立てるのかしら、」カイロ「そこは、浪漫だろ、浪漫、」ビブ子「けっ!」カイロ「いま、けっ!て言ったか?」ビブ子「ううん、毛がない、じゃなくて、けー、けっ・・・こうな事ね、と言いたかっただけよ、失礼、噛みました、ヒキュウさん、」カイロ「わ
【渡来人元女王卑弥呼の後夫公氏の回想】玄武門朝貢の合議は滞りなく終わったが同時進行の馬の輸入が暗礁に乗り上げたこの倭国は、統一国家ではない我れと王室近衛兵、従者二十数名はなごりの桜が散る玄武門から密かに北へ行く伊都国へ女王連合国都支馬大国、一支国、奴国、伊都国、松浦国、不彌国etc.北西沿岸の邪馬台国を都とする国々と島群狗奴国は敵対する男王が支配倭国中南部阿蘇山の周囲を京とする狗奴国独立小集落orどちら付かずの国々or遠い知らない国最南端の隼人族の国邪馬台国
邪馬台国(3)邪馬台国に関する論争日本における邪馬台国への言及は、『日本書紀』卷第九神功皇后摂政三九年、四十年および四十三年の注に「魏志倭人伝」から引用があり、神功皇后と卑弥呼を同一人物と見なした記述となっていることが嚆矢である。なお、一般に「魏志倭人伝」の名称で知られるのは『三国志』魏...nyabecch.blogspot.com邪馬台国(3)-日本史nyabecch.blog47.fc2.com
NHK「邪馬台国サミット2021」を見ました。邪馬台国が九州か畿内か?論争だったけど、別の次元の話が思い浮かんだ!それは後ほど。まず、邪馬台国の位置は、水行二十日、陸行一月。水行は川のぼり、陸行は山越えでは無いかと思う。だから、位置は筑紫平野のどこかだと思う。そこに卑弥呼がいたと思う。ただ邪馬台国が倭の首都とは限らない。ここから自分が思ったことを言います。まず纏向遺跡は当時の最大の経済の中心地だと思います。しかし、立地的に隠された王都だと考えます。誰から隠し
8/22のNHK総合ミステリアス古墳スペシャル実家で見れるのはNHKか野球中継か、な我が家😢チョイスは地上波か?BSか?も選べます(泣なので普通に楽しんでおりました😇紹介された古墳は大きく分けて5つ選りすぐり?の五色塚古墳(明石市森将軍塚古墳(千曲市西谷墳墓群(出雲市埼玉古墳群(行田市藤ノ木古墳(明日香村・・ん?🙄四隅突出型墳丘墓って古墳だったっけ・・?弥生時代後期から古墳時代前期だから
邪馬台国への道のりがおおむね推定されました。北部かどうかは別として、九州で間違いないでしょう北部九州から船旅に出て、30日掛けて四国と淡路島を周回し、宮崎県辺りの海岸で九州へ再上陸していると思われます今まであまたの研究者が取り組んで解けなかった謎ですさすがに長くてややこしい記事になります。邪馬台国の説明図を再掲するので、議論を踏まえてから本題へお進み下さいhttps://ameblo.jp/jazz-1060/entry-12429595673.html右側の素直な直列ルートで読みまし
閑話休題(十四)一.令和二年二月十一日放送のBSイレブン歴史化学捜査班「最新発掘調査!邪馬台国はどこに?」を見た。これは,令和元年五月六日放送の再放送であったが,前回見逃しており,私には初見のものであった。宮本隆治氏の司会で,解説を倉本一宏氏(国際日本文化研究センター教授)と高橋真理子氏(朝日新聞科学コーディネーター)が務めた。そこでは,「邪馬台国」の「畿内説」と「九州説」が採りあげられた。そして,それぞれの説の根拠は,「畿内説」の場合は「纏向遺跡」に,「
急に持論を言われても・・・Amebaブログ界隈でも、邪馬台国の場所、卑弥呼の居た所の自説紹介が多い。それは大いに結構なこと。私のようなシロウトが勝手なことを言ってもかまわん。しかし、学者さん(大学の先生)が勝手なことを言ってはイカンだろと思う。『邪馬台国論争』ばかりは、なぜか想像・空想の世界に迷い込んでしまわれる。【魏志倭人伝】に書かれている情報だけでは、邪馬台国の場所、卑弥呼の居た所を確定できないことがその理由で、ならば考古遺跡遺物から実証するのが当然学者さん方の仕事であろ
高良山、20年前から「ここがあやしい」と感じて探ってきた。卑弥呼の王城が存したところ(魅音説)?!さあ、登りましょう。高良大社があるので、まずは大鳥居がお出迎え。『背くらべ石』と座高比較。おお・・・高い。神功皇后が朝鮮出兵の際、背比べをして、吉凶を占ったとされる石。一連の巨石アート。馬蹄石。伊勢天照御祖神社天照大神を祀る。すなわち、卑弥呼の由縁。中央が天照大神。左右は八幡宮と天満宮とのこと。筑紫から伊勢へ、そして大和へ・・・政変があり移った都。いにしえの
邪馬台国九州説が再び勢いづくだろうか?〔卑弥呼の墓?福岡に謎の丘陵|2018/3/20(火)-@YahooNewsTopics〕〔14:28-2018年3月20日〕〔考古学〕に関連するアーカイブ一覧-Yahoo!ニュース曹操の遺骨発見報道に困惑も|2018/3/29(木)-Yahoo!ニュース@YahooNewsTopics〔世界中で話題の三国志・曹操の遺骨の新発見報道に考古研究院が困惑(BuzzFeedJapan)-Yahoo!ニュース
閑話休題(四)五月一〇日放送のBS・TBS「諸説あり!邪馬台国スペシャル▽古代ミステリー幻の国は〝ここにあった〟」の番組を極めて興味深く見た。一,番組の内容前半は,従来から主張されている国内の比定地をざっと紹介しつつ,その中でも有力とされる「畿内説」と「九州説」とに照準を合わせ,それぞれの論拠を示したものであった。畿内説を主張する立場からは,桜井市纏向学研究センター顧問の石野博信氏が,「纏向遺跡こそ邪馬台国の最有力地」との見解を示された。その理
なぜ邪馬壱国を邪馬台国としたのか不明だが、数ある集落が九州に点在し、その一つが魏志東夷伝に書かれてる邪馬壱国だと思う。当時の船ならば、海を渡るだけでも相当日数がかかったと思うから。畿内にある纏向遺跡は大和朝廷の原型だと思う。大きな柱の跡は、当時の経済の中心の米が貯蔵された蔵が建ってたと思う。そして大きな力を持った王がいたと思う。なぜ九州の連合国家のひとつの邪馬壱国を魏志東夷伝に載せたか?ここを調略できたから、倭を征したと誇りたかった。つまり畿内の大和朝廷の原型は強大すぎて、
【1】はじめに古代史最大のミステリーである邪馬台国と卑弥呼のテーマは文献史学と考古学からさまざまな論争が起きて永遠に続くテーマでもある。今なぜこのテーマにいどむかは古代史のファンとして関連する文献を数十冊読みあさり、関係遺跡を巡った知識から学者の説をもとに自由な発想で「平成」の終わりを区切りとして謎にいどむものである。【2】所在地(旅程)論争そもそもこの問題は弥生時代の日本に歴史書が無かったため三国志にある「魏志倭人伝」を唯一の正史とするしかなく、その解釈により邪馬台国の所在地は大