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トップページ都道府県別索引へ茨城県の索引へ久野城は牛久大仏のすぐ南、乙戸川の北側の丘南端にある。牛久大仏から直接入ることは出来ず、東側の延命寺のほうから西に細い道を入ってゆく。江戸崎城にいた土岐氏が戦国時代に築き、麾下の野口氏に守らせていたとのこと。詳しい歴史は不明なようだが野口氏の墓所が城内にある。長い間訪問しておらずチェックを入れた城ばかり増えていたこの辺りへの遠征の、初っ端に訪問した。例によって入口や車を停める場所を探してウロウロした末の…😅→現在位置(Googleマップ
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)403城目は久能山城ですよぉ~旅の締めは家康公お墓参りを兼ね久能山東照宮(久能山城跡)へ駐車場は幾つかあるうちの最安へ¥200也( ̄▽ ̄)コチラが登城口となる石鳥居ココから社殿まで1159段の石段登り語呂で「いちいちご苦労さん」なんて呼ばれてる話しはどーでもよくってゼェゼェハァハァひたすら上空へ10分弱で一ノ門へ到達絶景ぢゃ( ̄▽ ̄)ココまで来ればこっちのモンで更に5分ほど登れば華麗
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)402城目は持舟城ですよぉ~旅は2日目。。。昨日は午後から雨にヤラれ山城探索1城諦めましたが本日はえぇ天気でございまして前泊地浜松からは約80kmあるものの1号線無料バイパスでアクセス抜群駐車場は登城口直下にあるものの山道途中で工事中につき麓の大雲寺駐車場ピットインいうても5分強で登城口到達し早速登ってまいりま~す本丸まで向かう道すがら萌えポイント石垣跡ゾーンを過ぎ麓から8分の軽登山で
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)401城目は久野城ですよぉ~朝から天気に恵まれましたが太平洋側向かうにつれ雨降りはじめ駐車場到着時は結構な雨脚住宅街に佇む山城だもんでさほどの山行も必要ないってことで傘さしての攻城開始ぃ~登城道は整備が行き届き宅地の裏山的な小規模山城ですんで止まない雨もさほど気にせず城跡探索楽しめた一方でコンパクトにまとまり過ぎて物足りなさは感じる次第丁寧に雑草取りされてるせいか美しいフォルムは拝めるのだがね
昨日の「城飲み諸説あり」、お題は五月ということで『五』ボクは「五角形」の城を紹介させていただきました。やはりこのテーマでは、宇和島城でしょう。図は小学館「探訪日本の城」より築城の名手(眉唾)藤堂佐渡守の設計による五角形の堀は、四角形と誤認させることで残りの一辺から反撃や脱出を試みるためのものであるという(眉唾)。その話の真偽は置いておいて、似たような堀の形の城をご紹介させていただきました。越前丸岡城↓下図-正保城絵図よりほかに遠江久野城、陸奥角田城これらの城は堀の幅や堀
先週土曜日に袋井市で城郭研究家の加藤理文先生の講演がありまして行ってきました。地元袋井市の浅羽中の先生でもある加藤先生。さすがに説明が細かかったです。馬伏塚城今は内陸部になるが戦国期まではこの付近まで入江がありました。武田勝頼が高天神城を陥とした際、家康は前線基地としてココを増強した。加藤先生によればこれが大きかった。コレによって、海側現代でいえば国道150号戦は進めず、東海道を進むには難攻不落の掛川城がありこれ以上の西進が勝頼は阻まれた。さらに長篠の戦い後、ここを本陣として
2023年12月23日袋井北コミュニティセンターで久野城の御朱印城印を購入入口に窓口があって購入できます。
磐田市に入ってまず目指したのは、一言坂古戦場。元亀3年10月(1572年暮れ)に徳川家康と全面対決した甲斐国の戦国大名の武田信玄が、大軍を率いて遠江国内を進軍して、内藤信成と本多忠勝が率いた徳川軍の偵察隊が遭遇した戦い。⚔️敗戦必至と判断した本多忠勝が武田軍の小杉右近隊の中を敵中突破して撤退したが、この際に「家康に過ぎたるものが二つあり唐の頭に本多平八」と内藤信成・本多忠勝を称える狂歌が残されたと言われる。旧国道1号線の静岡県道413号磐田袋井線のすぐ近
駿府からの帰りに何箇所か訪れようと計画したのですが、いろいろ下調べ不足でして、当初レンタカーにしようと思い調べると高い。コスパに合わぬ。それで袋井にレンタサイクルがあることを調べ、そっちにしようかと模索しました。とりあえず金谷駅から諏訪原城にのぼりました。ここは聞くと見るとで大違い!背後の大井川側に丸子城によく似た横堀とトーチカ状のコブ(土塁は無いようだ)がありました。前面=西側の馬出しがよく語られますが、ボクにはこちらのほうがキました。その後袋井駅に着きましたがレンタサ
今年3月に、東京から車での日帰りで、まず訪れたのは静岡県掛川市の高天神城でしたが、高速道路の渋滞に巻き込まれ到着が遅れ、城も非常に濃厚だったために、次の攻城時間はあまり残っていませんでしたしかし、日暮れ近くにダメもとで訪れた次の城は、遠来の客を温かく迎えてくれました訪れたのは静岡県袋井市の久野(くの)城です久野城は駿河今川氏による明応年間(1492~1501)の遠江侵攻の際に、その家臣・久野宗隆により築城された城で、元亀3年(1572)には武田信玄に攻められながら、落城しなかったとも伝えら
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜本丸跡〜ここがッ本丸ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜井戸〜井戸ッ発見ッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜二の丸跡〜ここがッ二の丸ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜三の丸跡〜ボコってッなってるなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜土塁〜北側のッ土塁ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜東の丸跡〜東の丸ッ跡ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜北の丸跡〜北の丸ッ跡ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜登城口〜ここからッ行けるかなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜久野城址解説板〜久野さんのッお城ねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2020/11/03)久野城(遠江国)〜久野城址案内板〜こんなッ感じねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
雨続きといって、体を動かさんと気持ち悪いので~少しの雨ならチャリンコでGO!っちゅこって、やってきたのが久野城跡の遺跡。ここに、良いカンジの東屋があるので、ここで読書&コーヒー楽しんじゃう。あああ、怪しい者じゃありませぬぞ~。※よかったら、ゆるい動画ご覧ください。東郷塾学習塾を経営しているジューク東郷です。静岡県袋井市で活動しています。「青空教室」というチャンネルをお送りします。世界旅・名作本・遠州弁・健康法・政治・経済・投資の話を、教室だけでなく屋外からも配信。塾
史跡めぐりの記事です。今回は、静岡県袋井市にある久野城です。でっかい看板が目立つよく整備された城です。地味に豊臣秀吉が最初に使えた松下氏や関東北条氏の末裔とか城主が凄いです。久野城(くの)城は久野宗能の居城として知られています。久野氏はもともと今川氏の家臣でしたが、宗能の兄・元宗が「桶狭間の戦い」で討死すると、家督を継いだ宗能は徳川家康に従い、各地で戦功を立てました。天正18年(1590)に家康が関東に転封すると、宗能は下総佐倉へと移り、替わりに豊臣秀吉の臣、松下之綱が城主となりましたが
高天神城と横須賀城の御城印を手に入れ、まだ時間が余ったのでやって来たのは袋井市。ここでも人とふれ合わなくて済むお城巡りです。今川の家臣、久野家が築城した久野城跡です。一応案内看板を載せておきます。高速道路を通る度に、山に設置された看板が見えて、ずっと気になっていたんです。これですね。特にこれといって歴史に登場するわけでは無いのですが、城マニアですから。見てみると、こじんまりしていますが、整備されていてすごく当時の様子が分かりやすくていいですね。ここも石垣はなく、城
久野城『別名』座王城、鷲之巣城『所在地』静岡県袋井市鷲巣1281付近『城主』久野氏、松下氏、北条氏重『遺構』曲輪、土塁、堀跡、井戸『城郭形態』平山城『駐車場』あり『歴史』久野城は久野忠宗の子で今川氏の家臣でもある久野宗能の居城と言われています。永禄3(1560)に織田信長と今川義元の間で起きた桶狭間の戦いで兄・久野元宗が討死すると久野宗能は家督を継ぎ徳川家康に仕えました。天正18(1590)に徳川家康が関東に入封すると久野宗能は下総・佐倉城に転封となりました。
朝一の島田駅です。前日の夜の天気予報では、晴れの予報でしたが、かなり雨が降ってます。とりあえず、バス旅に変更して、雨宿りします。バスでおよそ30分、まだ雨は降ってますが、目的地の一つに着きました。復興天守は、展望台となってました。天気が良ければ、富士山も見える絶景だそうですが、この天気では登城しませんでした。雨の中を傘を差しながら、ぶらぶら歩いていると、やっと晴れてきました。しばらく歩き続けます。静岡といえば、お茶が有名ですが、軒先でみかんが、たくさん売られていました。途中、お
《久野城(遠江国)》[読み方]くのじょう(とおとうみのくに)[別名称]座王城、鷲之巣城[所在地]静岡県[城分類]平山城[築城主]久野宗隆[築城年]1492年〜1501年(明応年間)[城を観る]-[YouTube](【城を観る+】《久野城(遠江国)》2020〜久野氏の居城!久野城跡を観る〜)[登城日]2020/11/03にほんブログ村
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2020/11/03)【城を観る+】《久野城(遠江国)》2020〜久野氏の居城!久野城跡を観る〜【城を観る+】《久野城(遠江国)》2020〜久野氏の居城!久野城跡を観る〜《久野城(遠江国)[読み方]くのじょう(とおとうみのくに)[撮影地]静岡県[撮影日]2020/11/03[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[Twitter]@baisonsiro[blog]城を観るht
本能寺の変に歴代福知山城浜松城に久野城そして二俣線のNゲージいったいどこに置くんじゃー!!模型をやる人にとってこれは避けられない問題ですそして家族、嫁さん、彼女さんには理解してもらえないで邪魔者扱いになるんですよう~むどうしたもんかね
4連休も最終日になりました。いかがお過ごしでしょうか?7月の終わりに「新撰組中島登」の記事に書きましたが、しばらくイネ科の花粉症で苦しんできました。しかし8月初旬に徐々によくなっていきました。・・・と思ってたんです!!一度よくなったと思ったらまた目の痒み、くしゃみ鼻水鼻づまりがひどくなりましたアレルギー科に2ヶ月に一度通っているので、9月初旬の診察の時に先生に聞きました。のりりん「先生、イネ科終わったと思ったらまた酷くなったんですけど、今年は長引いてるんですか?」先生「今
北の丸下段の堀切のところまで戻ってきましたここは東の丸に向かって横堀が走っています堀より一段上がった犬走が通路となって東の丸へ行けるようになっていました北側から眺めるとこんな感じです横堀を進むと東の丸への侵入を阻むように堀切があります当初は櫓門があったのかなと復元してみたのですが現在は外しています堀切を通って東の丸へ行きたいのですが今はかなり急で登れませんので左から回り込む感じで東の丸に到着ここには5間×3間の礎石建物が発掘されています雨落ち溝などから御殿風の建物だ