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所在地〒781-6442高知県安芸郡北川村野友乙(十二所神社)特徴奈半利川右岸に位置する山城で、南西麓から尾根を登るが堀切などは見られない。帯郭の付随した主郭はかなり広く神社があるが、土塁などは確認できない。感想神社への参道は南東麓にあるようだ。
所在地〒781-5611高知県香南市夜須町夜須川特徴夜須川右岸に残る山城で、南麓から墓地の段郭を過ぎて登る。主郭には八幡宮があり、奥は低い連続堀切になっている。感想石垣もありそこそこの遺構だが、主郭周辺は荒れた藪で、冬でも散策は難しい。
所在地〒781-5462高知県香南市香我美町山川特徴香宗川の蛇行地点に位置する山城で、橋のたもとに案内があるが登城口にはない。入山すると直ぐに段郭で、堀切で分断された主郭には土塁が巡り、奥には連続堀切が残る。感想堀切は非常に深く切岸は急だが、あまり手入れされていない。
所在地〒781-5101高知県高知市布師田(布師田ふれあい広場から)特徴細川氏の庶流である石谷氏の山城で、登城口には江戸時代に土佐藩の御殿があった。段郭跡や空堀・堀切を越えて登ると、土塁の巡る主郭に至る。感想かなり大規模で道案内も親切だが、整備状況は良好とは言えない。
津山城の石垣にお腹いっぱいになる。津山城から退城するも昼飯食ってないのでホルモンうどんを食す。帰り道小腹が空いたので山城を攻める兵庫県佐用町横坂播磨・長谷高山城(ながたにこうやまじょう)別名:高山城、鴻の山城、尼ヶ城高山城は播磨守護・赤松氏発祥の地といわれています。もとは山田則景の隠居城として築いた城でした。則景の末子、家範はこの城で生まれ、のちに赤松に移り住み、則村(円心)のときに赤松姓を名乗りました。また天正5年(1577)には尼子勝久が上月城に入る前にこの城
所在地〒781-5106高知県高知市介良乙特徴長宗我部氏に属した横山氏の居城で、帯郭や虎口っぽい地形が残る。かなり歩いて探したが、主郭がどこか分からなかった。感想近くには源希義の墓もある。(次の記事で紹介)
所在地〒780-8083高知県高知市鵜来巣特徴高知市の市街地に残る山城で、西側は公園に、北の帯郭は畑になっている。感想主郭は山頂だと思うが、登る道はなった。
所在地〒786-0301高知県高岡郡四万十町大正特徴大正の町から見える高台に残る山城で、高校から電波塔を過ぎて主郭へ向かう。主郭は輪郭式だが、開墾作業中で説明板は打ち捨てられていた。感想城跡の整備ではなさそうで、消えてなくなるのかもしれない。
所在地〒786-0511高知県高岡郡四万十町昭和特徴四万十川中流域にあった山城で、高架を潜り墓地を過ぎて登る。北側が土塁で標柱の建つ主郭の周囲に多くの堀切が残る。感想規模は小さいが残存度合いは比較的高く、かなり自由に散策できる。「中」の下。
所在地〒787-0157高知県四万十市山路(曽我神社から)特徴四万十川右岸に位置する山城で、津波避難所から更に登るが藪が深い。主郭の周囲に腰郭や堀切を確認できるが、藪に阻まれ行動の自由度は低い。感想小規模かつ単純な縄張り。
所在地〒787-0665高知県四万十市森沢特徴森沢川右岸に築かれた山城で、南麓から入山し10分掛らず堀切に至る。主郭の周囲に段郭や堀切を配した縄張りだが、まったく整備されていない。感想規模や残存度合いは中程度だが縄張りは単純。「低」の上。
所在地〒787-0301高知県土佐清水市大岐特徴一条氏の家臣だった大岐氏の山城で、南麓の墓地から藪をかき分けて登る。城址には堀切や段郭が残り、主郭を囲む高土塁が見所。感想規模は大きくないが、遺構の残存度合いは高い。整備されていないが、藪は登城口だけで、比較的歩きやすい。
2024.5.22改訂「明治12年の郡区町村編成法施行以降と思われる」館林城・主郭部の地図を3つ目の画像データとして掲載しました。また、その説明として「本丸→本城、八幡郭+南郭→八幡郭、二の丸→二の丸、三の丸→三の丸、稲荷郭→稲荷郭という字名が付けられています。外郭についてははっきりしていませんが、間にある土塁や堀の大きさから、総郭の内伴木や外伴木より稲荷郭に含まれて可能性の方が高いかなと思います。」と説明しました。しかし、その後、明治9年頃作成とされる地図に字境が明確に記載されていることが
所在地〒789-1234高知県高岡郡佐川町西組特徴集落の中の小丘に築かれた在地領主の平山城で、主郭には神社があり、周囲に段郭を配している。感想説明板があるようだが見つけられなかった。グーグルマップの場所は少しずれている。
所在地〒789-1201高知県高岡郡佐川町甲(松尾八幡神社から)特徴南朝方の佐川氏が築いた大規模な山城で、戦国時代は長宗我部氏の支配となった。10分ほど登ると南出丸で、更に登り堀切を過ぎると主郭だが、南側は畝状竪堀で埋められている。主郭周囲の尾根にも堀切が設けられている。感想大規模かつ技巧的な縄張りだが、ほとんど整備されて
所在地〒781-2164高知県高岡郡日高村本村特徴仁淀川右岸の小丘に築かれた山城で、鳥居から登る参道は藪で通れない。奥の寺院跡から道があり、腰郭を越えて登ると、帯郭の付随した主郭に至る。感想遺構は小規模で、説明板にある竪堀も藪で確認できなった。
所在地〒781-3521高知県土佐郡土佐町田井(地主神社から)特徴土佐中部に位置する山城で、神社から奥へ進み、適当な所で右側の斜面を登る。堀切と段郭を越えると高土塁で、その先が土塁の巡る主郭になる。感想主郭内は放棄された墓地で、整備されていないが散策は可能。主郭と二ノ郭を区切る高土塁が見所で、縄張りもかなり技巧的、残存度合いも良好なので、ぜひ整備してもらいたい。
所在地〒596-0103大阪府岸和田市稲葉町(菅原神社)特徴本願寺方の稲葉氏が築いた城で、神社本殿の背後に主郭を囲む堀が残る。感想しかし、フェンスや警報装置が設置されて、立ち入ることはできない。
直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【直谷城】三条の土塁と空堀で堅固の防御を有する大手道が見もの直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【アクセス】・西肥バス「福井農協前」下車徒歩20分近くに「福井洞窟」があるので一緒に見学をおすすめします。michi-kiwa.com▼山城関連記事です。是非、ご覧
所在地〒597-0043大阪府貝塚市名越特徴秀吉と対立した根来衆が、和泉国南部に築いた城の一つ。主郭の周囲に帯郭を配した輪郭式で、堀や土塁の痕跡が残る。感想しかし、地形は改変が著しく風化も進んでいる。
こちら前々から目論んでた城跡なんですが、一部立入が制限されてるとのことで、後回しにしてたんです。全面解除になった情報もないまま、辛抱たまらず椿尾上城を攻めた後に突撃してしまいました。奈良県生駒郡平群町椿井大和・椿井城(つばいじょう)別名:椿井山城椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないものの、当初は在地土豪の椿井氏が室町時代から戦国時代の間に居城として築いたとされる。天正期には大和国で筒井氏と松永弾正さまの抗争が続いており、弾正さまは滅亡する天正5年10月まで椿井
所在地〒470-0309愛知県豊田市西広瀬町西前特徴矢作川北側の尾根先端に築かれた山城で、登城口に大きな石碑がある。少し登ると二ノ郭だが、主郭への道は荒れた竹藪が繁茂している。感想主郭の周囲を輪郭式に帯郭が巡っているが、写真では竹藪しか写らない。
所在地〒470-0561愛知県豊田市上仁木町特徴三河北部に残る中世の山城で、南麓から案内に従って登る。堀切や郭を経て進むと櫓台のある主郭に至る。感想案内はあるが登城道は不明瞭で、城内も荒れた樹林で手入れされていない。「中」の下。
所在地〒444-2846愛知県豊田市小渡町(増福寺から)特徴増福寺から登り尾根に出ると、左側が土塁のある出丸?で、右側が主郭になる。主郭の奥は堀切で、回り込むと畝状竪堀が見られる。感想よく整備されているが、主郭奥の堀切から先は藪に埋もれている。
所在地〒444-2812愛知県豊田市押井町特徴三河北部に残る中世の山城で、城址標柱と墓のある郭を越えて登る。主郭には宝篋印塔の残骸があり、主郭の背後は堀切になっている。感想墓にお参りする人が整備しているのか、登城道は歩きやすい。
所在地〒444-2808愛知県豊田市槙本町大屋敷特徴三河北部に残る在地領主の山城で、主郭には神社があるが登城道や案内はない。南麓の板碑から斜面を登り堀切を過ぎると主郭で、奥の尾根にも堀切が残る。感想神社から参道を下りて来ると民家の庭先に出た。遺構はかなり明瞭なので、少し整備してもらいたい。
所在地〒444-3242愛知県豊田市大沼町八沢特徴在地領主の木村氏が築いた山城で、武田氏や松平氏の支配となった。登城口から段郭を登り、堀切を過ぎると櫓台のような主郭に至る。感想標準的な規模と縄張りだが、登城口から短時間で訪問できるのが良い。
所在地〒444-3435愛知県岡崎市桜形町一本柿特徴亀山城を本城とした奥平氏の一族が築いた山城。駐車場から10分ほど登り、段郭を過ぎると土塁のある主郭に至る。主郭には帯郭が付随し、奥は二段の堀切になっている。感想規模・縄張り・残存度合・アクセスは「中」で、整備状況だけが「高」。
筒井順慶がこの城を拠点に攻勢に出る松永弾正さま劣勢に陥る椿尾上城後編です。城は順慶が攻勢に出る際に大改修されたと云う。洞ヶ峠はもっと後である。東郭群を攻め申す。案内板はないのに記念柱がありました。足軽小学生よ山城で萌えよ東郭群西から東への尾根を加工した4連続段郭があります。その北側の通路を行く。1段目と2段目の段差部。虎口からの横堀か?2段目とその先の3段目。間に割目がありそうです。段郭をちょん切る大堀切。かっけーぞ順慶角度を変
所在地〒441-1334愛知県新城市中宇利仁田特徴今川氏の配下(熊谷氏)が守った山城で、家康の祖父(清康)により落城した。郭と空堀などの遺構がかなりの規模で残っていて、案内や説明も充実している。感想15年ほど前に訪問し「低」と評価したが、整備が進んでいて評価を見直した。藪に埋もれている主郭から先も整備してもらいたい