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所在地〒518-0226三重県伊賀市阿保特徴天皇の伊勢行幸の際の宿所だった場所に、北畠氏や筒井氏の配下が城を構えた。幅の広い大きな土塁に囲まれた主郭が完存し、南北に虎口が開いている。感想縄張りは単純だが、短時間で訪問でき、適度に整備され、残存度合いも高い。しかし、城としての説明や案内はない。
所在地〒919-1205福井県三方郡美浜町佐田特徴国吉城を攻めた朝倉氏の陣城で、北東麓から入山すると城址はすぐ。主郭を巡る大規模な二重の空堀が完存し、整備されていないがかなり自由に散策できる。感想何の変哲もない森の中に、立派な遺構が残っていて驚く。雑木を間伐し、厚く堆積した落葉を取り除けば、すぐ「高
おまんたせしました。三河・大給城後編。最終回になります。現地縄張図から。Ⅱの郭(2)、水の手曲輪(D、E)を制覇したので、これより主郭(1)、館跡(3)へ進撃します。水の手曲輪と主郭の分岐を主郭へ。主郭への坂道。坂道正面に石積みがあり、左折れの虎口ですね。坂道からの正面には虎口を形成する石積み。左折れの枡形虎口。ご覧の通り平べったい石材です。虎口から下の腰曲輪から見えた高石垣見えた高石垣は主郭北面の隅部で、虎口の横矢効果を狙
所在地〒914-0147福井県敦賀市金山特徴越前と若狭の国境の山城で、南麓のリサイクルセンターから神社の参道を登る。山頂に土塁囲みの郭が複数残り、桝形に近い虎口などがあってかなり技巧的。感想ただ、整備されていないので藪に覆われた箇所が多く、風化も進んでいる。主郭の神社は標識だけで参道も荒れているし、登城口が非常に分かり難い。
所在地〒919-1301福井県三方上中郡若狭町気山特徴菅湖東側の独立峰に築かれた山城で、南麓の害獣柵を開けて神社の参道を登る。山頂の主郭は広いが単郭で、帯郭は斜面になり、奥の切岸も緩斜面になっている。
所在地〒919-1301福井県三方上中郡若狭町気山特徴三方湖畔の山上に残る山城跡で、高速の側道終点から自然の斜面を登る。尾根の害獣ネットを潜り、さらに登ると城址で、主郭の虎口や奥には空堀が残る。感想主郭の切岸には石垣の石材が散乱し空堀も大規模だが、全く整備されていない。登城道は無いし、害獣ネットが非常に邪魔。
所在地〒919-1303福井県三方上中郡若狭町三方(臥龍院から)特徴若狭守護代を務めた三方氏の山城で、寺の南から神社を経て石段を登る。段郭を過ぎると祠のある主郭で、奥の土塁に開いた虎口の先に空堀が残る。感想規模は小さいが残存度合いはそこそこ高い、「中」の低。
所在地〒919-1331福井県三方上中郡若狭町鳥浜(秋葉神社)特徴三方湖畔にあった中世の山城で、主郭には秋葉神社の本殿がある。主郭の手前にはかなり大きな堀切が残るが、その他の遺構は破壊されている。感想下の社殿から本殿までにあったはずの遺構は、林道敷設により破壊されている。
所在地〒919-1502福井県三方上中郡若狭町麻生野特徴若狭守護武田氏の配下にあった山城で、南麓から害獣柵を開けてよじ登る。堀切と段郭を越えると石仏が祀られた主郭で、奥は連続堀切で遮断されている。感想道は無いし整備されてもいないが、比較的自由に見学できる。遺構はかなり
山口県山口市。周防の高嶺城(こうのみねじょう)跡に登ってきました。動画頂上であり、主郭の看板。高嶺城は絵が残っているので、写真はなくとも当時はこんなんだったんだとしっかりとイメージできます。築城したのは、大内義長。大寧寺の変にて、陶晴賢の謀反により自害に追い込まれた周防の大内義隆。その後を継いだのが、豊後の大友宗麟の弟!陶晴賢に担がれて、大内家の後釜に入り込む。それに怒ったのが、陶晴賢と同じく大内義隆の家臣であった毛利元就。大内義長か来たるべき毛利との戦いに備えて、この高嶺城を築
公方屋敷支城跡(北端)から和田川沿いに南へ下り、和田支城跡Ⅰ(南端)を目指して歩きます。すでに、陽が傾きかけています。エッホエッホ急げ急げ見えました!あのお山が和田支城跡Ⅰ和田城(本城)とともに、南の街道を警備、防備する役割がある位置にあります。和田城(本城)は、和田川がR状に流れ、天然の水堀として堅固に守っているのに対し、和田支城Ⅰは、南からの敵に対して、本城を監視、警護、防備するために存在しているように見えます。和田支城跡Ⅰ方面から見た対岸の和田城
所在地〒919-1523福井県三方上中郡若狭町安賀里特徴若狭守護武田氏の配下にあった山城で、西麓から30分ほどで遺構が現れる。尾根に連郭式の堀切や郭が連続し、主郭からは三方へ段郭が下りている。感想ゴルフ場建設で改変されてはいるが、残
所在地〒919-1553福井県三方上中郡若狭町堤(桂雲寺から)特徴若狭守護武田氏の配下(内藤氏)の山城で、寺の奥の害獣柵から登山道がある。最初の郭までは15分程だが、主郭へは段郭や堀切を越えて相当時間がかかる。感想かなり大規模な山城だが、同じような遺構が分散し冗長な印象を拭えない。人によって
所在地〒917-0222福井県小浜市新保特徴若狭守護武田氏の一族が城主だった山城で、南麓から道なき斜面をよじ登る。尾根に堀切や段郭が連続し主郭の奥にも大きな堀切が残る。感想かなり大規模な遺構が残るが、まったく整備されていないし、アクセスも悪い。
所在地〒917-0107福井県小浜市甲ヶ崎特徴若狭守護武田氏の配下にあった山城で、南麓の天ヶ城登城口から入山する。害獣柵を入って左側の斜面をよじ登ると、堀切や土塁・郭が連続している。感想登城道は無いし、主郭の奥も自然地形ままで堀切はない。遺構は高低差が少なく、風化も進んでいる。
所在地〒917-0001福井県小浜市福谷特徴若狭守護代だった内藤氏の山城で、南西麓の若狭総合公園から登った。堀切や土塁の残る段郭を超えると主郭で、小浜市方向の展望が開けている。感想遺構は大規模で残存度合いも高いが、総合公園からの山道は長く「高」とするのは躊躇する。ただ、途中で羽賀寺からの
所在地〒917-0076福井県小浜市湯岡特徴武田氏の後瀬山城から東へ1㎞程に残る山城で、配水池から斜面をよじ登る。しっかり削平された主郭の先には、一段下に広い二ノ郭が残る。感想整備されていないが藪にはなっておらず、想定外に立派な遺構に驚いた。
所在地〒917-0035福井県小浜市口田縄(大光寺から)特徴若狭守護武田氏の被官だった大塩氏の山城で、寺から十数分登ると城址になる。祠のある主郭は広く、周囲には腰郭や帯郭があり、土塁や堀切が確認できる。感想高低差が少なく風化も進んでいるが、手軽に訪問できそこそこ楽しめる。
所在地〒917-0356福井県小浜市上田特徴若狭守護武田氏の配下にあった山城で、東麓の登城口には駐車場もある。20分ほど登り段郭を過ぎると祠のある主郭で、奥の堀切の先には土塁の巡る郭や堀切が続く。感想規模は大きくないが残存度合いは高いので、主郭から奥の遺構も整備してほしい。
所在地〒917-0045福井県小浜市加斗特徴若狭守護武田氏の配下(武藤氏)の山城で、西麓の観音堂から斜面をよじ登る。堀切の先が土塁のある南郭で、さらに登ると広い主郭には三角点が置かれている。感想写真では判別できないが、畝状竪堀もかなり広範囲に残る。「中」と評価できる遺構が残るが、アクセスが悪すぎる。
所在地〒919-2207福井県大飯郡高浜町馬居寺特徴馬居寺から林道を歩き終点から尾根を登ると二ノ郭の虎口に至る。二ノ郭の奥は堀切で、その先が土塁の巡る主郭で、一番奥にも堀切がある。感想何の案内もないし、縄張りも単純な連郭だが、主郭の東側にはかなり立派な石垣が残る。
所在地〒601-0761京都府南丹市美山町高野特徴足利将軍家に仕えた川勝氏の山城で、同氏は後に島城を築いている。集落センターの駐車場から登山道があるが、上の方はかなり荒れている。堀切を過ぎると最初の郭で、自然地形に近い複数の郭を過ぎると主郭で、奥は連続堀切
所在地福井県越前市二階堂町特徴若須岳の南東麓に残る山城跡で、登山口から10分もかからない。主郭は単郭で土塁などはないが、手前には見事な二重堀切が残る。感想小規模だが残存度合いは高く、登山口には駐車場もある。
所在地〒910-3611福井県福井市片山町特徴朝倉氏の配下にあったとされる山城で、西麓の西光寺から塔跡を経て登る。祠のある小郭から鞍部を経て堀切を超えると主郭で、周囲にも堀切や腰郭を確認できる。感想主郭にある神社まで道はあるが、神社は荒れていて藪に埋もれつつある。「低」に近い「中」。
所在地〒915-0031福井県越前市余川町特徴越前守護だった斯波の山城で、北西麓の万葉の里から1時間ほどの登山になる。堀切を越え帯郭を過ぎると主郭で、越前市方向の眺望が開けている。感想登山道以外は藪で、遺構の確認はできない。霊泉寺から登った方が多くの遺構を確認できるようだ。
所在地〒912-0427福井県大野市森山(高於磐座神社の裏山)特徴越前に入った結城秀康の配下が築いた山城で、神社から道なき斜面をよじ登る。広い主郭の周囲に段郭や空堀が確認できるが、藪が繁茂して自由に歩けない。感想遺構はそこそこだが、まったく整備されていない。
所在地〒912-0091福井県大野市牛ケ原特徴鎌倉時代の地頭が居城とした山城で、上城と下城の2か所に遺構が残る。登城口の先の分岐から下ると、小さな堀切の先が下城の主郭で、広いが周囲はほぼ自然地形。分岐に戻り登ると、広い郭を経て堀切の先が上城の主郭で、狭いが奥は深い堀切になっている。感想二つの城を一度
所在地〒911-0055福井県勝山市北郷町伊知地特徴新田義貞の配下で南朝方として戦った畑時能の山城で、山頂に石碑が建つ。主郭はそこそこ広いが、周辺に遺構は確認できない。感想登山に時間がかかり過ぎる。東麓には畑時能の墓がある。
秋深き備前の城を往く。その1岡山県瀬戸内市邑久町豊原備前・砥石城(といしじょう)別名:砥石山城、砥石ケ城砥石城というても村上義清の戸石城ではありません。こちらは横田備中は討ち死にしないし、真田幸綱であっさり崩れない砥石城です。詳細は後で出てきます。本陣から進軍中に望む砥石山。標高100m、比高150mである。楽勝なのである。忠魂碑、燈篭、電柱、カーブミラー、キャンプ場方向板、凍結注意の看板、城跡登城口看板、電装BOX、簡易トイレと、なにかと賑やかな登城口。
ふと思い立ち朝イチで散歩を河原田城の支城、神田城があったところ鉄塔が立ってる丘が主郭らしいです余談ですが、幼い頃悪ガキ連中で探検してた裏山がここです続きます