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大正14年トンネル工事は難航していた・丹那区の水問題の歎願(たんがん)により丹那に詳しい庶務係の鳥居に調査を命じた・まず丹那区の調査から始めた戸数は98人口704名牛馬271頭水車8井戸75で・住民は水田耕作を本業とし副業に乳牛を飼い生乳を三島町(三島市)方面のミルク会社製菓会社等に売り米野菜鶏卵を熱海方面に出荷していた・豊富な水を利用してワサビ栽培を行い小田原東京方面に出荷していた・鳥居の調査では飲料水は井戸からとっていて減ってはいなか
小田原の熱海線建設事務所に3人の男が訪ねてきた・函南村丹那区の28戸総代の井出、山口、加藤と名乗り「水の問題で嘆願に参りました」と言った・所長室に案内された3人は「村長のお許しも得ましたので」と言い所長に書類を差し出した・所長は書類を受け取り表紙の文字を見つめた・「田地灌漑水並飲料水枯渇ニ付嘆願書静岡県田方郡函南村大字丹那地籍内」と書かれていた・畑地区で渓流が減水していると調査依頼嘆願書があったばかりだった・所長は書類を開いた・始めに大字丹那の減水
大正13(1924)年8月、快よき夏の滋強飲料カルピスの新聞広告。カルピスその物の広告ではなく、カルピスの原液を7倍に薄めて氷で冷やした…現在でいうカルピスウォーターを、関東圏で新宿駅、小田原駅、山北駅、沼津駅、静岡駅、浜松駅、関西圏で名古屋駅、大阪駅、神戸駅で、102年前にすでに販売されていたことがわかる。お値段は1瓶で15銭也!現在の感覚からすると、販売駅のチョイスが「?」ともなる部分があるが、丹那トンネルの開通(昭和9年=1934年)以前、東海道線は現在の御
静岡県熱海市を歩く15放浪日2024年9月16日今回の旅も終わりが近づき最後に【仲見世通り商店街】を歩いて観ています【仲見世通り商店街】の開設は1935年・昭和10年で歴史があります創業60年、70年の老舗店も多くあるみたいですこのアーケードは1956年・昭和31年に完成したそうです作りは質素ですが、骨組みが露わで昭和モダンを感じられますねてか、人がすごくと多いんですけどw“3連休最終日には熱海に集まろう会”とかあるのかな?昭和25年の写真が展示されていましたどのお
丹那盆地の水ガメの底を抜いた熱海口の工事現場は一挙に噴き出した水が粘土をとかした泥流となり12月30日には白い濁流とともに大量の土砂が坑道に押し出してきた・支保工は将棋倒しになり坑夫や作業員は先を争って逃げた・押し寄せる泥と土砂に岩石混じりの流れを第一、第二、第三と土留めを丸太と板で防いだが次々に破られた・必死の作業が続き坑道を120mも後退して第六の土留めの作業をしていると・泥流の流れてくる奥の方で山鳴りが始まった・奥で崩壊が始まっていることを示すも
6月19日の出来事1333年(元弘3年/正慶2年5月7日)倒幕に転じた足利高氏らの攻撃により六波羅探題が陥落。1419年応永の外寇。李氏朝鮮軍が対馬に上陸。1816年セブン・オークスの戦い。カナダで、毛皮交易をめぐり交易会社2社が戦闘。1821年ギリシャ独立戦争:ドラガシャニの戦い。フィリキ・エテリアがオスマン帝国に破れ壊滅。1846年公式な記録に残る史上初の野球の試合がニュージャージー州ホーボーケンのエリシアン球場で行われる。1846
崩壊重大事故は世の激しい非難を浴び鉄道省は丹那盆地から垂直ボウリング調査をただちに着手することを決定した・トンネル掘削予定の真上に三島口に近い所から熱海口に近い所までの4個所A号・B号・C号・D号にボーリング予定地を決めた・A号・B号のボーリング機はスェーデン製のクレリア式でその製造会社のノードマーク技師が招かれ4月16日から作業が開始された・6月16日に安山岩層に達し7月19日にトンネルが通る個所を過ぎて162mの深さに達し作業を終了した・B号機も並行して始め
16名の犠牲者の出た三島口では遺体は水死だったが損傷が激しくその日に荼毘にふすことになった付近の町村の僧侶組織慈光会に読経を依頼した遺族の悲痛な泣き声の中読経が始まったその後荼毘にふされた・その後函南村(町)平井の養徳寺での葬儀に葬列が組まれ葬列は3百メートル以上にもなった・午後2時半僧侶約40名の読経のもとに式は午後4時半に終了した・この事故は連日新聞に大きく報道され同情した各方面から弔慰金の寄付が殺到した・3月4日午前10時から午後3時半まで三島口坑外で
三島口の崩壊大事故から16日経ち泥土が無くなり事故現場に到達したが胸まで達する冷たい水が湧き出していた棕櫚(しゅろ)製の蓑と下着が流れて来たのでその二点を手に技師と坑夫は出口に向かい外に出た・迂回抗の水位は次第に低下していたため技師や所長は協議して思い切って突入することにした・鹿島組代表者鹿島精一は現場主任に「お前が、一番先に入れ」と命じた・30名で編成された決死隊が澄みきった水流に逆らい一歩一歩進んだ・崩落事故現場のその奥に達し現場は電球は割れておら
三島口の大事故・2月10日は日曜日だった・一般の作業は休みだったが2人の坑夫長が数名の坑夫を連れて坑内に入って行った彼らは切り端近くの導坑を掘り広げる作業を始めた・坑夫2名がトイレに行きたくなり仮設トイレへ突然大音響とともに吹き付けてきた突風でよろめいた事故だと直感した2名は坑口に向かって走った・後方から土砂と泥水が支保工の鉄材丸太と共に導坑いっぱいに広がり押し寄せてくる2名は急いで天井に這い上がった下方は土砂を含んだ泥水がすさまじい勢いで走って行く天井の電
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎのコーナー、12月1日の『今日は何の日』です。【記念日ほか】■世界エイズ・デー■鉄の記念日【歴史上の日】1873年(明治6年)郵便はがき発行日本で最初の郵便はがきは、明治6年のこの日に発行された。オーストリアで世界最初のはがきが発行(1869年)されてから、わずか4年後のことだった。形状は今日の往復はがきのような二つ折りで、普通はがきとしては世界にあまり例がなく、これは当時、厚手
12月1日の出来事1640年ポルトガルのブラガンサ公ジョアンらがスペイン王宮を襲撃し、ポルトガル王政復古戦争が勃発。15日にスペインとの同君連合解消、ポルトガル王即位。1885年アメリカ特許庁が認定した、ドクターペッパーが初めて売り出される。ドクターペッパー350ml×24本/コカ・コーラ¥2,879Amazon.co.jp1891年常設国際平和局設立。1898年淀橋浄水場通水。東京に初の近代水道ができる。1900年東海道鉄道の客車に蒸気
火雷神社(静岡県田方郡函南町田代370)"GEO"とは「ジオパーク」の印である。この神社の境内には丹那断層が走っており、1930の北伊豆地震の痕跡が残る鳥居・参道と社殿の関係がおかしい(主祭神)火牟須比命(カグツチ)*もとは「雷電権現」(農業神であろう)(沿革等)当社の創建年代は不明。鎮座する旧田代村については、源頼朝と共に挙兵した田代信綱(現在の修善寺の田代郷が本拠地)との関係を指摘するものもあるが、1590年(小田原城落城)、北条氏直の家
大正11年正月「時事新報」の非難記事の余波は静まったが・「時事新報」に丹那山(たんなやま)トンネルというがそんな山はないと指摘されていた・工事前の測量に丹那地区に大変お世話になった感謝で付けた名称だったそこで丹那トンネルと改称し関係方面につたえた・熱海口の爆発崩壊個所の土圧は激しく松丸太の代わりに鉄材を支保工にしたがそれも曲がり始めたので松丸太で補強しやっと土圧をくい止めることができた・一方三島口では工事はいちじるしく進んでいた導坑の掘削が早く一時中断して
「時事新報」記事について続けます熱海口で大事故があった直後だったので新聞読者は衝撃を受け工事の真相を知つて数多くの投書が寄せられた政界でもその論説が問題になった・そこで鉄道省内ではあわただしい動きがみられた熱海、三島の責任者を呼び論説の一つ一つについて検討し一部は事実で大半は相違していることを確認・論説への反論を公文書に発表し詳細な反論を各新聞に掲載・これに対し「時事新報」は”学者の地質調査を全く無視せる丹那山隧道工事理学博士横山又二郎氏談”という見出しの反論
「時事新報」は紙面を大きく割いて丹那山トンネル工事の論説を掲載した・見出しは”予断を誤った鉄道省が丹那山隧道工事を放棄”というものだった・日本一の大トンネルの工事ではあるが地質が極めて悪くすでに工事が難航し「場合によっては一時中止するやも知れぬ」・鉄道省内を取材「幾多の動かすべからざる例証」をつかんだとしていた・地質の悪さがはっきりし鉄道省は「貫通不可能の決断をしたようである」と記していた・予算内で工事を終えることは「絶対に不可能」・ついで工事放棄の理由が
熱海口・爆発崩落現場から100m奥に17名の内11名は1個の石が無ければまちがいなく死んでいた・彼らは導坑の上方を掘り広げる作業をしていた・ズリ(土石)は大きな漏斗(じょうご・ろうと)に入れ下に置かれたトロッコに受け積み込んでいた・土石に少し大きな石が漏斗に落ち塞いでしまった・作業を中断し一同で石を漏斗から取り出す作業をしていた・石を外に出した途端に大崩壊が起こった・もしもその石が漏斗を塞いでいなかったら順調に作業がはかどりトロ
熱海口に鉄道省の大井客貨車工場から新式の酸素ガス切断機とガスボンベが到着・これによってレールなどの切断が容易になった・・翌四日中央上部の救助坑は崩れる土石に耐えながら作業を続けていたが・午後1時頃巨大な岩石に突き当たり前進が不可能になった・担当者はダイナマイト使用許可を申し出たが他の救助坑を圧壊する恐れがあり許可は下りなかった・しかし左側の救助坑も巨大な岩石に突き当たった迂回路も考えられたが不可能だった・所長は思案の末ダイナマ
「沼津へ行こうかな」と急に大学3年の息子。その翌朝早くに出かけ、夜遅く帰宅。何をしに行ったか聞くと、丹那トンネルを通りに行ったのだと。元々土木建築関係が好きだが、最近家で話題にすることが多く行きたくなった様子。在来線を満喫した東海道線1日旅となった。
書き込むことが多くシリーズ物がなかなか投稿出来ない・・・熱海口の爆発崩落事故・前夜7時半から始まった救助坑の掘削は遅々としていたというより停止していた・太い松材が横ならば切断できるが縦に落ちている松材は切断しにくく前進できなくなった・左側の救助坑も金属製の枠に阻まれていたがガス切断機で掘削が進んだが大きな岩盤に行く手を遮られてしまった・右側にも救助坑も掘削を始めたが同じく行く手を遮られていた・午後1時過ぎ第一救助坑より救助抗夫が「
いつもご覧いただきありがとうございます八高線新車両HB-E220系甲種輸送を見てきました2両編成8本が入ります八高線の雰囲気がまったく変わります💦函南まで来たので丹那トンネルとともに
熱海口坑道崩落事故の連絡を受けた人々が続々と集まってきた・東京の鉄道省救護隊編成静岡県保安課三島警察署から巡査5名新聞各社・・静岡県関係者は徒歩で箱根越えをしてきた・夜空に細い月がかかっていた・夜が明けてしばらくして三島口請負の鹿島組の親方が抗夫など十数名を連れて夜道を急いでやってきた・坑内に入りレンガ積みに使う金属製の枠が救助坑掘削を妨げていることが分かり・すぐさま三島に電話をし・三島町(市)の町工場から酸素ガス切断機とボ
熱海口の坑道爆発崩壊で47名が被災した・生存が予測されるのは崩壊個所から奥に閉じ込められた37名・通路を遮断された坑内には死の危険をはらむ要因が数多くある・・悪性ガスが少量発生・・多量の湧水個所がいくつもあり水位が上がれば水死のおそれがある・・入坑時刻から弁当を持って入った者はいないだろう餓死のおそれ・・坑内の地熱は高くそれにより死亡することは十分考えられた・かれらを救い出すには一刻も早く救助抗を掘らなければならな
事務所の主任技師が鉄道嘱託医院に急ぎ・重傷者から事情聴取を行った・彼は坑口から317mの箇所でレンガ積みの準備をしていた他の労働者より坑口に近い所にいた・突然大音響とともに肩に石と思われるものが当たり倒されカンテラの火が消え手探りで坑口に向かい途中後方で土石が崩れる音がし突風で丸太に叩きつけられたという・この証言で崩壊したのはレンガ積み準備作業していた個所を中心とした個所であることがあきらかになった・所長は1時間前に崩壊個所を点検した2
この記事は2020年1月に前ブログ「ひゃっはー日和」に掲載したものの転載です。↓ここで、大事なことに触れていなかったことに気づきました。それというのも、うちの母に東海道線の旅を書いていると言ったところ、「じゃあ丹那(たんな)トンネルは見たのかい?」との質問をされまして・・・。熱海まで行っておいて、触れぬ訳にはいかぬ。海が見えない、海辺。あああ~。丹那トンネルというのは、ワタクシ、この東海道線の旅レポを書き始めるまでマジで勘違いをしていたの
事故発生午後4時20分少し前・建設事務所の技師と請負会社の社員がカンテラによりトンネル内を入念にしらべて回っていた・レンガ積みの現場の側壁も入念に調べていた・その付近の地質はかたい輝石安山岩で良質だった・全く異常はみられなかった・午後3時過ぎに点検を終え坑外に出た・・坑口の外の詰め所には当直の2人が詰めていた・4時20分・2人は同時に椅子から立ち上がった・異様な音が轟き詰所の建物がはずんだように揺れるのを感じたのだ轟音は坑内から
リニア新幹線と瑞浪市リニア中央新幹線のトンネル掘削工事が行われている岐阜県瑞浪市で、2024年2月下旬ごろから、井戸やため池などの水位が相次いで低下しています。2024年5月15日FNN地下深くでリニア工事…岐阜県瑞浪市の水源に“異変”井戸の水位低下し溜め池ひび割れる住人「元に戻して」|FNNプライムオンラインリニア中央新幹線のトンネル掘削工事が行われている岐阜県瑞浪市で、2024年2月下旬ごろから、井戸やため池などの水位が相次いで低下していることがわかった。住民からは不安の
大正8年10月・三島口で思いがけない湧水が発生・最初に湧水に見舞われたのは坑口から335m掘り進んだ個所で発破をかけた後天井から水が驟雨(しゅうう)のように落ちてきた・〇「驟雨」とは突然降る雨で雷雨や集中豪雨のような雨の事・その個所をすぎると湧水は絶えたが418m、802mの位置で水が噴出更に1022mに達すると湧水は一段と激しくなり・掘削は中止された・切り端付近は水があふれ坑夫達は腰まで水につかった・水を坑外に排出するのが先決になっ
熱海口・三島口とも1キロメートル程掘り進められていた・坑道が掘り進められると切端で崩されたズリ(土石)は労務者がトロッコで外へ運び出すが重労働で途中で何度も休憩しなければならなかった・そのため馬と牛を使用することになった・熱海口では牛三島口では馬・真っ暗闇の坑内をカンテラ一つで牛・馬が行き来し始め格段に作業が進んだが・三島口の馬によるとんでもない事故が発生した・ズリを積んだトロッコを引いていた馬が淡いカンテラだけの闇に何かに驚いてた