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作家の丹羽文雄が主宰した「文学者」で修業・・津村節子氏に丹羽文雄文学賞の賛同人をお願いしたのが「吉村昭三部作」のはじまりでした。病気で寝ているときも、夫の吉村昭は妻に書くことを望んだ(読売新聞オンライン)-Yahoo!ニュース『吉村昭と津村節子―波瀾万丈おしどり夫婦―』谷口桂子|新潮社
日本文藝家協会からレターパックが届きました。来年の「文士劇」どうぞよろしく・・という挨拶状。年内に顔合わせがあるようです。同封されていたのはその文士劇『風と共に去りぬ』の脚本を担当された道又力氏の最新刊『作家がスターだった時代』。文士劇の歴史を著したもので、カバーには花形作家の名前が並び、丹羽文雄氏の名前も。昨年、突然林真理子理事長より推薦入会の案内が届き、丹羽氏生誕120年の年にいただいたのも何かのご縁と入会。そうしたらたまたま協会が来年創立百周年を迎え、記念事業のひとつに文士劇があ
先月のいわき市立草野心平記念文学館での「吉村昭奇跡の生涯」と題した講演。地元の「日々の新聞」第541号・542号に内容を紹介いただきました。自分の名前で仕事をするということ。吉村昭氏の文学性と社会性をいち早く見抜いたのは恩師の丹羽文雄だった話もいたしました。
いま、吉村昭記念文学館で開催中の企画展「吉村昭と文学者」。図録をいただきました。「文学者」を主宰した丹羽文雄のことは吉村昭三部作にも記し、先日の草野心平記念文学館の講演でも三部作を書くきっかけとなった丹羽文雄とわたしのご縁などをお話しました。作家志望者のために20数年私費で「文学者」を発行し、発表の場を与え続けた丹羽文雄。その「文学者」から巣立った吉村昭氏について書かせていただいたわたしが、講演会で丹羽文雄の奇特な無私の功労を語る・・恩送り、ということばを思い出しました。草野心平記念文
企画展の初日に伺いました。「文学者」は丹羽文雄が主宰した同人雑誌。20数年にわたって後進の育成のために発表の場を与え続けた作家はあとにも先にもいません。「吉村昭も津村節子も『文学者』から巣立ったと言っていい」拙著『吉村昭と津村節子』よりいうまでもなく丹羽は中央で活躍した文化勲章作家。没後20年の今年のメモリアルイヤーに、なぜ日本文藝家協会後援の顕彰イベントを東京で開催できなかったのか。後々まで語られることになるでしょう。それ以外のことも。「吉村昭の取材ノート‐戦争体験者の証言を求めて‐」も
JamesSetouchi2025.6.21丹羽文雄『蓮如』超大作すぎて読めない1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度(とくど)した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和28年『蛇と鳩』で
JamesSetouchi2025.6.6丹羽文雄『親鸞紀行』『仏にひかれて』こちらから読むべき?1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度(とくど)した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和2
JamesSetouchi2025.6.5丹羽文雄『親鸞』浄土真宗・親鸞の生き方と思想1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度(とくど)した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和28年『蛇と
JamesSetouchi2025.5.23丹羽文雄『一路』人間が罪深い存在だとは?宗教思想小説1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度(とくど)した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和
20年前の本日5月9日、丹羽文雄氏の日本文藝家協会葬が築地本願寺で執り行われました。100歳で亡くなったのは4月20日。集英社のわたしの担当編集者がゴールデンウィークにのんびり帰省していたところ、すぐ帰京するように会社から電話があったそうです。丹羽氏の担当でもないのに。20年前の当日に会った講談社の文芸担当の局長も「これから丹羽さんの葬儀で」と落ち着かない様子でした。いかに大がかりなものだったかがうかがい知れます。写真は先日の渡辺淳一さんの「ひとひら忌」で再会しました水口義朗さん。90歳。テ
本日は、母校新入生の同窓会館訪問の日です。無時卒業の暁には同窓会員となる彼らを初めて会館にお迎えする日です。「迎」。「卬」は「立った人」+「それに向かって座わった人」の会意文字で、→の方向に来る相手に←の方向に進む意を含みます。「迎」は「辶=辵:すすむ」+「卬」の会意兼形声文字で、来るものを逆に出迎えに行くこと。むかえる・来るものを出向いてむかえる・こちらから相手に調子を合わせる等の意。心配していた天気も好転し、私は玄関大机
<寺山修司、丹羽文雄、大江健三郎>1633「書を捨てよ、町へ出よう」寺山修司長編中山千夏:解説角川文庫目次第一章書を捨てよ、町へ出よう第二章きみもヤクザになれる第三章ハイティーン詩集第四章不良少年入門八歳にして詩を書いた著者の代表作。本なんて糞くらえ!町にこそ著者の生きる糧がある……と現実と非現実の間自分と他人との間を並みはずれた空想力で自由奔放にかけめぐり、野球、競馬、競輪、賭博等の遊びから、はてはヤクザになれる法
JamesSetouchi2025.3.21丹羽文雄『天衣無縫』不倫の話、またはストーカー被害小説1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和28年『蛇
JamesSetouchi2025.3.21丹羽文雄『蛇と鳩』新興宗教を作る話1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和28年『蛇と鳩』で第1回野
JamesSetouchi2025.3.18丹羽文雄『水溜り』『汽笛』1丹羽文雄1906(明治37)年三重県四日市市生まれ。父は浄土真宗高田派の僧侶。家庭の事情で母が家を出た。文雄は幼少時得度した。県立富田中(現四日市高校)を経て大谷大学に行かず早稲田の第一高等学院から早稲田大学文学部国文科へ進む。尾崎一雄らを知る。卒業後一時僧職に就くが家出、上京、創作に専念した。昭和10年代には国策で漢口やソロモン海戦に従軍。昭和28年『蛇と鳩』で第1回野間文芸
文藝春秋元常務で、志賀直哉のお孫さんで、上皇陛下のご学友であられる鈴木琢二さん。91歳。渡辺淳一さんのひとひら忌でお目にかかりました。写真は「乾杯」の挨拶をされているところです。この方は「丹羽(文雄)先生には大変お世話になりました」という編集者です。昨年秋の三重テラスでのイベントで紹介させていただきましたが、詳しいエピソードを語るには時間が足りませんでした。もう一人、丹羽氏とおつき合いのあった90歳でご健在の編集者がいます。大村彦次郎さんが最後かと思っていましたが。この方たちの丹羽氏につ
「名刺に入れる人がいる」口の悪い文芸編集者はいいます。はい、入れました。敬愛する文芸評論家の大村彦次郎さんも入れておられました。目的あってのことです。初対面で名刺交換する人は、わたしの名前より「日本文藝家協会」に目をとめます。「・・協会って?」「はい、理事長、会長を長くつとめられた丹羽文雄さんという方がおられまして・・」ささやかなわたしの顕彰活動です。それにしても前述の協会の新人サポート塾。そこまでするのは少々驚きでしたが「作家になるより、作家であり続けるほうが難しい」はよくいわれるこ
直木賞作家の出久根達郎さんより新刊のご著書をいただきました。いつもお心にかけてくださり、有難いことです。自著を出し続けるだけでもたいへんなのに、出久根さんは日本文藝家協会前理事長で現副理事長。その文藝家協会に推薦入会させていただき、毎月届く協会ニュースで目にとまった記述が。林真理子理事長はじめ12人の評議委員が出席した委員会で、新人作家をサポートする塾の話が出たようです。運よくデビューできても順風満帆に行くとは限らない。そこからこぼれた作家を救う協会の新プロジェクト。塾長は今村翔吾さんがいい
先日、年末年始のFMカオン「たけ平の楽語の時間」の司会収録に神奈川県海老名のスタジオへ行きました。今回は、怒涛の5本撮り!先人の懐かしい師匠方の音源や、作曲家・古賀政男先生の特集などを収録しました。引き続き、FMカオンをお楽しみください。全国可聴です。詳しくは、FMカオンホームページをご覧下さいませ。【たけ平今日の一曲】〜霧島昇「人間模様」〜今日も古賀メロディーをお送りします。最近、丹羽文雄さんの作品をやたらと読んでいます。「親鸞とその妻」
『吉村昭と津村節子』、本日「デイリー新潮」より配信、ヤフーニュースなどに転載されています。11月22日は「いい夫婦の日」、そして丹羽文雄氏生誕120年のバースデー。丹羽氏にも触れていただき(注文が多い著者と思われたかも)、アニバーサリーの年にささやかでも残せたものがあればうれしいです。これは偶然が重なったというより、小さな奇跡が連続したよう。先日の三重テラスもそうです。丹羽氏に見守られているような気がしてきました。「一つ屋根の下」に作家が二人暮らすと起こること「大作家同士の結婚生活」吉
19日の三重テラスのイベントについて、「まだそんなことやってるの!?」といった人がいました。もちろんわたしを思ってのことで、いつまでも人の宣伝をしていないで、自分の仕事に専念しなさいという意味です。来週22日の丹羽文雄氏の生誕日に、デイリー新潮から『吉村昭と津村節子』の配信があり、丹羽氏についても触れられないでしょうかという相談をしました。版元の新潮社だからできる相談です。そして、来年の丹羽氏没後20年には、東京でのトークイベントを四日市市に主催してほしいと伝えています。四日市で何かやっ
今月22日は今年生誕120年を迎える文化勲章作家・丹羽文雄氏が誕生された日。その近日の19日19時から日本橋の三重テラスで氏について少しばかりお話をさせていただきます。わたしの生家は丹羽家(崇顕寺)の檀家だったため、丹羽家とはわたしが生まれる前からのおつき合い。大学を6年かけてどうにか卒業したわたしは、この先どうするつもりなのかと親に問い詰められ、さすがに何も返答しないわけにはいかず、「講談社に入りたい」と答えます。これでようやくまっとうな社会人になってくれるのか・・。淡い期待を抱いた親は、
富士山が一望できる冨士霊園内の「文学者之墓」墓前祭。昨年は「吉村昭三部作」の著者として、今年は日本文藝家協会会員として参列しました。現在800人以上の文学者が眠っていて、昨年亡くなった伊集院静さんも埋葬されたとききました。わたしも登録すれば名前と代表作一作を墓碑に刻んで埋葬していただけるようです。それにしても、今年は協会の会長・理事長を長く務め、「文学者之墓」を提唱した丹羽文雄氏生誕120年のアニバーサリーの年。その年に協会から推薦入会のご案内をいただいたのは、やはりご縁としかいいようが
4月の渡辺淳一さんの「ひとひら忌」で、丹羽文雄氏にたいへん可愛いがっていただいたという編集者にお会いしました。文藝春秋で出版部長、編集局長をされた方で、今年91歳!丹羽氏についての話はどうしても過去の文献に頼ったものになりがちで、「生きた証言」は貴重です。11月のイベントでお話します。いま、日本近代文学館で開催中の「編集者かく戦へり」という展示もおもしろそうです。丹羽氏、吉村昭氏の資料もあるよう。文春の編集者の方にうかがったお話の中には、いまの時代にはありえないでしょ!と驚く内容が含まれて
日本文藝家協会が毎年執り行う「文学者之墓」の墓前祭。文藝家協会ニュースなどに掲載のため、プロのカメラマンが撮影し、去年のものを送っていただきました。撮影:髙橋祐功氏。今年も参ります。「文学者之墓」は貧しくて墓も建てられない文士のために、協会の会長、理事長を長く務めた丹羽文雄氏が共同墓地を提案したのが始まり。丹羽氏は今年生誕120年、来年没後20年を迎えます。丹羽家とご縁のある家に生まれたわたし。18歳で上京して半世紀近く。同郷の文化勲章作家のお墓に詣でる日がくるとは思いもしませんでした。
先週24日の朝日新聞be「はじまりを歩く」。今回のお題は「原稿用紙」。今年生誕120年を迎える文化勲章作家・丹羽文雄のエピソードが登場します。丹羽の依頼で作られた満寿屋の原稿用紙は「文学賞がとれる原稿用紙」という神話をうみ、川端康成や三島由紀夫他多くの著名作家が愛用しました。満寿屋を愛した偉人達|原稿用紙・ノートの浅草「満寿屋」(asakusa-masuya.co.jp)丹羽文雄については昨秋完結した「吉村昭三部作」の全作に記しています。満寿屋のエピソードは『食と酒吉村昭の流儀』(小
吉村昭記念文学館で開催中の企画展「吉村昭の手紙」に伺いました。恩師の丹羽文雄に宛てた手紙もありますが、やはり惹きつけられたのは、180通以上あるという夫婦間の書簡です。その中でもとりわけ目にとまった2通があります。1通は、「二人とも、思った通りになったのだから」という、太宰治賞受賞作『星への旅』が刊行になった頃、夫が妻に宛てた手紙。もう1通は、「骨のないあなたがいとしくて」という妻が夫に宛てた手紙。どちらも津村節子著『果てなき便り』(文春文庫)に未収録です。180通以上ということは、未公開
荒川区の吉村昭記念文学館で「吉村昭の手紙」と題する企画展が開かれています。この図録をいただいたのですが、読みごたえのあること、あること。恩師の丹羽文雄に宛てた手紙も登場します。荒川と三鷹。都内2ヶ所に記念施設がある作家は他にいないと思いますが、それぞれの持ち味をいかした展開を期待します。荒川の文学館に開催してほしい企画があります。ひとつは「吉村昭と食」。もうひとつは「吉村昭と俳句」。特に後者は、吉村氏の命日7月31日の「悠遠忌」を俳句の季語として定着させてほしいのです。芥川の河童忌、太宰
3月16日夕刊「ほんの裏ばなし」全文は下段にあります。
札幌帰省中に買った本の続きの3冊です。1冊目は、中島京子著「夢見る帝国図書館」(文春文庫)です。以前に何作か読んだことがある作家で、ちょっと気になったので買ってみました。夢見る帝国図書館(文春文庫)/中島京子2冊目は、谷崎潤一郎著「刺青痴人の愛麒麟春琴抄」(文春文庫)です。これまで手に取ることがなかった著者の作品を収めた、入門編ともいえる作品集です。刺青痴人の愛麒麟春琴抄(文春文庫)/谷崎潤一郎3冊目は、丹羽文雄著