ブログ記事35件
『【消された龍王宮②~国瑞彦神社~』出張の合間の神社巡り徳島編』『【消された龍王宮①~龍の女王と清玄坊の祟り~】出張の合間の神社巡り徳島編』『『西宮神社』出張の合間の神社巡り徳島編~豊玉姫は阿波の女王~』『『白鳥神社…ameblo.jp↑のつづき。さて、台風が奇跡的に弱まり、なんと徳島最終日は晴れた。と、いうことで急遽予定を変更し、目的地をずっと行ってみたかった南部方面へ。徳島市から車で一時間以上かかった。日和佐町案内図。魅力的なところがたくさん。道の駅で休憩。裏側
ご訪問ありがとうございます。PCピグ時代に作った竜宮城です今回は、「日本書紀」にあり、丹後国に伝わるという「浦島太郎」の物語を、見ていきたいと思います。まず基本的な「浦島太郎」といえば小学唱歌の昔昔浦島は助けた亀に連れられて龍宮城へ来て見れば絵にもかけない美しさ乙姫様の御馳走に鯛や比目魚の舞踊ただ珍しくおもしろく月日のたつのも夢の中遊にあきて気がついてお暇乞もそこそこに帰る途中の楽しみは土産に貰った玉手箱帰って見れば.こは如何に元居た家も村も無く路に行きあ
神芝居「羽衣伝説」公開記念、豊受を巡る一人旅(第6回)午前中に比治の里関係のスポットを回り、午後からは天女がさまよった足跡を辿ります。比治の里を出た天女娘は、立ち寄った村で槻の木にもたれて泣いていたため、そこが哭木村(なききむら)と呼ばれるようになったと風土記に記されています。現在の京丹後市峰山町内記(ないき)という場所がそれにあたるようです。比治の里の久次から約8キロ、車で15分ほどなのでそんなに離れていませんね。この地図はだいぶ距離感がおかしいで
[丹後国丹波郡]比沼麻奈爲神社豊受大神が天降ったとされる「久次岳」の麓に鎮座。豊受大神を主祭神とする。◆丹後の原像【90.豊受大神にじわりと…~1】しばしお休みを頂いた分、濃厚な記事を投下します(笑)「海部氏系図」「勘注系図」をやり始めたところですが…古代史の最大級の謎ともいえる、「豊受大神」とはどんな神なのか?について一筋の光が見えてきたように思います。海部氏の系図を中断して、豊受大神にじわりと迫りたいと思います。なにぶんまだ一筋の光のレベル。頭の中できっちりと整理すらも
ご訪問ありがとうございます。うしずのです。今回は「仮面をとった浦島太郎」という本の感想を書かせて頂きます。本屋でタイトルに惹かれて購入しました。浦島太郎にはモデルになった実在の人物がいたのではないかと考えた著者が、その謎を解くため各地を巡り調査した記録です。「仮面をとった浦島太郎その正体をめぐる四七八年のミステリー」高橋大輔著朝日文庫日本人のほとんどが知っているであろう昔話「浦島太郎」。しかしその内容は謎に包まれています。私はこの本を読み、浦島伝説の初出が
『出張の合間の神社巡り大阪編『星田妙見宮(小松神社)』~星が落ちた場所を巡る~』『出張の合間の神社巡り大阪編『星田神社』~いざ、星の街へ~』『出張の合間の神社巡り和歌山編『伊太祁曽神社②』~吉野川で繋がっている~』『出張の合間の神社…ameblo.jp↑のつづき。さて、今回は神社巡りから少し離れて、『瓢(ヒサゴ)』のお話を。『瓢』とは「瓢箪(ひょうたん)」のことである。最近のワタシの愛読書は、もっぱら『道は阿波より始まる』である。道は阿波より始まるその一阿波風土記
武豊町は、知多半島の東側中部に在ります。名鉄河和線:富貴(ふき)駅周辺には浦島伝説があり、それにちなんだ地名や神社がありますので、それらを歩いてきました。竜宮神社は、富貴駅から南東へ500mの、小さな公園の中に鎮座されます。竜宮神社から北へ100mのところに、乙姫橋があります。鎮座地:愛知県知多郡武豊町大字冨貴字南側46−4左は秋葉神社、右が竜宮神社。--------------------------この社
陸耳御笠を追ってきた日子坐王が天神地祇に祈った旧跡に建つ鬼嶽稲荷神社◆土蜘蛛十六顧(丹後国陸耳御笠・匹女)「臭いものには蓋をせよ」誰が言ったか大変に便利なお教えで。ちゃっかり便乗したりも…。とても臭かったのでしれっと蓋をしといたのです。その蓋をちょっぴり開けてみます。(白状します)既に丹後国の「土蜘蛛」として記される陸耳御笠(クガミミノミカサ、玖賀耳之御笠)・匹女(ヒキメ)については、*19.失われた大王「玖賀耳之御笠」1*20.失われた大王「玖賀耳之御笠」2
名木神社(なきじんじゃ)丹後国丹波郡京都府京丹後市峰山町内記134(社前道路に寄せて停め置きました)■延喜式神名帳名木神社の比定社■旧社格村社■祭神豊宇賀能命「竹野川」中流域の東側の田園地、峰山町「内記(ないき)」の丘陵に鎮座する社。◎当地は「丹後国風土記」逸文に記される「哭木(なき)」の比定地。━━「比治の真名井」に降りたち水浴していた八人の天女。うち一人の羽衣が和奈佐夫婦に隠され帰られなくなり、娘として10余年過ごします。ところが追放され、「荒汐」(荒塩神社の周辺か
今回はこないだから書いていて気になったことを調べた覚書のようなものです伝説・神様に関わることなんで、興味のない方はスルーしてください🙇今書き進めている丹後国丹波郡の式内社の祭神は比治山伝説と関わりがあるとネットで調べていると出てきてましたそもそも比治山伝説って何?🤔ここからは京都大事典府域編で調べていったことです比治山(ひじやま)を調べると、羽衣伝説とありますで、次はもちろん羽衣伝説を見てみると、丹後の比治山の天女の伝説とありますこれは「丹後国風土記」にある奈具社(弥栄町にある神社
阿良須神社(福知山市大江町)◆丹後の原像【52.「丹後史料叢書」~「丹後風土記殘缺」15】これまで20年近くにわたり、50回ほどかな?丹後に出向いていますが、未だ雪に出逢ったことはなく、雪国のイメージはありません。確かに…雪国特有の社殿ご本殿に覆屋が施されていたり…勾配の急な屋根にされていたり…するものですが。コロナ禍が沈静化するのが早いか、雪解けの方が早いか、ここ数年は年に一度ずつしか行けていないので、何とか2回くらいは行きたい…~*~*~*~*~*~*~*~
(笶原神社)◆丹後の原像【42.「丹後史料叢書」~「丹後風土記殘缺」5】今回より各郡の史跡等の紹介になります。つまり漢文を訳さねば…。さいわいにも殘缺写本は「レ点」や「一二点」が附されているので、楽勝?いやいや…そんなことは…ないない…。「虫食い」も多々あることやし。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~(最近ようやく覚えたスクショにて)【読み下し文】伽佐郡伽佐郡は舊くは笠郡の字を用ひ訓んで宇氣之巳保利と曰ふ以て其の宇氣と稱へる所往昔豊宇氣大神は田造郷に坐す笶
(加佐郡鎮座笠水神社)◆丹後の現像【39.「丹後史料叢書」~「丹後風土記殘缺」2】前回の記事よりようやく「風土記」本文に突入しました。先にお断りしておきます。今回は少々退屈な記事になるかも。本人は至ってテンション上がっておりますが。丹後を研究する上で最上級の資料。なかでも当時の神社のデータがまるまる残るという、貴重なことこの上ない資料。これを機によりディープな丹後を探ろうと考えています。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~今回は丹後の郡名紹介と、そのうちの加佐郡
下宮神社前回の記事では「丹後国風土記」残闕に記される弘計皇子・億計皇子の文面を訳し載せました。今回はお約束通り、丹後国にある伝承地を内容とともに載せます。知り得る限りの全てを訪ねています。全10ヶ所。すべて神社。またかつては丹後国内であった若狭国の1ヶ所も掲載しておきます。新しい伝承地を発見次第、訪れるつもりです。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■若狭国大飯郡*青海神社母神である飯豊青皇女(飯豊天皇)が禊をしたという「窪池(禊池)」が境内にあり。二皇子そのものの
(須津彦神社・須津姫神社)◆丹後の原像【34.弘計皇子・億計皇子の丹後潜伏~2】自身に課したルール「一ヶ月以内に記事をUP」を何とか守ることができました。このような拙いブログでも、お読み下さる方のことを考えれば、本来は一週間以内なんでしょうけどもね…現状ムリ!お許し下さいませ。前回の記事より弘計王・億計王の丹後へ逃亡潜伏記事をスタートさせました。その第2回目。前回の記事では紀の記述から始めました。ここでは播磨国での両王子の発見と大和に迎え入れられる様子が記されます。
丹後には有名な物語伝承が多く、これまで紹介した「羽衣伝説」のほかにも、「浦島太郎」の伝説がありますこちらも海人族の伝承でしょう。おとぎ話とあなどることなかれ。「丹後国風土記」の浦島太郎の伝説は、日本書紀と並んで日本で最も古い説話のひとつ。ルーツを古墳時代にまで遡るものです。丹後地方は独立した地域だったようです。幻の「丹後王国」があったとも言われる地域。丹後にはかつて、航海術に秀でた「海人族」がいました。古代この地方は、漁や、塩つくりなど、海にかかわっ
丹後國風土記逸文「奈具の社」に出てくる和奈佐老夫、和奈佐老婦に関し「元初の最高神と大和朝廷の元始」海部穀定著に天女八人降り来て水に浴す、時に、老夫婦あり、その名を和奈佐老夫、和奈佐老婦と日う、この老等、この井に至りて、竊かに、天女一人の衣裳を取り蔵しき」と見える和奈佐老夫婦こそ、この伊佐奈岐伊佐奈美両大神、即ち、伊佐奈老夫婦大神を説話化せられたものであろうとある事を紹介しました。つまり、和奈佐老夫、和奈佐老婦とは、伊弉諾大神、伊弉冉大神の事であると。竹取物語と類似性が認められる丹後
ここまで、竹取物語と類似性が認められる丹後國風土記逸文奈具の社を「しら~と始めんななんでしばらく更新しなかったんだよ」「えっ…寒かってん…」「何聞こえねぇな」「寒かってん」「デけぇよ。お前本当に大人か冗談だろ」「これが、冗談言ってる男の顔に見えるか」「見えるよ…」「台所の流しに氷はっててんぞ殺す気か」「分かったから、泣くなよ…」と、いうわけで話を続けます。見て来ました。「そこから始めんな」えへっ竹取物語と類似性が認
前回のブログ…べっぴんのいいねゼロかよ…。しょうがない。「野郎共。いざゆかん」前回は、神道五部書から酒殿を紹介しました。「伊勢二所皇御大神御鎮座傳記」時ニ和久産巣日神子。豊宇氣姫命。稲霊神也。御神酒ヲ供へ奉ル。今世ニ丹後國竹野郡奈具社ニ座ス豐宇賀能賣神ト謂フ是也。丹後國風土記逸文「奈具の社」にも竹野の郡、船木の里の奈具の村に至りて、すなはち村人等に謂ひしく、「此處にして我が心平しく成りぬ」といひて、すなはちこの村に留り居りき。こは、いはゆる竹野の郡の奈具の社に坐す豐宇賀能
こんにちは。今日も天気いいですね昨日の丹後國のお話を。比沼麻奈為神社は、やはり清々しかったここへ行く前に、「月の輪田」という場所に寄りました。以前も寄りましたが、奥へ入ることができなくて。稲刈りが終わっていたので解放していたのかな?稲作発祥の地です。さて、古事記を学びに行ったときに豊受ひめが行き着いた場所で、そこで神として祀られたとされる弥栄町の奈具神社へ。今回の目的地は、比沼麻奈為とここ。階段の先には正面のお社より、向かって左のお社が氣になる…。こちらの前に行くと
日子坐王の武器庫であった布留山神社。◆丹後の原像【20.失われた大王「玖賀耳之御笠」~2】前回記事より、かつて丹後の大王だったと思われる「玖賀耳之御笠(陸耳御笠)」に焦点を当てています。記や「勘注系図」、「丹後國風土記」残闕には、大和王権より派遣された日子坐王によって討たれた「賊」として記されます。「土蜘蛛」という表記も。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~「丹後國風土記」残闕より「志託郷本字荒蕪志託と号る(名付くる)所以は往昔日子坐王官軍を以て陸耳御笠を攻伐の時
(新井崎神社の鳥居から「冠島・沓島」を)◆丹後の原像【4.郡別概史~與謝郡(後編)~】(前編)からの続き(後編)を。◎冠島・沓島ともに若狭湾内にある無人島。現在の管轄は舞鶴市になるようですが、籠神社の奥宮とも考えられ、また眞名井神社の神域内とも考えられることから判断すると與謝郡に。「丹後風土記」残欠の記述は加佐郡に属します。*「冠島」データ雄島、大島、竜宮島、常世島などとも呼ばれています。長辺1300m余り、ほぼ岩山でできた島であるがわずかに平地があり、そこに老人嶋神社が鎮座し
夫:(今朝の学事がなくなったので、自宅でゆっくりします。これから、ちょっとビールを飲んで夕飯を作ります。)妻:学事が終って、劇場へ。伊勢神宮外宮の御祭神と丹後国風土記を結びつけた、歴史ロマンの新作でした。
(宇良神社ご本殿)《~その1》《~その2》【大意】(ついに亀比売と別れ、「玉匣」を授けられ目を閉じさせられた)たちまち筒川の郷に着いた。村中を巡るが人と物は移り変わってしまっており、ゆかり人もまったく見当たらない。村人に「水江浦島子の家の者は今何処にいるのか」と問うた。村人は「あなたは何処の人なのか、昔の人を問うとは。私が聞いた話では、古老の言い伝えでは昔、水江浦島子という者がいたらしい。独りで海に釣りに出て帰って来なかった。それから三百余年が経つが、今どうしてそれを問うのか」と答えた
(嶋児神社鳥居と、左の小島は乙姫が鎮まる西浦福島神社)《~その1からの続き》【大意】(島子は娘に連れられさらに内へと進んだ)そこには娘の父母が歓迎し座って島子を迎えた。そして人間界と仙都との違いを説き、人と神が偶然に会うことが出来た嘉びを談議した。百品の美味をもてなし、兄弟姉妹は杯を挙げて献酬し、隣の里の幼女らもおめかしして盛り上がっていた。仙の歌は澄みとおり神の●●は逶●(「舞は長く続き」か?)、その歓宴は人間界の万倍であった。日が暮れることを忘れ、但し黄昏の時に仙侶等はだんだんと退散
(宇良神社隣に併設される「浦嶋公園」内)◎浦嶋子(浦島太郎)神話(~その1)(「丹後国風土記」逸文による)※書紀の短い記述とは異なり、物語化した長いもの。書紀に言うところの「別巻」はこちらを指してのことではないかと思います。※我流の意訳であり、細部においては訳し方を間違えている可能性があります。※長くなるので3回に分けます。【大意】「丹後国風土記」に曰く、與謝郡日置里、この里に筒川村あり。この人夫、日下部首等が先祖の名を筒川島子と云う。人と成り姿容は秀でて美しく風流なること類い
(丹後国竹野郡嶋児神社)◎浦嶋子(浦島太郎)神話(「日本書紀」による)【読み下し文】(雄略天皇即位廿二年)秋七月丹波国餘社郡管川の人瑞江浦嶋子が乘舟し釣りをしていた。遂に大龜を得たがたちまちに化して女となった。浦嶋子は感じて婦とした。ともに海に入り蓬萊山に到り仙衆を歴観した。別巻に語りが在る。【大意】(雄略天皇二十二年)七月、丹後国與謝郡筒川の人瑞江浦嶋子が舟に乗り釣りをしていたところ、大亀を釣り上げた。大亀はたちまち女に姿を変えた。浦嶋子は妻とした。妻に誘われるがままに海
伊去奈子嶽に上代に祭られていた筈の伊弉諾伊弉冉大神が、久志備浜に祭られて、伊去奈子嶽には羽衣説話によって、新たに、天女豊宇賀能売神が天降られ、式外ながら、藤神社を本宗として、式内比遅神社、及び富持神社等が祭られるに至って逸文風土記に、「天女八人降り来て水に浴す、時に、老夫婦あり、その名を和奈佐老夫、和奈佐老婦と日う、この老等、この井に至りて、竊かに、天女一人の衣裳を取り蔵しき」と見える和奈佐老夫婦こそ、この伊佐奈岐伊佐奈美両大神、即ち、伊佐奈老夫婦大神を説話化せられたものであろう和奈