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昨夜のブログのある方のコメントで「割下水」と云う言葉に触れられておりましたが、私錯覚と云うか頭が回っていなかったと云うかすき焼きの割下の事かと思い、トンチンカンなご返信を書いてしまいました。今日やはりコメントを下さる別のお客様からメールでご指摘を頂き顔が赤くなりました。その方のメールには「昨日のブログ投稿のお返事に、割下水と割り下の事に触れてらっしゃいましたが、割下水は、あくまで、生活排水用の掘割で、すき焼き用の、割り下は、正式には、割り下地ですから、規模的に、全く意味が異な
🔥慶安四年、江戸が揺れた―浪人たちの“最後の賭け”由比正雪の乱(慶安の変)🖋️第1章なぜ1651年だったのか?―時代背景■家光の死で揺れる政権1651年、3代将軍・徳川家光が死去。跡を継いだのは、まだ11歳の家綱。老中や大名たちは「実権がどこへ向くか」で神経を尖らせ、幕府は“隙”を抱えた状態にありました。■浪人問題という江戸前期最大の社会不安事件の大きな背景は、大量の浪人の存在です。関ヶ原以降の大名改易・取り潰し島原の乱(1637–38)後の武断
先日、家人が「丸橋忠弥」の幕見をしに参りました。「いくつか気になる言葉があったから、解説して~」と云われましたので、慌てて台本を持って帰って来ました。歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の第2部の「丸橋忠弥」私たち中間3人が引っ込んだ後、茶店の亭主勘介と丸橋忠弥の会話となります。忠弥は勘介に酒のあてに「刺身はねえか?」と問いかけ勘介がないと答えると1両小判を出して「町で酒と共に買って来い」と無理難題を云ってわざと江戸城のお堀端から遠ざけます。勘介が仕方なく行きかけるときに「身なり
昨日決まった清水寺の今年の漢字は「熊」でしたか。確かに今年は各地で熊の被害が多かったですね。でも、そのまんまのような気も致しますが・・・熊猫(パンダ)の返還もありましたし。この漢字が、今年だけのものになりますことを願います。2番目に多かったのが「米」でこれもわかります。未だに安くならないお米と「米」はアメリカにもかかっておりますから話題としてはこちらも一理あります。3番目が「高」これも物価高と女性初総理の高市首相にもかかっておりますから今の世相を表しております。
今日は出勤日ではないので、誤認衆のH口さん経由のご厚意で師走の芝居見物。「十二月大歌舞伎第二部」で、お目当ては、松緑の丸橋忠弥と獅童の芝浜革財布。これで本当に今年の芝居見物納めです。間違いない!さて、丸橋忠弥。松緑に尽きます。殊に最後の立ち回りは、屋根の上から縄のトランポリン(んな訳ない!)に飛び降りるなど大活躍でした。芝浜革財布。獅童はニンに合っていると思います。おたつは文七元結のお兼よりはマシと思いましたが、私には要りません。七代目菊五郎と時蔵(現萬壽)で観られたことを幸いと思って
今日も朝からカーリング男子の日本代表オリンピックの出場権を賭けた最終決定戦を見ておりました。昨日勝った中国が決定戦の相手でしたが残念ながら男子代表は第10エンドを残して負けてしまいました。これでミラノオリンピック、カーリング男子の日本は本戦に進むことができませんでした。昨日は女子の勝ってのうれし涙を見ましたが今日の男子は悔し涙でした。勝負と云うのは厳しいですね。その女子代表が今日は男子代表の応援に来ていましたが・・・。昨日「丸橋忠弥」の幕開き前に中間3人でカーリングの話を
12月大歌舞伎へ行ってきました。寺島しのぶちゃんとのご縁によって私は歌舞伎に何度もこうして訪れているんだなぁとしみじみ感じています。亡き母が自分の思いを乗せてあの世から私の代わりに歌舞伎座に行き続けなさいよと言ってるような気もしています。もしもしのぶちゃんとのご縁がなかったら私は歌舞伎座に行くと母を思い出し過ぎて泣けてきちゃうから行けなかったかもしれません。母もあの世からしのぶちゃんに感謝しているんだろうなぁ。母と観に行っていた頃は母の付き合いという感が抜けなくて観ていても
カーリング女子、日本代表今日の決定戦の相手ノルウェーに対し昨日の雪辱を果たし見事ミラノ・オリンピックの出場権を獲得しました。5対5の同点で勝負の行方はやはり第10エンドまでわからず第10エンド最終スト-ンでの勝利。昨日の戦い同様、3時間近くの息詰まる攻防でした。チーム・フォルティウスおめでとうございます。スキップの吉村選手、なんとオリンピック5回目の挑戦だったそうです。良かったですね。勝利の瞬間みんなが泣いておりました。昨日は休演日でしたのでゆっくりできましたが今日は歌
私の今日の歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の休演日は何もせずにゆっくりしておりました。お昼は少し早い時間に近くのラーメン屋さんへ。ここは最近徒歩圏内のラーメン屋の中ではお気に入りなのですが、平日にしか営業しておらず。行くタイミングが難しいのですが、今日ようやく行けました。午後からは女子カーリング、ミラノオリンピックの予選試合を見ておりました。今迄6連勝の日本チームがノルウェーと対戦。第9エンドまで9対7で負けておりましたが第10エンドに最終ストーンで吉村選手が2点を取る同点スト
歌舞伎座『十二月大歌舞伎』も初日の幕が開いて6日目が終わりました。今月の初日か2日目あたりに九州のお客様が珍しいものを歌舞伎座の私宛にお送りくださいました。京都の春秋座の催しに参加された折に東本願寺前で開催された骨董市で求められたものだそうです。1952年(昭和27年)の1月に発売されたある雑誌です。私が生まれる4か月前の雑誌で表紙が英語文字とは珍しいですね。73年前の雑誌です。表紙の写真は当時不世出の大スターと云われた十五代目市村羽左衛門丈の「助六」です。中の写真や記事も
昨日は歌舞伎座第2部「丸橋忠弥」の幕開きの私たち中間三人のお話をさせて頂きました。江戸城のお堀端で酒を呑んでおりましたが、もちろんここにお酒を提供する茶店がないとお酒は吞めません茶店があると云う事はここに茶店の亭主が居る訳ですがその亭主が勘介さんこんなところに茶店を出すと云う事は私たちの様な仕事帰りの中間などが多いのでしょうね。もちろん吞ませるのはお茶ではなくておちゃけ(酒)ついでにあてに煮込みも提供してくれております。今日の写真は私たち中間三人に酒を出してくれる亭主勘介。
松緑/権十郎/雀右衛門/齊入/中車/亀蔵/吉之丞/男寅/左近幕見で観てきました。松緑の丸橋忠弥は2015年の團菊祭で観ています。1651年に起こった慶安の変(軍学者である由井正雪を中心に浪人たちが江戸幕府の改革を目的に反乱を企てたものの未遂に終わった事件)が背景ですが、時代ものではなく全体に世話っぽさがあり、肝は終盤での大立ち廻りですね。ネタバレあらすじ(超簡単に)→反乱側の1人として大役を任されている丸橋忠弥(松緑)、江戸城の外濠端でお酒を飲みながら、密かに濠に石を投げて水の深
歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の第2部「丸橋忠弥」の私のお役は中間三人のうちの一人と云う事は昨日書かせて頂きました。仕事が終わって江戸城のお堀端で茶店の亭主を囲んで三人でお酒を吞んでおります。この三人の後にやって来るのが松緑さんの丸橋忠弥でこちらもかなり酔っぱらっております。三人の中間は市川新蔵さん尾上菊伸さんと私、猿三郎お稽古の時に松緑さんがこんな事をおっしゃりました。「この三人の中間、成田屋と音羽屋と澤瀉屋でそれぞれなかなかお家の色が出ていて見ていて面白いですよ。」と
歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の「丸橋忠弥」も3日目を過ぎて私のお役も少し落ち着いて来たでしょうか?私の今回のお役は幕開きの中間(ちゅうげん・・奴)3人のうちのひとりです。この3人、次のお芝居に繋がるわりと大事なことを話しております。云い間違えられないのが人の名前と場所の名前。あとからお芝居に大きくかかわって参りますからこれは間違える訳には行きませんですので毎回書いておりますが初日の幕が開いて3日目あたりまではどうしても緊張の連続です。明日あたりからお芝居も慣れてくる・・・と
今月の歌舞伎座、第2部の「丸橋忠弥」の演目。この物語に名前だけ登場する由比正雪や松緑さん演じる丸橋忠弥の名前を知りましたのは私が小学生の頃です。と云っても学校の歴史や社会の勉強の時間ではありません当時愛読していた『少年サンデー』に横山光輝さんのマンガ「伊賀の影丸」の第2部が「由比正雪の巻」だったのです。三代将軍徳川家光が亡くなってわずか11歳の家綱が世継ぎとなった時代。慶安の変と云われる幕府転覆をはかる由比正雪の陰謀が暴かれ一味の丸橋忠弥は大捕り物の末に捕らえられました。由比
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます今回の月経周期(ホルモン変化)的にちょうど重なって満月→新月に向けて私の具合が不安定になっていくと思います感情の爆発をぶつけてしまった人達にはわかってはもらえないのだろうことはつくづく。自分自身は自分自身が症状に呑み込まれていると感じていても向こうは私の身体から発せられる一つの事でしかないだから『もうお前そのものが嫌いなんだよ』となって理解を求めても心を強制することは出来ないからそれはどうしようもなくて脳と子宮を切
今日は歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の初日でした。初日からご観劇のお客様ありがとうございました。私も第二部「丸橋忠弥」の自分の出番、なんとか無事に初日が出ました(笑)コロナ禍前は各お部屋にご挨拶に伺えたのですが今は出来るだけ控えるようになりました。ですからご挨拶も「丸橋忠弥」の出演者に限られてしまいます。たまに廊下で色んな方にお会いできますが今日は2階廊下で久しぶりに門之助さんにお会いしました。門之助さんとは昨年の『ヤマトタケル」以来でしょうか?色んな方の楽屋にはもちろん超歌舞
本日、十二月大歌舞伎初日です。第1部「超歌舞伎」仲居第2部「丸橋忠弥」捕手怪我なく終えたいです。今年もあっという間の1年でした!地方公演が多く、立廻りの多い1年でした。2月松竹座での刀投げや10月歌舞伎座での吉野山(Aプロ)での返り越しなどもさせて頂きました。2025年舞台納めです、歌舞伎座でお待ちしております。
今日は歌舞伎座『十二月大歌舞伎』の全狂言初日通りの舞台稽古でした。超歌舞伎「世界花結詞」のお稽古も順調に進みまして「丸橋忠弥」のお稽古は予定より少し早い時間に始まりました。私は出番の後「丸橋忠弥」の幕切れまでは見せて頂きました。大詰めの「丸橋忠弥」の目玉となる大立ち回りは若い人たちが実に頑張っております。私も若い頃は猿翁旦那の立回りに何回も絡ませて頂きました。猿翁旦那との絡んだ手も出て来て懐かしく感じました。千穐楽までどうか怪我のない様に頑張って勤めて頂きたいと
今日は超歌舞伎「世界花結詞」の初日通りの舞台稽古の後「丸橋忠弥」の舞台稽古でした。映像から照明から最新テクノロージーを駆使した演目の後に超アナログ的な「丸橋忠弥」の演目。両方とも歌舞伎です(笑)楽屋でも「このギャップは凄いね」との話題でしたが、私たち年配組は「丸橋忠弥みたいな歌舞伎の方がなんだか気持ちが落ち着くよ」と、みんなが納得でした。でも今の若い人たちは超歌舞伎も抵抗なく受け入れられるのでしょうね。もっとも、「丸橋忠弥」も明治3年の初演。当時、江戸時代からの伝統的な歌舞
今日の「丸橋忠弥」の総ざらいは夕方からのお稽古でした。その前に「世界花結詞」の舞台稽古がありました。大掛かりですね。これは獅童さんが立ち上げられた超歌舞伎のシリーズで最新のテクノロジーの映像の初音ミクさんとのコラボが話題になりましたね。もう10周年にもなるのですか。私もテレビでの紹介は見た事がありますが舞台でナマに見るのは初めてでした。と云っても今日見られたのは終わりの方の少しだけでしたが・・・。明日は「世界花結詞」は初日通りの舞台稽古、少し早めに来ようかな?スーパー歌舞
今日で12月歌舞伎座「丸橋忠弥」の立ち稽古は3日目です。お稽古の前に立ち回りの稽古や他の演目のお稽古があったりして毎日かかりの開始時間が変わります。今日は先に「世界花結詞」のお稽古があったりその後安全祈願のお祓いなどがあり「丸橋忠弥」のお稽古は午後の時間が決められての掛かりでした。猿翁旦那のお稽古は開始時間だけ決めれており何が何時になるか全く時間の読めないお稽古でしたが今回の様なこういったお稽古は助かりますね(笑)初日が開くとみな通いの時間が決まってしまいますが今はまだ手探り
今日の歌舞伎座「丸橋忠弥」のお稽古は昨日に続いて2回目でした。前回にも書きましたが今回の「丸橋忠弥」の演目は今迄の上演脚本と少し違いまして書き換えられております。さらにこう云った演目には珍しく演出の先生が居られます。2022年に講談から取り入れられ松緑さんで上演された「荒川十太夫」の演出を手掛けられた西森英行さんです。私は初めてなのですが事細かな演出には定評がある方で「丸橋忠弥」のお稽古でも緊張致します。昨日今日はまだ付け立ちの段階ですので台本を持っていても構わないのですが主
見る前に3分で読む用のあらすじです。読み終わったら幕があがる前にスマホの電源を切ってね。約束だぞ!!・主人公は、江戸幕府の転覆をたくらんでいる。悪人というか野心家。・江戸城を攻略するために視察しているけど、怪しまれないように酔っ払ったふりをしている・酔っ払ったふりが、いかにも楽しそうなので、この場面が有名。・犬が吠えるので石を投げる。じつはお掘の深さを音で測っている。・幕府のえらい人が通りかかる。あ、こいつヤバいやつ、と、お互いすぐに気付く。・なんとなく会話する。のんきそうだけど緊
東京の今日は朝からとても暖かい1日でした。ここのところいいお天気が続いておりますね。昨日も寿猿さんの会で上野不忍まで行きましたからこれもいいお散歩になりました。今日も例によって散歩がてらお昼前にうちを出て有楽町まで出ました。またまた夕飯時のパンを買うためでした。家人が「目的がないと散歩行きにくいやろ?」と今日はここのお店のこのパンを買って来てとミッションを与えてくれます。仕方なく云われたお店へ行きましたが、他のパンはたくさん並んでいるのにお目当てのパンだけ棚から消えており
おはようございますいつもお読みくださりありがとうございます昨日は仕事中に苛立ちが発生し(↑人の表情や態度に敏感になって、状況を瞬間的に白黒判断したりもし、カッとしてしまいやすくなった)それが結局自己嫌悪モードを強くしたのでSSRI(エスシタロプラム)飲みました推し活に関連する感情的な部分は負の感情がつよく刺激されることはなかったけど(症状の悪化で主に運営との関係が破綻してしまっていることを起因にして推しやその周辺の人たちの様子を見ると憂鬱や癇癪的に絶望するパターンが私には出来て
「磐井神社」の次は、「天祖・諏訪神社」の御朱印をもらいに向かいます。が、ここでちょっと寄り道。磐井神社から徒歩15分ほどのところに「しながわ水族館」があります。いつもの私であれば必ず立ち寄るところですが、今はGW期間中。おそらく混雑していることでしょう・・・ということでスルーします。そのすぐ先には鈴ヶ森刑場跡があります。第一京浜沿いなので、交通量も多くあまり怖いという印象はありませんでした。ここは慶安4年(1651)に開設された江戸時代の刑場跡で、東海道に面しており元禄8年(1695)の
昨年末の12月26日に、わざわざ街道歩きのためだけに有給休暇を頂き、鎌倉街道中道の旅の第5回として、新宿御苑から十条までの10㎞+αの道のりを旅した記録のその4です。歩行ルートや立ち寄ったポイントは↓の地図の通り:正味で歩いた距離は11kmほどでしょう。その3では、神田川に掛かる面影橋の袂で、太田道灌に山吹を差し出した紅皿さんの伝説にまつわる「山吹の里」の碑をじっと見つめたところまでをご紹介しました(↓再掲)。面影橋の北側は暫く平地になっていますが、ここも神田川に地面を削
旧東海道歩きは「大森貝塚」を訪ねたあと、旧東海道に戻ります。JR線をくぐり国道15号線を渡ると「鈴が森刑場跡」があります。この絵の中央が東海道で、大名行列が鈴ヶ森の脇を通過しています。右が江戸湾で、海苔粗朶が見えます。左奥に見えるのが「鈴ヶ森刑場」で、目を凝らしてみると、題目供養塔と思われるものも立っています。『江戸名所圖會…鈴の森』「鈴ヶ森刑場」は、慶安4年(1651)江戸の南口(東海道)に開設された江戸の処刑場で、鈴ヶ森の名の由来は、先に記事に