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北登城口を下りて、御代川を渡り、道路に出ました。南へ移動して、北登城口方面を見る。滝川三郎兵衛城跡が川向に見えます。振り返る御代川つまり、「お城を取り巻く川」ということなんでしょうね。これは、天然の水堀。大きなお屋敷ばかりこのあたりのこんもりしたお山は、全部、砦または城跡です。気になって、お屋敷間の細い道を入ってみました。見事にドンタク(殺路)になっていますね。塀で囲まれています。なんと、国指定史跡もありました。町井家住宅町井家住宅メンテ
『三重の山城ベスト50を歩く』より縄張図ピンクの線が私が歩いた経路見事に西側の尾根をすっ飛ばしていました北のⅡ曲輪は、切岸の右下を歩きました。天守台南側低い土塁に囲まれているようです。『信長公記』(KADOKAWA)より北畠(織田)信雄が、上方へ出陣すれば自分が治める伊勢の武士や民衆が苦労する。ならば、隣国の伊賀を攻めていれば上方へ行かなくて済むと思い、丸山城あたりを(勝手に)攻めた。けれど、大事な家臣柘植三郎左衛門を失ったばかりか、敗走することとなった
「伊賀丸山城跡へ行きたい」というリクエストに従って、🍙を握って、お茶を持って、2月16日に登城してきました。「丸山城」という名前の城跡は、あちこちに見られて、刈谷市東境町にも丸山城跡があります。こちらは「三河丸山城」と呼ばれているようです。愛知の城丸山城shiro200303.sakura.ne.jp「丸山」という名前の山もありますが、もしかしたら、これも砦に使われていたかも~と思って見ています。さて。伊賀丸山城は、天正伊賀の乱のきっかけとなった城ということで
丸山城(瀬戸内市長船町服部)『吉備温故秘録』には、海佐介の後、虫明亦左衛門虫明市左衛門、虫明攝津の三代が居城すると記載される。また、『改修赤磐郡誌』では、山名氏が備前守護であった頃に天野左亮、宇喜多氏が邑久郡を支配下に置いた後は虫明氏が居城したと記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)登山口の祠現地説明看板南三郭南二郭南二郭の「丸山大師堂跡地」の碑祠が立ち並ぶ主郭丸山城遠望軌跡ログ瀬戸内市の城
鹿帰前丸山城(和気郡和気町日笠下)別名:丸山城和気郡日笠下村の城館として、『備陽記』では「円山古城山跡」、『備陽国誌』は「鹿帰前丸山城」、『東備郡村誌』は「鹿備前丸山壘址」、『撮要録』は「鹿帰前円山城」の記載がみられ、本城跡はこれらに比定される。なお、これらの近世地誌類では在城者は不明である。ただし、『和気郡史資料編下巻』には日笠太郎左エ門が居城したとされる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北二重堀切(北)北二重堀切(南)帯曲輪状の北東二郭主郭主郭北西腰曲輪
トップページ都道府県別索引へ三重県の索引へ城の恐らく西端まで行くのにはかなり時間がかかったが、戻るときはあっという間だった…やっぱり写真やメモを残しながら進むと時間がかかる…😅そんなわけで主郭の東端まで戻って、「↙町井家」とある道標に従い北尾根の方へ。出だしはササヤブの中の頼りない道…すぐに植林地の中へ入ってゆく。道は右へ折れて城の東の側面に沿って降りてゆくようになるが、もう少しだけ直進してみる。しばらくすると、左手に土塁が見えてきた。そして、主郭の先端。東端の虎口から
トップページ都道府県別索引へ三重県の索引へ南の尾根から主郭まで登ってきた次は、西へ伸びる尾根へ入ってみることにした。天守台の登り口の下に神戸神社へ降りる道が出ているが、けっこう深く掘られた堀底状になっている。少し入ってから、主郭を振り返ってみる。その先は、主郭の下にくっつくような小さな曲輪になっていた。ここの西側に開口した虎口と、先へ続く尾根。向こうまで、伸びやかに続いてる✨この虎口、北側に立って俯瞰してみると、ここも立派な堀底状なのが見える😮この北側、天守台の裾には帯曲
トップページ都道府県別索引へ三重県の索引へ丸山城は伊賀の町から南に国道422号や伊賀鉄道線ぞいに南下し、丸山駅チカの木津川右岸にある。小さな山ひとつを丸ごと城塞化したようなもので、周囲に出城らしきもあるとか(今回出城は訪問せず)。伊勢、伊賀を支配下に置き国司を名乗っていた北畠具教が天正四年(1576年)から隠居城として築き始めたが中断、養子に入っていた織田信雄が2年後に修築を始めた。これを阻止せんとする伊賀の在地領主たちに不意を突かれて城は落ち信雄は伊勢に敗走した。これが2度にわたる
和田竜さん「忍びの国」は嵐の大野智さん主演で映画化もされた小説です。残念なことに筆者は映画は見ていないのですが、小説では主人公である孤高の忍び・無門が嫁さんから兼ね稼いで来いと言われて丸山城の普請に人足として加わり、せっせと日当の小銭を稼ぎながら完成間近の丸山城を丸焼きにする、みたいなシーンが描かれていました(正確かどうかは記憶の範囲なので危なっかしいですが)。史実としての丸山城は、北畠具教が築城しかけていたお城を織田(北畠)信雄が引き継ぎ、伊賀支配の拠点とすべく築城を進めたものの、伊
鶴山城(備前市畠田)別名:丸山城『備前記』・『備陽記』には和気郡畠田村の村艮(北東)に「古城」、また、和気郡香登村に「鶴山古城山」、『備陽国誌』には和気郡畑田村に「鶴山城」が所在したと記す。この3書は城主不詳。『吉備温故秘録』には香登本村の南に浦上宗久が「鶴山城」に居城したと記す。『撮要録』には和気郡畑田村に城主不詳の「丸山城」が所在したと記す。『岡山県通史上編』では和気郡鶴山村畠田の「鶴山古城」、『日本城郭大系13』では備前市畠田の「鶴山城」で詳細不明と記す。当地は国史跡丸山古墳の墳丘を曲
小串城(岡山市南区小串)別名:丸山城・小串台場元亀3(1572)年、高畠和泉守築城。台場は文久3(1863)年、岡山藩の海防強化施策に基づき建設。近世地誌類には、小串次郎左衛門秀行、小串三左右衛門、小串五郎兵衛秀信、高畠和泉守、高畠市正などが居城したと記す。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)稲荷大明神南石垣?主郭主郭の西土塁主郭の東土塁小串城遠望軌跡ログ岡山市中区・岡山市南区・旧児島郡灘崎町の城
丸山城(岡山市南区片岡)詳細不明。北東尾根に堀切?主郭北東腰曲輪主郭西二郭西三郭西四郭丸山城遠望軌跡ログ岡山市中区・岡山市南区・旧児島郡灘崎町の城
丸山城(玉野市八浜町波知)別名:小丸山城『備陽国誌』・『吉備温故秘録』等に記載された佐々木盛綱が居城したとする児島郡波知村の「小丸山城」に本城跡は比定される。ただし、実際は後代のものと考えられる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)自然地形の東五郭自然地形の東四郭自然地形の東三郭土塁状の東二郭南下の南東曲輪南東竪堀東堀切北横堀北西竪堀群が四条西帯曲輪南西腰曲輪主郭の南竪堀南帯曲輪主郭主郭の西土壇主郭の北東土塁(北部)主郭の北東土塁(東部)
上合地砦(真庭市下呰部字上合地)城主や築城時期などは伝わっていないが、『北房町史』には、丸山城の御根小屋と想定すると記載される。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第2冊備中編より)南西二重堀切(南)南西二重堀切(北)南西三郭(曲輪Ⅱ)南西三郭(曲輪Ⅱ)上段南西三郭(曲輪Ⅱ)北部南西二郭主郭西腰曲輪下段主郭西腰曲輪上段主郭主郭東腰曲輪主郭東腰曲輪の東土塁帯曲輪状の南三郭(曲輪Ⅲ)東堀切自然地形の東二郭上合地砦遠望軌跡ログ旧上房郡北房町の城
三重県伊賀市にある丸山城の御城印を買って来て貰いました。
史跡めぐりの記事です。今回は、三重県伊賀市枅川にある丸山城です。織田信長による「天正伊賀の乱」の原因となった城です。丸山城(まるやま)北畠氏の養子となった織田信雄(北畠信雄)は天正6年(1578)、伊賀の領国化を図るために重臣の滝川雄利に命じて丸山城を築かせました。これに反発した伊賀の国人たちによって攻められ、城は落城して一揆軍に占領されました。その後、織田信長による第一次、第二次と二度にわたる「天正伊賀の乱」と呼ばれる鎮圧戦が行われ、伊賀を完全に領国とし、雄利を再び城主としました。
西宮市山口町下山口にある丸山神社へ愛犬プクを連れて行って来ました〜!前からR176から丸山浄水場へ登る道に大きな鳥居が見えていて、その先に何があるのか気になっていました。愛犬プクの散歩がてら、今日家人と3人で行ってみました。丸山浄水場の貯水タンクを通り過ぎると小高い山の登山道があり、450mほど上がったところに丸山神社がありました。途中の道は狭いですが整備されていて歩きやすいです。登る途中で西宮市の北六甲台がよく見える場所があります。そして山頂に丸山神社がありました。戦
伊賀忍者のエピソードのテレビ番組を見て伊賀丸山城に行きたくなって伊賀遠征を計画した。20日に行ってきた。伊賀丸山城のどでかい石碑を見て既に攻めた城であることに気づいた。知っていれば計画しなかった。雨請山城9:00-9-50前々日に行程に加えた。天正伊賀の乱で落城した城、砦の数は非常に多い中で「激戦」というキーワードに該当するこの城に行ってみたくなった。比自山、柏原城、伊賀上野城(永楽寺)には行ったことがある。参考サイト雨乞山城・竹内氏城・寺坂氏城・山内氏城稲増氏城菊
「令和伊賀の乱」に出陣したが、ナビの入れ間違いで予備として入れてたいちばん遠いとこにある城を目指してた。気付いたとき既に遅し!おかげで約2城攻め撮れずまあええわ三重県伊賀市枅川伊賀・丸山城(まるやまじょう)丸山城は、天正3年(1575)に伊勢国司の北畠具教が伊賀平定のために築いたが、伊勢に侵攻してきた織田信長さまに対抗するために伊勢大河内城に籠城。その後、織田信長さまのアホぼん初号機二男信雄を養嗣子とすることで和睦となる。その北畠(織田)信雄が家臣の滝川三郎兵衛(雄利)に命
「王子が谷の廃寺」。志都呂から大久保工業団地に抜ける道。(王子が谷標柱:静岡県浜松市中央区(旧西区)志都呂町300-355)駐車場なし。トイレ・自販機なし。以前から違和感の強かったこの谷。乳母ヶ池と敦文親王の伝承を知り「それならば付近に寺があったはず」と考え調べ「含輝寺」という臨済宗妙心寺派の寺院があったことにたどり着き廃寺になった時に志都呂の「妙相寺」に合併したことを知るもそこに敦文親王の墓は無く「これじゃない…」という感じ。他
豊福構(佐用郡佐用町豊福字丸山)別名:丸山城・小屋場山城貞和五年(1349)別所敦範(赤松円心の甥)が豊福村を采地として受領し、ここ丸山に構を築いた。敦範は数年後平福に利神城を築いてこれに移ったため廃城となった。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)図に無い南二郭主郭帯曲輪状の西二郭北西横堀激しい薮の東二郭東二郭の東土塁豊福構遠望軌跡ログ旧佐用郡佐用町の城
丸山城城主遠山氏らしい遺構?主郭らしきは直径15m程の円状の平地↑以外は????岩村遠山氏の街道押さえの10か所作られた砦のひとつらしいここ丸山城と阿寺城が本城?ってことは付近に館でもあったのかな?で丸い曲輪は物見の櫓台くらいかも~~確か丸い以上ですが・・・付近にあった史跡をふたつ↓義仲駒つなぎの桜↓廣齊院遺趾広済院?東山道の美濃と信濃の難所神坂峠の両坂に
今回は糟屋郡へ向かいます城の跡、古墳、神社と揃ってる神地域目的地はあの山ですこの周辺は自然が多くてサイクリングには最適ただ曲がり角に信号や目印になる建物が無くマップで確認しながらになります麓に着くと以前迷った時に通った事がある場所やった・・・・表通りでなく神社側から登るのを確認していたので迷わずに到着まずは向かって左からどの角度で撮っても逆光良い感じですクルっと後ろを向くと《大隈御霊神社》化粧された狛犬
丸山城址公園へ行ってきました!動画はこちらから丸山城址公園丸山城址公園へ行ってきました!近くにある高部屋神社さんへも行ってみました。パワーがすごかった!✿Bloghttp://ameblo.jp/ryuablog/「りゅうあのひとりごっこ」✿twitterhttps://twitter.com/Ryuacakesandale✿Instagramhttps://ins...youtu.beこの階段は!!走りたくなるね!(走った)笑さてさて、丸山城址公園到着です。道がめっちゃキレイ
河原城へやってきました復元のお城なのであまり興味はないのですが次の予定まで少し時間があるのでちょっと寄ってみましょうかわいらしい山城あらま景色はなかなかいいじゃない里山って感じ中にははいらず周囲をぐるりしましょ遠くからは小さいなぁと思ってましたが丸亀城よりはるかにおっきい笑桜の木がたくさんあったからあと2週間早かったらめちゃくちゃ綺麗だっただろうなぁでも桜が終わったあとの新緑好きです鳥取は高い建物ないので高台に登ると美しい景色がひらけます八上姫と大国主命
ご訪問ありがとうございます🍀中2階のあるお家に憧れて中2階和室のあるお家を建てました𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧ピグ子(小5)・ピグ太(小2)ピグ吉(年長)・ピグ坊(1才)4児とピグ夫の愉快な6人家族子供たち中心の過ごしやすいマイホームにしていきたいと日々奮闘中よろしくお願いします(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾こんばんは、ピッグですしばらく前になりますが、ついに家族みんな元気に『福井旅行🦕』へ行くことができました\(^o^)/そこで旅行の記録をしておこうと思います***前々から計画して
前回告知した年度末進行のスケジュール通り、本日は来たる2024年4月6日の城の日に実施される城郭変更についてのお知らせとなります。毎度のことで恐縮ですが、城郭変更に伴い変更前・後の周辺に所在する城郭の攻略範囲も大きく影響を受ける場合があります。重複状況、城なし空白地帯、攻略実績、遺構、写真・口コミ投稿状況など、様々な要素を考慮した上での変更となりますので、ご理解とご了承の程、何卒よろしくお願い申し上げますm(__)mそれでは変更の詳細を見てみましょう。白巣城跡ドローン空撮
城を観る今回は...(撮影2021/02/16)丸山城(伊賀国)〜解説板丸山城跡〜伊賀最大級のッ規模なのねッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/02/16)丸山城(伊賀国)〜石碑丸山城址〜石碑ッ発見ッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る今回は...(撮影2021/02/16)丸山城(伊賀国)〜登城口〜ここからッ行けるかなッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村