ブログ記事20件
「外野とは?」https://ameblo.jp/gameyarimakuri/entry-12963231166.html『外野手とは?』大きく分けて、守備位置には内野と外野とに分かれます外野(=OutField)は内野(=InField)を守る選手の背中側を守ります打者から見て右方向にいるのが…ameblo.jpでも記しましたが、内野手とはInFieldつまりFieldの内側を守ることを意味します一般的には一塁手・二塁手・三塁手・遊撃手の4種類のポジションを示しますしかし上
こんにちは!本日のテーマは【野球】「野球という言葉の由来」です!雨が続き草野球ができておりません。苦笑外に出られないといかんせん何もできないので、たまには「野球とはなんぞや」という角度から野球への思いを馳せてみようと思います※画像は生成AIを使用しております【野球という言葉の由来】明治時代に中馬庚(ちゅうまかのえ)さんという教育者が「Ballinthefield(野原でする球遊び)」を日本語に翻訳したことが始まりですそれ以前は、明治初期にアメリカから伝わってきたこの
野球というスポーツが日本にやってきたのはいつ頃でしょうか?アメリカからベースボールが渡来したのは明治5年(1872年)頃現在の東大の前身のさらに前身開成学校ではじめて行われたといわれています。(詳細割愛)今では老若男女ベースボールというより当たり前のように野球というと思われますが、いつごろから「野球」という訳語が現れたのか?それは中馬庚(ちゅうまかなえ)という人物が1894年にベースボールの教則本を執筆中にBallinthefieldと
アメリカからベースボールが渡来したのは明治5年(1872年)ごろ現在の東大の前身のさらに前身開成学校ではじめて行われたといわれています。今では老若男女ベースボールというより当たり前のように野球というと思われますが、いつごろから「野球」という訳語が現れたのか?それは中馬庚(ちゅうまんかなえ)とい方が1894年(明治27年)にベースボールの教則本を執筆中にBallinthefieldというフレーズをもとに訳したものです。もちろん、日本の野球殿堂
2月最初の日曜日(1日)は、家族で、豊中稲荷神社へお出かけしました。。阪急・豊中駅より徒歩10分(上り坂なので💦)で、稲荷神社へ到着。。創建は不詳ながら、行基がいた奈良時代には現存したと言われています。。1578年、織田信長による伊丹城主・荒木村重攻略の際、高山右近に命じた摂津国一円の社寺焼き払いの災厄に遭いました。。こちらの神社には。。。今年、私は厄年(丙午)なので厄払いしようとやって来たのですが。。。この厄割桃に息を吹き込み、厄割石
冬になり、頑張って探してもエノキタケくらいしか見つからないと推定され、来年3月のショウロやハルシメジ探しまでキノコ観察はお休みすることにしました。代わりに松山市内を歩いて句碑を探して彷徨いています。松山は俳句の改革者とされている正岡子規の出身地であり、句作が盛んで句碑がポツポツ設置されています。道後温泉入り口の子規像道後温泉の入り口にはカラクリ時計があり、その隣に野球のユニフォーム姿をした子規像があります。正岡子規は野球好きで、大学予備門(現東大教養学部)在学時は野球に熱中していました。野球
上野公園の東京文化会館裏あたりに、正岡子規記念球場というのがあり、よく草野球をやっているのだが、今日の社会人らしき団体は、外野が5人、内野が6人もいて、ワイワイガヤガヤ楽しそうで、つい見入ってしまった。子規の幼名がのぼるなので、野球(の・ボール)の命名者と聞いていたが、実は誤報で、中馬庚(ちゅうまんかなえ)という人が命名者で、野球殿堂入りもしているのだそうだ。狭い球場なので、公式戦はできなさそうだが、左中間に飛んだ球を5人の外野手が追う姿は滑稽で、草場の陰で子規も笑っていよう。
正岡子規が野球という翻訳語を作った。というのはどうやら誤解らしい。野球の名付け親=正岡子規ではなく、テニスを「庭球」と訳した人物だった…なぜ子規説が広まった?:東京新聞デジタル<スポーツ探偵>球春到来。日本と米国、それぞれの春季キャンプの映像を見ていたら、ふと、「ベースボール」を日本で初めて「野球」と訳した...www.tokyo-np.co.jp正岡子規は前半で死んでしまうが、秋山真之との友情、妹律と真之の淡い恋は全編を通して一番のシーンだったかもれない
ベースボールを野球と訳したのは、誰でしょう?・・・そう問われたら、「正岡子規!」と答える方が多いかもしれません。私も昔からそう聞いていました・・・が、実は違うんです。初めて〝野球〟という言葉が正式に文書として世に登場したのは、今からちょうど130年前の今日・1895(明治28)年2月22日に発刊された、『一高(※第一高等学校の略)野球部史』。同書を執筆し、〝野球〟と翻訳したのはちゅうまんかなえ中馬庚(1870-1932)という教育家でした。
今朝(2025年2月20日)の東京新聞の最終面に「野球の名付け親=正岡子規ではなく、テニスを「庭球」と訳した人物だった」という興味深い記事が掲載されていた。うーん、これは我が畏友、岡野進さんの著『正岡子規と明治のベースボール』に触れているはずだ、と思って目を通したのだが、「え?!ない、なんで」。
高校野球が始まって高校野球の聖地に圓満寺蛍池の圓満寺を訪ねたここには野球の歴史に欠かせない人が眠ってるなかなかいい雰囲気木陰でちょっと休憩奥の墓地にあった「野球の名付け親」中馬庚(ちゅうまん・かなえ)野球と言う歴史の1ページを築いた人だねちゃるの住んでる近くには凄い人がいたんだねあうっ可愛いお地蔵さんお邪魔しました🙇☆即納追跡可☆アメリカドナルド・J・トランプ大統領1オンス銅メダル【500枚】(コインチューブ付き)(正
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者はあらじ(わこうどのすなるあさびはさわにあれどベースボールにしくものはあらじ)正岡子規今日は一つだけ仕事して、昼ごはんの為の駅前スーパーに行く。気温は20度ありそうだが台風並みの大風が吹いている。まったく気づかなかったが、今日は海辺でマラソン大会が行われたようだ。「北下浦ふるさとマラソン大会」という大会で、最長でも10キロマラソンという気軽なマラソン大会である。毎年、「来年こそトレーニングして参加しよう」と思
今日はベイスターズ新ホームユニフォーム及びスローガンの発表の日程が1月23日と発表されました。果たしてどのような新ホームユニフォームになるのでしょうか…さて、今日は野球殿堂が発表され…プレーヤー表彰に外国人選手では初の日本での2000安打を達成した前横浜監督のアレックス・ラミレス氏エキスパート表彰に2度の三冠王を達成した元阪神のランディ・バース氏が選ばれました。アレックス・ラミレス氏はベネズエラ・カラカス出身18歳でマイナー契約となり1998年にメジャ
東京国立博物館、故宮博物院、凸版印刷、紫禁城内の宮殿「倦勤斎」をVRで日本初公開凸版印刷現地の見学では立ち入ることができない宮殿建築が鑑賞可能東京国立博物館平成館での特別デジタル展「故宮の世界」と連動上演.【話の肖像画】「すしざんまい」喜代村社長・木村清(22)常識破りのすし店で築地を救え産経ニュース平成13年4月にオープンしたすしざんまい本店.(21)へもどる.《バブル崩壊で国内最大の魚市場がある東京・築地にも空き店舗や更地が目立ち始めていた...天皇皇后両陛下「明
まずは午前中のうちにこちらへ。機関車のある街。笑。繁華街の中にあるこちらへ。代参です。まさに繁華街と寺社の関係が良くわかる位置関係ですね。で、こちらのジンジャーはこれまた「今のTV」にもよく取り上げられているらしくて・・・寺社と繁華街、そしてTV・・・これを因数分解すると、その共通因数は・・・。ハ〜イ。例大祭が近いらしく、お神輿も拝見させていただくことができました。ありがたい。今後ともどうかお護りください。お使いが終わり・・・ワシは久しぶりの都心ということで・・・こちらへ・・
2022年は野球が日本にやってきて150年の節目です。アメリカからベースボールが渡来したのは明治5年(1872年)ごろ現在の東大の前身のさらに前身開成学校ではじめて行われたといわれています。(詳細割愛)今では老若男女ベースボールというより当たり前のように野球というと思われますが、いつごろから「野球」という訳語が現れたのか?それは中馬庚(ちゅうまかなえ)という方が1894年にベースボールの教則本を執筆中にBallinthefieldというフレ
記憶に残る野球選手は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう最近よく「歴史の改竄」が見受けられる。主に隣の国の人のせいだろうが、悲しい事である。野球の世界にもこの困った事例が発生している。それは『野球』という言葉の生みの親に関してである。「野球」は言うまでも無く、アメリカから輸入された団体スポーツであり「ベースボール」を日本語に訳した言葉である。これは中馬庚(ちゅうまかのえ)という大変古風な人がいくつかあった候補の中から選別して明治27年に造った名称なの
🐸「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお侍ジャパン金メダルおめでとうございます!!しゃかもとキャプテン、ほんまお疲れ様でした。。。。。(^^)そして、試合終了時の和田さんみて、わたしもアウトとなりました(泣)すっごいまだまだ心が震えてて、全然寝れそうにないですw長嶋さんはお休みになられたかな。。。(^^)🐸「悲願の金メダル本当におめでとうございました!!」(決勝後の追記終わります)(ココからこの日の本文です)今日はいよいよ🐸「野球の決勝だーーー!!」誰か知らんけど
アメリカからベースボールが渡来したのは明治5年(1872年)ごろ現在の東大の前身のさらに前身開成学校ではじめて行われたといわれています。(詳細割愛)今では老若男女ベースボールというより当たり前のように野球というと思われますが、いつごろから「野球」という訳語が現れたのか?それは中馬庚(ちゅうまかなえ)という方が1894年にベースボールの教則本を執筆中にBallinthefieldというフレーズをもとに訳したものです。もちろん、日本の野
根岸から言問通りを下谷へ向かって歩いています。根岸一丁目交差点。下町を歩いていると、あちこちでスカイツリーが顔を覗かせます。テリー伊藤に遭遇。そっくりですね。眞源寺に到着。境内に入ると、右手に下谷七福神の福禄寿が祀られています。残念ながら本堂は改修中でした。屋根を突き破って伸びる樹木。朝顔市で有名な入谷鬼子母神。その様子を描いた浮世絵が、絵馬の上に掲げられています。柘榴の木の下に、根岸で晩年を迎えた正岡子規の句碑が建
以前紹介した元同僚の岡野進さんの『日本野球の源流』が10月28日の「山梨日々新聞」に掲載された。<横向き、ごめんなさい>なかなかよく書かれている書評であり、うれしい限り。書評では紹介されていないが、当時の一高が横浜にいたアメリカ人のチームと四回も試合(初の国際試合)した時の模様、さらには一高対三高の応援合戦の様子など、面白い場面も満載である。またベースボールを「野球」と訳した、鹿児島出身で一高野球部で活躍した中馬庚(ちゅまんかのえ)に関するエピソードも書かれていて、同県人としては
今宵も「爺ィの夜話」をどうぞ!第199話は・・今日8月9日は野球の日スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが制定。同店の公募で決定した「スポーツ記念日」の一つ。日付は「や(8)きゅう(9)」(野球)と読む語呂合わせと、高校野球の期間中で野球に対する関心が高まる季節であることから、記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。野球は1839年に、ニューヨークのクーパースタウンで、アブナー・ダブルディーという人によって始まったと言う伝説があります。アブ
みなさま、ごきげんよういつもご訪問いただきましてありがとうございます。今年の夏の全国高校野球選手権大会は、中止となりましたね。…さすがに辛い告知でした。来年も、甲子園はある。でも、彼らの春と夏は、今年しかない。高校生の頃は、今思ってもとても貴重な日々。ましてや、野球に命がけで取り組んできた球児たちにとっては、練習すら思い通りに出来ない中での宣告となりました。記者会見された連盟のかたも辛かったでしょうね…もちろん、野球だけでなくほぼ全てのスポーツイベン
畏友の岡野さんが『正岡子規と明治のベースボール』の続編ともいうべき本書を刊行した。2020(令和2)年3月10日付であるから、できたてのホヤホヤである。章立ては以下のようになっている。多くの資料や写真が盛り込まれているが、面白いエピソードが満載なので、読みすすめると止まらなくなってしまう。第1章アメリカ近代ベースボールの誕生と発展第2章ベースボールの日本伝来とその後第3章正岡子規とベースボールを通して第4章一高(第一高等中学・高等学校)野球部の発展と覇権確立第5章慶応義
〈中馬庚先生記念試合〉鴨池市民球場2020年3月6日(金)東京大(A)vs鹿児島大学東大010000001=2鹿大000000000=0東大(投)井澤ー平山ー横山ー松田(捕)大音ー渋谷鹿大(投)帖佐(捕)重久昨日、鹿児島県鴨池球場で、「Baseball(ベースボール)」を「野球(やきゅう)」と訳した最初の人物として著名で野球殿堂入りしている、鹿児島県出身の中馬庚(ちゅうま・かのえ)氏を称えて「日本野球誕生125周年中馬庚先生記念試合」が東大と鹿児島大の間で行わ
畏友の一人である岡野進・明海大学名誉教授から一冊の本を贈呈された。2015年11月のことであった。その本とは『正岡子規と明治のベースボール』(創文企画)である。贈呈された時に、「え?!」と驚いた。何故か。彼は野球の専門家ではなく、陸上競技それもフィールドが専門であり、選手としても指導者としてもすぐれた人物なのに、なぜこんな本を書いたのか、さっぱり分からなかったからである。かつて山梨県立女子短期大学で同僚(私の在職期間1976年9月~1982年3月の間)として一緒に仕事をし、飲んでいた頃
5月4日のブログで「ベースボールから野球に~明治野球人の軌跡②」を紹介したTwitter上で、管理人が「正岡子規はベースボール用語の日本語化に関していない」と書込みをして、正岡子規が本当にしていないかのか?という意見交換があり、野球雲ブログのバックナンバーにその周辺を書いたものがありましたのであらためて再録いたします。不定期連載野球サイコロゲーム『インパクトベースボール八川社』の主催者牧哲夫さんのブログです。我が師匠宇佐美徹也さんには数多くの事を教えてもらいました。近頃