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⛩️権力と祭祀の「鉄壁の結合」:藤原氏と春日大社の絶対支配構造を解き明かす【問いかけ】あなたは、なぜ奈良の春日大社が、他の追随を許さない**「別格の格式」**を持っているのか、その深奥な理由を知りたいと思ったことはありませんか?それは単なる「古い神社」という枠には収まりません。歴史の教科書で習う藤原氏という、古代日本の運命を千年近くも握り続けた巨大な権力と、この神聖なる社は、一体どのような**「絶対的かつ秘密めいた関係」**で結ばれていたのでしょうか?また、「春日」という地名と同じ
⛩️【古代史の真実】春日大社と春日氏の謎:藤原氏が築いた権力の殿堂🌸序章:いにしえの都に映る「二重の鏡像」—あなたが抱く誤解を解き明かす鍵あなたは今、神鹿が遊ぶ、荘厳な奈良の地、春日大社の朱の鳥居の前に立っていますね。「春日大社」という名を聞けば、誰もが**「春日氏」**という一族が、その創建に深く関わっている、あるいは氏神を祀っていると、反射的に思い込んでしまうのではないでしょうか?実は、あなたの心の奥底に秘められたこの古代史への探究心は、まさに歴史が仕掛けた最も精妙な
飛鳥時代における権力闘争も凄まじく、蘇我系VS石川系VS息長(おきなが)系の構図であったわけです。このいずれの氏の妃の子が、天皇になるのかにおいて熾烈な争いが繰り広げられるわけです。蘇我氏と石川氏(河内石川氏)は、武内宿禰大田根命を通じての親戚同士ではあっても、三国国造家の蘇我本家は、元々は旧東出雲王国・磯城登美(富)家の分家であり、石川氏とは、系統が違う氏族となります。ちなみに、記紀における蘇我馬子、蝦夷、入鹿の蘇我氏は創作上の人物たちで、実在の石川氏が、そのモデルになってい
中臣氏・藤原氏の先祖について改めて教えてほしいということで、再度まとめました。中臣氏、藤原氏の本来の祖神は、海村雲命の長男、神八井耳命となります。しかし、神八井耳命は、海部・大和王朝の王にはならず、弟(綏靖天皇)に王位を譲っています。ただ、元は海部王朝の直系筋にあったわけです。神八井耳命の母は、蹈鞴五十鈴姫で、東出雲王国の八重波津身命と三島家の玉櫛姫(活玉依姫)との娘になります。更に、中臣氏、藤原氏は、西出雲王国の流れとなる五十猛命(海村雲命の父)の子孫にもあたるということは、東西出雲王
いつもご訪問ありがとうございます。*・・・*★*・・・*★*・・・*★*・・・*天児屋命ーあめのこやねのみことー別名天児屋根命天之子八根命天兒屋命中臣神『日本書紀』でも、天児屋命と記載。思金神ーおもいかねのかみーが考えた、天照大御神を、天岩戸からお出まし頂く方法が、良い策かどうか、布刀玉命ーふとだまのみことーと共に、太占ーふとまにーで占った神様です。また、思金神が考案した天津祝詞の太祝詞事ーあまつのりとのふとのりとごとーを、天岩戸の
2019年の5月頃大祓祝詞(大祓詞)を暗記しました覚えようと思ったきっかけは当時神社巡りで同行させていただいていたグループの全員が暗記をされいて自分も暗記出来たらかっこいいと思ったからでしたそういう浅はかで幼稚な理由です大祓祝詞(大祓詞)を暗記後最初から最後まで奏上できたとき達成感はありつつも気持がスッキリするとか心が軽くなるとかそういった効果を感じたことはなかったように思います記憶にないだけで何処かにそう書いていたらごめんなさい暗記して数年後大祓祝詞
【起稿2025年6月30日記事】※この記事で引用した全ての画像は著作権に配慮し削除しましたm(__)mおはようございます🙋今朝も東京は雲は有りますが晴れ間もあり、良い天気です⛅今日は「夏越の祓」の日ですね...「夏越の祓」は、6月の晦日、すなわち6月30日に行う「大祓」の行事です。※画像は借用いたしましたm(__)m「大祓」は、私も「歴史的解釈」シリーズ記事の「三貴神誕生」の回に書いた黄泉の国から逃げた伊弉諾尊が筑紫の日向でした禊ぎを由来とする日本の神道儀式の祓の一つで、日本人
以下、戸矢学『怨霊の日本史――蘇我・物部の抹殺』(河出書房新社、2010年)から引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーp.2飛鳥という時代は私たちのイメージとはだいぶかけ離れていて、実は朝廷での権力闘争が最も熾烈であった時代でもある。大君[おおきみ](天皇)の権力構造や政治体制がいまだ定まっておらず、その後継を巡って実力行使、すなわち殺し合いがおこなわれるのも珍しくなかった。とくに蘇我氏が台頭し、権力を一手に掌握した時代であり、また蘇我氏を滅亡させた時代
【超図解】唱えてはいけない「大祓」全体を3つに分け解説すると、まず冒頭神々を使役する立場を主張し「天御陰=#ツクヨミ(#スサノウ)」と「日御陰=#アマテラス(#ワカヒルメ)」を「隠=幽=カクリヨ=黄泉=死の国」へ追いやる。→(遠隔地「伊勢」に封印)そして中盤「天金木=金属精製氏族=物部など」「天スガソ=蘇我氏の祖」「オチカタ=越智方=三島大祝(ミシマオオホオリ)=大三島大山ツミ海神族」の「本=モト=始祖」を刈り断ち、「末=子孫」を絶やすと、「八針」で呪い(針を使うの
読書会記録『竹取物語』R7.3.15(土)9時半~実施。参加者が多く、楽しい同窓会になった。持ち込みで高度なレポートも入って、勉強になった。1『竹取物語』あれこれ(担当:N)*テキストは、角川ビギナーズクラシックスが入手しやすい。全文ある。新潮の古典集成の解説が詳しい。*現存最古の作り物語。「物語のいできはじめのおや」と言われる。『伊勢物語』など歌物語の系譜と、『竹取物語』など作り物語(輝く姫)の系譜を、総合したのが『源氏物語』(光る君)と言われる。*『竹取物語』は
明けましておめでとうございます🙇♀️早々の訪問ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。年を越してしまいましたが、茨木市文化財資料館で行われた講演会の続きです。維摩会(ゆいまえ)近畿圏にある藤原鎌足ゆかりの荘園14か所が維摩会の経済基盤として奈良興福寺に寄進されました。その時点で藤原家とゆかりの深い小作に出していない荘園が2か所ありました。その一つが茨木市の沢良宜(さわらぎ)です。これを根拠に吉川先生は乙巳の変に先立って鎌足が隠居していた「三島」(日本書紀に登場)
『栂・美木多』のサインがきたので調べてみると、堺市の美多彌神社に繋がったので12/10に行って参りました。25年ぶりぐらいに栂・美木多駅を降りて、懐かしかったです。美多彌神社は駅から遠いので、今回もレンタサイクルで。登録してるHELLOCYCLINGが駅前にあったので借りました。ABOUT|シェアサイクルのHELLOCYCLINGHELLOCYCLING(ハローサイクリング)についてご紹介します。どこでも借りられて好きな場所で返せる電動アシスト自転車のシェアサイクルのサービス
開館40周年を迎えた茨木市立文化財資料館を初訪問(11月30日)。お目当ては京都大学を退官されたばかりの吉川真司先生の講演「古代の三島と藤原鎌足」。先生は文献史学の立場から日本古代史を研究されています。考古学の菱田哲郎先生とは京都大学やそう。奈良博で開催された菱田先生の講演会もめちゃくちゃ面白かった。『奈良国立博物館:古代寺院の瓦が伝える国際関係、皿が伝える仏教行事』奈良国立博物館で開催中の「聖地南山城-奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-」の講演会「華開く仏教文化~南山城の古代寺院か
世に流布している「大祓祝詞」には冒頭の部分が欠けていますさて、これを掘ってみると何が分かるのかな?🤔なーんちゃって言霊学わたくしめも、島田先生の記述で「大祓祝詞の欠けた前半部分」を知ったのでして、これは世のスピ系、神職の方もあまり知らないのではないかと思うのですな…で。この大祓祝詞について、つらつらと駄文を重ねてみよっかな〜て…💧駄文…「大祓祝詞」をネット検索しますと「大祓詞」オオハライノコトバ──という似てるけど違う、もうひとつの祓詞が出てきます。これは同じものを違う言葉で指し
蘇我稲目の死後、蘇我氏の宗家を継承した、蘇我馬子については、詳細な説明を割愛する。蘇我馬子は、父の稲目の代から、対立を続けた、物部氏の物部守屋と戦い、勝利を治めた。蘇我馬子と物部守屋の戦い、丁未の乱には、聖徳太子が、参加している。物部氏の宗家が、滅びたことによって、日本に仏教が、受容されることになった。蘇我馬子と物部守屋の対立の際、中臣鎌足の先祖、中臣鎌子及び、その弟の中臣勝海は、守屋に味方して、仏教を排斥しようとした。中臣氏は、神事・祭祀を司る一族であったため、当然と言え
蘇我韓子は、雄略天皇9年(465年)、雄略天皇の命で、紀小弓、大伴談、小鹿火宿禰と共に大将に任じられ、新羅が、百済地域に進出して、城を奪い、対馬海域を押さえて、倭国と高句麗との交易を妨害し始めたことに対し、新羅征伐のために朝鮮半島へ渡った。新羅王を一時敗走させるほど奮戦した中で、小弓は、同月に死去する。代わりに小弓の息子、紀大磐が、朝鮮に来たが、大磐は、父の兵馬を継ぐに飽き足らず、小鹿火宿禰の兵馬と船官を配下に収めて、小鹿火宿禰と対立した。小鹿火宿禰は、大磐が、韓子の兵馬も奪うつも
テレワークでも出来る仕事で、昨日は会社のPCまで持ち帰ってきたのに。今日、娘は出勤していきました。会社のほうから、朝の時点で電車が動いていたら、出勤すること。・・・と言われていたそうです。ちょっとー。帰れなくなったらどうすんの・・・って感じです子供たちがまだ学生だった頃は、「そんなの関係ないから休みなさい」・・・と言えたけど。さすがに。大人になった子供達にはそれは言えません。それにして
突然、こんな動画が出てきたので。なんとなく観てみたら。面白かったです大阪の八尾市のこのあたりは。以前巡ったことがあり、懐かしくなりましたそれでちょっと、昔のブログを読み返したりしていました。『物部守屋の所縁の地(大阪・八尾市)』※樟本神社(南木本)の拝殿に飾られた竜※つい半月前に行ってきたばかりの大阪。週末に、また、弾丸で行ってきました。前回は、予定を立てておきながら、なぜか…ameblo.jp『1000年以上の時を
以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー石上[いそのかみ]神宮――「フル」の神の実像とワニ氏・物部氏石上神宮と物部氏の関係p.307石上の地における神祀りの氏族はワニ氏であり、物部氏は、石上にあった神宝の庫[くら](武器庫)の管理を主としていた。5・6世紀はもちろん、7世紀以降も、石上神社の神主は、ワニ氏の系譜を主張する氏族がつとめていた。p.308『姓氏録』は、仁徳天皇のとき「布都奴斯[ふつぬし]神社を石上の御布留村の
イバラキ県、鹿島神宮。出張ついでに初めて来てみた。武神・軍神・雷神、武甕槌神。天津神の中でも建御名方含む出雲を打ち負かした神様と言うことで、今まで中々足が向かなかった。拝殿。方角をGoogleマップで確かめると、海の方ではなく北西を向いていた。これは単純に、蝦夷たちへの睨みと言うことか。境内の説明を全部読んでも、由緒は雲を掴むような話しで良く分からない。創祀が皇紀元年(神武天皇の橿原での即位年)ってことは流石に無いだろう。その頃は畿内の平定だって四苦八苦だったはずだ。あと武甕槌神ご自身が東
以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー香取神宮――物部氏とタケミカヅチとフツヌシ祭神についてp.289『日本書紀』は天孫降臨の条(一書の2)に、当社の祭神について次のように記している。天神[あまつかみ]、経津主[ふつぬし]命・武甕槌[たけみかづち]神を遣して、葦原中国[あしはらなかつくに]を平定[しづ]めしむ。時に二[ふたはしら]の神曰さく、「天[あめ]に悪[あ]しき神有り。名を天津甕星[あまつみかほし]と曰ふ。亦[ま
以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー鹿島神宮――藤原氏の氏神となったタケミカヅチ建甕槌神の「甕」p.270タケミカヅチは、文献でみるかぎり9世紀以降の祭神名で、それまでは祭神を何と称していたか定かではない。p.270〜271『古事記』は「建御雷」と「建甕槌」の2神を記載しているが、建御雷神の系譜を、迦具土神――甕速日神――樋速日神――建御雷神(建御雷男神)とし、建甕槌神については、次のような系譜を記してい
以下、大和岩雄『神社と古代王権祭祀』(新装版、白水社、2009年)から引用です。ーーーーーーーーーー伊勢神宮――「アマテル」の神と皇祖神伊勢神宮の創祀と忌部氏・中臣氏・物部氏p.40私は、雄略朝に伊勢神宮は創祀されたと推測するp.42要するに、敏達朝の頃、日祀部設置を機会に、従来の忌部氏に代わって中臣氏が、伊勢神宮の祭祀に強い影響を及ぼすようになったのであろう。日祀部設置までは、斎王の派遣について、「伊勢の祠」「伊勢の大神」に「侍[つか]へ祀る」と書かれていたのが、日祀部設置後の斎
文献でしか推測できない古代史は文献上本当の事実かどうか判断がつかない部分もある蘇我蝦夷にしてもそうですね出雲の神と九州の高千穂の神秘性と伊勢の神と大和の国の日本という国家の中心としての位置づけをなんで突然草薙の剣とか言って東国が出てくるかってことすら謎ですし・・・すべて一つの文献に統合しようとすること自体に大きな無理があったのかもしれません・・・筆者は,日本古代思想史の立場から,今日的課題として,日本国家構造の再構築としての『日本道州制国
2024.4.22(月)21時~神さま♡アワー「藤と神さまの話」九州では薄紫のきれいな藤の花が見頃です♬藤の花といえば・・神さまにもいろいろ所縁があります下がり藤の家紋の藤原家藤原氏の氏神を祀る春日大社皆さんの身近の神社にもつながっています知ってると、もーっと楽しくなりますよ神さまからのメッセージ・天児屋根命アメノコヤネノミコト・武甕槌神タケミカヅチノカミこちらからご視聴できますFacebookFacebookにログインFacebook
BintarouTurtleCompanyYamaguchiよりちかみつ降臨②卑弥呼の正体!丑寅の金神が創った王朝と吉備王朝は畿内の中臣氏に吸収合併された?Over40'sRunway公式サイト及びインスタのDMで観覧チケットの申込を受付中です。公式サイト:https://www.runway.wfoxx.com/ticketインスタ:https://www.instagram.com/princessswallow_goodage/ちかみつロザリオ情報サイトマ...youtu.be
◆「祝詞新講」次田閏著(~10)いつの間にやら10回目の記事となっておりました。ホンマにいつの間にやら…ですが。前回の記事では…各「祝詞」の現代語訳に入る前に、先に整理しておいた方が良いことをまとめて記事にしました。今回より…今回こそより…本格的に突入します。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事*~1序*~2緒言*~3祝詞の名義*~4呪物崇拜と言靈信仰*~5祭祀と政治*~7祝詞の沿革*~8祝詞の内容と形式*~9「
以前のgooブログの過去記事が何年分もいっぱいたまっているので、どんどんまとめて書きます。けっこう深い話になるのですが、祝詞、です。詳しいことは割愛。ここでは、『秋田物部文書』という本から参考に、興味深い点だけを拾って紹介します。※『物部文書』とは、1938年に一子相伝として代々受け継いできたのが唐松神社の宮司家である物部氏であり、出羽の地に移った物部氏の来歴ついて記録されているもの。----------------------------------------数年前
寺社No.6404御朱印No.【未】式内中臣須牟地神社(なかとみすむち神社)大阪府大阪市東住吉区2024年1月8日【須牟地】「須牟地(すむち)」の名がつく神社は他に「神須牟地」、「須牟地曽祢」があり、今は遷座していますが元はそれぞれ磯歯津路(しはつみち)沿いにあったといわれています。磯歯津路というのは倭の五王の時代(古墳時代)にあった住吉津(すみのえのつ)から喜連に通じる道で新羅など外国からの使節が飛鳥に向かう道でした。「須牟地」には磯歯津路の路の神であり使節の休息所といった意
『愛国百人一首』の選定された38首目は中臣祐春です。これより鎌倉時代の歌となります。(著者所持の『愛国百人一首』の中臣祐春の絵札)西の海よせくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞこの歌は、文永・弘安の頃に詠まれたものです。こちらも蒙古襲来に対しての歌です。歌の意(こころ)西の海のかなたから、我が国に寄せてくる波のような元軍よ。心得違いをするなよ。こちらは神々が守っていらせ