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ちくま文庫、860円+税ある人から、活字の本離れを宣言しながら活字本びたりですね、と言われました。小川洋子、中沢新一、司馬遼󠄁太郎などを電子書籍で読んでいますが、一方で紙の本をも楽しんでいるのです。目下はこの『オーランドー』です。
ゲンロンカフェの「山本理顕×藤本壮介モデレーター=五十嵐太郎、東浩紀万博と建築──なにをなすべきか」は4/11に第1部は無料公開でした。約2時間なので、今日、見ました。万博と建築–ゲンロンカフェ株式会社ゲンロンが運営するイベントスペースgenron-cafe.jp大阪万博の総合デザインプロデューサーで(リング)を設計した藤本壮介氏についてはブログを10本、書きました藤本壮介氏と大屋根(リング)①(11/21)…藤本壮介氏と大屋根(リング)⑥(1/30)藤本壮介
←リチャード・パワーズ/著『惑う星』(木原善彦/訳新潮社)「地球を憂う少年の心を、亡き母の愛が解き放つ。科学と情感が融合する傑作。」リチャード・パワーズ著の『惑う星』(木原善彦訳新潮社)を15日の夜半過ぎ…既に16日に入っていたか…に読了。残りの130頁余りを一気に読んでしまった。実に深い感動の書。「パパ、この惑星に僕の居場所はないの?地球外生命の可能性を探る研究者の男、その幼い息子は絶滅に瀕する動物たちの悲惨に寄り添い苦しんでいた。男は彼をある実験に参加させる。MRIの中
←二階堂奥歯著『八本脚の蝶』(河出文庫)「二十五歳、自らの意志でこの世を去った女性編集者による約2年間の日記。誰よりも本を物語を言葉を愛した彼女の目に映る世界とは。」二階堂奥歯著の『八本脚の蝶』(河出文庫)は、僅か二年数ヵ月前に読んだ忘れられない本。いま読んでるリチャード・パワーズの「惑う星」を読んでて、頻りに二階堂奥歯のことを想ってしまう。過剰なほどの感性と知性…想像力…妄想力か。そんな子を持つ親は子育てしつつどんなだったろう。俗人の我輩には想像も及ばない。「惑う星」は
←デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ著『万物の黎明人類史を根本からくつがえす』(酒井隆史/訳光文社)「人類の歴史は、これまで語られてきたものと異なり、遊び心と希望に満ちた可能性に溢れていた。」自宅では、中沢新一著の『精神の考古学』(新潮社)とリチャード・パワーズ作の『惑う星』(新潮社)とを交互に。中沢の本は自分には全く入り口の見出せないジャンルの本で読みながら戸惑うばかり。後者は、『黄金中変奏曲』に圧倒された作家の本。やはり深い。(04/1203:38)
←「水道水のペットボトル「とやまの水」の購入|富山市公式ウェブサイト」「富山の湧き水4選!歩いて行ける駅近名水スポット!|ふぉとやまライター|【公式】富山県の観光/旅行サイト「とやま観光ナビ」」「水道水がおいしい都道府県」全国1位は?“蛇口からミネラルウォーター”の地域も【ひるおび】富山県は全国2位!水道水がペットボトル詰めで売られたり、お土産になったり!湧き水スポットが市街地にある!(04/1100:10)仕事の車中で再読中の梅原猛著『古代幻視』(文春文庫
←畑の片隅に今年も各種の水仙たち。(04/0816:21)今月中には耐震診断を受ける予定。別件だが、地震保険の調査員が我が家の調査に。我が家は半壊でさえもないが、ダメ元で。かなり詳しく診ていった。その結果は…築70年の木造家屋の我が家だが、土台も含めかなり確りした造りだと判明。襖や障子戸の開け締めが難儀なのは、柱や梁の不具合ではなく、鴨居や敷居の撓みや歪みで、これ等は長年の経年変化で仕方ない。むしろ、70年という築年数を鑑みるとよくぞ持っている、余程昔の大工はいい仕事をしたと
←椿の花々も素敵だが、楓が芽吹いてきて春らしさを一層感じる。(04/0722:50)今日は穏やかな春日和。久々自転車で買い物へ。あれこれ買って、ふと水も箱買い。それも2ケース。レジを済ませてふと気付いた。今日は車じゃない!返品もできず、水2箱は預かってもらった。休日だし快晴。お出掛け日和。が、我輩は庭や畑仕事。2時間みっちり冬の間に傷んだ場所の整備補修。汗びっしょり。シャワーが爽快。脱衣が寒くないのが嬉しい!(04/0722:54)今日七日も、デヴィッド・グレーバ
こんにちは。“マネジメント人財の目利き&「大人の学び」の案内人”の福岡明善です。=========================ことのは117やっぱり、寂しいなあ。心をかき乱してくれる人がいないというのは。(中沢新一、朝日新聞、2023年5月4日)=========================2023年3月28日に亡くなられた坂本龍一さんについて人類学者の中沢新一さんが発せられたことのはをご紹介します。中沢さんは、次のようなことばを残して
こうなっている#架空書店240329⑥🏗️構造の奥レヴィ=ストロース論(講談社選書メチエ)中沢新一講談社構造の奥レヴィ=ストロース論(講談社選書メチエ)[中沢新一]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}#予約受付中#新刊#本#予約#読書垢#架空書店の本棚#240411on#構造の奥#レヴィストロース論#講談社選書メチエ#中沢新一#講談社気分よく生きるための私的解釈Amazon(アマゾン)【架空書
2015年のブログです*河合さんと中沢さんの仏教と臨床心理学に関する対談の本ですが,10年ぶりに再読しました。河合さんはユング心理学を基本に臨床心理学全般を深めたかたですが,晩年は仏教,特に,華厳経にも関心をもたれていたようです。本書はそんな時期の河合さんが宗教学者の中沢さんに仏教全般に関する講義をお願いし,それを臨床心理学の観点から深めたものと言えます。内容は多岐にわたりますが,西洋哲学と仏教,キリスト教と仏教,深層心理学と仏教,医学と仏教,科学と仏教などなど,ど
大きな変化が起きているのを感じている。昨日には「非常識」だったことが、今日には「常識」になっている。順を追って流れていた(ようにみえた)時間が錯綜している。時間が過去から未来に向かって、順番に流れる(ように感じられる)のはこの地球という星だけだ。その錯覚も、終わろうとしているのかもしれない。2019年の改元はただの政治的な切り替えではなく、ちょうどそのタイミングに起きた。夏至点を越えたあたりで、大きく世界が揺らいだ。まるで飛行機が気流の変
日本における七母天のことはちょっとおいておきます。ヒンドゥーの女神たちが七母天では別の悪鬼に変わった理由などについても今後見ていけたら、と思っているのですが。予想としては、仏教の信念体系ではヒンドゥーの女神を礼賛することはできませんので、「調伏」の形式をとって悪鬼を選択したのでは?という感じではないかな、と。もし、そうだというのであれば、名前の原初である「マートリカー」を作った神の意思=女性には様々な力がありそれは素晴らしいことだ、女性の感情の豊かさや能力は神の力と同じ
前回まで直観では摩多羅神が七夕と関係している、と思う。実際には摩多羅神の名前の由来が「サプタマートリカー」という女神集団だったことがわかりました。そして、その女神たちはどうやらプレアデスと関係していたのです。摩多羅神と同体・習合したとされる、「七母天」という言葉を見たとき、なぜか私は七夕を思い出していました。ブログを始めるきっかけとなったドラマ「三生三世枕上書」の帝君のプロポーズを彩った、中国のバレンタイン=七夕祭=女児祭り=乞巧奠きつこうでんのことを。七夕祭・
平安時代,清少納言は枕草子で「星はすばる」とその美しさを讃えました。ヒューマノイド型生命体の起源がプレアデスと関係している、というだれかチューバーさんの動画を漠然と見て「自分はプレアデスから来たんだろう・・だとしても、お役目を果たせそうになくてなんだか申し訳ないな・・・」というのが私の当初の素直な感想だったのです。それから半年もたたないうちにプレアデスの光のワークを教えるヒーリング学校の授業を受けていました。22年7月のことです。それは真に奇異と言えたでしょう。ヒーリングどころ
摩多羅神を調べる中で、天台宗の円泉寺というお寺さんのサイトが非常に参考になりました。摩多羅神と同体だと、お寺さんのサイトにありましたので、七母天を検索し、推論を立て結論を出します。推論七母天の由来となったインドの神が「摩多羅神のおおもとの存在」ではないか?そこで、七母天のもとの存在を探しました。❶七母天の由来とされるインドのドゥルガーではないか?❷七母天を眷属とした閻魔の由来であるインドのヤマの妹ではないか?結論七母天はドゥルガー・ヤマの妹ではなく、インドの女神集団が元
前回まで摩多羅神は七母天であり、摩多利は母という意味である。七母天の由来であるドゥルガーは牛に化身したアシュラを制圧した。ミトラス神の本質のひとつ「悪魔の化身である牛を制圧する」点で同じである。疑問❷七母天を眷属した閻魔さまの由来であるインドのヤマの妹は関係してないのか?日本において七母天は閻魔の眷属になりましたが、閻魔とはヤマというインドの神が仏教に入った姿であり、ヤマも牛を座騎にしています。そればかりか、ヤマは青い肌をした冥界王であり、父親は太陽神なのです。エジプトのオシリス
●肉食●動物虐待●石油の使用(環境汚染・破壊)3つとも同率1位です。したことには同じ波動がかえってきます。自然の猛威は、私たちの100年の行動の結果です。神の無条件の愛の対象は地球・環境・動植物すべてであり、人類はその中のひとつに過ぎません。以下、厳しい言葉を読む覚悟のできている方のみ読み進めてください。読んで不快になってもご自身の責任で解脱をお願いいたします。特に動物虐待については、地球の浄化作業がひと段落した22年10月からミカエルから再三再四、警告を受けていました。
古代エジプト神話において、ミイラの形状をしている神たちは地球への介入を無許可で不当に行った宇宙人が高次存在に抑え込まれて調伏され、統合された姿です。バラバラにされ、要素を壊されたのは、本人の悪行と同じことを神からされることで責任をとらされた状態を表しています。ミイラの包帯でひとつにまとめられた姿=神の御身と統合して封印されている、という状態を表しています。オシリスがのちにゼウスと習合したことからも彼が闇の代表者の一人であったことが明白です。宇宙の大
トート神・セベク神・大メタトロンと常から会話をしているチャネラーとして古代エジプト時代最高位の神官だった魂とリンクしているものとしてお話させていただきます。kh音がどんなか「こー・・こー・・」言って息を深く吸い・・・ゆっくり静かに吐く、などをしていたらジェド神が下りてきて嗄れ声でいろいろしゃべった。中国語で言えば、「帝后回来了・・・・・帝后回来了~!」という意味のことを涙を流して淡々と喋った。その様子は感涙、というのが正しいだろう。古代エジプトの魔術―
『ブッダの夢』河合隼雄・中沢新一/著中沢イエスが病人を癒す癒し方と仏陀の癒し方、ちょっと違うなって感じます。イエスの治し方は、かなり超自然的な治し方をしますね。手を触れるだけで、あなたは癒されたと言って、そしてハンセン病が癒えたり、あしなえが立ったりする。ただ、仏陀の治療法というのを考えてみると、いま河合先生がおっしゃったような治し方をしているなと思う。仏典の中にいろんな話が出てきますけど、ある若い母親が子供を亡くして、もう気も狂わんばかりに悲しんで、仏陀のところへ行って、私
←台所の屋根から煙突がニョキッと。築70年の家の屋根には負荷の掛かる工事だった。家…あと10年持てばいい…我輩も。(11/1617:42)(頂いたコメントに)冬を庭の柴だけで越そうなんて考えてないです。柴を束ねてもえる燃えるゴミに出すより、燃料にする。柴がなくなったら、また柴が溜まるまで薪ストーブは休止です。ホントは師走になってから本格的にと思っていたんですが…。(11/1622:38)自宅では、日本植物病理学会編著『植物たちの戦争病原体との5億年サバイバルレース』(ブ
←画像は、あれ懐かしや横川の釜めし…の容器。東京からの帰省の折に横川で停車する際に買って食べるのが楽しみだった。貧乏性で立派な容器は捨てられない。数十年物かな。値打ちはないけど、大切なもの。他の食器類は廃棄するが、この器は保存する。これで御飯炊いたら美味しいだろうなー。(11/1418:24)「峠の釜めし本舗おぎのや」や「益子焼を救った人気駅弁「峠の釜めし」誕生秘話|中川政七商店の読みもの」を読むと、今も現役健在なのだと分かって、嬉しい。さすがに駅で買うわけにはいかなくなったけど。
←夾竹桃を大胆にカットしたお陰で倉の勇姿が現れた。帰郷した15年前には既に中は空っぽ。(11/0319:19)中沢新一の「森のバロック」で、マンダラなる語も頻出。南方熊楠がテーマだから当然か。曼陀羅。ふと我が富山出身の、マンダラ画家である、前田常作を思い出した。東京在住時代、展覧会へも。うーん、いろいろ広がるなー。(11/0314:05)南方熊楠/土宜法竜著『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』なんて本を知った。…南方熊楠の曼陀羅を知るには必須だな。(11/0314:13
中沢新一さんの「カイエ・ソバージュ(CahierSauvage)、第Ⅲ巻「愛と経済のロゴス」まで読みました。前2巻「人類最古の哲学」「熊から王へ」で述べられてきた神話、対称性、野生の思考を踏まえつつ、いよいよ「経済」を考えていきます。贈与・交換・純粋贈与の関係と、資本主義の発生。はじめは志賀直哉の「小僧の神様」から読み解きます。そして増殖の秘密、、カールマルクスの「愛」、キリスト教と資本主義、芸術と資本主義、聖杯伝説(ハイデッカーの論をを借りて解く)などなどと、一気に論が展開されていき
中沢新一さんは「熊から王へ(カイエ・ソバージュⅡ)」で、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読み解きながら、こう述べています。----------私たちの知っている「政治家」という存在と、この首長という存在がいかに大きく違うものか(中略)。吝嗇だったり自分のもうけに貪欲だったりすることと、首長の権威はまったく両立しないものなのです。首長はひたすら他人のほしがるものを分け与える、信じがたいほどの気前の良さを発揮して、首長の権威を利用して自分のまわりに富を集めることなど、思いもよらないのです
去年は今頃から(台風もやってきて)涼しくなっていたと思いますが、それでも夏バテ気味でした。今年は、今日もまた真夏日(練馬は猛暑日?)。夏バテ継続中。天気予報ではもうじき、秋雨の季節になって・・・、みたいですが体がもつかな?ということで、3連休の日・月は自宅で昼寝と読書でした。9月9日(土)の毎日新聞の読書コーナーに、中村桂子さんが「カイエ・ソバージュ・完全版」(中沢新一著・講談社選書メチェ、税込み7700円)の紹介をしています。合本となった「完全版」(内容は従来どおりら
2018年6月のブログです*中沢新一さんの『虎山に入る』(2017・角川書店)を読みました。中沢さんの本を読むのは久しぶり。「縄文と現代とを結ぶ思考の稜線」というキャッチフレーズになんとなく魅かれて読み始めたのですが、最後の文章などは、縄文どころか、ホモサピエンスの誕生にまで話が遡るという、中沢さんらしく壮大なものでした。主な内容は、河合隼雄さん(臨床心理学)や山口昌男さん(文化人類学)への追悼の文章や折口信夫さん(民俗学)や井筒俊彦さん(宗教哲学)などの仕事につい
諏訪は、ズーーーッと昔に、中沢新一さんの本、『精霊の王』で知った、ミシャグジの神様が気になって気になって、惹きつけられてしまって、行ってみたい場所でした。『精霊の王』で書かれていた内容は、詳しいことは、ほとんど忘れてしまったのだけれど、その中に出てきた、諏訪のミシャグジという神✨日本列島に国家が存在しなかったころの古層の神、縄文的な精霊✨と呼んだ方がいいような信仰の形が諏訪にはまだ残っているのなら、太古の記憶の残るその場所に私も立ってみたいではないか✨✨✨
この本に収められている各篇の初出は1991~1995年、1996年に出版時の書下ろしです。文庫化されたのは2009年です。1990年代初期はバブル経済の崩壊、2009年はリーマンショック初期の時期です。この本とこの時期との関連性に必然性があるか定かではありませんが、どちらも借入の増大を背景とする資本主義の仕組みに生じたほころびが露わになった時期です。なぜそんな時期に、主に貨幣経済の前に部族社会で、社会を動かしていた「贈与」に関する本が出されたのでしょう。「贈与の原理を、経済や表現行為