ブログ記事16件
今日の修善寺温泉は曇り。曇ってはいますが、だるま山からは富士山がきれいに見えています。夜から明日の朝にかけて雨の予報にもなっています。気温は24℃と散策していると少し汗ばむ一日です。「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」へ向かう通路。足元は、昔の日本建築でよく使われた「瓦」の廊下。「日本画家安田靫彦画伯」の考証で敷かれました。右側の通路の木枠のデザインも安田靫彦画伯のデザイン建築当時の「修善寺新井旅館あやめの湯改築工事設計図」
今日の修善寺温泉は曇り。午前中は気温も7℃くらい、曇っているので肌寒く感じる一日になりました。午後からは13℃くらいまで上がる予報ですが、今日も温泉に浸かってのんびりしたい一日になっています。新井旅館自慢のお風呂「昭和9年築登録有形文化財天平大浴堂」日本画家安田靫彦画伯がデザインして、早稲田大学の建築家中村鎮先生が図面に落とし、昭和6年から3年かけて昭和9年に完成したお風呂です。今年で築90年。安田靫彦画伯が、天平建築である「法隆寺食堂」を
昭和10年築登録有形文化財吉野の間一階「龍田の間」と二階「吉野の間」をご紹介しましたが、今日は一階「山吹の間」のご紹介。「山吹の間」は「吉野の間」「龍田の間」とは違い、本間は10畳トイレ/温泉内風呂付の部屋。ドアを開けると左にお手洗いとお風呂。右に進むと部屋になります。正面がお手洗い。右がお風呂です。タイルの新しいお風呂。高い位置に窓。見えるのは坪庭と竹林。部屋の方に進みます。3畳の踏み込みの奥に10畳の本間。
「昭和10年築国の登録有形文化財吉野の棟」新築当時の写真。一階が「龍田の間」と右に「山吹の間」、二階は「吉野の間」。今日は「吉野の間」に入ってみます。扉を開けると、2階へ上がる階段。踊り場があり、また少し上がると二階「吉野の間」本間は14畳に、2畳ほどの書院の小部屋東山文化の書院造りです。部屋の外は「桂川と竹林」只今新緑が美しいカエデの木。紅葉の季節を想像してみてください。一階「龍田の間」同様
新井旅館の特別室「龍田の間」「昭和10年築登録有形文化財吉野の棟」の一階の部屋です。裏玄関から「持仏堂昭和11年築登録有形文化財観音堂」などの方面へ出ることができます。部屋は本間12畳と次の間12畳「早稲田大学中村鎮先生」の設計、「日本画家安田靫彦画伯」の考証で出来上がっています。安田靫彦画伯曰く、「この部屋は東山文化の書院造りを模している」と書かれています。部屋の窓は昨年「ペアガラス」に変更。本間と次の間の間の襖が大きな襖
今日の修善寺温泉は晴れ。伊豆市の最高気温は9℃ですが、お日様が出ていますので外にいるとポカポカしてくる感じです。新井旅館自慢のお風呂「天平大浴堂」本日のテレビ朝日夜7時放映「帰れマンデー見っけ隊!!」に登場予定のお風呂。昭和6年から3年かけ、昭和9年に完成しました。昭和6年、中村式鉄筋コンクリート構造(通称鎮ブロック)を考案した早稲田大学の中村鎮氏の設計で基礎が出来上がります。その後、日本画家「安田靫彦画伯」の提案で「国宝法隆寺食堂(じきどう
今日の修善寺温泉は晴れ時々曇り。今日も伊豆市の最高気温は32℃と暑い日が続いています。新井旅館特別室「昭和10年築登録有形文化財吉野の棟」デザイン・考証は安田靫彦画伯。図面に落とした方は早稲田大学の中村鎮先生。中村鎮先生は残念ながらこの建物を見ることがなく、お亡くなりになってしまいました。昭和30年代の旅館業法の改正により、新井旅館の各部屋はほとんど改修工事をすることになりましたが、「吉野の棟」はそのままで大丈夫になりました。安田画伯曰く「中
今日の修善寺温泉は雨のち曇り。まだまだ不安定なお天気の状態です。今日は晴れ間が少ない分、気温も少し下がっているようです。3月30日のブログでご紹介しました、日本画家安田靫彦画伯と鉄筋コンクリート技術の先駆者中村鎮さん設計の「あやめの棟」と「天平大浴堂」。「登録有形文化財青州楼」から「あやめの棟」に向かう通路の図面です。3月30日は、この図面の組子のご紹介で終わりましたが、安田靫彦画伯の考証は組子だけではなく、船底天井のデザインや
昭和45年ころの小冊子内の「沿革史」の続きです。昭和六年三月、寛太郎は菖蒲の前入浴の歴史ある浴槽の建立を計画、帝室技芸員、芸術員会員の安田靫彦画伯の設計により三年の歳月を費やして、総檜造り天平大浴堂の建設に心血を注ぎ、更にこの工事期間中に桂川の畔に昭和7年あやめの棟を、昭和9年花の棟と呼ばれるベランダ付八室を建てました。安田靫彦画伯がデザインし、早稲田大学の中村鎮先生が図面に落とした「天平大浴堂」そして「あやめの棟」の図面。そして完成した「天平大浴堂」後ろにはやは
今日の修善寺温泉は晴れ時々曇り。暖かった昨日から8℃下がって今日は日中も14℃とかなり冷え込んだ一日になりました。「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」の話の続きです。昭和7年、日本画家「安田靫彦画伯」がデザインし、早稲田大学の中村鎮先生が図面に落とした「あやめの棟」と「天平大浴堂」の図面。<imgalt=""height="312"src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210327/14/arairyokan
今日の修善寺温泉は晴れ。今日も気温は20℃超えと暖かな一日で、腕まくりをされている方も多く見かけます。一昨日ご紹介しました「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」の話の続きです。昭和7年、日本画家安田靫彦画伯と鉄筋コンクリート技術の先駆者中村鎮さん設計の「あやめの棟」と「天平大浴堂」の図面。基本的には安田靫彦画伯がデザインし、中村鎮さんが図面に落とした感じかと思います。その図面の中、こんなデザインが書かれた場所。後ろが天平大浴堂の屋根、手前は「登
歴史画の大家「日本画家安田靫彦画伯」明治41年、肺を患った安田画伯は翌年の明治42年の5か月間を新井旅館で過ごします。大正から昭和にかけて、新井旅館の建物が新しく建て直しをする際、安田画伯はその設計や考証に大きく関わってくださいました。今日は「昭和7年築登録有形文化財あやめの棟」の建築に関しての話。新井旅館では昭和6年、明治時代からのお風呂「あやめの湯」の老朽化に伴い、新しいお風呂の設計に入り、それまであった「あやめの湯」とその隣に建てられていた「あやめの間」を取り
今日の修善寺温泉は晴れ。朝方は非常に冷え込んでいましたが、お昼を過ぎて10℃くらいまで気温は上がってきました。ただ夜にはまた5℃近くまで下がってきそうです。例年1月31日は朝方寒く、午後から暖かくなるような陽気になっているようです。今日で1月も終わり。もうすぐそばまで春は来ていますが、まだまだ温泉が恋しい時期です。昨日もご覧頂きました、新井旅館自慢のお風呂「天平大浴堂」安田靫彦画伯そして早稲田大学中村鎮先生の設計で出来上がった、文化財のお風呂で温
歴史画の大家「安田靫彦画伯」考証の建築物。先日まで大磯の旧安田善次郎別荘や良寛堂、そして新井旅館観音堂をご紹介してきました。安田画伯は、明治41年に美術学院より選抜され、奈良に研究を兼ねて美術の取り調べを託されました。奈良に留学中には、法隆寺など様々な歴史的建造物なども研究されていたのかと思います。その安田靫彦画伯の設計による「天平大浴堂」という登録有形文化財の建造物が新井旅館には残されています。昭和7年の「天平大浴堂」の設計図です。青焼きの図面
今日の修善寺温泉は曇り。気温も昨日より下がり、今日は肌寒い一日になっています。また温泉が恋しい一日になっています。今日は新井旅館自慢のお風呂「天平大浴堂」でのんびりと温泉に浸かって頂きたい日です。「天平大浴堂」は、昭和6年から3年かけて昭和9年に完成しました。デザインは日本画家安田靫彦画伯。図面に落としたのは「中村式コンクリートブロック構造」で有名な建築家中村鎮先生。そして、天井に吊る下げられた大きな燈灯は鋳金工芸作家香取秀
阪神大震災では半壊となった建築家中村鎮の鎮ブロック造りの須磨教会ですが、全壊でないのでまだいいのかもしれません。鎮ブロック造りは関東大震災の時には無傷だったそうです。阪神大震災の時はほとんどの建物が壊れました。特に木造の戸建てなどは軒並み全壊。ペシャンコでした。JR六甲道駅でも全壊でしたから。(最近、映画化されていましたね。)傾いているマンションなどもありました。無傷だったのは神戸のサン地下街だけだったように思います。鎮ブロック造りは半壊でしたが、全壊ではないので人命は救えたはずです。
コンクリート工学の8月号にブロック式鉄筋コンクリート構造の教会が掲載されていた。建築家の中村鎮が設計した福岡にある教会で地震にも耐えたらしい。ブロック構造に興味があったので、この記事に加えて、スマホでもいろいろと調べた。(便利な世の中になりましたね。笑)中村鎮さんは福岡出身で44歳の若さで亡くなった建築家で経済的なブロックによる鉄筋コンクリート構造の普及に努められた方らしい。私が考えている理想と全く一致することから、どんどん調べて行きました。近畿では須磨教会を建てたそうで、今度はその
今日の修善寺温泉は雨。といっても午前中は小雨程度のお天気です。新井旅館自慢のお風呂天平大浴堂の入り口の写真です。暖簾をくぐって中に入ると幽玄な世界が待っています。文化勲章受章者安田靫彦画伯のデザインした天平建築を、早稲田大学中村鎮先生が図面に落とし、昭和6年から3年かけて昭和9年に完成しました。そして上から吊り下げられた燈灯は、帝国美術院会員香取秀真氏が作成。金工家であり、多くの工芸品が美術
昭和9年築登録有形文化財「天平大浴堂」昭和9年、完成当時の新聞に、「古典を誇る『天平風呂』相原翁苦心の建築」と書かれ、「私の道楽と言ってしまえばそれまでですが、温泉に親しむ日本人の理想の建築はどの辺にあるのかということを考え非常な苦心の末漸く完成を見ました。私としてもこれならば専門家に見て頂いてもそう恥ずかしいものではないと思います。」という言葉が添えられ、「設計を早大教授中村鎮氏に依頼し、考証その他を日本美術院同人安田靫彦氏に依
今日の修善寺温泉は晴れ。朝方はマイナス気温でしたが、時間が経つにつれ少しずつ暖かくなってきました。最高気温は昨日より3度ほど高くなるようです。とは言え、やっぱり冬は温泉につかりたい季節。新井旅館自慢のお風呂「天平大浴堂」設計は早稲田大学中村鎮先生。考証その他は日本画家安田靫彦画伯。昭和6年3月から3年かけ、昭和9年7月完成内部は「法隆寺」を模し、湯船は中国の「清華地」をイメージしています。そして天井から
今日の修善寺温泉は晴れ。今日も絶好の散策日和。竹林の小径を歩くと、優しいそよ風がなびいてきました。今日は「花の棟花一号室」のご紹介。「花の棟」は桂川沿い。対岸には「竹林の小径」花一号室は、花の棟の中でも一番広い部屋です。脇床の障子が広い部屋に明かりを取り込んでくれています。「花の棟」は、日本画家安田靫彦画伯の考証。随所に安田靫彦画伯の思いが入っています。例えば、書院の障子。とってもシンプルですが、法
15の棟が有形文化財の登録を受けています新井旅館。中でも昭和6年から3年かけて完成した「天平大浴堂」は、新井旅館、そして日本を代表するほどのお風呂と自負しています。デザインは日本画家安田靫彦画伯早稲田大学の中村鎮先生が図面におとしたとき、「一寸の狂いもなかった」と言われた。そんなエピソードも残っています。新井旅館の建物の多くは、安田靫彦画伯の忘れ形見。その安田靫彦画伯から頂いたハガキを今日はご紹介。