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台東区根岸にある台東区立書道博物館に初めて訪問しました。私に書の心得が無いものですから縁の無い博物館だと思っていましたが、企画展で伊藤若冲や英一蝶のお軸が観られるので行ってみたのです。鶯谷駅北口からラブホ街を少々進むとあります。入館料500円、ぐるっとパスで入れます。向かいには正岡子規旧居、子規庵が今も大事に保存・公開されています。公式HPより「書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の
9月11日、勤め先近くの健診センターで人間ドックを受けました。ものすごく早く家を出なければならないので、父の朝食用に前夜にコンビニ弁当を買っておきました。朝食後の洗い物をしている時間が取れないのです。前夜の夕食の時間も早くする必要がありますから、勤め先近くで頂きます。昨年までは上野駅構内のTSたんたんでヘルシーなヴィーガンラーメンを食べておりましたが、5月に閉店してしまってその後、あまり行きたい店もありません。迷ったあげく公園口を出たところのスターバックスでホットドッグ。久しぶりに
2025年6月19日(大明日)達成感図書館の仕事では掛け軸の落款の文字で作者を特定し年代や目的などを調べて目録を作成する仕事があります私はその補助的な作業をしているのですがこれが面白い例えば明治時代の書家で画家の中村不折なかむらふせつ中村不折なかむらふせつ中村不折|近代日本人の肖像国立国会図書館の「近代日本人の肖像」では、中村不折の肖像写真・関連書籍等を紹介しています。www.ndl.go.jp中村不折が手がけたロゴやラベル見
いわゆる谷根千(谷中根津千駄木)地域、取り分け谷中銀座とか夕焼けだんだんとかは昭和の日本を感じさせるからであるのか、外国人観光客にも人気があるようで。先に訪ねた知り合いの古書店はエリア内とはいえ至って静かな落ち着きを残しているも、それでもちらりとインバウンドの影が見られたのですな。個人的には喧騒を避ける傾向が強いものですから、帰りがけに山手線の駅まで歩く道筋は谷中の墓地を抜けていくルートを採って鶯谷へ下ることに。以前、墓まいらーらしき探訪をしていたことがありまして、谷中霊園では徳川慶喜やら
「中村不折は無闇に法螺を吹くから絵をたのむのが嫌になった・・」これは夏目漱石から本の装丁家・橋口五葉宛手紙の一文です。『吾輩は猫』初版本は上中下(↓写真左から上中下)から成り、装丁はすべて橋口五葉ですが、挿絵を担当したのは上巻が中村不折(新宿中村屋の看板を手掛けたことでも知られる)、中下巻が西洋画で知られる浅井忠でした。昨日紹介した漱石山房記念館「初版本コレクション」展(~10/6)には、不折と浅井忠それぞれの挿絵も一部展示されていますが、挿絵の出来栄えとしては、不折の絵は申
とりはくー台東区書道博物館『敦煌写本の世界―蔵経洞のたからもの―』|妹尾みのり※この記事は『博物館紹介サイトとりはく』のコンテンツです。博物館にご興味のあるかたは、ぜひ『とりはく』も見てみてくださいね(^^)小学校の習字の時間の想い出といえば、筆と墨汁を渡されて、お手本の字をそっくりそのまま薄い紙へ模写する。先生からは、筆は一度紙へ下ろしたら一画を書ききれだ、そこで手首をぐるっと回して斜め上へ跳ねさせろだのと小うるさいことを言われ、できあがった代物はよれよれの半紙とあちこち墨が掠
九代目市川團十郎像は、新海竹太郎がその武勇を銅像に製作し、公家であった西園寺公望の題字が高尚を与え、鷗外森林太郎がその至芸を銘に表した。堀越秀の功績を千載に渡って伝える為に、不折中村鈼太郎に書が依託されたのだろう。そう考えると、團十郎像は台座を含めて芸術品なのである。九代目市川團十郎像の形を「暫」の元禄見得を切った舞台姿にしようと決めたのは、嗣子堀越福三郎の主張に依るものであった。役者が暫を演じる上で大切にしているものは何であろうか。17代目市村羽左衛門曰く、「暫の鎌倉権五郎景政を
大正7年(1918)9月、浅草寺境内に堀越秀(ひでし)が鎌倉権五郎景政に扮して演じる「暫(しばらく)」の銅像が落成した。堀越秀は、世に云う九代目市川團十郎である。秀が亡くなってから15年後に、嗣子の福三郎(十代目)が台座に刻む題字の揮毫を西園寺公望に頼み、銘はかつて秀と親交のあった鷗外森林太郎に依頼した。そしてその銘文の書(字体)を森が不折中村鈼太郎に依託(T7/9/27の委蛇録)し、銅像製作は新海竹太郎がその任に当たった。錚々たる顔ぶれである。しかしこの暫像は後に不幸な転帰を迎えることに
ぶどう狩りで長野県へ行ったときのこと・・・またまた長野市篠ノ井にあるマツキさんで大好きな長野の郷土食≪おやき≫を大量購入で、8月にもマツキさんの記事をアップした際にハンドルネーム『高遠の人』さんからこのようなコメントをいただきました突然すみません。『9月3日川中島共選所へ川中島白桃を買いに行った帰りに旧道を来たらマツキさんに着きました。昔みやげに貰ったおやきが懐かしくて買ってきて食べました。とても美味しかった。ところで会計をしていて上を
ご訪問ありがとうございます。本日もお疲れ様でした。今日は妻と入谷へ。俳句を始めた妻に付き合い、正岡子規の記念館に行くため入谷に行きました。入谷駅に到着して、まず昼食をとろうと、ドランクドラゴンの塚地さんが立ち食い蕎麦屋さんを紹介してる番組で取り上げたお店に行ったら、お休みでした。立ち食い蕎麦屋さん日曜日休みのアルアルでした。気を取り直して鶯谷駅方向に向かいました。入谷鬼子母神にお参りしました。色々と工事中だったようです。それから小野照崎神社へ。山開きとのことで賑わってました。
東京ミュージアムぐるっとパス、この日は書道博物館に訪問するため鶯谷へ。途中、昼からやってる居酒屋があり、入店してしまいました😆ビールに枝豆、チューリップも。勢いつけて、下調べしていた「ラーメン長山」へ。鶏豚骨醤油の味玉入りを注文✌️濃厚なスープに開化楼の麺がよく絡んで、美味しく頂きました😋昼食後、子規庵の向かいにある、書道博物館に入館。中村不折という方を初めて知りました。明治期にアクティブに行動されていた方なんですね。興味深く見させて頂きました。書道博物館というよりは、中村
私、勉強不足でわからないものが多いです。その一つ、書道。わからないものは,とりあえずみてみる。何がわからないかわかるかもしれないし、好みができるかもしれない。だから書道博物館に行こう、と思い立ち、それでも行くかどうか迷いに迷いに、でも中村不折のコレクション、ということで行きました。台東区立書道博物館書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専
(東京都台東区谷中)雀より鶯多き根岸かな正岡子規(すずめよりうぐいすおおきねぎしかな)「ホンマかいな?」と関西弁で突っ込みを入れたくなるような俳句だ(笑)。昔から「根岸」は「鶯」の名所だった。今日は台東区谷中の「谷中句会」。会場は、谷中銀座のど真ん中にある古民家の二階で行う。なかなか粋なところで気に入っていたが、諸事情で今回が使用が最後となった。今日の句会は断トツの最高点だったが、いかにも「俳句的な句」でちょっと反省している。断トツの最高点だった
内湖の花虎の尾『墨汁一滴』の六月二十五日から始まった中村不折の洋行を壮行する記事は、その後、六月三十日まで毎日続きます。「君が服装のきたなきと耳の遠きとは君が常職を求むる能はずして非常の困窮に陥りし所以なるが、余ら相識るの後も一般の人は君を厭ひあるいは君を軽蔑し、余ら傍らにありて不折君に対し甚だ気の毒に思ひし事も少なからず。」と書く子規は、不遇である不折に心を寄せて、その画業を高く評価し互いの画談を戦わせていきます。「(不折君から教えられることは多い)とはいへ君は決して博学の人にあらず、
内湖のマルバアサガオ『墨汁一滴』の六月二十五日の記事は、「中村不折君は来る二十九日を以て出発し西航の途に上らんとす。」から始まり、「余は横浜の埠頭場(はとば)まで見送つてハンケチを振つて別れを惜しむことも出来ず、はた一人前五十銭位の西洋料理を食ひながら送別の意を表する訳にもゆかず、やむをえず紙上に悪口を述べて聊かその行を壮にする事とせり。」と続きます。この悪口を書いて、西洋に絵画の勉強に行くという不折を壮行しようと言う子規の率直さが、子規の文章の魅力と言えるでしょう。明治二十七年に子規の新
7月開催させていただきました書道サロン@豊洲でメンバーを募り、台東区にある書道博物館に8月6日に行ってまいりました。私にとっては26,7年ぶりであり、しかも1回しか訪れていなかった場所で(若かりしときは多少冷やかし、冷笑気味でしたね。今となっては、もう所蔵品の凄さに一々興奮してしまいましたが)いかに当時不勉強で勿体ない事をしたのかを今になってから実感致しました。展示品についてですが、唐代の楷書もさることながら、敦煌出土の初期の楷書とも言うべき肉筆の写経の数々を見るにつけ、ため息が出ました。
幸せ美文字のコンダクター書家の林拓鶯(たくおう)です。お稽古のお問い合わせなどはこちらからどうぞ♬大井町駅徒歩5分の書道、実用ペン字、筆ペン字教室「拓鶯書道塾」大井町駅徒歩5分の書道、実用ペン字、筆ペン字教室「拓鶯書道塾」www.takuoh.com【あった✌️】善光寺ご開帳を狙った訳ではなかったのですが久しぶりの善光寺さまです✨参道にいくつかある中村不折さんの額も目的の一つ。長野にゆかりのある方で明治時代に活躍された画家であり書家であり日本酒の「真澄」や「新宿中
おはようございます。善光寺の続きです。山門を入って左側には「仏足石」があります。足腰に良いそうなので、念入りにお参りしました。さらに進むと経蔵があります。ここは有料なので今回はパスしましたが、中には回すことができる輪蔵が有ります。北に折れていくとたくさんの碑があります。忠霊殿や資料館もあります。本堂裏手の北側には「迷子郵便供養塔」「花霊碑」がありました。雪で入って行けませんでしたが、この左には「神風特攻隊碑」などもあります。善子さんと光子さん!前は東側にありまし
土曜日…朝から家族で過ごしています。週末に家出するのは難しいです。午前中はごろごろだらだらと、録画しておいた有吉の『世界同時生中継』を、こたつに入りながら拝観。朝食が遅めだったこともあり、昼過ぎに3人でこたつから這い出して、書道博物館へ。中村不折が作ったという同博物館は、以前から行ってみたいと思っていた場所です。土曜日は、小学生を連れて行くと、入館料が引率者を含めて無料になるので、嫌がる息子を引きづるように連れて行きました。書道博物館というより、漢字博物館のような展示内容でした。館内は基
9月23日木曜日(秋分の日)東京都美術館で新協展を見た後、東京駅まで歩きました。絵の関係で、今月は上野に来るのも3度目です。ですが、東京散歩は久しぶりです。まだ、コロナ感染が収まりません。昼食などは、お弁当を用意して、外のベンチなどで食べます。東京都美術館から、東京駅まで4~5時間ほどのぶらりと散歩です。新協展を見て、都美術館を出発!上野動物園前を通り抜けて、まず、鶯谷方面に向かいます。目指すは、「子規庵」国立博物館隣の立派な門は「池田屋敷表門」通称「黒
あやしい絵展の待ち時間、その前の皇居散策と疲れたので常設展は展示会場もかなり飛ばしいつもの半分の時間で歩き見をしました。菊池芳文の小雨ふる吉野下辺に胡粉の溜まりが出来るように描いているので花びら一枚一枚が雨の滴を乗せているかのよう。菱田春草の富士横山大観の観音岸田劉生の道路と土手と塀梅原龍三郎の城山中沢弘光のかきつばた解説では能「杜若」を題材にして描いたもので、三河の国を訪れた旅の僧が水辺で咲くかきつばたを眺めていると、若い女性の姿をした「伊勢物語」で在原業平
佐久間象山はガラス板を造り、レンズから写真薬品まで製法し写真技術にも精通していたので、自ら写したと伝えられる写真が数枚伝わって居るが、象山の門弟の初代東大総長の加藤弘之曰く、「普通世間に伝わっている先生の写真を見るに、非常に恐い顔をしている。また信州名物の缶詰や織物の商標などにも、やたらに先生の肖像が付いて入るが、皆恐い顔になっている。つまるところ先生の写真は1、2枚しか世の中になく、それも撮影技術が拙劣であったから、あんな恐い顔に撮れたものであろう。西郷隆盛の写真も世に少ないためにやはり大抵の
昨日仕事だったので、今日はお休みになりました😁今日はまったり、ゆったりTV録画を見て、夕方近くにちょっとお買い物😊10月31日(土)〜11月1日(日)長野県諏訪巡りのプチ旅の続きです😌③諏訪大社本宮を後に片倉館へと向かいます😁片倉館(国指定重要文化財)日本の代表的な製糸会社を経営していた『片倉一族』が地元の皆様の為の福祉施設として建てた建物です。玄関には、靖国神社奉納の原型の狛犬が高村光太郎作とあります。世界遺産富岡製糸場(旧片倉製糸場)2005年まで、富岡製糸場は片倉
こんばんは。いつもブログをご覧くださり、ありがとうございますm(__)mこちらのブログでは、作品の紹介や自分の勉強の記録や書道にまつわるお話、まつわらないお話…など、少々個人的な内容も書いています。ブログタイトルとおり、『書道を楽しむブログ』です!書道教室の最新情報は、facebookページ(→ホームページ)よりご確認いただけますと幸いです。********今さら感しかありませんが…(笑)、ちょこちょこと書き溜めていたブログをアップしていきたと思います。今年2月上旬、東京の展覧会巡
子規ゆかりの地、根津と上野を訪ねてみた。根津の子規庵1945(昭和20)年の戦災で焼失したが、1950年に再建されて現在に至る。コロナ禍で現在、休庵中。子規庵の向かいにある書道博物館。子規と交流があった中村不折の記念館が併設されている。館内には、不折が装丁した「吾輩は猫である」のパロディ的な注意書きポスターがある。俳句だけでなく、野球愛好家としても知られる子規。恩賜上野公園には正岡子規記念球場がある。「春風やまりを投げたき草の原」。子規の野球普及への貢献が評価されて、2002年に野球殿
ご訪問ありがとうございます、葉光(HAKO)です。予測のつかないことがいろいろ起こる2020年ですが連休中はいかがお過ごしでしょうか。私はご近所散歩しながら近いのにずっと行けなかった場所を巡ってきました。まさに、今日のお散歩も予測のつかない散歩となったんです。いつものお散歩コースを巡る予定がふと日暮里駅前の羽二重団子のカフェを通り過ぎたとき、寄ってみたいという衝動にかられました。羽二重団子は日暮里に住んで以来ず
こんにちは(^-^)今回は、日本画(軸)2作品の入荷作品をご紹介したいと思います。明治期から昭和期にかけて活躍された洋画家、書家であり、夏目漱石の「我輩は猫である」の挿絵画家としても知られている中村不折(なかむらふせつ)先生と歴史に対する深い素養を備え、人物画を得意とし、夏目漱石の「抗夫」などの挿絵を描かれた野田九浦(のだきゅうほ)先生の作品です。【中村不折-日本画(絹本)-林和靖図】軸サイズ:横45㎝×縦200㎝画サイズ:横32㎝×縦125㎝
昨日は道後のホテル花ゆづきさんで打ち合わせでした。ホテルフロントにはペッパー君がお出迎え(^^)私と目が合うと声をかけてきます。ボクと遊びませんか?一緒に写真撮りませんか?ロボットとわかっていてもつい返事をしてしまう(笑)ごめんね。これから仕事なの。同じフロアに趣のある屏風が飾られていた。正岡子規の句が中村不折により書かれています。見応えがあります。書の流れは不思議な感覚に誘います。ふぅ。すごいな。道後
今日紹介の鳥海山コレクションの絵ハガキは写真ではなく、中村不折筆の挿絵風のもの。中村不折(1866~1943年)という芸術家は近代美術において、あの高名な黒田清輝と肩を並べるくらい洋画に優れ、のちに書に目覚めてからは企業のロゴを手掛けたりしている。清酒の「日本盛」や新宿のレストラン「中村屋」などだ。また古くは夏目漱石の「吾輩は猫である」、島崎藤村の「若菜集」などの表紙や挿絵でも有名だ。勿論初版本でのことである。さてそんな中村不折だが、山岳の作品においてはどうだったんだろう。とて
土曜日、日暮里を後にして向かったのは隣の駅の鶯谷🕊夏にほおづき市をやることで有名な街。でも普段は近寄りがたい街です。こんなお風呂やさんもあるのにね。ハロウィンよりも防砂訓練が重要。他にスペースあったのに、あえてこの上に貼られているチラシ。根岸3町会はシタマチハロウィン否定派ね🎃この辺り詳しくないのでスマホのナビに頼ります。その通りに歩いて行くと、そう、鶯谷はラブホテルの街(なのか?)山の手線に乗って窓の外見ると、かなりの範囲でホテルが立ち並ぶ。でも右側は民家です。ど