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その夜――私は出血した。ほんの少量だったけど、目の前が真っ白になるくらい怖かった。「ストレスのせいだ」ってすぐに思った。毎日つわりでろくに食べられない。眠りも浅くて、夜中に何度も目が覚める。そんな不安定な中で、心まで揺さぶられるようなやり取りばかり。体が悲鳴をあげているのに、誰にも頼れない。お腹には小さな命がいるのに…私が守らなきゃいけないのに、私は今、こんなに弱っている。不安で眠れず、気がついたらスマホを握りしめていた。検索履歴には、無意識に打ち込んで
中期中絶手術とその後皆さん、こんにちは。そして色々とお疲れ様です私もお疲れ様!今人生どん底ですが、何とか頑張ってます自身の記録用にも、記憶が新しい内にブログを書いていこうと思いますが、今後どういった流れが書いていくか整理したいと思います。・羊水検査の様子・羊水検査の結果・中期中絶手術を受けるまでの流れ・入院1日目~4日目の様子・退院した後の流れ大まかにこんな感じでしょうか。ちゃんと整理しないとなんかグダグダしてしまいそうだった
赤ちゃんとやむを得ずさよならをしなくてはいけなくなった方この喪失感、悲しみ、後悔…どのように乗り越えていきましたか時間が解決してくれましたか?上の子がいてくれるから、上の子といるときはまだ気持ちが安定するのですがふとした瞬間に涙が出たり後悔したりなんだかわからない恐怖感に襲われたりします仕事も嫌だったけど、あと数ヶ月で産休だから…とそれをモチベーションに頑張れました今復帰したら何をモチベーションに頑張ればいいのでしょうむしろ頑張りすぎてしまったから、赤ちゃんに影響が出てし
ラミナリアの処置ならびにそれに伴う処置は、みなさんが書かれている通り痛いです。ただ、私は思っているよりという感じでした。どうも人によって、痛みの強さは違うようです。これは、すでに2回ほど子宮筋腫の開腹手術を受けているからかもしれません。ただ、この手術とは違う痛みがありました。私は他の方が書かれていたことも参考にした上で、自分なりに下記が望ましいかと思いました。処置前に●なるべくお腹と腰を温める腹巻を巻いて、カイロをお腹と腰に貼る。熱過ぎるのもの良くないので、
2日目の朝を迎えました。朝食を食べます。食欲はあり、朝から美味しく食べれました。入院中は、ネガティブ思考になると思います。致し方ないです。ただ、ネガティブなことばかり考えていても良くないため、ご飯の時間は食に集中していました。気休めになるかもしれませんが、談話室にその週の献立があったため、それを見ながら、今日の昼ご飯、夕ご飯を楽しみに頑張ろうと思いました。自分のことばかりかよ、と思われるかもしれませんが、それでも悲しみやネガティブが過ぎるとより痛みに対して恐怖を感じるので
中期中絶手術をする予定です。気持ちの整理の為に書いています。不快に思われる方や、精神的に不安定な方は先を読まないでください。明日は入院。毎晩あと何回寝たらバリナちゃん(ベビー)とお別れ…と数えてきた。日中は気持ちに頑丈な蓋をして、割と普通にしてるけれど夜、静かな暗い部屋で天井を見ていると涙がポロポロでた。昨夜は夫くんも一緒に泣いてくれました。周りは気を遣ってくれてるんだろうな。前は『おはよう』とか『大きくなりやー』とかお腹に話しかけて皆んなに祝福されていたのに…誰
この日はスクリーニングの日。旦那と一緒にスクリーニングを受けに行きました。スクリーニング中も元気に動いて、お顔を隠したりしていました。終了後、普段の妊婦健診。診察が終わってから先生から「ご主人も一緒ですか?お話し一緒に聞いてもらおうかな」と言われました。普段は、診察室に男性は入れないので「なんかあったんだ。」って思いました。旦那を呼び、一緒に診察室へ。先生「スクリーニング見せてもらいました。頭と心臓は問題なしです。ただ、お尻のところに1cmほどの嚢胞があります。この時期であるの
入院〜退院までの記録中期中絶入院の記録を記しています。1日目〜3日目の記録を閲覧される方はこちらから↓記事を読む【中期中絶】入院〜退院までの記録①(入院1日目)入院1日目の実記録です。記事内には中期中絶に関する内容が記載されていますので、御気分を害される方はお読みにならないようご注意いただけますと幸いです。・9:00頃入院手続き→体温検査、旦那とバイバイ→お部屋やフロアの説明📝シャワー室がきれいだichihouse.com【中期中絶】入院〜退院までの記録②(入院2日目)入院2日目
仕事復帰後は残業もしていたものの、在宅勤務がメインだったので、平日もジム通いは続けられました。そして死産後3回目の生理が来る頃は心身共に絶好調でした😊生理が来てクリニックを受診して、またクロミッドをもらいました。生理5日目からのクロミッド服用中も気にせずにお酒を飲みたい時には飲酒していました。(あんまりよくないとは思いますが)とにかくストレスフリーに過ごしていましたが、なんか卵巣が痛いというか、なんか活発な感じがしていて、卵胞が育っていることに確信がありました。そしてエコーをすると大き
2月10日に手術してから初めての生理がきました。あぁ…生理ってこんな感じだったなあ。って。約8ヶ月ほど生理がなかったので。2月10日〜3月19日頃までは術後の出血が続いてましたが痛みはなし。これで身体がリセットされて元に戻ったんだなと改めて実感するとともに伸びきったプヨプヨのお腹や二の腕を見るとあの子がいた証のように感じて寂しくなる。一応『産後』の部類に入るのかは分かりませんが以前のような方法では簡単に痩せることが出来ないです。最近は時々思い出して泣き出してしまうこと
カレンダーを見て、もうすぐ満月だということを知って気づいた。赤ちゃんとのお別れからもうすぐ1ヶ月。入院の前日、夫とお腹の赤ちゃんと見た満月が綺麗だったなぁ。今はすっかり一人の身体になった。現在は産後休暇中で、毎日のようにヨガやバレエのクラスに通っています。妊娠前から在宅勤務で運動不足だったので、産後休暇を機に近所のジムに入会しました。身体もだんだん元に戻ってきているみたい。赤ちゃんがお腹からいなくなってもしばらくは妊娠ホルモンが出ているみたいで、10日ほど前は妊娠検査薬で陽性
中期中絶手術から2週間ほど経ちました。で、やっぱり、、旦那がダウンしました、、、。休みなく働いてきて、わたしの中期中絶手術があって、またまたフル回転で働いて、みんなで出掛けようなんて考えたのがダメだったよね。ごめんよ、パパ。近場に出掛けようと思った当日にダウンしてしまいました40度近い高熱と、喉の痛みでした。新型コロナかと思いました。結果違いました。いつもの咽頭炎だった。よくないけど良かった体質なのか、免疫力下がると咽頭炎になって高熱と喉の痛みが出ます。やっぱり無
長い長い文章を読んで下さった方々、ありがとうございました。文章にしたことで、とても気持ちが落ち着きました。8月上旬の出来事でした。わたしは元気ですと、ゆうか、子供が日々うるさいので、そうなりますよね(笑)まだまだ日が浅いので色々と問題はありますが、、、今回、中期中絶手術を終えての感想をまとめたいと思います!ここからはわたしの個人的な感想です。お金の事を中心に、今回の中期中絶手術を書いています。嫌な感じの文章になっているかもしれませんので、無理にご覧にならないで下さい。⬇わ
朝は早かったのでバタバタと火葬場へ向かいました。家族だけなので喪服は着なくても大丈夫との事でした。黒っぽい格好で、との事。喪服を着てみたけど、マタニティ体型が戻らないのでまったく入らず、マタニティの黒ワンピースで行くことにした。火葬場へ着くと担当の女性が待っていた。赤ちゃんを保冷バスケットから出して、みんなで最後のお別れの部屋に行った。息子と娘が作った折り紙や手紙、用意して頂いたお花などを小さな棺に入れて、、。赤ちゃんは相変わらずキレイな顔で眠っているようだった。お花畑に居るよう
全ての準備が整って、あとは葬儀会社の方が到着するのを待つだけだ。片付けをしながら赤ちゃんと待っていた。約束の10時になると電話が鳴り、病院に到着したようだった。そのうちに看護師さんと一緒に部屋にやってきた。ゆりかごのような木製のバスケットと、赤ちゃんを入れる棺を出してくれた。50センチはありそう。かなりの大きさだ。そこには四角い大きな保冷剤が2つ入っていた。わたし達は退院の日に赤ちゃんを連れて帰って、次の日には火葬することになっている。この時期でも1日なら保冷剤を冷やしたりは必要
赤ちゃんのお風呂を終えて、看護師さんは赤ちゃんを朝まで預かって下さるそうで、3階に戻って行った。旦那はあらかじめ病院から紹介されていた葬儀会社へ電話をかけることになっている。入院当日に紹介された2つの葬儀会社に電話をして、見積もりを出してもらっていた。そのうちの決めていた1社に、全てが終わった旨を伝える電話だ。わたしは横で聞いていた。まずは、赤ちゃんを家に連れて帰るのかどうか、火葬はいつにするのか、それを決めなくてはならない。旦那とわたしは、赤ちゃんは家に連れて帰らないと決め
眠りから冷めると処置室横のベットに寝ていた。すべて終わっていた。看護師さんが言った。「本当によく頑張りました。麻酔が効かなくて大変だったけど、あの1時間があったから子宮口の開きが進んだんだと思うって先生が言ってました。辛かった分、赤ちゃんも頑張って出てきてくれたんだね。」と。無痛にするための背骨横のチューブを抜いてもらった。わたしはとっても元気だった。歩けないかと思われてたみたいだが、全然大丈夫で、歩いて部屋まで帰った。もちろん旦那は一緒に居てくれた。全て終わったのが19時頃
※赤ちゃんの状態についてなどの記述も詳しく書いてあります。気分を害する方はご遠慮下さい。よろしくお願い致します。⬇もう身なりははだけてお胸もポロン状態、天パの髪はボッサぼさ。そんな状態で処置ベットへまた移動する。今度は麻酔のチューブを背骨横に入れ直すのだ。何か出そうなのだ。おしりの穴を圧迫してもらいながらイモムシの姿勢になる。この時点でこの姿勢はキツすぎだった。今度はさっきとは逆向きに丸まって、背骨を突き出すスタイルだ。先生にが走ってきた。「ごめんねー。なんかね、上手く
丸まって無痛にする麻酔を受けることになった。帝王切開の時も似たような麻酔をしている。だから大丈夫だ。分娩スタイルのベットがフラットなベットに変わる。その上でイモムシの様に丸まった。バタバタと準備が進められていく。陣痛も1分おきだ。うぅぅぅ〜〜。フゥ〜。と頑張って逃す。ゴルフボールも使えないから辛すぎる。5分ほどして看護師さんが「そのまま動かないでね。少しでも動くとね、本当〜に危ないの。別の場所に刺さると危険だから息を大きく吸ったりもだめなのね。痛かったり、言いたいこ
※思いのほかとっても長い記事になってしまっています。記録として残したいのですみません。。読んでいただける方はよろしくお願い致します。⬇メンタル崩壊したわたしは怒りをぶちまけた。そして看護師さん、助産師さんが「ごめんなさいね。そんなつもりは全然なかったの。飲み物の件はスタッフがこと細かに伝えてると思ったのよ。」と当たり障りのないセリフを返してきた。今のわたしには何も響かないし、そうですか。と思った。「もうこの痛み無理です。どうなるんですか?このまま子宮口開かないといつまで
やっと、やっと出してあげれるんだ。助産師さんに支えられながら陣痛と陣痛の間に分娩台の処置ベットに移動した。頑張って足を上げると「念の為もう一度子宮口確認していいかな?さっきは普通ベットだったから。破水はしてないよね?見てみるねー。」と助産師さんが言った。うぅっ、、、。その間にも陣痛がやってくる。ずっと我慢していたが、聞いてみた。「あ、あの、喉乾いたんですけど、何も飲んじゃいけないんですよね?」と聞いた。すると、「OS1なら飲めますよー(ニコニコ)」と。え、、っ?
先生に泣きごとを言ってみたけどなにも変わらない。この痛みに耐えるのはわたしだ。赤ちゃんのことは常に頭にあったけど、考えないようにしていた。赤ちゃんの方に気持ちが振れてしまうと、ここで踏ん張れなくなりそうだった。ヨタヨタと旦那の方へ行き、2人で部屋に戻ろうとした。「歩ける?陣痛が強くなって来るからね。すぐにコールしてね。」と看護師さんに言われた。「きてる?」と旦那「う、うん。陣痛はきてるんだけど、それはまだまだ我慢できるし、産まれる痛みにはほど遠そう、、。でもこの痛みが1人目を
膣剤を入れ終わり激痛処置が終わった。恐怖と痛みで足がガクガクしている。結局子宮口は1センチしか開かなかったと先生は言っていた。やっぱりな。。あんな痛い思いをしてもわたしの子宮口は開かないんだよね。と思ったとおりだった。ネットのどなたかのブログで見たのはラミナリア15本入れたとか、20本入れたとゆう記事。想像しただけでおぇっとなる。もう尊敬しかない。。子宮口柔らかいっていいな、と心から思った。そして、なぜか寒いのだ。真夏なのに。多分気持ちのせいなのかな?必死でベットから降りて
長々続いて書いています。記録として残したいので読んでいただける方はよろしくお願いします。第三子⑦の続きです。ラミナリア処置2回目を終えて21時の消灯時間がやってきた。相変わらず生理痛の強いバージョンの重たさ、痛みは続いてる。4人部屋だけど個室状態にしてもらっていたので、なかなか眠れない。明日が来るのが怖いのもあった。明日の朝からは絶食だ。体力は万全にしておかなきゃ、と思い電気を消して寝ることにした。旦那から電話が来たり、子供たちを預けている実家の母にも連絡をした。子供たちはわた
※前回のつづきで、1回目の出産の陣痛のお話です。嫌な方は飛ばして下さい。微弱陣痛と診断されて点滴で誘発剤を使用することになった。もうこの頃、この病院に対しての不満とゆうか信頼がゆらいできていたので、誘発剤を使うことに疑問もあったが、夫婦共々疲労がMAXだったので進めることにした。何よりも赤ちゃんに早く会いたかった。点滴をする前にトイレき行ってないから行って下さい、と言われて行ってみたが、8時間ぶりにトイレに行っても何も出なかった。とゆうより、おしっこの仕方が分からなくなってしまってい
涙が止まらない。痛すぎる、、。部屋に戻ろうと思い歩くんだけど、若干歩きづらくてガニ股歩きになってしまう。下を向きながらそそくさ戻った。15時40分くらいだった。もともも生理痛のあるわたしはこの痛みは知っている。結構痛めだけどなんとか大丈夫だった。痛みは例えるなら、まずは生理痛の強め。お尻の奥のほうになにか挟まっていて、下腹部がとにかく重たい。こんな感じだった。それよりもなんとも言えない気分が襲ってきて、それと対峙することになった。子宮口がもともと固くて、あまり開かないタイプ
自分の部屋に戻ってベットに横になる。やる事はない。ここからが本当に長いのだ。だって処置以外なにもやる事がない。とりあえずベットを起こして腰掛けてスマホを見る。気づくとネットサーフィンで中期中絶手術を検索している。まだ胎動がないからお腹に赤ちゃんが居るのかな本当に?といつも思う。ここから出してあげないといけないんだよね。とお腹を見る。なんとも実感が湧かない。普通分娩することも。。。この時お腹の赤ちゃんとバイバイする実感が本当に分からなくて、なんとも言えない気分だった。旦那
プープーとコールが鳴って、処置室へ降りてくるように言われた。あまり出ていないお腹を気にしながら下を向いて3階へ向かった。処置室の右横の分娩室の前には人が居て、旦那さんと一緒に分娩を待つ方たちかな?左を向くと懐かしい赤ちゃん達が寝ている部屋が見えて、その横が授乳室だった。右も左もやっぱり見れなくて、その辺に居る看護師さんに声をかけた。処置室の手前の椅子で待つように言われて数分待った。中から幸せそうな産後処置の方の声がした。あぁ、私も4年前あんなだったかな?と思い出していた。処置しま
入院まであと2日しかない。夏休みに浮かれてしたフットネイルを自分でやすってベリベリ剥がした。入院準備をそそくさとやって、子供たちと遊んだ。わたしは隠し事ができなくて、なんでも子供に伝えます。昔親にウソをつかれて(優しいウソなんだけどね。)それがすごく悲しくて、本当の話が聞こえてきてしまって、なんでわたしだけ本当のことを教えてもらえないんだろう?と子供ながらに思って悲しかったんだよね。意外と子供って聞いてるし、見てる。小さくても考えてるし、知りたいと思ってる。赤ちゃんの事ももちろん話
次の日子供を預けて再度病院へ行った。その間も同じように堂々巡りの話し合いは終わらない。2人とも可能性を探したいし、ダメならはっきりと言われたい。その気持ちだったと今は思う。こんなにきつい待ち時間は初めてだった。30分ほどして呼ばれて、先生に「やっぱり気になってしまうよね。今日は経膣からのエコーで見てみよう。その方がはっきりと見えるから。」と言われた。モニターを見るなり「うーん。やっぱり手の構造が変だよね。見える?手が5本見えないんだ。途中からわかれてるとゆうか、、。」よ