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「五稜郭」から戻ってきた後、「土方歳三」が弁天台場に向かったと知らせを受けたので、朝餉も取らずそちらへ向かいます。北の大地遠征三日目(最終日)(今年もお世話になります、国土地理院ウェブサイトにあるGSIを使ってマッピング)注)廻った順番に脚色があります。「弁天台場」、市電「箱館どっく前」近くに碑のみ立つここに「土方歳三」はいませんでした。屯所に向かいます。「新撰組屯所跡地(旧称名寺)」ここにもいません。こちらは現「称名寺」、「土方歳三」の供養碑
中島廉売入口まっすぐ行くと陸上自衛隊駐屯地に着きます千代台方面に向かいます中島町会館、中島町児童館、中島小学校千代台陸上競技場中島三郎助父子最後の地税務署向かいに有ります説明書きを読むと中島町の町名になった理由が解りました昨年8月に閉店したテーオーデパートの横を通ります北海道教育大函館校舎裏を通りますグランドと陸上競技場の間を通ります盲学校で終点です
こんにちはわが愛読書はこだて歴史散歩からの紹介です弥生坂の上にある咬菜園です咬菜園写真ははこだて歴史散歩から拝借しました案内板中島三郎助の句の中にせわしさのこれやまことの花こころ―――咬菜園(こうさいえん)主人の求めに応じてと記されたものがあるこの咬菜園はあまり知られていないが弥生坂を登りつめた左側で現在原家(船見町三ノ八)の在家となっている安政四年(一八五七年)堺新十郎が千百四十余坪(三七七〇平方㍍余)の土地を箱館奉行か
最近Youtubeが伸びてる(自分比)んですが、それに比例してクソみたいなディスりコメントが入るんはなんなんスかね?いや、視聴者が増えるとアンチも増えるのは世の常・・・別にそれは仕方ないのですが・・・他者を叩く事で自分の価値が上がるとでも思ってるんですかね?マジで怒ってる訳じゃなくて、ああいう人の心理ってのが知りたいなぁ~と素直に思っておりますはい。あ、ちなみにそう言ったコメントは今後無視する事にしましたw(律儀に以前までは返信してましたが、このままフォロワ
咬菜園跡こうさいえんあと函館山の坂のうちに長さの1,2を争う弥生坂の上にあるのがこの咬菜園の跡地。急坂です今では私有地(一般宅)になっているため、史跡ではありますが入場禁止になっています。門は開いているので、うっかり入ってしまいそうになりますのでご注意下さい。外から眺めるだけです。弥生坂のさらに上の方から景色を眺めてみたい!って時にこちらにもお立ち寄り下さい。アクセス市電大町電停から徒歩10分(きつ~い上り坂)10分で着けばいいけど・・
『浦賀物語』初日多くの方々に支えられ無事2ステージ終えることができましたご観劇くださったみなさま本当にありがとうございました!ところでご観劇されたみなさま…『浦賀物語』メインテーマ「願いの彼方」覚えられましたか?ん?すでに帰り道口ずさんでる?ふふふいいですぞ〜✨え?まだ覚えてない?明日覚え直しですぞ!おいでませ!!これからいらっしゃる予定のみなさま当日会場内で配布しているパンフレットに歌詞が書いてあり開演前の前説で流れているので予習して一緒にカーテンコール
話が飛びましたが、三浦三十八地蔵尊霊場の札打ちの続きです浄林寺→大泉寺→西徳寺→能満寺と巡り鴨居の能満寺から1.2キロ14分離れた東林寺を目指しますマンホールはペリーと黒船⛴東林寺に到着🏃🏃🏃🏃🏃鳥居と拝殿は三浦稲荷社江戸屋半五郎が建立と伝わります東林寺参道手前には御前立の地蔵菩薩こちらもお地蔵様本堂浄土宗寺院の東林寺は、浦賀山立像院東林寺と号します東林寺は、立像院と東林寺を合寺して大永3年(1523年)開山しました寺伝の開山は唱阿上人ですが、新篇相模国風土記稿では、生
良く“彼はホンモノだ”とか、”あいつはニセモノだ”と言いますが、“ホンモノ”と言われる人とはどんな人でしょうか?評論家の伊藤肇さんが次のように言っています。「本当の禅坊主は、あっけらかんとしているものです。毎日毎日、きちんと座禅をやっているのに座禅などやっているようなことは一言もいわずに飄々としている。そういう坊さんがホンモノです。ところが反対に、自分が禅僧であることを意識して、いかにも豪放らしくふるまうのは大体、インチキと思って間違いない、そんなのに限って、一見、豪放にみえて、裏のほ
函館は、すでに桜満開。明治2年(1869)5月11日に、箱館戦争総攻撃において、土方歳三は戦死。その後も、戦っていた人がいた。中島三郎助である。榎本武揚が五稜郭への撤退を勧めても、「此処を墳墓の地と決めた」と応じなかったという。さらには、子息の恒太郎・英次郎の他、直井友之助・佐々倉松太郎・平田銃太郎朝夷三郎・近藤彦吉・柴田伸助・福西周太郎らが従ったという。5月16日、千代ヶ岡台場に敵が襲来し、中島三郎助らは戦死。十津川五山によると、三
こんにちは。badasstigerです!おすすめの歴史ドラマはこれです!五稜郭です!里見浩太朗さんが主役を務める年末時代劇シリーズです。一時は紅白歌合戦を凌駕するほどの勢いがありました。2年前に放映されたドラマ白虎隊が大変話題になりましたが、この五稜郭をあえて推します❗️渡哲也さんの土方歳三がめちゃくちゃカッコよかったです。そして、若林豪さんの中島三郎助も素敵でした。中島三郎助については僕のブログで詳しく語っているので気になる方は読んでみてください😆9割が知らない‼︎大河ドラマ
明後日は「新選組史再考5」のオンライン講座です。ご参加の皆さま、宜しくお願い致しますさて、1月末に行った浦賀レポラストです最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ|新選組徒然日記(ameblo.jp)前回の記事は→浦賀へ12中島三郎助墓所中島さんのお墓参りしたあとは、テクテク歩いてSさまにご案内頂いたのは…顕正寺故海軍大尉香山君碑ペリー来航時、浦賀奉行所与力だった香山栄左衛門さんの長男・永隆さんの顕彰碑。栄左衛門さんはペリー
一昨日は「新選組史再考5」のオンライン講座でした。ご参加の皆さま、ありがとうございましたいよいよ浪士組が京都に向って出立。道中であったあれやこれや…同内容で、今月は29日(日)に行いますので、ご希望の方はご連絡下さいませ。さて本題は、1月末に行った浦賀レポの続きです最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ|新選組徒然日記(ameblo.jp)前回の記事は→浦賀へ11浦賀の渡し|新選組徒然日記(ameblo.jp)渡し船で対岸に着き、向
少し間が空いてしまいましたが、1月末に行った浦賀レポの続きです最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ|新選組徒然日記(ameblo.jp)前回の記事は→浦賀へ9愛宕山公園(三郎助招魂碑)「愛宕山」から下山して…次に向ったのは浦賀奉行所跡浦賀奉行所は1720(享保5)年に伊豆下田から移転し、主に江戸湾を守るための船改め、海難救助を行うための地方役所として機能しました。船改めは海の関所のようなもので、江戸に来る交易船は、この浦賀で必ず検疫を受けな
本日はよみうりカルチャー横浜の講座です。ご参加の皆さま、宜しくお願い致しますさて、1月末に行った浦賀レポの続きです最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ|新選組徒然日記(ameblo.jp)前回の記事は→浦浦賀へ8特別展「浦賀コミュニティーセンター分館」の特別展を観たあとは、近くの史跡巡り。道の途中に、様々な説明板がありました。そして着いたのが、こちら。愛宕山公園(浦賀園)愛宕山公園は、明治24年(1891)に開園した市内で
先日の日曜は「相模大野アートクラフト市」にこまめのお店「みにちゅあふーど豆ぱん堂」のお手伝いに行ってきました初めて参加したのですが、なかなか面白かったです。ただ生憎のお天気と「豆ぱん堂」の割り振られた場所が悪かったのかそもそもの人通りがあまりなく、こまめ曰く売り上げは2年半前に出店した時の半分でも対面販売ならではのコミュニケーションもあり、楽しい1日でしたさて、少し間が空いてしまいましたが、1月末に行った浦賀レポの続き最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ
1月下旬、浦賀イベントに参加した時の記事、続きです最初の記事は→浦賀へ1出発まで&おまけ|新選組徒然日記(ameblo.jp)さて、横須賀へ前泊し、翌朝早くに浦賀へ。チケット販売は9時からなのですが、事前情報でチケットは一人で複数枚購入可。予約やネット販売はしていなかったので、確実に手に入れたいのなら早くに並ぶしかない。ということで、7時にこまめが先発すでに並んでいる人がいる、との情報8時過ぎに私が浦賀駅到着。地図を頼りにイベント会場まで歩
4月になりましたね。家の近所での桜並木も美しく咲き誇っております今日・明日のお休みは、お花見日和でしょうか。さて、記事の方はまだ寒さもかなり残る1月下旬のこと。このイベント目的で、初の浦賀へ行って参りました昨年の10月下旬から今年1月下旬までのイベントで初公開の千代ヶ崎砲台とレンガドックを、ガイド付きで案内してくれるとのこと。昨年から自分の講座と、LINEグループ「新研組」でお知らせしてきました。(☆LINEグループ「新研組」は、個人LINEのグループです。新
こんにちは。まったく記事にしていませんでしたが。大河ドラマ「蒼天を衝け」ちゃんと欠かさず毎回観ています。青天を衝け前編(NHK大河ドラマ・ガイド)Amazon(アマゾン)420〜4,254円青天を衝け後編(NHK大河ドラマ・ガイド)Amazon(アマゾン)737〜4,361円ツッコミどころいっぱいあり過ぎて、記事にすると長くなるのであえて避けていましたがオリンピックを挟んで飛び飛びに放送された前々回第24回「パリのご維新」前回第25回「篤太夫、帰国
おはようございます感染がまた拡大しつつあるようで、不安な日々ですが、いま一度、気を引き締めて頑張っていきましょう!今回の歴史旅行記の舞台は「函館」です函館旅行では沢山史跡巡りをしたので、全4回でおおくりします3年前の12月に行きましたが、見事に雪で覆われていましたこの旅行の目的は、新選組にまつわるところをめぐることでしたまず最初にいったのは、碧血碑明治元年~明治2年に、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である箱館戦争がありました(明治2
いよいよ師走。2020も残り少なくなってしまいました。ペリー来航の地として知られる地元、横須賀は浦賀奉行所開設300周年の年にあたり歴史あるまちとして様々なイベントで盛り上げて行く1年になる「はず」でした。かつての賑わいはどこへやらすっかり静かなまちになってしまいましたが穏やかな海と、澄んだ青空。意外といいところなんだよ!コロナで予定していたイベントが中止や延期となりなんだかうやむやになってしまったと伺っておりましたがLOVE♡URAGA
サニ横リーダーのヒロですサニーサイドゴスペルクラブ横浜2018年1月21日(日)@浦賀行政センター。京急浦賀駅から徒歩7分、浦賀行政センターでおこなわれました第24回中島三郎助と遊ぶ会。かつては浦賀ドックで開かれていたこのお祭りは、浦賀行政センターに場所を変えて開かれました。【参考】第24回中島三郎助まつり20182018/1/21(日)浦賀行政センターhttps://ameblo.jp/sunnyside-yokohama/entry-12
昨日までの中島三郎助文書一連記事で、「合語」のことを書きました。『箱舘千代ヶ岡陣中日記2合語』一昨日の続きです。「中島三郎助文書」の中の「箱舘千代ヶ岡陣中日記」。その記載内容とは別に、ちょっと目を惹いたのが「合語」。つまり合言葉、ですよね。この言葉が初…ameblo.jpそれに関連して、よみうりカルチャー横浜講座受講の方から5月11日の総攻撃の日の、新政府軍側の「暗號」が書かれていましたと、教えて頂きました。戊辰戦史第十二編よりこの日の「暗號」-つまり合言
中島三郎助文書関連記事、ラストです。「長崎文書」の中の「閑窓雑記」。中島さんの覚書のようなもので、本当にいろんなことが書いてある。オランダ語の訳とか、「エイケン木〔オーク〕ノ葉」の図を写したり、時に句が記されていたり…また彼は喘息が持病でした。その為なのか、「喘息治法」や「喘息薬」、また「コレラ薬」とか「滋養剤」の記述もあります。その中に、こんなのも。「カステイラ」之法一白砂糖一斤一玉子一斤一ウトン粉五十目又法一上々白砂糖百
11月ですね。早いもので今年もあと2ヶ月。私が通っているジムも、年内で閉館になります。他に近くにジムがないので、どうしようかと迷い中。。。あと2ヶ月。まだ2ヶ月。頑張りましょさて、記事は中島三郎助さん関連。もう少しお付き合い下さいませ「中島三郎助文書」の中に、安政2年長崎に開設した「長崎海軍伝習所」に伝習生として参加した時の記録「長崎文書」が収録されています。先日の「曜日」の記事中でも少し触れました、海軍伝習所の授業?は、こんな感じ。日課月曜日
サニ横リーダーのヒロです2020年も11月を迎えましたサニーサイドゴスペルクラブ横浜のアーカイブから2015年1月25日(日)浦賀ドック。浦賀ドックはものすごく大きな倉庫みたいなところで、季節がら、めちゃくちゃ寒かったです本番の寸前までみんなコートを着ていました。ヒロは半そでのサニTだけだったのですが、緊張で寒さを全然感じませんでした(笑)。その時の一曲目がこの曲「What'sToCome」。ヒロ初舞台の日201
まいどどうも。えー、将棋の8大タイトルの一つ、『叡王戦』の存続が実は危ぶまれていたのですが(苦笑)、無事、来期の開催が決まったようです。叡王戦について|将棋ニュース|日本将棋連盟日本将棋連盟の叡王戦についてのページです。日本将棋連盟は伝統文化としての将棋の普及発展と技術向上や将棋を通じた交流親善などを目的とした公益社団法人です。www.shogi.or.jpまあ、このテの契約の裏には、素人の想像も及びもつかないことがあるんでしょうけど
一昨日の続きです。「中島三郎助文書」の中の「箱舘千代ヶ岡陣中日記」。その記載内容とは別に、ちょっと目を惹いたのが「合語」。つまり合言葉、ですよね。この言葉が初めて記載されたのは、4月19日。前々日の17日は、徳川家康公の祥月命日。一今日午後ゟ隊長初一同、上山、東照宮江拝謁ニ参り候事。と記載されています。年明けの1月の月命日には、箱館軍の皆が参拝に行っていました。が、この頃には新政府軍との戦いになっていました。それでも中島さんをはじめ、千代ケ岡にいた人たちがお参りに行
以前のblog記事にて、中島三郎助・高松凌雲さんの本のご紹介をいたしました。『お薦めの本2』昨日の続きです。実は先月のよみうりカルチャー横浜講座の資料準備の時読み直して、改めて良い本だなと思ったので。浦賀与力・中島三郎助伝木村紀八郎著史資料ベ…ameblo.jp文末に「中島三郎助文書」を貸して頂き、現在読んでおります、と書きましたが、その中に「箱舘千代ヶ岡陣中日記」が全文記載されていました。「箱舘千代ヶ岡陣中日記」というのは、千代ヶ岡陣屋を守備していた「浦賀隊」の人たち
再び西浦賀へ渡船は、午後1時まで昼休みなのですが、私の顔を見て「どうぞ」と声を掛けてくださいました。15分も早くの出船です。船頭さんありがとうございます!再び、西浦賀に向かいましょう。先ほどは、叶神社のある明神山の頂きまで登りましたが、今度は、西浦賀の最高峰、愛宕山の登頂を目指します。愛宕山には、中島三郎助の招魂碑と咸臨丸出航碑、与謝野鉄幹・晶子の歌碑があります。中島三郎助招魂碑が建つ愛宕山浦賀港沿いの路地に入ったところに「浦賀園」と読むのでしょうか、愛宕山公園の入口がありま
昨日の続きです。実は先月のよみうりカルチャー横浜講座の資料準備の時読み直して、改めて良い本だなと思ったので。浦賀与力・中島三郎助伝木村紀八郎著史資料ベースで読みやすくまとまっております。一番使われているのは、「中島三郎助文書」なんだけどそれ私家本で、なかなか手に入らない私も引用されているのは読むのですが、原本は未読でした。中島三郎助の生涯山本詔一著こちらは冊子のような感じの薄い本です。上記の「中島三郎助伝」を、簡潔にまとめた感じ。メッチャ読みやすい