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第2回天理教を始めた人は?こんにちは!今日も天理教について勉強していきたいと思います!第2回のテーマは「天理教を始めた人は?」です!それでは始めましょう!①天理教を始めた人の名前は?天理教を始めた人(=教祖)のお名前は、中山みき(なかやまみき)様といいます。天理教では、中山みき様のことを、「教祖」と書いて「おやさま」とお呼びしています。②どんな人?寛政10年(1798年)~明治20年(1887年)に、大和国山辺郡(現在の奈良県天理市)で暮らして
天理TENRI🔴総合版(💯点満点)2026年4月現在①交通利便性2点②治安9点③買い物環境3点④飲食店6点⑤子育て環境8点⑥公共施設4点⑦観光スポット5点⑧家賃価格など8点⑨商店街・SC5点⑩防災8点合計58点🔴一人暮らし男性版合計50点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計53点※一人暮らし女性版は交通利便性と治安重視🔴子育て世代版合計61点
2018年に書いたものですが、トランプ政権がまた生まれるご時世でもあり、再度、直しました。『教祖存命の理とは何か―本席のさしづが神の言葉』天理教において教祖に対する信心が確立され、その教祖として歩まれた50年の道すがらは雛型の道として信仰者が振り返るべき模範・範型とされる。<キリスト教の神学…ameblo.jp
東北イネハポと茶話会の打ち合わせをしている時、モンゴルのシャーマンの話になりました。モンゴルでは、2000年代初頭に狩猟牧畜民のブリヤート族にシャーマン*の増殖現象が起きたそうです。その後、それはモンゴル中央部に飛び火して、まるで感染症のようにシャーマンが都会の真ん中にたくさん生まれるという不思議な現象になったという話があり…(*シャーマンはツングース語の「シャマン」が語源)東北の口寄せ巫女の話などを、東北イネハポから聞くうちに、私が興味を持っている大本教の出口ナオ、天理教の中山みきの名
天理教では秋季大祭が各地の教会で営まれており、ご巡教された先生のお話をヒントに復習してみたい。天保9(1838)年10月26日が天理教の立教の元一日と呼ばれていて、それを祈念して御本部におかれても秋の御大祭が令和6年10月26日(土)に執行されることは言うまでもない。講師の論点から立教の元一日に関連して、以下の史実が指摘された。1.天保8年10月26日に秀司の足痛があり、長滝村の庄屋で修験道の行者として名高い中野市兵衛に依頼して救いが起きる。その後、救われても翌日に同じ
世間の常識やマスコミに洗脳された頭ではアレルギー反応を起こすかもしれませんが、人類は皆神の子ですから、先入観なしで素直に観れば、きっと琴線に触れると思います。20歳代で初めて観て、10年に1回くらいの頻度で観たくなります。神様を忘れかけている自分を見つめ直すのに最適です。40年前のビデオをDVDにダビングして持っているのですが、ユーチューブで見つけましたので紹介します。私は天理教とは何の関わりもありませんが、教えは素晴らしいと思っています。天理教教祖の物語「扉はひらかれた」天理教教祖の物語です
オノヨーコはジョンレノンを伊勢の神宮と靖国神社へ案内したみなさん、おはようございますオノヨーコさんの誕生日ですオノヨーコさんがジョンレノンを伊勢の神宮と靖国神社へ案内しあの名曲イマジンが生まれましたアリガトウ、オノヨーコさんアリガトウ「2月18日」の國史です「天理教の教祖、中山みき、没」明治20年(1887年)天保9年(1838年)10月26日みきの体に世界と人間を創造した神様天理王命(てんりおうのみこと)が入り込みます神の啓示(おつげ)
お正月も仕事初めで日常生活に戻ってしまいますね(;^_^A日本の伝統的なお正月行事の一つである「鏡開き」、一般的には1月11日に行います。かつて「鏡開き」は、1月20日の行事だったようですが、三代家光が4月20日に亡くなったことで月命日の「20日」を避けるようになり、1月11日となったのだそうです。我が地元・奈良県天理市は、天理教の名前が市名になった宗教都市なのですが、その天理教では「鏡開き」を1月4日に行われます。Yahooニュース1月30日では、神殿に鏡餅を
今日は久々にスピなネタ興味ないかたは、お帰りを(笑)最近、縄文ブームなのでしょうか?SHOGENさんの動画をみてからちょいちょい、縄文の文字をみるようになりました。ネットは見たものの関連動画が流れるからたまたまかな🤣でも、数年前からこれからは女性の時代がやってくるみたいな話しもあったからそれを思うと、縄文時代の女性の土偶とか繋がってる気もしますよね。それはそうとここでも、女性の時代いうてました。この動画みて見えない世界って、やっぱりあるんやなーって思ったんですよ。
啓示書である『おふできき』第15号は明治13年1月から教祖が御執筆になるものだが、その最後のほうに驚くお歌があり、その意味を本日は深めたい。このたびのつとめ一ちよとめるならみよだいなりとすぐにしりぞく(15-88)明治13年の年表を見ると、「はじめて、三曲を含む鳴り物をいれて、ようきづとめがおこなわれる」とある。明治13年は神様が望まれた「おつとめ」が形式的にも地上において初めて現出した記念すべき年であった。このはなし四十三ねんいせんからむねのざんね
前日、心筋梗塞の定期診療の為、かかりつけの病院に通院しました。検査と問診のスキマ時間に「天理教教祖墓地」に訪れました。『奈良県天理市天理教教祖墓地』昨年2022年8月に心筋梗塞を患い、3ケ月おきの定期診療で病院に行って来ました。血液検査、心電図検査を終えると、検査結果が出るまで約1時間の待ちがあり、そ…ameblo.jpゆりかごから墓場までこれは、イギリスの社会政策のスローガンである”fromthecradletothegrave”の和訳で
昨年2022年8月に心筋梗塞を患い、3ケ月おきの定期診療で病院に行って来ました。血液検査、心電図検査を終えると、検査結果が出るまで約1時間の待ちがあり、それから問診となります。1時間も待合椅子にポケーっと座っているのも退屈すぎるので、天気も良いし病院近隣を散歩することに。病院を出て、目的地に向かって進んでいると、歩道脇には、ツツジがキレイに咲いています。奈良マラソンのコースで難所になっている豊田山を上っていきます。天理教教祖墓地·〒6
【第二章】私がこの地(大阪・天王寺)に拠点を置かせて頂いて今年で20年になります。又、約20数年前に私自身の魂の存在を国祖の方々に導かれ、その20数年の間に目覚めと気づきを得ながら今の私があります。その私は、全身全霊で今の神世を読み解き、今私たちが真の魂に目覚め、気づきを持つことが大切な時であると私自身確信しています。そして私の考えを次に述べてみようと思います。よく、神事に関わっておられる方々がお伝えになる事ですが、日本は長い間続いた武士の時代を終え、新しい神の国として明治天皇を国祖の
「天理教」人間が互いに助け合う陽気暮らしみなさん、おはようございます観音様の縁日ですご真言オンバラダハンドメイウンを唱えるといいですねさあ、今日「2月18日」の國史を学びましょう「天理教の教祖、中山みき、没」明治20年(1887年)天保9年(1838年)10月26日みきの体に世界と人間を創造した神様天理王命(てんりおうのみこと)が入り込みます神の啓示(おつげ)を受けその教えを人々に伝えたのが天理教の始まりです人間が互いに助け合う陽気
皆さまこんにちは心乙です先日瞑想の中で【おまはんができるんやから皆でけるで】とおばあやんに駄目押しされた要は何の能力もない私が突然この時代に天啓だとか憑依だとか不思議現象が起きることに天も実験とお試しをしてなんとがかんとか納得させて実践させることを決心させる私のガイドは【明治時代の女性一代】中山みきという女性男尊女卑の時代に抵抗勢力の中宇宙の仕組みを語り継いだ勇気ある女性だ教祖であったその方は強い一面やはり女性という人生を【罪悪
本席、飯降伊蔵さんによる最後の啓示は『100日さしづ』と呼ばれる。その連続した啓示は、この道の真理とは何か、この道が教祖(おやさま)から始まって70年たったその意味の総括を語り、そして今後10年間の展望を与えたものである。世界救済の真理を教祖が説き始めて50年、さらにその天啓は本席様によって継承されて20年たったのが明治40年であった。当時の天理教の隆盛は政府の弾圧にも表れほど、勢いがあった。その頂点にあって、本席様の啓示の指導で、教団体制は組織化されて、道が広がってきた。そして、翌年の明
『おふできさき』第4号の最後のお歌に、「これからハよろづの事はみなとくで心ちがいのないよふにせよ」(第4号134)この中で、下の句の「心ちがいのないようにせよ」という文句は、明治15年4月に教祖が松村栄治郎さん(妻の”おさく”さんの妹のまつゑさんは秀司さんと結婚し、中山家と縁戚になる。)に与えた、以下のお歌の中に似た表現があり、再度引用したい。なお『おふでさき』も明治15年で執筆が終わっているが、この歌は、おふでさき号外の一種のようである。『教祖(おやさま)と浄土宗、キリ
彌吉WHO?天理教の教祖、中山みきの夫の中山善兵衛はどんな人だったのか?同様に、東本大教会初代会長の中川よしの夫である中川彌吉先生はいかなる人だったのか?どちらも偉大な妻の背後で、評価が低いか、忘れ去られている人物としてここで、光を当てたい。これは夫婦関係の在り方、天理教における救済の方法論という二重の問題が絡み、常識的には理解が難し問題である。以下、若干の試論を行う。教祖の夫、善兵衛さんが、妻の神懸かりにあたり、「みきを神の社(やしろ)」として捧げますという決意はしな
こんばんは!!ブライダルナカノの愛植男です!世界中から集めた愛の名言集♥今日の名言はこの方人たすけたら我が身たすかる中山みき幕末三大新宗教のひとつ、天理教の創始者。天理教の口伝によると、みきが始めたのではなく、みきを依り代とした神下りがあり、体を神の社として使わせろと神が言ったとか。みきは死ぬまで協会設立に反対していましたが、死後信者たちが天理教として届け出たそうです。「情けは人の為ならず」という言葉があります。
天理教との所縁も深い佛性山善福寺です。境内や墓域にかけて塚穴山古墳が重なっています。■寺号標■六地蔵1999年(平成11年)六地蔵覆屋改築。■山門1999年(平成11年)改築。それ以前は内山永久寺塔頭の門でした。奈良時代(710-794)行基(668-749)により頭光山西光寺を開山。1175年(承安5年)浄土宗に改宗。■本堂本尊:阿弥陀仏1984年(昭和59年)再建。■行基菩薩報恩碑当山開基と伝わります。茶色に変色し
教祖(おやさま)が中山家に嫁に来たのは、文化7年9月15日、13才であった。天啓者となる教祖の御年は40才であるが、その前に育児をしながら、隣の家の子供の救済があった。これが天保9年の神がかりに至る、精神的土壌、宗教的精神の土台作りだとされている。最初の子供は、男子で善右衛門で、後の秀司と改名した。以下の生まれた子供たちの誕生日などを、書いておきたい。文政4年(1821年)7月24日長男、善右衛門誕生。教祖24才。文政8年(1825年)4月8日長女、おまさ誕生。
昨日は伏見稲荷大社に一日参りに行ったわけですが、商売繁盛どころか中型トラック配送の定期便がまさかの失注することになるという悲報が入り、なんだかモチベーションが低下する一日でした。前職サラリーマン時代は、総合的な管理職だったので、営業職のようなノルマやプレッシャーをあまり感じることもなく、いい意味のほほんとルーティン業務をこなしていたわけですが、安定した案件の失注はそのまま収入低下につながる個人事業としては大きな痛手です。。。こういうときサラリーマンだったら気楽に構えていられるんで
脱サラして小さいながらも運送業を営んでおります。年が明けたらようやく2年経過し、春より開業3年目を迎えます。まだまだ経験値も浅く、日々精進していく所在でございます。そんな数少ない未熟な実務経験ですが、今回初めて飛脚便で納品をしました。※画像は、佐川急便HPより引用飛脚便と聞けば、佐川急便さんをイメージするかと思いますが、佐川急便さんに依頼したわけではなく、自力人力で配達したのです。書類サイズで重さ300g程度の荷物、納品ルートも伊勢本街道・上街道に
去る12月9日、自衛隊イラク派遣が閣議決定されました。この事は、まさに昭和16年12月8日の日米開戦の大本営発表を想起させるものですが、実はこの12月8日というのは、単に日米開戦の日のみならず、極めて重要な意味のある日である事が、天理教、大本によって示されているのであります。明治20年1月1日(旧暦12月8日)中山みき天理教祖が風呂場でよろめかれた際に、「これは、世界の動くしるしや」と仰せられて、12月8日の重大性を暗示されたのです。次いで大本においては、昭和10年12月8
『12月8日の仕組』で世に出た神<昭和20年8月15日敗戦の日、その日の夕刻、王仁三郎は「こうならぬとこの神は世に出られぬ」ともらしたが……>(出口栄二著『大本教事件』251頁)この大本の出口王仁三郎聖師の言葉からしますと、昭和10年12月8日の大本弾圧が移写した昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に始まる大東亜戦争は「この神」が世に出る為の経綸仕組みであった事になります。それでは「この神」とは、いったいどのような神なのでしょうか。「この神」は大本を〈型〉として12月8
おはようございます。2021年4月18日(日)今日はよい歯の日、よいお肌の日、お香の日、ガーベラ記念日、世界アマチュア無線の日、発明の日、ウッドデッキの日、県民の日[三重県]です。http://isshokenmeihajimekun.at.webry.info/201501/article_109.html※よい歯の日日本歯科医師会(日歯)が1993年に制定。四(よ)一(い)八(は)で「よい歯」の語呂合せ。歯は大切ですね。*今日の名言(1)難儀は節だ、節から芽がでる。中
月日の社である教祖がなぜ、宮池への投身自殺を図ろうとしたのか?教祖は信仰に絶望したのか?これは捏造されたストーリーではないか?教祖は実は単なる人間であった。神を自ら創造したのである。などなど、島薗進元東大教授も「信仰と疑惑」の間で、この史実を取り上げて、中山みきを人間学的・心理的に想像した論文で学会賞をとられました。村上道昭先生のエッセーも、この問題を取り上げていました。No.20教祖を身近に連載第20回宮池の問題教祖を身近にNo.20宮池の問題
天理教教祖・中山みきが、幕末の天保9年(1838)10月26日に「神の社(やしろ)」であることを夫の善兵衛が受諾したことで、御年40歳の女性による新しい宗教が立教したことは何度も繰り返し記憶されている。幕藩体制が瓦解していく中で、国際社会の脅威から攘夷運動がおき、倒幕運動へとなり、30年先には明治新政府が樹立される。幕末から明治初期の激動期を生きた、女性の宗教家の中山みきの生涯のうち、特に天啓が起きてからの40歳から、御身を隠される90歳(明治20年正月二十六日)までの50年間の宗教者・信仰
おやさまの御尊顔を収めた写真は存在するのか、との問い掛けをされることがあります。答えはあります。ただ、御在世中は、「生き姿は残さん」とのおやさまの思召により、撮影されたことはないと言われています。ではなぜ御写真は存在するのか。それは、おやさまお隠れの直後、平野楢造先生が大和郡山の写真屋を呼び、御遺体を撮影したからです。二人がかりで後ろから頭と背中を支えた状態で起こして、正面と後ろから写した二枚だけ現存します。これは、二代真柱様が著書で証言されていますので間違いありません。