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コロナな日々201~法隆寺と中宮寺●2024年5月〇日(〇)現在、わが家は大凶ともいうべき状況だが(自分は仕事で大失敗、妻は自転車で転倒して骨折、娘はクラス替えで友達・知り合いが皆無、母も転倒して怪我)、家で鬱々としていても事態は一向に好転しないため、元々予定していた通り、外出することにする。行先は、秘仏「救世観音(くせかんのん)」のご開帳のタイミングが合わず、昨秋に訪問できなかった法隆寺である。朝、クルマで出発。高速入口のゲートで、突然ナビから「ETCカードが利用できないた
東大門(奈良時代)三棟造り東院伽藍四脚門夢殿前の取水舎鳥特別開扉夢殿秘仏・救世観音菩薩立像開催期間:4月11日~5月18日4&1&1&5&1&8=20(11)夢殿(奈良時代)西暦601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といいます。その中心になる建物が夢殿です。(パンフから)ちょうど、特別開扉シーズンだったため、夢殿秘仏・救世観音菩薩立像を見ることができ
久しぶりに、仏像の話から弥勒菩薩の話が出て、5年ぶりにようやく、氣が付いたのだけど…『アレ⁉️わたしは、別に弥勒菩薩や、仏像自体が好きなわけじゃないよな……🤔はて⁇なんで私も同じように好きな人だと思われていた?そもそも、私が、好きなのは[偶像物]ではなくて、それを作った側の【職人】達の背景にある知恵と努力と技術の結晶だ‼️!(◎_◎;)』と、気付いてね( ̄▽ ̄;)なんだかあの当時、法隆寺から中宮寺に行って弥勒菩薩のクリアファイルを購入した
奈良の二日目は、朝一に法隆寺に隣接する中宮寺に行きました。中宮寺は聖徳太子が母親のために建立したお寺でご本尊が国宝の如意輪観音です。前にも書きましたが、私が初めてこの観音様を見たのは、仕事の関係で関西にいた時です。観音様はまだ古い木造のお堂に安置されていましたがその美しさや、優しいお姿に感動し、その後も何度か訪れました。(そのお姿は下記のHPで見れますので是非ご覧ください)ht
わたくし山岸涼子先生の『日出処の天子』の大ファン🩷そう、何を隠そう聖徳太子推しなのだ笑笑以前から行きたかった法隆寺にやっとやっと行って参りました😆行ってきまーす♪♪JR三ノ宮駅から法隆寺駅まで乗り換え1回1時間11分片道1110円、近い‼️法隆寺まで歩いて15分くらいかな。きゃ〜🩷きゃ〜っ、🩷桜はすでに散り気味でしたが、聖徳太子の軌跡に触れられてとっても良かったです。御朱印も頂きました。中宮寺にも行って御朱印頂きました。次回は秋に行って法隆寺→奈良駅までバスが出ているので
僕は今まで、半跏思惟像は広隆寺のものが頭にこびりついていました。そして以前、このブログに「手印」について何やら書きました。Htenaphotolifeよりしかし、今朝、法隆寺の傍にある中宮寺の半跏思惟像を見たときのことを思いだしました。中宮寺のHPより両者の違いは親指と薬指が接触しているか否かです。どちらも弥勒菩薩ですから「悟り」を開いて「仏」となる前の姿です。親指と他の指を合わせてみて、どんな感じがするのかは既に書きました。これから書くことは
たのしい。急がずゆるポタすると色んなものが見えます。そして、自転車はたのしい。#奈良はたのしい#斑鳩町#法隆寺北#中宮寺#自転車はたのしい#急がずゆるポタ#ポタリング#ロードバイク#ブリヂストン#アンカー#日々是好日
『チンターマニペンダント』チンターマニペンダント、こんな感じですあと少しで勤務が始まる。制服があるけど、カーデガンは自分で準備しなくちゃいけなくて、こちらにしました[ナースリー]抗ピ…ameblo.jp嬉しい出来事がありました。チンターマニペンダントを購入しました。レビューを書いたら、プレゼントを頂けましたプレゼントを頂けるだなんて、どこかに書いていたかもしれませんが、よく読んで居なかったのかも知れませんが、知らなくてビックリ!ポストに封筒が入っていて、差出人が先日、チンターマニを
それは、法隆寺です。『いつも明るく元気よく』と『気持ち良くご利用頂こう』がモットーの"めだか"こと、窪田泰伸です。先週の日曜日、久しぶりに観光のお仕事を頂きました。ホテルにお迎えに行ってお客様にご挨拶をした瞬間、「なんて素敵なお客様なんだ」って思ったほど、爽やかな笑顔と、明るくて元気なお姿がとても素敵なお客様でした。東京からお越しのお母様とお二人の娘様の3人組。ご乗車頂いて、行程やご希望などを確認してたら妹さんが仏像好きと判明。会った時か
先週、奈良のおねえさまご夫妻に法隆寺へ連れて行っていただきましたー!2017年にここアメブロでお知り合いになりフロリダへ来られた時に初めてお会いし夫は、それ以来、私は、4年振りの再会でした。ずっと気にかけていただいて、有難きご縁に感謝です!法隆寺駅まで迎えに来ていただいてまずは、ランチにお二人の行きつけのお店手打ち蕎麦たぬきさんで、ご馳走になりました!揚げたての海老の天ぷらも分厚いお揚げさんもそして勿論お蕎麦もすごく美味しかったです!!ランチの後
今日は仕事が終わり9時間かけて帰る予定。折角奈良まで来たので日本最初の世界文化遺産の法隆寺を見学。。。歴史を感じ学びながら中宮寺も見学「考える像」として有名な半跏思惟像、「世界三大微笑像」とも呼ばれております。近くにある斑鳩神社も寄らせて頂きました。歴史を肌で感じまだまだ勉強不足でした。事前に調べて行くべきですね。
この連休は一人旅で奈良県に行ってきました奈良は随分前に京都旅行のついでに半日観光しただけ半日では行きたいところ全部なんてとても行かれませんでした今回は2日間奈良県オンリーで沢山回ってきました♪2/23(金)撮影です東京から奈良へ行くにはまず新幹線で京都へそしてJRに乗り換えて奈良まで行きます一泊なので有意義に過ごすため早朝6時発ののぞみに乗りましたビックリしたのは朝6時と言う早い時間なのに指定席は全席が完売自由席では通路に立っている人もいてとても
昨年から日帰りでお参りしている寺社をご紹介させて頂きます✨法隆寺金堂壁画の収蔵庫、限定公開へ訪れた際・・・『法隆寺金堂壁画限定公開R5.11.3~14』久しぶりの更新となりました(。-人-。)先日ブログでお知らせしていました火災により一部焼損しました法隆寺金堂壁画を未来に遺す為保存活用資金のクラウドファンデ…ameblo.jpこの日は中宮寺さんへもお参りすると決めていました✨というのもいつも法隆寺夢殿まで来た時にあっ中宮寺さん💡と、思い出すのだけ
昨日は『法隆寺』を勉強したくって10時〜13時までみっちりとボランティアガイドさんにお願いしましたまゆみちゃんと一緒に❤法隆寺のIセンターからまっすぐにのびた参道が美しい南大門南大門入口から見える中門や五重塔が絵になる西円堂晴れていたら西円堂からの眺めは最高ボランティアガイドのYさんここから見る五重塔も絵になるこの相輪の下についてるのは釜なんですがこれねこれは雷⚡が落ちぬようおまじないのようなお役目みたいです今は避雷針とかあるけど昔はおまじないに頼る
法隆寺の夢殿の隣に中宮寺はあります。もとは、今の場所から500mほど東にあったそうで、四天王寺式伽藍配置だったようです。平安期に衰退し、本堂とわずかな堂宇のみを残すほどになりましたが、その後何度かの中興、衰退を繰りかえして延慶2年(1309)の火災以降、寺は再び衰微するところとなりますが、天文年間(1532~1555)、後伏見天皇八世の皇孫・尊智女王がご入寺。その後、後西天皇内親王、有栖川宮より姫君など、御六方がご入寺され、宮家の皇女を迎える尼門跡寺院となります。現在も
2からのつづき※ご朱印を追記しました。東室から百済観音堂へと向かいます。手前に馬屋がありました。聖徳太子が献上された馬に乗って富士山へ行ってきたという話があるそうで、その時乗っていた黒い馬の像がここに展示されています。3日間で行って帰ってきたそうです。綱封藏(こうふうぞう)寺宝を保管する藏。高床式の漆喰壁になっていて、2つの藏が1つの屋根に覆われているのが特徴です。(国宝)食堂(じきどう)もとは、寺務を司る政所であったが、平安時代に
グループ旅行で斑鳩散策の続きです。中宮寺跡の見学が終わって、以降は斑鳩の散策記録になります。まずは北に向かって法起寺へ。三重塔が見えてきました法起寺(ほっきじ・ほうきじ)国指定史跡(法起寺境内)奈良県生駒郡斑鳩町訪問オススメ度★★★★飛鳥時代の国宝三重塔で知られる古代寺院跡。法隆寺とは逆に、塔が東、金堂が西に配置される「法起寺式伽藍」のプロトタイプとなっています。ちなみにですが、古代寺院で判明している類型化された伽藍配置で、最も多いのがこの法起寺式だそうです。
20240114(バイク日和、温かい快晴での日曜日),この前キャリパーをチェックするとフロントパッド残り僅か・・・即発注前回取換え時(2022/11/25)は、19830㎞走っての交換でしたが、今回は、たった12597㎞走っただけでの交換に成りましたその差なんと7233km前回交換した時パッド残りが1㍉以下で、若干使い過ぎだったかも尚且つ今回の走行は、あの南紀「新宮行き」の長距離(350㎞/1回走行で)の回数が結構ありましたが今回は長距離走行がなくて「奈良盆地」内
おはようございます由希絵です今回も前回の続きで『聖徳太子』(飛鳥時代)に関連のある人物にゆかりのある奈良旅の場所をご紹介いたします今回は聖徳太子が建立を発願して建てられたお寺、『法隆寺』と『中宮寺』、『信貴山朝護孫子寺』に行った内容をご紹介いたします聖徳太子の物語およびこれらのお寺との関連につきましては、『聖徳太子~母への思慕』、『聖徳太子~最も寵愛した妃・かしわでのほききみのいらつめ』および『橘大郎女~愛と哀しみの天寿国繍帳』をご参照くださいまず早朝にJR奈良駅すぐそばのス
20240113(何やらややこしい御天気の土曜日),10時頃までは穏やかな快晴でしたが、徐々に風が・・・で、そそくさと出発して「夢殿」近くで駐輪場(こそっと)探すも一寸気が引けて、昨日と同じ法隆寺の南大門に停めさせて頂きました。さぁ久々の「夢殿」何年振りかな30年は来てないかもしょっちゅう前の道路は通っていますが拝観はお久この「夢殿」は法隆寺の「東院伽藍」となりますのであの「聖徳太子講員証」で拝観できました。此方も一部の建物を改修工事中で何やらザワザワ。。。法隆寺東院
皆様、あけましておめでとうございます昨年は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。さて、1月のいきなりの3連休は子供らがいなかったので一人奈良にお寺の旅に出かけました。気が向いたので御朱印帳をもらい各々のお寺ので御朱印を頂きました。写真左から中宮寺薬師寺唐招提寺良い幕開けとなりましたよ。KKKさん(No.2003319)のプロフィール-PIXTAKKKさん(No.2003319)のプロフィール。写真素材・イラスト販売のPIXTA(ピクスタ)では
ふたり旅の続きです去年から書いててまだ終わらないのかと言われそうですが自分の記録用でもあるので…前日にも奈良に行きましたが古墳巡りが主だったので次の日はツアーバスでと考えてましたが予約を取る事ができず…自分たちでまわることになりました絶対行きたかったのは法隆寺奈良駅前からバスに乗りました法隆寺サイトからお借りしました↓推古15年(607)、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる。「日本書紀」には、天智9年(670)に伽藍を焼失したとの記述があり、8世紀初頭に現伽
ごきげんよう〜❣️夫婦2人で12月7日から2泊3日の奈良・京都旅行へ行って来ました〜備忘録としてお付き合いください笑笑1日目のはこちらから↓『いざ奈良へ〜1日目〜』ごきげんよう〜❣️夫婦2人で12月7日から2泊3日の奈良・京都旅行へ行って来ました〜備忘録としてお付き合いください笑笑早起きして新幹線に乗り込みます京都に到着…ameblo.jp2日目〜!奈良観光がメインなのになぜか京都泊にしたので朝は6時半起きの7時には朝食7時40分の電車に乗車予定が間に合うはずが無く
産経新聞2023/11/2814:43ミドリムシの健康食品を手掛けるバイオベンチャーのユーグレナは27日、「二重まぶたの可能性が高い遺伝子タイプが多い都道府県ランキング」を発表した。約5万7000人分の出生地別の遺伝子解析データを数値化したところ、奈良県が52・81%で該当遺伝子タイプが最も多かった。また、近畿地方の2府5県すべてが14位以内に入っており、近畿は遺伝的に二重まぶたの人が多い傾向があるとした。ただ、現時点で近畿に集まっている理由は分からないという。二重まぶたの
斑鳩の里~西ノ京巡る7Hのバスツアー,まず法隆寺・中宮寺を拝観【拝観寺】法隆寺、中宮寺【ツアー】斑鳩の里から西ノ京を巡る1日7時間バスツアー(奈良定期観光バス)【年月日】2023年11月29日(水)9:55~17:00【天気】晴れ時々曇り14℃久しぶりに奈良を歩いてきた。奈良の街は6年振り、法隆寺は12年振りである。この日、新横浜を6時発の新幹線「ひかり」で出発、京都からJR奈良線で奈良に到着したのは9時11分。京都での接続(2分)が上手くいき、奈良には予定より一電車早く着いたの
皆さま、こんにちは。数多くのブログがある中、当ブログへお越し頂き、ありがとうございます。さて今回は、『聖地巡礼~奈良編~』の続きです。前回は風神をお祀りする龍田大社についての感想をシェアしました『清々しい風が心身の穢れを払う☆龍田大社』皆さま、こんにちは。数多くのブログがある中、当ブログへお越し頂き、ありがとうございますさて今回は、以前にお知らせをしていた奈良旅行の感想…amebl
奈良旅の続きです。奈良に行こうと決めたのは友達が勧めてくれたこともありますが修学旅行で訪ねた奈良がスピード日程でしたのでいつか修学旅行のやり直しをして奈良を味わいたいそんなふうに心の中で、ずっと思っていたからです。そこに、がんが重なってもう、「いつか」を待ってる場合じゃないなとこの日、薬師寺を後にして向かったのは法隆寺。でもその前に、中宮寺に少しだけ立ち寄りました。中宮寺は、聖徳太子が母親のために建てた日本最古の尼寺。ご本尊の如意輪観世音菩薩は、スフィンクス、モナリザと
おはようございます。今日も寒い休日です。皆さんご慈愛下さいませ。引き続き法隆寺の伽藍の旧斑鳩御所の中宮寺を紹介させて頂きます。聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺中宮寺は飛鳥時代、現在地より約500m東方に創建されました。若草伽藍と同笵の瓦も出土し、法隆寺と中宮寺は僧寺・尼寺の関係にあったと考えられます。高松宮妃殿下の発願により、昭和43年に落慶された本堂です。本尊如意輪観世音菩薩(国宝木造菩薩半跏像)
10年振りに訪れました。中宮寺の本堂が立派になり、国宝菩薩半跏像が以前より遠くなったような気がしたのが、少し残念でした。久しぶりといえば、30数年振りに田んぼで野菜を植えました。畑がしたいというスタッフからの要望があり、来年1月で80歳を迎える父が畝をつくりました。手前は玉ねぎです。来年の5月末頃の収穫祭が楽しみです。
【旅行期間:2023/10/27-29】法隆寺のあとは、中宮寺へ飛鳥時代、現在地より約500m東方に創建されました。もとは聖徳太子の母、穴穂部間人皇女の宮だったそうです。その宮を中心として、聖徳太子と正妃が住む宮、ほかの妃が住む宮がそれぞれ配置されていたため、中宮寺と呼ばれています。太子の宮の場所が、現在の法隆寺東院にあたります。法隆寺と中宮寺は僧寺・尼寺の関係にありました。16世紀末に宮家の皇女を迎える尼門跡寺院となり、法隆寺に隣接した現在地に移転したと言われてい