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筑附の入学式に行ったら、なんと日能研赤羽校の母子に会う。小学校が違っていたので、私はそのお子さんもお母様のこともよく存じ上げなかったが、向こうはよく知っていらっしゃるらしい。そのお母様は三男の姿を遠くに見つけると飛んでいらっしゃって、「写真を撮っていいですか?」と、三男の全身の姿をシャカシャカ写真に収めだした。なんでも、すぐに日能研のお友達お母様に写メをするという(皆さん楽しみにお待ちだとおっしゃる)。「靴と靴下を履いている姿を写真にとってきて欲しいって頼まれたのよ」(8/12up「三
2月10日小学校の授業参観だが、担任の先生に報告をしてからすぐに手続きをしに筑附に。ここだよ、本当に三男を通わせたかったのは。ここだよ、本当に手続きをしたかったのは。手続きをして帰りに泣きながら郡林堂で豆大福を買ってそのまま気持ちを立て替えて出社。(絶品、郡林堂の豆大福。筑附に行くたびに並んだ)サクサク歩けたし、食べ物ものどを通った。今日は眠れるかもしれないと思った。考えてみたら元々お金がないから…と、国立受験に切り替えて頑張ってきたのだが、終わってみると国学院久我山中
桐朋の入学手続きの期日なので10時に入学金を持って行った。国立の紀伊国屋で六花亭のチョコを買い、日能研に手続きが済んだ報告に行こうと思い、その前にちょっと家に寄ったらなんと筑附のだみ声の事務の方(失礼)から電話。繰り上がり。手が震えた。まろびながら日能研へ。事務の女性たち全員が泣いてくださった。私も一年中の涙を流した。もう歩けない。(テキストたち)
なんとなく終日筑附の繰り上がりの電話を待つ。両足首の複雑骨折(していない)も回復して満足に歩けるようになったので、夕方三男と小学校のサッカーチームの練習に本当に久しぶりに行く。ママさんたちがたくさんいて皆さんに一言、「桐朋に行くよ」と言ったら「さすが予定通り第一志望突破ね」(筑附はチャレンジ校だと言っていたので)と、祝福し労ってくれて心から嬉しかった。ここまでの地獄はみなさんご存じないからね。軽々突破したと思われているんだろうな。サッカーとしている三男の姿を見たらみっともないくらい涙が
久我山入試。早朝まだ暗い中をひそひそと向かった久我山はなんと30人の枠に520人の受験生が押しかけて騒然としていた。その校門に見つけたのは、昨日の日付が変わろうとしている時間に私が世界中の感謝の言葉を投げかけた日能研赤羽校の算数の先生だった。応援に来て下さっていたのだ(理科の先生もいた)。だいたい日能研赤羽校からは遠くて通学が大変なこともあり、この日に国学院久我山中を受験するのはうちの三男だけだった。その一人のために、昨夜23時まで三男に過去問を解かせ、立ち直らせて下さっていたその先
カスミの上を歩いているような足取りで帰宅すると三男が落ち込んで使い物になっていない。明日は早朝に起きて久我山の受験に行かなきゃならないのに。だいたい過去問も全く解いてこなかった。どんよりしているところに日能研から電話があり、すぐに連れてくるようにと言われるけど、三男はトイレに籠ったまま出てこない。色々説得するけど全く反応がなく困り果てていると、日能研の事務のお姉さんがトイレの中の三男にこの電話を渡して下さいとおっしゃる。電話を渡すと5分くらいで三男はトイレから出てきて日能研に行くとい
6:14赤羽岩淵駅発。筑附には7:30に着。受験生には知っている人はいないつもりで行ったのに、私はよく存じ上げないが優秀だと思っていた同じ日能研赤羽校の母子に会う。三男と同じクラスで相当できるらしいけど駒東が第一志望だと聞いていた。ああ~あの子が受けたら、一人うちの子の上に入っちゃうじゃないの。本当に本当にやめて欲しい。それでなくても40人しかとらないのに。慌てまくる私は「なんであの子が受けるの?」と聞いたけど、三男は「さあ~知らない」(この話には後日談があります)。絶対の自信のあ
桐朋中入試。健康。浦和レッズの真っ赤なパーカー、蛍光緑のベンチコート、足の裏に「必勝」と書いてある真っ赤な靴下(さすがに靴下と靴は履いた)で行く。桐朋と言えば、日能研の桐朋日特は立川教室に最終的に2クラスあり、80人ほどがいた。その中で、上のクラスの2列目の席から下には落ちなかった三男は余裕のはず。私も、さすがに巣鴨はかなり遠いので行くこともなく、食堂で大人しく本を読んで待機していた。試験が終わって、三男ご指名のバーミヤンに行き、三男はラーメンやらチャーハンやら餃子やらを食べて
立教新座の試験。行きの東武線の車内で日能研の国語の先生にお会いする。校門で激励するために行かれるとのこと、本当にありがたいことです。大好きな女性の先生なので車中ずっと2人ベラベラ喋っていたら、横で三男はぐっすり熟睡していた。他の受験生たちは最終確認のため、ノートやテキストを血眼になって見ているのに。国語の先生はこんな子は初めて見たとたいそう驚かれて将来大物になると太鼓判を頂いた。「合格の太鼓判の方が欲しかったな」なんて思った。何だか算数が良く解けたらしく、ご機嫌で試験後は小学
第一志望校の筑附は4教科の他に、体育、美術、家庭科、音楽の教科もある(現在は変更されています)。体育はほっといても他の教科が問題だ。家庭科はとりあえず、教科書を読んだ後はとにかく実践を試みた。そしてこれは母の私がやるしかない。まず、裁縫・・・本返し縫いとかまつり縫いとか、私も大の苦手だけどそんなことを言っている場合じゃない、縫わせる、縫わせる。衣服の洗濯とかの表示を覚えさせ、そして料理。年末年始のなんとなく落ち着かないこの頃におせち料理と冠して、教科書に載っている料理を全て2人で
三男は万事マイペースで、例えば「小学校には毎日遅刻のギリギリセーフで登校するのが好き」とか、色々変わっていることを列挙するとすぐに一日過ぎてしまうが、分かりやすく見た目で変わっているのがそのファッション。蛍光緑のベンチコートはまあ、いい。私が保育園でたたき込まれた「どんなに寒くても長ズボンは履かせない」主義を貫いて半ズボンなのはまだいい。圧倒的におかしいのは靴下と靴を履かないことだ。真冬でも(雪が降っていても)裸足にサンダル、それにミサンガでどこにでも出かける。日能研の帰りは私が自
三男のアキレス腱模試の結果を見ると「徳川家康」や「徳川家徳」と書くし、ア、イで答える問題を1、2で答えている。問題用紙には正しい解答に○しているのに、それを解答用紙に書き移す時に一つズレた解答に○を打っている。そんなことのてんこ盛りで結局平凡な成績になっていることが多い。得意の算数は捨て問と言われる問題に全力で取り組みなんとなく解き切るものの、途中で計算間違いをするとかで結局×。その問題に時間を使ったせいで、正解しなきゃならない問1や問2の簡単な問題も計算間違いをやらかす。これは
そう言えば、小学校の次男のクラスに超優秀な生徒で筑附に合格した子がいたな・・・と、そのお母様にジョナサンでお話を伺うことになった。筑附という中学校は男子100人、女子100人中の合計200人。附属小学校から120人上がってきて、中学校でとるのは男女ともに40人の合計80人だという。高校に上がるときには、成績の下から(他の高校へ進学する子もいるが)40人が落ち、160人が上がり、また高校入試で80人が入学し高校は合計240人だとのこと。中学入試の試験自体は5~6倍の倍率だが、開成と両方
そもそも中学受験なんて私は全く考えていなかったのだし、受験させたいと言い張ったのは主人だし、お金がないなら中学受験なんてやめたらいいんじゃないかと思うかもしれないが、そうはいかない。拙宅では4人の子どもたちは完璧な平等で育てるというのがポリシーで、それこそお菓子が6個あったら2個を半分に分け、ひとり1個半ずつに分けていたほどの徹底ぶりだった。だから親の都合で三男だけ受験をやめさせるなんて、不平等なことはとんでもないこと。おまけに小4や小5のころならともかく、小6の夏にもなって時期が
三男は絶対に行きたいと思う中学がなくおまけに偏差値なんて高くなくていいとか言っていたが、とりあえず、桐朋の校庭が広く、サッカー部も強いので、第一希望を桐朋にしていた。日特も桐朋日特は立川なので、日曜日になると赤羽から立川に通っていたが、遠くて面倒くさくなり途中から行かなくなっていた。それでも常に上位15位以内には入っていたから安心していた(毎年80人合格するので)。それが小6の夏休みも真ん中ぐらいになって主人からいきなり学費が大変だから、一人ぐらいは(それは三男しかないよね)公立に行っ
さて日能研の夏休み直前の保護者会では毎回校長先生から、「野球やサッカーなどスポーツをしている子はこの夏休み前に止めさせてください。これを背水の陣と言います」を言われていた。子供たちもサッカーはまあそれなりに面白くはあったけど、受験生だからそんなことをしている暇はないだろうと自覚していて、私の心配をよそに簡単に離れた。まあそれはそれで当然なのだが、三男の時に至っては私自身が長らく続けていたサッカーママさんの生活からなんとなく離れがたかった。そんな中、夏休みの模擬試験にあたる日に大事な試合
三男も6年生にもなればいよいよ緊張感が出てきて・・とか、自らやる気が出てきて・・・なんて甘い夢を見るなんてことは既に全く諦めた、悟りの境地にいる母である。それでも月に2回もある全国模試ではいい点を取ってもらって安心したい。毎回毎回そう思って、社会と理科は直前の2日間は例の母の空白シートで「つけ刃」をしまくる。あるとき、たまたま買い物の帰りに日能研の前をチャリで通り過ぎた。「あら、そろそろ試験が終わるころ。ちょっと待たせてもらって一緒に帰ろう。」と、日能研に入って行った。「お母さ
○日能研の国学院久我山中の説明会日能研の高田馬場校で開催された。私は長女が久我山に進学してすっかりファンになってしまっていたし、久我山はサッカー部も強いから、三男が行きたい中学が無いなら久我山がいいんじゃないかと思っていた。久我山の説明会、100人近い父兄が来ていてすごく盛況で驚いた。去年は15人だったとのことで勢いを肌身で感じた。○桐朋中学校説明会他の学校の説明会と大いに異なり、とにかく部活についての質問が多かった。授業は先取りなし、夏講習なし、進度別・文理別クラスなし、
長男も次男も、自分で行きたい中学校を早々に見つけそれに向かって勉強していたわけだが、どうも三男には絶対に行きたいと思う中学がなかった。校庭が広い中学校であればどこでも良いようで、別に偏差値は高くなくてもいいなんて言う。三男もサッカーを小学校入学と同時に始め、ずっと楽しく続けていた。中学校選びもそのサッカーと基準として考えていたからサッカーのグラウンドが広くて、そこそこサッカー部が強い中学校を柱に考えることになる。とりあえず、桐朋中の校庭を見せたらサッカーと野球で別のグラウンドがあるので気
さて、長男と次男が無事日能研に兄弟割引で2人通っていた三男が小4の時に、王子にあるSAPIXが人気だといううわさを聞いて主人がソワソワしだした。とりあえずSAPIXの説明会に行ったらプリントが授業の主体で、日能研のがっちりしたテキストに慣れている私は戸惑った。やり方は良さそうな印象を受けたし、4年生での授業時間は日能研より長く、宿題も多い。早速SAPIXの入塾テストを受け、一番上のクラスで合格したから気を良くしたものの、本人は塾というものは日能研リュックを背負っていくところだと強硬に信