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○2025年5月24日は、上海博物館をはしごした。まず、人民広場館を訪れ、次に東館へ行った。基本、午前中に人民広場館見学を済ませて、午後に東館を見学しようと思っていた。その後、虹橋空港から、午後6時20分発の飛行機で太源へ行く予定だった。○上海博物館、人民広場館に着いたのは、10時ころだった。現在、上海博物館は予約が必要みたいだった。それで、当日券を求めて窓口へ行くと、若い係員が、「4階展示場だけなら、見学可能だ」とおっしゃる。とにかく、見学がしたかったので、それでお願いした。○この時、上海
実は「多元的」だった、中国文明の出発点【3か月でマスターする古代文明】古代文明といえば、メソポタミア、エジプト、インダス、中国といった教科書で四大文明として紹介されていた文明を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし実際には、世界各地に数多くの文明が存在し、多様な社会を築いていたことが、article.yahoo.co.jp紀元前3800~3500年くらい現在の河南省あたりに二里頭文化があった。現在の鄭州。昔で有名な地名は洛陽と許昌あたり。ここに夏王朝があったのではと推測
AmebaOwndm.amebaownd.com『世界四大文明中国文明展』という本の中に興味深いモノがあったのでご紹介したいと思います、こうして龍海の雑学(知識)が増えていっていると思って下さい。(笑)これの何が引っ掛かったのかというと、「人面魚文彩陶盆」とある事です。実はメソポタミアにいた「怪物オアンネス」がどこに行ったのか気になっていたのです。↑オアンネスメソポタミアの創世神話に出てきたと覚えていますが(ウロ覚え)、魚の着ぐるみを着たオッチャン
神社の遺跡日本の神社はどこから列島にやってきたのか神社の遺跡がみつかっていますそこは倭です倭をワと発音したままだとなにひとつわかりません倭の国はイシンのすぐ近くにありますイシンは殷と漢字でかかれました殷帝国といえば中国文明の発祥漢字の発祥といわれています完全なウソだとわかります倭とイシンはほぼ隣接していますそこから神社の遺跡が発掘されましたあなたはいつまでも倭をワと
上海中心部から約30km、上海市松江区の広富林文化遺跡へ行きました。かなり時差投稿になってしまいましたが、春節の天気がよい日、余山のあとに行きました。(余山の記事は、こちら⇒上海天文博物館(余山国家森林公園)|子どもと行く、上海の博物館!)広富林文化遺跡は、1958年に発見された遺跡で、約5000年前の新石器時代後期から明の時代前後までの遺跡(墓地や建物跡、土器など)が発掘されてきました。発掘場所周辺が今は公園として整備されて一般開放されています。公園内には、「文化展示館」、「
上海博物館東館のブログもこれが最後、4Fを紹介します。4Fには、「考古上海」、「江南造物館」、「文物保护修復体験館」、「趙朴初芸術館」があります。すべて東館移転に伴い新設されたものです。4階は時間がなくて駆け足での鑑賞になってしまったので、紹介もざっとしかできませんが、ご了承ください。まず、「考古上海」の展示館から。上海の遺跡から出土した文化財が主に展示されていて、上海の歴史に焦点をあてた展示館です。青浦区福泉山遺跡、松江区広富林遺跡から出土した5000年位前の石で作られた
前回のブログに引き続き、上海博物館(東館)の3Fを紹介します。3Fには、陶磁館、陶磁专題館、貨幣館があります。まず、陶磁館から。旧石器時代の土器から近代の景徳鎮までさまざまな時代の焼き物が展示されています。最初にあるのは、なんと20000年前の土器の破片です。江西省仙人洞遺跡出土。世界最古です!新石器時代(6000~5400年前)の黒陶刻紋盖罐。上海青浦崧澤遺跡の墓から出土したもの。幾何学的な模様が刻まれています。新石器時代(4600~4000年前)、龍山文化に属する黒陶高柄
前回のブログに引き続き、上海博物館(東館)の2Fを紹介します。2Fには、玉器館、印章館、書法館、絵画館があります。まずは、「玉器館」から。新石器時代~清の時代までにヒスイを原料にして作られた装飾品や工芸品が350件近く展示されています。5400~4300年前の遺跡、上海郊外の福泉山遺跡のお墓のなかから出土したもの。良渚文化と呼ばれる文化に分類されます。4500~4200年前の湖北省の遺跡にて骨壺から見つかった玉首人形。石家河文化と呼ばれる文化に分類されます。顔の細工がとても細や
上海博物館東館へ行ってきました。(ブログの題名に反していますが、子どもと初めて行くのは大変だと思い、私1人で行きました。)前回のブログで書いたように、今年に入り、上海博物館人民広場館⇒新しくできた東館への移転が進んでおり、こちら東館の方が中国の歴史文化財の展示が充実しています。ノービザになりましたし、観光客の方は、東館の方にぜひ行きましょう!予約不要で入館できます!!1~4Fまであり、超巨大な博物館なので、階数ごとに分けてブログを書きたいと思います。今回は、入り口~1Fの展示に
『日本文学史序説』は加藤周一の最高傑作である。文学の概念を広げて、思想史、文化史的考察を含み、古代から現代までの通史とする。木下順二は「真っ向唐竹割り、目から火花が散る」と評し、丸山真男は「批判は多いと予想されるが、加藤擁護の立場に立たざるを得ない」と正面からの追及をさけた(1)。私は、骨董品屋で埃をかぶっていた古典作品に、加藤が光を当てることで、見る間に個々の作品が独自の光を放って輝き出し、杖の一振りによって一気に時系列に並んだと思う。本書は英、仏、独、伊、中、韓、ルーマニアなど各国語に翻訳
1)初めて中国を統一し、戦国時代を終息させた秦の皇帝は?→始皇帝始皇帝は中国統一の後、長さ・重さ・容積の基準や文字、貨幣の統一などを行った。2)後に漢字に発展した、殷で使われた文字は?→甲骨文字殷では戦争や農業などの政治における重要なことが占いで決められており、甲骨文字はその占いのために使われていた。3)紀元前16世紀ころ、中国の黄河流域に栄えた国は?→殷殷の成立以前、今から約1万年前には、黄河流域で粟などを栽培
LINEストアにて、LINE絵文字世界四大文明リリースしました!!世界四大文明https://store.line.me/emojishop/product/663ddfcee6303938f8e5327b/ja世界四大文明-LINE絵文字|LINESTORE世界四大文明(メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明)の絵文字です!文明のゆりかごに思いを馳せるアナタにオススメ!!store.line.me世界四大文明(メソポタミア文明、エジプト
こんにちは。昨日、また子供たちと議論になった。地理の授業で、「ラハイナヌーン」の話になった。北回帰線~南回帰線にかけて、太陽が天頂を通過することを呼んでいるらしい。理論的には知っていたが「ラハイナヌーン」という名前は知らなかった。息子は中学受験、娘は中学校の時に習ったらしい。天頂を駆け抜ける太陽、ラハイナ・ヌーン|トピックス・お知らせ|すばる望遠鏡ハワイ時間2012年5月15日正午過ぎ、太陽がほぼ天頂を通過する様子が、ハワイ州ヒロにあるハワイ観測所
受講して三年目になる故宮文物初級の学びは「青銅器」から今年はスタートでした。はじめて参加された方は難しかったと感想を述べられていました。青銅器は、起源ははっきりしていませんが人類が最初に作った金属器とされています。現在のイラクの位置にあったチグリスユーフラテス川流域の人類初の文明とされるメソポタミアやエジプト、インダス、エーゲ文明などの多くの古代文明で用いられていました。短刀などが残っています。紀元前3000年頃にメソポタミア南部でシュメール人による国家が生まれ、軍事制度が作られ、戦士は青銅
きょうの夕食はかなり大きなレストランでだった。基本的にはシーフードが中心だが、それに限ったことはなかった。メニューにうさぎ料理があった。日本でも昔はうさぎを食ってた。うさぎを数えるのに「羽」という鳥用の単位を使うのは、罪悪感を薄めるためだったらしい。カエル、ワニ、シカは食べたことがあるが、うさぎは経験したことがないので、うさぎ料理の一品を注文しようとしたのだが、このレストランに連れて行ってくれたT女史がくびを横に振ったのであきらめた。ということで、うさぎ料理はまたの機会にこっそりいただこうか
千賀一生氏の『タオ・コード』に出てくる中国のある少数民族は性についてオープンであり、万物と一体となって生活していて、それは縄文人と共通しているのではないかと考察してきました。『いやらしくない性と「サンカ」』千賀一生氏の『タオ・コード』を読み衝撃を受けています。千賀一生氏の名前はたびたび目にしていて気にはなっていました。主に『ガイアの法則』関連で語られていたよ…ameblo.jp『性がオープンである前提』千賀一生氏の『タオ・コード』に出てくる中国のある少数民族の村では
「天玄地黄」という言葉がある。空は黒く、地は黄の色だという。空は青いという固定観念があるので、「あれっ」と思う言葉である。『易經』「坤」に、「陰疑於陽必「戰」,為其嫌於无陽也,故稱「龍」焉。猶未離其類也,故稱「血」焉。夫「玄黄」者、天地之雜也。天玄而地黄」という。ちなみに、この易経の語は、岩波文庫の訳によれば、「陰の勢いが盛んになって陽とまぎらわしくなれば、必然的に陰と陽とは相い戦うことになる。陰の勢いが盛んで、まるで陽が存在しないのではないかと疑われるほどだから、陽の象徴
4/24NHKスペシャルで、ヒューマン・エイジ人間の時代を放送していた。NHKオンデマンド|NHKスペシャル「ヒューマン・エイジ人間の時代プロローグさらなる繁栄か破滅か」(nhk-ondemand.jp)印象に残った番組のキーワードは集団脳だった。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスを分けたのは、ホモ・サピエンスは大きな集団を作ったことだ。大きな集団だと新規技術の拡散が広く、それが絶えずに伝わって蓄積される確率が高くなる。小さな集団だと技術を持ったものが死ぬと、伝わって
昨日、中国青海省で地震があったそうです。M6クラスの。被害状況は、わかりません。(被害はないといっているが・・・)ほとんど報道されませんから、ネットの情報では、中国は度重なる地震に見舞われているようです。(世界中がそうですね)黄河流域、長江流域にも活断層があるので、地震は度々起こる場所でした。しかし、中国のダム事情(特に三峡ダム)で、大量の水を保留していることから、四川省の地震が増加しているのは、三峡ダム(他のダムもある)の要因があると、認めたそうです。黄河流域で
*普遍的日本論1~12*日本統治原理概略史1・2*丸山真男の「~である」こと/「~をする」こと*丸山真男の「なる」「うむ」「つくる」~・~・~フランスの思想家・記号学者のロラン・バルトは、『表徴の帝国』で、日本料理・箸・すき焼き・天ぷら・料理過程・パチンコ・東京・通りの名称なし・駅・包み・品物・生け花・文楽・礼儀・禅・旅・書・女形・まぶた・全学連の闘争・和室等、日本の様々な現象を取り上げています。しかし、日本の本質にまで、迫り切れていないので、ここでは、バルトの言葉をもとに、
『十六の話』ー司馬遼太郎●叡山美術の展開ー②✪しかし、建物にはおどろくはずである。山内を歩いていると、唐代にいるようである。中国でもすでに亡んだ唐の木造建築様式がここでは残っていて、根本中堂のそばに唐の詩人李白が立っていてもおかしくない。このことは、日本仏教が、随唐の中国仏教であることと密接にかかわりがある。仏教の言語が、随唐・宋元の中国語であることも、釈迦は不思議を感ずるのに違いない。しかも、僧の名がみんな中国名であることに、釈迦は違和感を抱くだろう。「キリスト教のクリスチャン・ネー
日本と世界の歴史がひっくり返る~隠された日本民族のルーツが明らかに!?お知らせ2月11日に最新のメルマガを配信しました。★メルマガ143号カンジダ症にヨーグルト塗布で劇的に改善~ニキビやアトピーには???副題日本と世界の歴史がひっくり返る~隠された日本民族のルーツが明らかに!?届いていない読者の方は私までご連絡下さい。======管理人冒頭の画像は敢えて掲載しました。天皇家のルーツは古代イスラエルと書かれていますが、どうも疑わしくなってきました。そ
◆前回:【中学社会①】「人類の出現・進化」のうたhttps://www.youtube.com/watch?v=CoZsAJXtX4M◆次回:【中学社会③】「ギリシャ・ローマの文明」のうたhttps://www.youtube.com/watch?v=9WRDNasZkqs#学習ソング、#勉強ソング#耳で聴く【うたで楽しく暗記する「文明のおこりと四大文明」のうた《声に出して歌いたい社会》】という事でご紹介します。工夫:異なる文明で、同じメロディーだとゴチャ混ぜになってしま
始皇帝嬴政秦王家は嬴姓趙氏戦国時代趙の王家も嬴姓趙氏であり、元は同族である。秦の始皇帝の時代、日本へ渡来した伝説のある徐福は、嬴姓徐氏であり、こちらも二千年ほど遡れば同族ということになる。徐福の出自とされる嬴姓徐氏は、徐夷、徐方とも呼ばれ、BC2000~512まで存在した徐国は東夷諸国の一つであり、周王朝の初期BC1000頃の徐は東夷族をまとめ強大な勢力を誇っていた。五帝の一人である帝舜と夏王朝の創始者、帝禹に仕えた益【えき】(伯益、大費とも)が、帝禹から嬴姓を与えら
(岩波文庫、1994年1月)。こんな基本書なのによく分からない。悲。インド文明圏の常識・インド思想と、中国文明圏の常識・中国思想は著しく異なるからその橋渡しをするのは並大抵のことではなかったはずである。何の本で読んだのか思い出せないのだが、中国は「積善の家に余慶あり」(易経)というように個人のした善は家についた。それに対してインド思想では六道輪廻が常識で個人のした善は個人について当然だった。これだけ違うのである。ここから中国仏教は頓悟があり得、インド仏教は何百回何千回の生
中国共産党の強権によって香港の自治が危ぶまれるなか、台湾の民主主義が改めて世界の注目を浴びています。先日訃報が伝えられた台湾の李登輝元総統は、日ごろこう公言していたといいます。「難しいことは日本語で考える」李元総統は、日本の統治下で日本陸軍の少尉として終戦を迎えています。若き日には、戦後の国民党による民衆弾圧「2・28事件」を逃れる経験もしています。後年、台湾の蔣経国総統(当時)の知遇を得て政治経験を積み重ね、その死とともに台湾人初の総統となっています。直接選挙へと国民党政権
『十八史略で読む史記』(渡邉義浩著/朝倉書店)を読む西戎の覇者解説によれば、中国を統一した秦の来源については、その祖先が西方異民族であったとする説と、初めは山東省付近におり、やがて西へと移住していたとする二説が提唱され、現在でも明らかとなっていないとある。何をもって異民族とするのかよくわからないが、NHKの番組は少数民族という言い方をしていた。また、ウイキペディアによれば、春秋時代に入ると同時に諸侯になった秦だが、中原諸国からは野蛮であると蔑まれていたとある。秦は、辺境にあ