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北畠顕家といえば、一度目の遠征における高速移動に言及せざるを得ない。多賀城を発し、およそ600kmにも及ぶ道程を、一日平均60kmのスピードで進軍したというこれは、世に名高い羽柴秀吉の中国大返しの1.5倍のペースだということで近年、注目を集めている。TVで紹介された理由として、現在では絶滅してしまった「南部馬」という馬の産地が任地にあり、日本古来の馬より体躯がでかく脚も長かった。いうても競馬のサラブレッドよりは小さい。軍の大半が騎乗していたために可能だったのでは、という事だった。。北
はい!奈央です。今回は番外編でーす。古代における我が国最大の内乱である壬申の乱の異常さをご紹介したいと思います。壬申の乱(672年)天智天皇がお隠れになって半年ほどたった672年5月のこと。大海人皇子のもとに、大津京に不穏な動きがあるとの情報が入ります。同年6月24日、大海人皇子は吉野をお発ちになって不破へと向かい、大友皇子との戦いに挑まれます。壬申の乱ゆかり地マップなら記紀・万葉HPよりお借りしました。ここで、私が特に気になったのは、6月24日に吉
備中高松城跡を訪問、秀吉の水攻めや本能寺の変後の中国大返しで有名な城跡です。あることは知っていましたがなかなか訪問する機会がありませんでした。お城や城壁などがないのでそれもあまり積極的に訪問しようとしなかった理由です。最上稲荷を訪問時に時間を取って訪問しました。結構様々な史跡が一面に広がっていて散策するにはもってこいの公園になっていました。駐車場もしっかり用意されていて新しく資料館も新設されていました。水攻めの史実をしっかりと確認できました。
本日発売の週刊大衆。日本史ミステリー捜査隊は、戦国時代の馬の役割の特集です原作/跡部蛮挿絵/萩山明日香次回掲載は11月13日(月)です。日本史ミステリー捜査隊をよろしくお願いします。
明智秀満(118)「池田氏家譜集成」『扠、秀吉は十一日(注:実際は9日早朝)姫路を出勢して上られける、池田紀伊信輝兵庫ニ而出向ひ、先公不慮に傷害の事、互に涙せしあへす、ちからを合せて、光秀を討つへしと也、秀吉今より別而入魂の爲なれば秀次を信輝の婿に約し、信輝二男輝政を秀吉養子とぞ盟ける、其日十二日尼崎へ着陣なれば、池田父子、中川、高山、惟住、合し、軍評議有り、扠池田紀伊守信輝剃髪して勝入とぞ號しける、秀吉剃髪、』秀吉の「中国大返し」は分からないことも多い。まず、備
明智秀満(116)「毛利家日記」『六月四日、船ヲ飾リ、清水ヲ初メ、同兄弟月清、子右衛門尉、幷従者三人乗船、末近左衛門尉乗之、介錯ハ高市之丞、以上七人、清水拳一聲、秀吉公ノ陣ノ前エ漕寄切腹ス、従秀吉公、賜堀尾茂助、乗船ノ輩一度ニ自殺ス、籠城ノ輩ハ被送遣、安国寺、輝元、隆景、元春ニ披露ス、愁涙無止時、因茲和平相調、神文双方取替シ、翌日六月五日、秀吉公幷宇喜多ヲ初諸軍退去ス、就夫岩崎ヒサシ山ノ陣モ猿懸エ被内入、明智日向守反逆シテ、去二日ノ暁、洛下本能寺ニシテ、信長公御自害、秋田
ジム・ドノヴァン氏の心に響く言葉より…恐怖は三つのカテゴリーのうちのどれかにあてはまる場合が多い。失敗する恐怖、傷つく恐怖、完璧にできない恐怖の三つだ。最後の「完璧にできない恐怖」とは、すべてを完璧にやらなければならないという思い込みのために、何かに挑戦するのを躊躇してしまうことだ。私たちは、自分自身に対して過度に批判的になる習慣が身についてしまっている。非現実的なほどに高い能力や結果を期待してしまっている。ビリー・ジョエルが歌っていたように、
もう先月見た、気になった記事の話し(^^)鉄道ジャーナリストの梅原淳さんが面白い事を書かれていた。【鉄道での『中国大返し』は何日で可能か、大軍勢での移動、鍵は輸送力の小さい吉備線、本数少ない東海道線】見出しを見ただけで、興味深い内容だと思い、ワクワクしながら読ませていただいた(^^)(↓ネット記事を少し端折って、ほぼそのまま載せます)〈現代なら…少ない人数での移動だと、鉄道を利用すれば3時間弱で備中高松から京都の山崎に着いてしまう〉
「どうする家康」第29話伊賀を越えろ!は、服部半蔵の勘違いや本多正信の再登場などがあり、1話が終わるのが、早く感じるほど面白い回となっていました。特に、伊賀の棟梁である百地丹波役に嶋田久作さんが、演じており、嶋田さんといえば、映画「帝都物語」(1988年)の魔人加藤保憲役の印象がいまだ鮮烈に残っています。今回も、伊賀忍者の棟梁という事ではまり役であると思います。見ていて非常に懐かしい気持ちにさせられました。「帝都物語」は、35年以上も前に制作されており、特殊効果もストッ
1582年(天正10年)6月3日備中にいた羽柴秀吉が「織田信長討たれる」の報を聞いて(陣の近くで不審者を捕まえ、調べてみると、小早川隆景に宛てた光秀の密書を持っていた。という話もある)、毛利側と和平工作を始める。報を聞いた秀吉の参謀のような存在であった黒田孝高(官兵衛/出家後如水)は「運が向いてきましたな」と言ったとか。中国大返しも黒田の進言によるところが大きいとされている。(諸説あります)明智光秀、坂本城入城。6月5日明智光秀、安土城を接収。(4日だという説も
戦百景山崎の戦い(講談社文庫)Amazon(アマゾン)549〜2,316円中国大返し・山崎の戦いを、官兵衛・藤孝・市松・左馬助・右近・利三・秀吉・光秀の胸の内の想いや苦悩を描き、一つの作品に仕上げています。相談がなかったことから衝動的な行動ではと頭を丸めて与しない姿勢を示す藤孝。織田随一の臣と思っていた光秀が信長を殺したと感情を抑えられない秀吉。その秀吉に敵は光秀だと改めて理解させる市松。信長を除かなくてはと行動したものの、その後の展開についていけない光秀。秀吉は
黒船賞…あたしの軸馬はコチラでした馬券に絡まなかったら「ユタカ~っ、死ね~」って叫ぶ気満々でしたが…叫ばなくて済みましたそれにしても、斤量据え置きで不良馬場でも勝てないって…無念ぢゃそんな高知競馬場、昨日は何故か東京からの出張部隊もいらっしゃいましてそして今日は、純粋に移動日🚃💨一日、乗り鉄子に徹します始発列車に乗りました四国を出国した後は、中国大返し駅訪問もする予定なのダ【オマケ】高知駅改札外の喫煙所では、龍馬ストーカー疑惑発覚
造船の専門家の技術者が、技術的観点などから歴史の通説や伝説に挑む知的好奇心がくすぐられる1冊蒙古襲来・秀吉の中国大返し・無用の長物扱いをうけた戦艦大和について理系的アプローチで考察した1冊日本史サイエンス蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る(ブルーバックス)<書籍データ>『日本史サイエンス蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る』著者:播田安弘発行所:株式会社講談社2020年9月20日第1刷発行定価:1,000円(税別)講談社BLUE
さてさて……………いよいよ【天王山】山頂が近づいてきた………その山頂付近にあるのは…………【山崎城(やまざきじょう)跡】京都府乙訓郡大山崎町字大山崎『山崎の戦い』の後、【大阪城】を築城するまで豊臣秀吉が本拠地としていた。別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれる。※写真は、ネットより拝借しております※写真は、ネットより拝借しております【山崎の合戦】天正10年(1582年)6月2日の『本能寺の変』を受け、6月13日に摂津国と山城国の境に位置する山崎から勝龍寺城(京都府長岡京
秀吉の中国大返しは、信長の越前よりの電雷の逃避行にも似て距離と時間の観念を突き破り戦略的座標の外に在る事で明智光秀や柴田勝家の戦略的思考を混乱させた。其の大浪(おおなみ)の如きスピード(speed)感は、斎藤道三の其れに似て大浪の来るが、如き凄まじさと大浪が引くが、如き鮮やかさを同時に兼ね備えて居た。唯、秀吉、信長の其れは、國境(くにざかい)さえも凌駕し、道三の描く戦略眼・大浪よりも更に大きな浪を描き、更に迅雷に軍団を動かすに至った点が現実的戦略を飛び越し光秀を討ち果た
昨夜は今年最後の上半身トレーニング୧(=^〰^=)୨10日で230キロを走破し、そのまま戦闘突入したという、羽柴秀吉の中国大返し。こんなことは不可能だ!という方も珍しくありませんが不可能か?否か?実際に歩いて検証してみました。姫様の介護の合間を縫っての時間制限ありのウォーキング結果ですが、中国大返しは充分可能だと思われますね。訓練された足軽がフンドシ一丁で、整備されたアスファルトよりも歩きやすい無舗装路を走るわけですから、別に不可能でもなんでもありません(=・ω
チーム三英傑!もしも三英傑がラインをしたらシリーズですみなさんこんばんは(´Д`)。歴史好きなぶたさんです。今回はチーム三英傑(´Д`)!織田信長さん・豊臣秀吉さん・徳川家康さんの三人に色々語ってもらおうと思います。注意点・三英傑とは、戦国時代を天下統一に導いた織田信長・豊臣秀吉・徳川家康(たぬちゃん)のことです。・あくまでも創作ですし、三英傑の名前を借りたただの現代の話であることがほとんどなので、くれぐれも真剣に読まないでください。ただのギャグです。・最近三
みなさん、こんにちはソフトブレインのシニアAです今日は明智光秀の天下を討ち滅ぼす、山崎の戦いです中国大返しも見ものですそれではお楽しみ下さい(^o^)/天正10年6月3日、羽柴秀吉は、明智光秀が毛利輝元に向けて送った密使を捕らえ、「信長討ち死」を知った。高松城を水攻めしていて、吉川元春・小早川隆景の軍勢50,000兵と対峙しているときであった。秀吉は、即座に情報が漏洩しないよう備前・備中への道を完全に遮断し、自軍に対しても緘口令(かんこうれい)を敷いた。秀吉は、毛利輝元に
だし巻き卵作れる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようやっぱなぁ、本能寺の変、キツかったよな。明智もさ、もう少し空気読めよな。・・・織田氏。
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし豊臣秀吉いつのまにか、「今日の言葉」がなんの断りもなしに「今日の名言」に変わっている。豊臣秀吉-Search(bing.com)それは、そうと負けに不思議の負けなし野村克也の方が、実際には役立ちそうだな。なお、本能寺の変の黒幕は、やはり秀吉で、「中国大返し」は実はなかったというのが私の説。この詳細は後程。
そんなわけで、台風の行方を自分なりに推測している召使1です。さぁ、どっちに来るんや台風4号。7月頭で1つめが上陸とは。これは風より雨か、心配なのは。どうか全国どこにも被害が無いことを祈りたい。さて、春の遠征が長期だったので小ネタが残ってます。たぶん50回以上は尾道帰省してるのに、ちょっと行けば行けるのに毎回通り過ぎてきただけの所に寄り道です。その内の1つ、駅から歩いていけると言うことで、備中高松城跡へ行ってみることに。はい、総社から桃太郎線からキハ40&47です。んー、国鉄民営化してから何
秀吉が5日に中川清秀への返書を書いた事実からみて、次のような行軍が考えられます。まず4日の午後に高松を発ち、8キロ先の野殿で野営。翌朝すぐ中川からの書状を読んだ秀吉が返書を書き、すぐさま発った――。野殿からさらに東の沼城までの距離はほぼ15キロですから、返書で書いた通り、5日中に沼城へ入るのは距離的にみて確実です。午前の早い時間に野殿を発てば、遅くとも昼下がりの時間帯に沼城へ入り、兵に休息を与えられます。ここまでゆっくりしたペースで進軍しているのは、やはり背後の
6月4日の午前に高松城を発った秀吉は山陽道を東へ、まず、織田方へ転じていた宇喜多氏の居城沼城(岡山市)を目指しました。途中、高松から8キロほど先の野殿(同)というところまで退却したところで、摂津茨木城主・中川清秀からの書状を受け取りました(『梅林寺文書』)。摂津衆の中川はおおむね信長が光秀に討たれた事実を知っていたと思われますが、今後どう立ち回るべきか悩み、畿内から最も近いところで大軍を抱えていた秀吉の動向を知ろうとしたのでしょう。秀吉は中川ら摂津衆の動揺を鎮めるため、
秀吉は毛利に背後を衝かれないために側近の者を高松城に残したといわれます。それでも不安が残るため、すぐにでも引き返したい衝動を抑え、翌6月5日は毛利本軍の動きを注視しなければなりません。そうなると、秀吉の大返しは6日の午前とみるべき。B説の根拠はそこにあります。実際に毛利方が本能寺の変の正確な情報を知るのは6日以降ですから、仮に4日の午後に秀吉が撤退しても不審に思わなかったかもしれませんが、それは結果論です。ところが、毛利輝元に仕えた毛利家臣・玉木吉保が残した記録
天正10年(1582)6月3日の夜、前日に京で起きた本能寺の変の悲報が備中高松(岡山市)にいた羽柴秀吉の陣中に届きます。そこから奇跡とされる中国大返しが始まり、13日に秀吉は山崎(京都府大山崎町)で明智光秀を討つのです。この奇跡の行軍でいつ秀吉が高松を発ち、いつ当時の居城である姫路城へ入ったのか――この二点が定まっておりません。史料によって、主に「4日午後出発・6日夜到着」(A説)、「6日午前出発・7日夜到着説」(B説)の両説があります。スピードが重視される大返
負ければ後がない、天王山の決戦地に選んだのは、児島ボートでした。今朝、どこへ出陣すべきか、直感を働かせながら、大阪駅構内を10数分ぶらつきました。はたから見たら、黒い大きなキャリーバッグをガタガタ引きずったオヤジが、右往左往している様は、不審者そのものでしょうね(笑)選択肢は、➀自宅(埼玉県)への復路の途中にある浜名湖ボート最終日(優勝戦)、②3日連続の尼崎女子戦、③岡山方面、この三択でしたが、阪神大阪駅(尼崎ボート行き)の方
昨年、最終問題がどうしても解けないまま終わってしまった高槻の謎解き。今年は期間延長の最終日に無事クリアし、昨年のリベンジ成功!朝から阪急で高槻に行こうとしたら、偶然に阪急の新デザインの電車に乗車。ぼーっとしてたら高槻乗り越して桂まで行ってしまった。高槻まで戻るのに時間ロス発生。このロスタイムが最期に首を絞めなければいいけど・・・予定より少し遅れて謎解きスタート。去年一度高槻を回ったので、今回は少し地理がわかるので、謎解きの場所を探す時間が短縮されたような。ここの謎解
北京冬季パラ記念品「唐娃娃」の制作拠点を訪ねて貴州省恵水県-China.orgChina.org【新華社貴陽3月7日】中国貴州省黔南プイ族ミャオ族自治州恵水県の幸福移民社区(コミュニティー)にある唐人坊産教融合拠点では、スタッフらが無形文化遺産の...関西連続青酸殺人事件筧千佐子死刑囚が泣きながら語った出生の秘密-日刊ゲンダイDIGITAL日刊ゲンダイDIGITAL2021年7月に死刑が確定した筧千佐子死刑囚(75)。12年3月~13年12月に夫(当時75)と70代の
本日発売の週刊大衆。日本史ミステリー捜査隊は、羽柴秀吉と中国大返しの特集です。原作/跡部蛮挿絵/萩山明日香次回掲載は、2月28日(月)です。日本史ミステリー捜査隊をよろしくお願いします。
我ながら情けないことなのですが、先日はエバーグランデのリスクと中国不動産バブル崩壊のリスクに慄き、加賀電子を2950くらいで全て処分しました。しかしその後、分析を進めて、再び買うことにしました。すでに、2950くらいでかなりの量を買い戻しました。中国の問題は根が深いですが、半導体に影響が出てくるのはかなり先かもしれないと思い直したのです。長期的にはインフレと緩和の市況なのです。自分が間違えていると気づいたら、すぐに中国大返しです。とりあえず、転進しました、という事実をメモします。以上