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○ブログ『英彦山信仰とは何か』の中で、次のようなことを書いた。・当古代文化研究所では、そのことを検証するために、中国各地を訪問し続けている。中国には、中国四大仏教名山と言う概念がある。中国四大仏教名山中国四大仏教名山(ちゅうごくしだいぶっきょうめいざん)は、中国で用いられる、四ヶ所の著名な仏教名山・霊山・聖山に対する呼び名である。またこの他に、仏教八小名山というのもある。・山西省五台県の五台山-文殊菩薩の霊場(世界遺産)
1917年四川省・都江堰(灌県)米国人シドニー・ギャンブル(1890-1968年)撮影英語タイトルは“CotsatTemple”“Cots”は簡易ベッド寺に住む僧侶が使う布を張るだけのベッドを日光にさらしているのだろうか現在の行政区画としては撮影場所は四川省の都江堰市内本来の地名は灌県だったが世界遺産にも登録された秦漢時代の水利施設「都江堰」にちなんで1988年に「都江堰市」に改称されたギャンブルはまだ10代だった1908年に両親と共に中国旅行をしたそのご191
読書の最中に、あるいは音楽や映画を視聴しているまさにその時に、この本や楽曲や映像をまたすぐに繰り返し読み視聴したくなる作品に出合うことがありますよね。ボクが今拝読している、哲学者であり茶人でもあり短歌も詠んだ東京大学名誉教授の末木剛博先生(すえきたけひろ)の『東洋の合理思想』(法蔵館文庫、2021年)は、まさにそういうご高著です。和製英語的に表現すると、「superstrongimpactbook」です。さすが、あの野矢茂樹先生が師と仰ぐ先生です(このご高著の解説は野矢先生)。
天台大師和讃(てんだいだいしわさん)天台山隠棲(てんだいさんいんせい)と華頂降魔(かちょうごうま)天台山は古来から仏教や道教(どうきょう)の霊峰として著名でした。大師は当時天台山に隠棲していた常光禅師(じょうこうぜんじ)の金地嶺(きんちれい)に止宿し、後にその北の銀地嶺(ぎんちれい)に草庵を構え、修行に励まれました。ある日、別嶺の華頂峰(かちょうほう)で後夜(ごや・夜半~朝)の坐禅を修していたところ、大風雷震(たいふうらいしん)の中、天魔(てんま)が様々なありようで修行を妨害しますが
*構造主義・記号学(論)と外面/内面*人の利用価値/存在価値と人間の思想/自然の形式*理論段階での自然の形式から実践段階での人間の思想へ~・~・~人間の論理展開の傾向をみると、個人から小集団→中集団→大集団と、思想を啓蒙・教化すれば、無限に拡大・延長できるとする、透過的な世界観と、個人から集団へと、思想を啓蒙・教化しても、拡大・延長できるのは有限だとする、不透過的な世界観に、大別できます。たとえば、左翼(元々は、フランス革命期の国民議会で、議長席から見て、議場左側の座席にいた勢
6月から7月は、デパートや大手スーパーなどでは「中元商戦」をしています。私は、横浜市と川崎市にいる友人に「お歳暮」として毛蟹を送っています。「お中元」は、ここのところ誰にも送っていません。梅雨から暑くなる時期であり、北海道の海産物は送りづらいこともあります。ところで、「中元」の由来を知らなかったので、調べてみました。中国の道教によることが分かりました。上元正月15日中元7月15日下元10月15日中国仏教では、これらの日に盂蘭盆会をして、祖先の霊を供用するとありました
『十六の話』ー司馬遼太郎●叡山美術の展開ー②✪しかし、建物にはおどろくはずである。山内を歩いていると、唐代にいるようである。中国でもすでに亡んだ唐の木造建築様式がここでは残っていて、根本中堂のそばに唐の詩人李白が立っていてもおかしくない。このことは、日本仏教が、随唐の中国仏教であることと密接にかかわりがある。仏教の言語が、随唐・宋元の中国語であることも、釈迦は不思議を感ずるのに違いない。しかも、僧の名がみんな中国名であることに、釈迦は違和感を抱くだろう。「キリスト教のクリスチャン・ネー
(角川ソフィア文庫、平成29年4月)。ものすごい本です。多少、仏教史を知ってて読むのが良いと思います。「人生は苦である」という命題をこれほど明快に説明した本を私は知りません。インド人の論理的思考回路から説明しています。インド人は輪廻における再死に注目したというのです。「……死ぬのはたった一度のことでもいやなことだ。輪廻ともなれば、再死につぐ再死で、無数回、死の苦しみを味わわなければならない。」という発想で、苦が理解され、そこから輪廻からの解脱という求めが出てき
先日、何年かぶりに神戸の三宮へ行ってきましたーっ「神戸岩茶荘」というお店にお友達に予約してもらい連れて行ってもらったのですが、眼を見るだけで体質や体調、気質までわかるという「眼心」というものをしてもらいましたホントに不思議なのですが、診断に納得する事多々あり・・・これからは診断で聞いた事に気をつけて生活してみようと思います~。そのお店で「眼心」の後、中国粥のランチを食べ、体質に合った中国茶を飲みながら夕方までお喋りしてました中国茶は本格的なお作法?で、最初は小さな茶器に入れたお湯を何
記事内容●スリランカ仏教●スリランカ仏教と日本仏教は全く違う●仏教と道教(タオイズム)は違うが中華系は区別しない●道教寺院が鮮やかな理由は風水スリランカ仏教マレーシアのスリランカ仏教の総本山ブリックフィールズ(Brickfields)のブッディスト・マハ・ビハラ(BuddhistMahaVihara)https://amba.to/2kupnLe●オレンジの衣でスキンヘッドならスリランカ仏教の坊さんブリックフィールズ(Brickfields)のブッディスト
(講談社学術文庫、2003年9月)。著者は老荘を中心とする中国思想史家。仏教学者で、中国仏教を専攻する人の方が知識が広いと思った。いずれにしろインド文明と中国文明は恐ろしく性格が異なる。これを正しく理解していくのは並大抵のことではない。中村元のような『東洋人の思惟方法』を書いてしまうような大碩学が必要だろう。それと同時にインド思想専門家と中国思想専門家のコラボが待たれる。・禅と浄土は中国的。荘子の思想に似ているから。・老荘を通じて理解された仏教を格義仏
今年はお墓参りした?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようほかの記念日中元半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日。元々は正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元をあわせて「三元」とする道教の習慣で、中国仏教ではこの日に祖霊を供養する「盂蘭盆会」を行った。日本では江戸時代から商い先やお世話になった人等に贈り物をするようになった。大阪港開港記念日1868(慶応4)年のこの日、安治川の河口に外国船向けの開港場が設置された。盆,盂蘭盆会
□盆,盂蘭盆会[うらぼんえ]祖先の霊を供養する行事です。胡瓜や茄子で牛や馬の形を作りお供えします。月遅れの8月15日や旧暦7月15日に行う地方もあります。□中元半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日です。元々は正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元をあわせて「三元」とする道教の習慣で、中国仏教ではこの日に祖霊を供養する「盂蘭盆会」を行いました。日本では江戸時代から商い先やお世話になった人等に贈り物をするようになったそうです。○大阪港開港
半年生存の無事を祝い、祖先の霊を供養する日。元々は正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元をあわせて「三元」とする道教の習慣で、中国仏教ではこの日に祖霊を供養する「盂蘭盆会」を行った。日本では江戸時代から商い先やお世話になった人等に贈り物をするようになった。中元
(山川出版、2018年8月)。「宗教の世界史」12巻シリーズの第4巻。知らないことばかりで大変勉強になった。内容の一部インドから中国へ仏典が入ったとき、サンスクリット語やパーリー語から中国語に訳されたのだと思っていた。しかしこれは今では古い説で中央アジアで相当な変容がなされ、ガンダーラ語から中国語に訳されたというのが定説である。禅宗は達磨大師が中国に伝えたと一般には言われている。達磨大師が実在の人物ではないらしいというのは私も知っていたが、敦煌文書の中に初期禅宗の発展を伝える
日本政府が、香港に対する中国政府の動きに反対する声明への参加を拒否してしまったと聞き、たいへん、凹んでいます。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6361814いつも思います。個人(企業)の利得は、大勢の命よりも優先されるのか?と。香港のことは、対岸の火事ではありません。僧侶は政治に口を出してはいけないというのが、信条なので、台湾の民主化運動からも離れ、長いこと黙っていましたが、これは、政治の問題ではありません。人の命の、人権の、自由の問題です。台湾を応
(続き)在来の、出家教団の仏教を「小乗」と呼び区別した。大乗仏教はクシアーナ帝国時代、ギリシア・オリエント・印度の諸文化の混合折衷の国際文化社会で、自由で順応性に富んだ普遍的世界宗教として発した。四世紀以降のグプタ朝及び七世紀のハルシア王の時代に駆けて、大乗仏教は大いに発展したが、その後、印度文化の停滞期を迎えると共に仏教も衰退し、やがてマホメット教の侵入によって、印度では姿を消すことになった。仏教が中国に入ったのは紀元第一世紀の頃であり、唐の時代には独自の中国大乗仏教を展開した。この中国仏
『松下政経塾講話録3』ー西尾幹二●日本人の歴史意識🔯小乗仏教か、大乗仏教か?また、日本人とインド人にも全く歴史意識がないと言われています。インドでは悠久無辺の超歴史性が特徴をなしています。無限の中に時間が流れているという考え方ですから、人間の歴史などへの関心がない。そこには時間を記録するという観念がない。だから例えば、有名なヴェーダは一体いつ頃成立したかわかっていない。紀元前1500年から500年ぐらいの間に多分漸次成立したであろう、というぐらいのことしかわかっていなくて、それを探究しよう
○前回、『宝島・たからじま・寶島』の話を書いた。もともと宝島の宝は「三宝」の謂いであって、それは「仏法僧」を意味すると言うことであった。つまり、宝島は信仰の島だと言う話であった。○そうなると、どうしても普陀山の話をしないわけにはいかない。中国には中国四大仏教名山と言う概念が存在する。日本のウイキペディアフリー百科事典では、次のように案内している。中国四大仏教名山中国四大仏教名山(ちゅうごくしだいぶっきょうめいざん)は、中国で用いられる、四ヶ所の著名な仏教名山・
現代日本仏教の浄土真宗の漢訳教典の仏説阿弥陀経は鳩摩羅什がサンスクリット語から漢語に翻訳したものである。この鳩摩羅什の父親はインド人であるが、母親が古代中国の亀茲国の国王の妹であった。亀茲国は羌族と同族の大月氏の末裔が作った国であった。そして、五胡十六国の争乱期の5世紀初めの長安で仏教教典を翻訳したが、羌族の建てた後秦の王の姚興が鳩摩羅什の高名を知っていたので、401年に鳩摩羅什を長安に国師の礼をもって迎えたのであった。すなわち、鳩摩羅什の母方が縄文人と同族の羌族であったことになる。ひょっと
∂『三教指帰』(さんごうしき、さんごうしいき)空海による宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書。Lynブログ20200502B
☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆☆私の本棚☆読んだ本について思うところを書いています。あくまでも個人の感想です。☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆〜〜〜〜〜☆今回ご紹介するのは、前回の「まんが大乗仏教インド編・西方編」に引き続き、コチラ。まんが大乗仏教中国編2,530円Amazon監修塚本啓祥脚本瓜生中作画芝城太郎大師といえば「弘法」、三蔵といえば「玄奘」。猿、豚、河童を引き連れ、ニンニキニキニキと天竺に向かったという、この方。中国編は、玄奘三蔵さまが語り手。
中国を経由して日本に入って来た仏教は大乗仏教であるが、お釈迦様の教えのとおりに悟りの境地に至る本来の仏教、すなわち小乗仏教とは異なり、キリスト教など他宗教の教えまで包含したものになっていると言う。例えば、大乗仏教で登場する大日如来とか阿弥陀如来とかはキリスト教の神様のような役割を持っている。遣唐使として入唐した空海は現地で大乗仏教の一つ真言密教を学んだが、当時、唐で流行っていた景教(ネストリウス派キリスト教)の教えをも同時に学んで帰国して、高野山の真言宗を開いたようだ。また、浄土教の本尊の
おはようございます。この度めでたくチャライ・リャマ3世を襲名したトリです(前の二人は誰か?って、余計なお世話だ、ほっとけ)。【なお、来月予定されていましたトリ主催のコンサート「ウイーンフィル演奏会ドヴォルザークの夕べ」(ヴァレリー・アビサロヴィッチ・ゲルギエフ指揮、参加費3000円)は、中止となりました。】一般にあまり知られていないかもしれないが、インド仏教と東アジアの仏教(特に中国と日本)では、かなりの相違がある。インド仏教は13世紀にイスラームの侵入を受けて滅びたが、その主流は8
昨年中国で800億円の興行収入を稼いだオバケアニメ映画。題材は中国の神話によく出てくる娜咤(ナタ)から取られています。哪吒(ナタ)は道教で崇められている少年神、もしくは中国仏教の民話・説話に出てくる登場人物なのだそうです。ナタは生まれた時から物凄いパワーを持っていて、何でもかんでもぶっ壊してしまうので、その威力は両親だけでなく村の人々も困り果ててしまうほどです。これまでの中国アニメとは違って、出演者たちの表情がそれぞれ生き生きしていて見ていてとても楽しいです。ご興味
こんばんは今日も、暖かい穏やかな1日でしたね先日、甥っ子三男(小6)からの突然の質問「ねぇ。幽玄て知ってる普通にこの辺で見れる」と、今まで普通にテレビを見ていたのに突然に何を言い出す(・・?今なら、塩原温泉で幻想的な竹灯籠アートの竹取物語を見れます『幽玄』と言う言葉が甥っ子の口から発せられるなんて思いもしなかったのでビックリしたのですが。知っていても損はしないシリーズ幽玄とは何ぞや『幽玄』て、不思議な言葉ですよね(・・?幽玄の「幽」はかすかで奥深いことであり「玄
∂玄奘三蔵西域・インド紀行慧立・彦そう玄奘三蔵西域・インド紀行(講談社学術文庫)[慧立]1,188円楽天∂本書は、『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』(略して『慈恩伝』という)の前半部分(入竺紀行の部分)の日本語訳。『大唐西域記』は旅行した地域の地誌であり、『慈恩伝』は偉大なる旅をなしとげた玄奘、『慈恩伝』は玄奘の伝記です。天竺から帰ってきた当時の時点から偉大なヒーローとしてある程度理想化された姿として描かれています。なので、一つ一つのエピが歴史上本当に起き
○峨眉山の幸福樹酒店へ泊まったのは、2018年10月19日で、三回目だった。前回、書き忘れたので、最初の幸福樹酒店宿泊と二度目の幸福樹酒店宿泊のブログを紹介しておきたい。・テーマ「仏教聖地:峨眉山」:ブログ『峨眉山の幸福树酒店』https://ameblo.jp/sisiza1949-2/entry-12519944552.html?frm=theme・テーマ「楽山大佛と峨眉山」:ブログ『峨眉山:幸福树酒店』https://ameblo.jp/sisiza1949-2/e
○峨眉山は中国仏教名山の一つである。ちなみに、ウィキペディアフリー百科事典が案内する峨眉山は、次の通り。峨眉山峨眉山(がびさん、峨嵋山とも、拼音:ÉméiShān)は中国・四川省にある山である。道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一帯は聖地となっていたために自然が護られ、約3,000種の植物と、絶滅危惧種を含む約2,000種の
令和2年1月10日京都府宇治市の黄檗宗大本山萬福寺さんを参拝しました。東寺での後七日御修法の陣中見舞いの後です。日本最古とされる七福神霊場にて、布袋さんを祀られるお寺。行かない手はありません。行ってみて、規模の大きさに驚愕でした。中国仏教の影響を今も強く残して、お勤めは明代の節回しのまま行っているとか。おめあての布袋さんも、正面から迎えてくれました。