ブログ記事136件
日本はどのようにして戦国時代へと向かい、太平の世が生まれたのか。それをきちんと語ろうとすると鎌倉幕府滅亡まで遡らないといけません。本書では室町幕府の関東を統括する機関として設けられた鎌倉府を中心としています。室町幕府成立の時期から関東で打ち続く内乱、将軍の分身として鎌倉に置かれた鎌倉公方とその補佐役(または監視役)である関東管領との対立である上杉禅秀の乱、そして永享の乱、結城合戦、戦国時代の嚆矢とも言われる享徳の乱に長尾景春の乱、長らく続いた室町幕府と鎌倉府の和睦である都鄙和
山川出版社から発売している全100巻のシリーズは、お手頃価格と薄めのページ数で入門編にもってこいの一冊です。本書は天皇や治天の君をも超える権力を獲得した足利義満の生涯を追っていますが、公家社会から権力を奪っていったという論調で解説されています。それが適切かはさておき、2010年初版の書籍で桃井直常を「ただつね」ではなく「なおつね」と読む(14ページ)のはいかがなものかと思います。『『桃井直常とその一族(中世武士選書49)』松山充宏著』畠山斯波吉良細川今川石
かつて相国寺にあった百メートルを超える大塔眩く輝く金色の寺院華やかな祭礼首都京都の強大な経済力を背景にした室町幕府は、こうした大規模造営を行ったのですが、元は建武政権を離脱した足利尊氏の軍事政権。幕府という軍事政権がどのようにして権力と権威を獲得して日本国内で並ぶもののない権勢を描き出したのか、3代将軍改め「北山殿」の足利義満の時代を中心に描き出したのが本書です。室町時代の財源や義満と公武関係、義満出家後の権力をどう呼称すべきか(結論としては居所である「北山殿」としか
天下人・豊臣秀吉(とよとみのひでよし)亡きあと、秀吉の残した政権や家は幼い男子秀頼が相続することとなりました。秀頼の後見となったのが、生母の茶々と家老の片桐且元ですが、茶々および秀頼と且元は最終的に決別し、秀頼親子は滅亡することとなります。本書はわずかに残された茶々の書簡を頼りに、且元についてどう思っていたのか、且元の羽柴家家老としての立場はどのようなものだったのか最終的に決別するに至った経緯を読み解いていきます。驚かされるのは関ケ原合戦以降の且元に課せられた家老の重責とそ
それがどうしてこうも違うのか。。。。ちょっと宮田登氏の本を読んでいたら、日本民俗学を批判しているので調べているうちに、そういえば同じ世代の阿部謹也氏はいくつなのだろうか?という疑問に突き当り、調べてみたらほぼ同年齢だった。阿部謹也氏はドイツの中世史が専門だが、ある意味、正当な史学を研究したまっとうな学者である。阿部謹也氏は業績がすばらしいし、著作も読んで面白い。対して宮田登氏はなんだかなあ。。。。柳田國男の系譜は昭和で途絶えてしまい、直接の弟子たちはいなくなり、安易に柳田國男
中央公論新社から発行されている日本の古典を漫画化したシリーズの中で、鎌倉時代の基本的資料となっている『吾妻鏡』を全3巻で漫画化しています。シリーズ上の位置づけとしては『平家物語』の世界から『太平記』の時代への架け橋とのこと。物語は頼朝の挙兵から始まり、承久の乱でおおよそ本編が終わるという大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と同じ年代を扱う構成となっています。(当然ですが、だからといって「姫と呼べ」や「みんな武衛だ!」などというセリフは登場しません)著者は帯の紹介によると週刊マーガレッ
豊臣政権及びその頂点に立つ関白(のちに甥の秀次に関白職を譲り「太閤」と呼ばれる)秀吉は一般に戦国乱世を終わらせ、天下統一を成し遂げたと評されています。初期の仮名草子作者として知られる三浦浄心の著作『慶長見聞集』や太田牛一による秀吉の伝記『大かうさまくんきのうち』では昔は長者・有徳人しか持っていなかった金を民百姓が持つまでに栄えた「弥勒の世」であるとか、秀吉の「ご慈悲」「御威光」による「ありがたき御代」と評していますが早くも京都ではその崩壊の兆しとも呼べる不穏な事件が起き、不均衡な
武士の根源を探るテーマの本はこれまでにも出版されており、本書の参考文献にも類似するタイトルの本が掲げられています。また、摂関家出身の天台座主慈円が『愚管抄』で「ムサノ世ニナリケルナリ」と評した保元の乱以降の研究は多くの成果があり、日本史の華は武士であることを大河ドラマで人気の時代ということ以外に証明する手段となっています。本書は古代史の視点から武士の誕生に迫り、貴族社会で栄達を望めなかった者のルサンチマンという発想で武者の誕生から武士への変遷を、源氏や平氏を中心としながら西
〔WELOVEK🐻/ポニーキャニオン公式(@ponycanyon_kdp)さん/X(twitter.com)〕【武神】噂の「ハマる」韓流史劇、BSジャパン13時より放送!本日は第20話「悲壮の鉄州城」オンエア。見逃した方は1話~3話の無料配信を実施中!DVDも全巻レンタル中!Nuno#武神【期間限定】/午後0:44·2013年11月13日/おがっち(フリーアナウンサー&エッセイスト♪)(@ogataetsuko)さん/X(twitter.com)@ponyca
俵藤太秀郷の末裔、下野大掾小山四郎政光の子宗政を祖とする長沼氏、およびその後裔が称した皆川氏に至るまでをまとめて扱っています。宗政の兄弟には父から小山の地を継いだ兄・朝政と結城氏の祖となった弟・朝光が知られています。(実は3人とも大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場しています。宗政は結構目立っていたので覚えている方も多いと思いますし、朝光も印象的な場面での登場なので記憶にある人もいるでしょうが、案外朝政が地味な出番しかなかったので、忘れられていそうです)有力鎌倉御家人として淡路守護
戎光祥出版の戦国武将列伝の中でも恐らく最小であろう3名の執筆陣でまとめられています。重複する事件等の記載が抑えられるというメリットがある一方、他の著者による多角的な視点で同じ事件を記述するという事が少ないのですが、通読はしやすいかもしれません。有名な毛利氏や宇喜多氏のみならず、足利義稙を擁立した奇特な人こと大内義興・義隆親子、かつて日本の六分の一の国の守護任じられた山名一族や鎌倉御家人の系譜を引く知る人ぞ知る名門・山内氏に至るまで幅広く扱っています。浦上(当時は「ウラカベ」と呼んだ
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』の制作決定後に執筆を開始したという中公新書からは実に60年近く発行されていなかった徳川家康の評伝です。著者は2010年に『定本徳川家康』を上梓したこともあり、本書においてはそれ以降の研究の成果を盛り込みつつ、大河ドラマに合わせて家康の「人生のターニングポイント」に焦点を合わせて執筆されています。10章+終章からなる本書の1章ごとがそのターニングポイントで、ひとつづつ挙げていくと桶狭間の合戦、三河一向一揆、三方ヶ原の合戦、嫡男信康の処
久しぶりに関口宏の中世史を見た。歴史を学ぶには面白い番組だ。1593年の朝鮮出兵文禄の役の話。小西行長と明の沈い敬との間で戦争の限界で疲れ切ったのか、お互いに和平交渉へと考える。なんとそのために主君にうその報告をすることになる。小西行長は、秀吉に明が降伏したとうそを言い、明の沈い敬は、明の万歴帝に日本が降伏したとお互いにうその報告をする。そうすることで講和を結ぼうと画策したみたいだった。明の使者が日本に来て日本国王に認める旨の書と金印をもってくる。そこ
2023年大河ドラマ『どうする家康』の考証を担当した「戦う歴史学者」の異名をとる著者が、かの名著『武田氏滅亡』以降の武田勝頼に関する新知見を取り入れつつ、徳川家康側から見た勝頼との闘争の歴史(信玄生前~武田氏滅亡まで)を概説しています。『『武田氏滅亡』平山優・著』信長や家康と戦い、宿敵・上杉謙信と5度も戦場でまみえ、2017年NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』とも縁深い人気の戦国大名・甲斐武田氏。その武田氏を滅亡させ…ameblo.jp家康の生涯最大の強敵は武田信玄という印象
朝6時、ポストに新聞を取りに行った以外は引きこもり。昼になりBS-TBSの関口宏の新しい中世史を見ながら昼飯を食べ、午後から出かけるか?と思ったが、気づいたら外はどんよりとした灰色の空。ベランダに出たら小雨。夕方になったらカミナリも鳴ってきた。夕飯は何がある物で簡単に済まそう。
仕事は、1月9日までない、予定があるのは、4日と6日のみなので、後は本当に家でのんびりと過ごす事になりました気合を入れて、お掃除でもしたいところですが、何となく気が入らないテレビも年々、お正月番組がつまらなくなり、再放送やくだらないお笑い系ばかりで、見るものがない子供の頃は、お正月の番組がとても楽しみでしたが、今どきは働き方改革なのか、テレビマンがみんなお正月休みしっかり取っているからか、生番組が本当に少ないですねそれで、もちろんプライムビデオ
日本史でも人気のある戦国時代ですが、あまり研究されてこなかったのが天皇と公家衆たちです。戦前は皇国史観の影響で天皇を研究すること自体がタブー視され、「研究すると言っても、天皇を崇拝し、その永続性を強調する傾向にあった」(「はじめに」より)というほどです。敗戦後は皇国史観への反発からなおさら研究されなくなり、ようやく研究されるようになったのは昭和天皇崩御が契機とのこと。それまでは戦国時代といえば武士の時代という印象から、天皇や公家衆はなんとなく「お飾り」と見られていたのです。し
日本史上でも屈指の有名人でありながら「英雄」と「逆賊」という両極端な評価を弟・直義と共に受ける人物である足利尊氏。尊氏(初名は高氏ですが「尊氏」で統一)の生涯は鎌倉幕府の有力御家人である足利氏本宗家の庶子に生まれた事から始まり、家督を継いだ兄・高義の死後も家督を継ぐことはなく(出家していた父・貞氏が当主に復帰)父の死後27歳になってやっと相続するところから始まります。後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てた元弘の乱が貞氏の亡くなった時期と重なっているのは事実ですが、その時期に尊氏が幕府の
大河ドラマ『どうする家康』の考証担当を務めた歴史学者(ダミアン浜田陛下ともども高校教師を早期退職した有名人の一人でもあります)による、家康の青年期に最も大きな影響を与えた人物の一人である武田信玄との関係を時系列順に解説しています。家康と信玄の関係は、同盟→敵対→戦闘と変化していきますが、両者の問題だけが理由というわけではなく、彼らの周囲の大勢力である今川、北条、上杉(長尾)、織田、美濃一色(斎藤)との関係も大いに関わってきますし、足利義昭の動向も踏まえて考える必要があります。特に武
本書は前著『史伝北条義時』に続く鎌倉幕府成立の功労者であり、当時中継ぎの将軍と考えられていた「尼将軍」北条政子の評伝であります。『『史伝北条義時』山本みなみ著』2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で主役となった北条義時。武家政権を確立した立役者でありながら、承久の乱で3上皇を流罪にしたことで後世「不忠者」と評…ameblo.jp新出史料や京都側の資料、考古学の成果等も反映し、後世の評価の変遷もまとめていますが、数多くいた妹たちに関しては全員に触れる程の余裕はなく、
織田信長の重臣として知名度の高い柴田勝家の評伝です。勝家に関しては、羽柴秀吉同様父の名もわからない(秀吉にしても、確実な資料から父の素性を知ることはできません)ということに少し驚きましたが、考えてみれば信長とて祖父・信貞より前の先祖がいつ守護代大和守家から分かれたのかもはっきりしません。信長の先祖でもそれほど記録がないのですから、その下の勝家らにはっきりした先祖の記録が残っていなくても不自然ではないのでしょう。また、越前時代に信長から前田利家・佐々成政・不破光治らの与力を付けられて
織田信長の生涯の合戦をまとめた新書であります。本書は著者もあとがきで今後の信長の合戦を研究する際の「叩き台」になると語られていますが、2002年発行ということもありその後20年の畿内戦国史、信長研究の進展をひしひしと感じます。特にそれを感じたのは、P62の「六角氏ごとき」という文言でした。承禎の祖父・高頼は二度の将軍親征を受け、父・定頼は義晴・義輝の二代を支えた有力大名であったことも、近年の戦国期足利将軍の再評価もあり六角氏の凄さに注目が集まっているところです。その他信長と義昭
[関口宏の一番新しい中世史]を観ました。その中でちょっと驚いたのは、明智光秀が本能寺の変を起こしたのは、その後の政策を考えずに、衝動的にやったのだ、という説でした。天下を取ろうなんて気はなかったのですね。やったあとで、一番の味方になるはずだった細川藤孝に応援を求めています。本来なら事前にするべきだった細川藤孝に対する応援要請が後手になっている。これが受け入れられずに光秀は孤立する。最後の秀吉との山崎の戦いも、仕方なく体勢が揃わないうちに負けてしまう。これが歴史の真相のようです。私は光秀は悲劇の
畠山斯波吉良細川今川石橋山名仁木石塔新田里見上野一色渋川桃井吉見岩松戸賀崎田中江田荒川大館世良田牛沢鳥山堀口加古一部界隈では有名な右京大夫政元さんの『知識で踊らせて』のラップ部分から抜粋しましたが、これは全て足利一門です。中でも桃井だけがやたら強調されていますが、これはかつて政元さんのラジオ風生放送『オールナイト幕府』の桃井氏解説会で引用された論文の筆者(本書の著者ともいう)が乱入御成になられたことでリスナーの間で伝説の回
こんばんは。この前、新潟駅南駿河屋行った時に買い忘れたキットをネットで買いました全体スプリンターパターンですが、携行する武器が面白いです余談そういえば今年は彼岸花を撮ってなかったので個人的メモ。中世ヨーロッパにおいては、都市間の相互防衛や通商関係、通商権益の強化の為に都市同盟が結成されることがあった。前者は神聖ローマ皇帝のイタリア政策に対抗する目的で北イタリアの諸都市で構成されたロンバルディア同盟、後者は北ドイツからバルト海沿岸の諸都市で結成されたハンザ同盟が挙げられる。ロンバル
日本史上まれにみる分裂の時代であった南北朝時代(だいたい後嵯峨上皇のせい)。本書はそんな南北朝時代を大覚寺統の後醍醐天皇を正当な皇統と推す南朝方に付いた31名の武将を後世の「忠臣」という評価を排して紹介した列伝です。南朝方として有名な楠木正成や新田義貞、北畠親房・顕家親子が必ずしも「忠臣」とは言えないことは編者の一人である亀田俊和先生による『南朝の真実』で示された通りです。『『南朝の真実忠臣という幻想』亀田俊和・著』南北朝時代。歴史の教科書で必ず登場する割には、人間関係が複雑で
本書は熾烈な内ゲバが続いた鎌倉時代でも特に内部抗争が絶えなかった頼朝薨去から承久の乱の27年間に焦点を合わせ、その構想を解説していきます。しかし、鎌倉時代の解説本は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の影響でかなりの数出版されています。本書の特筆すべき点として、なるべく淡々とした叙述で表現されていることと、鎌倉幕府・鎌倉殿は国家なのか、政権なのかといった点についてもコラムで解説されている点です。前近代の日本に存在した政権は全て天皇の存在を前提としており、天皇との公的(何らかの官職に任命さ
戦国期の足利将軍に焦点を合わせた一般向けの解説書です。高校卒業程度知識と読解力があれば読み進められるという意味では、著者が編者となった『戦国期足利将軍研究の最前線』など、いくつかの本がありますが、本書は中公新書ということでより手に取りやすい価格やサイズで提供されている点が重要です。『『戦国期足利将軍研究の最前線』山田康弘編』日本史史料研究会監修の「最前線」シリーズは2020年に出版元である洋泉社が宝島社との吸収合併となり消滅し、今後のシリーズ展開と既刊の再販が危ぶまれていました。…am
俗に「源平合戦」と呼ばれる治承・寿永の内乱における反平家の2トップともいえる知名度を誇る源頼朝と木曽義仲。吉川弘文館の「対決の東国史」シリーズの第1巻にふさわしい2人だと確信しています。(平将門と平貞盛あるいは藤原秀郷ではないことから、中世の東国に限定したシリーズと考えて間違いないでしょう)両者の対立は治承4年の以仁王の挙兵に始まる反平家政権活動をきっかけに競合→かりそめの和平→対決という道を歩みますが、その因縁は2人が生まれる以前からそれぞれの父の代から始まっていました。頼朝の
名著『喧嘩両成敗の誕生』のベースとなった博士論文を基にした書籍を文庫化し、増補したものです。同論文と同時期に取り組まれた論文に加え、旧版で割愛された序章の一部と終章も復活され、旧版に対する批判に対する回答なども追記されています。本書で提示された室町時代の社会を雑にまとめるなら「御所巻~力こそパワー~」「自害して復讐」「罪人に人権はない」「流罪は実質死刑」「両成敗でいいじゃない」「禁酒例は経済政策」「一揆の原理」「実は仲がいい京極家宗家と庶流鞍智氏」「重層的な構造は中